ノーバディズ フリー&コール

文月イツキ

#0 試験管を割る音

試験管の化け物


「被検体№200、実験経過良好、ついに次のフェイズに移行できそうです! この実験が成功すれば……」

「ついに我々の悲願が叶うぞ……誰も成し得なかった偉業を、この魔術界に未来永劫我々の名が刻み込まれる」


 ガラスの内側で、は見ていた

 白衣を身にまとった連中がガラス一枚を隔ててなにやらはしゃいでいる様子を。

 意識があるのか、そもそも思考しているかどうかも判らない虚ろな瞳で被検体№200はその光景を呆然と眺めていた。


 被検体№200は一糸纏わぬ姿の少女だった。


 死体のような少女は、巨大な水槽のような試験管に満たされた液体の中にいくつものチューブやコードを取り付けられて沈められていた。


 少女は自身が何者なのかを知らないが、目覚めてからのことは覚えている。

 白衣の連中に「ジッケン」と呼ばれる、痛いこと、苦しいこと、熱いこと、繰り返し何度も、何度も、何度も時間を掛けて受けていたことを。

 何も知らないはずなのにそれが辛いことだと、苦しいことだと、そんなことばかりがわかって、目覚めたばかりの彼女の小さな試験管の中の世界はそれだけが支配していた。


 ガラスの外に出る。という考えは彼女の中にはなかった。

 出られるものだとは思っていなかったから。

 それでもこの苦しみから解放されたかった。その手段がわからない。だから、ただ力なく外を眺めるしか出来なかった。


「『人工生命』など生ぬるい。ただの人間など、どのような馬鹿どもでも、腰を振っているだけで『作成』できる。だが、我々は『創造』したのだ、新たな人間の進化系を!」


 どうして白衣の連中は笑っているのだろうか? と少女は疑問に思っていた。 

 目覚めてからコレまで苦痛の水底に沈められていた彼女にとって、笑うということが意味することを知らなかったしし、目覚めている間に感じ取れることは苦痛しかないと思っていた。


「この秘術を我らが同胞たちに施せば、無能共メアハイトの世など簡単に覆される。我ら魔術使いが世界の大多数マンジョリティとなるのももはや時間の問題だ。クッ……ハハハ、フハハハハハハ――」


 白衣の一人が試験管の前で高笑う。

 他の奴と違って髪が白い、顔に皺もある。年老いていて、周りの奴らが近寄りづらそうにしている。どうやら、彼がここにいる連中の長らしい。


「ハハハ、はっ――」


 目の前の高笑いが奇妙に収束した。

 額から血を流し、試験管にキスでもするように前のめりに白衣の老人が倒れたのだ。



「悪いが、そうはならない……」



 白衣の中の一人、中でも小柄な奴が微塵も悪いとは思っていない素振りで、懐に忍ばせていた拳銃で老人の後頭部を撃ったのだ。

 実験の成功に歓喜の渦に包まれていた彼らの誰もが今起こっていることを認識できずにいた。


「多分死んでるだろうが、これはポリシーと念押しだ」


 試験管に顔を押し付けるようにして倒れた老人の胴体と頭にさらに二発、完全に生体活動が停止したことを小さな白衣は確認した。


「お、お前っ……! 何をしたのかわかっているのか!?」

「キミらの方こそ、自分たちが何をしているのかわかってるの?」


 まるで思考の読めない小さな白衣に、戦う術を持たないただの研究者である他の白衣たちは遠巻きに怯えながらも叫ぶしかない。


「国連と国際魔術使い自治組織『NNN』が両者の間で公に定めている人魔協定。第一条第一項『両者の間に亀裂を生む兵器開発、軍事活動を禁ず』 最初のページにでかでかと書いてある内容に、こうもまぁ、堂々と面の皮が厚いことで。これは我々NNNに対する明確な反逆行為ってことでいいんだよね?」


 小さな白衣は二つ折りの手帳のようなものを取り出した。

 そこには天秤を象った紋章エンブレムが縫い付けられている。


「それは……!」

「調停と粛清を司る、絶対中立の象徴、NNNの闇。第三機関『ノーバディ』だと!?」


 白衣の連中がざわめく、秘密裏に活動していたのにどうして嗅ぎ付けられた? 魔術使いの犯罪の取り締まりや逮捕は秩序の第二機関『ネセサリー』のはずでは? 責任者の罪がいくら重いといっても無警告で殺処分はあんまりでは? いくつもの理解不可能な状況が同時に押し寄せ混乱が渦巻く。


「黙れ」


 不愉快そうに小さな白衣、改め第三機関は呟き上空にむかって発砲する。

 その一声で白衣の連中は黙りこくった。もし物音を少しでも立てれれば、その銃口が自分に向いて次の瞬間には意識が途切れていたとしてもおかしくはないのだ。


「これは人魔協定のみに基づく裁定ではない。まさか魔術界の禁忌にも触れているとは気がつかずにこの研究を続けていたわけじゃないだろう?」


 それは子供のように先ほどまではしゃいでいた白衣たち全員の首元にナイフを突き立てる一言だった。


「生命の冒涜、それすなわち、生殖活動を伴わない人工的な生命の生産行為。いやそれだけじゃない、それで生まれた人であるかどうでも定かでない小さな生命を使った生体実験。ここの研究室のデータはすべてNNNの運営理事会に提出させてもらった」


 これは最後の慈悲だった。

 この研究施設の長は自身の罪を省みることなく死んだ――おそらくそれが最大の罰。

 他の研究員達は自分達がどのような罪を犯したのか、なぜ裁かれねばならぬのか嫌というほど理解し、懺悔しながら死ねるのだ。


「残念ながらこの悪魔の研究データは証拠として凍結保管しなければならない。僕としては今すぐにでも焼却して抹消したいんだがね――さて」


 一歩、第三機関が踏み出す。

 特に選ぶ素振りはなかった。ただ、一番近くにいた研究者が目についたからそこに足を向けたのだ。

 抵抗はできない。ただ、自身のしでかした愚かな罪と目の前の小さな執行人の非情な冷たい目にすでに心が殺されていたから。


「そこの爺さんはいい眠りには就けないだろうけど、悔いる機会を与えたんだ。きっとキミなら大丈夫さ――良き来世をGute Nacht


 寝室に行こうとする子供に掛けるような声色で第三機関は撃鉄を起こし、三回の音と共に寝息すら消し去る。

 そのようにしてソイツは近い順に回っていくつもりなのだ。


――や、めろ。


 試験管の中の少女はその光景に今までに感じたことがない思いが膨れ上がっていた。



――やめろ! それは私がやりたいことだ!


 

 彼らの間にどういうやり取りがあったのか言葉を解せない少女にはわからないが、そんなことはどうでも良かった。


――ソイツらは自分の獲物だ。


 それは偶然か、はたまた作為的か、あるいは神が与えたもうた奇跡か。

 老人研究者が倒れて試験管に衝突した際に生まれたガラスの亀裂が全体に広がっていく。

 もがくように液体の中で手足を暴れさせる。

 指先が僅かにガラスに触れる、もう少し、足りない。今、この瞬間にも第三機関は自分の獲物を殺している。

 駄目だ。それじゃ、足りなくなる。この名前の知らない感情の捌け口が。

 背後のガラスに足裏がくっつく。


――これなら、いける。


 すでに三人目、もう少しで半分もいなくなってしまう。

 そうなる前に――

 強く蹴り飛ばす。

 それだけではガラスは割れない。そのことを少女はなんとなくだが直感していた。

 だが、この数秒間で学習していた。壁を蹴れば前に進むと、水泳で壁を蹴ってスタートするのと同じ様に。

 当然少女は水泳なんてものを知らない。変に知識を与えて反旗を翻されることを研究者達は恐れていたから、少女は全くの無知だ。

 だが、老人が試験管にぶつかったとき僅かに後ろに跳ねた、それを見ていた少女は者がぶつかれば反対の方向に力が働くことを学習した、そして、力が作用したものは破損するということも――


 目一杯力を込めて蹴って、彼女の身体は正面のガラスに激突する。

 その音はその場にいた者全員の目を引いた。

 まだ壊れてはいない。

 それでも、その異常事態は第三機関を焦らせた。


「クソっ! もう完成間際だったか……! こっちを先に処理しておくべきだった! ――SET……」


 第三機関は銃口を試験管に向ける。


「無駄だ、中の被検体は90%究極生命体となっている。拳銃などでは到底――」



「草木よ咲き誇れ、悉くを奪い取りながら!――簒奪の草花Bluhend Rückseite!」



 引き金に力が加わると同時に第三機関の魔術が完成する。

 発砲音はしない、代わりに銃口から光る弾丸のようなものが放たれ、試験管に衝突する。

 その瞬間、ガラスの中の液体は一切の『動』を奪い取られる。

 すなわち熱を保持することが出来なくなる。状態を維持できるだけの温度がゼロとなった液体は――凍結する。


「瞬間凍結魔術……魔法に片足を踏み入れた秘術……」


 まだ処理されていなかった研究員達は目の前の光景に唖然としていた。

 高い難易度を誇る凍結魔術をいとも容易く発動させ、そのことを誇るわけでもなくただの手段の一つとしか捉えていない第三機関の凄まじさに。


「緊急凍結程度じゃ、おそらく足りない」


 急いで処理の手を止め、第三機関は試験管の回りに設置されている機械を操作する。空気供給管から少女の肺に送られる清浄な空気を処理用の毒ガスに切り替え、凍らせた液体にさらに凝結剤を投入する。

 白い氷晶となった試験管の中身、中央にいる少女を確認する手立てはない。


「生きているか、死んでいるか……どちらにせよ四肢や首部の動きは封じた。観測は不可能だが、同時に脱出も困難だ。もとより力があるだけの無知の猿、どう頭を捻ろうとも……」


 第三機関は非情且つ強力な力を有した人ならざるモノのような存在だった。不測の事態に必要以上に動揺を見せず冷静に対処をした。


 しかし、それ以上の化け物が氷中にいた。


 試験管に背を向け、処理を再開しようとした第三機関はその音を耳にし驚愕と共に振り返る。

 そして、それと同時にソイツの身体は真っ二つに引き裂かれていた。


「既に…………完成していた……のか……すぐに破壊し……ないと……」


 第三機関は意識が遠退いていく中で、光を反射させながら宙を舞うガラスと氷の欠片、そして、五指を赤く染める怪物ミュータントを見た。

 少女は人間を殺す方法がいまだよくわかっていなかった。

 今引き裂いた奴はいくつかの手順を踏んで殺していた。けど、どれが一番正しいのか。


――頭を破壊すれば止まる? 身体の真ん中を破壊すれば動かなくなる? それとも……白衣を赤く染めれば良いの?


――まあいい、全部まとめてやればいい。


 さっきの奴のせいで大分、数が少なくなってしまったけど、残りは全て少女の獲物だ。

 残された研究者からすれば殺されることには変わりはないだろうが、第三機関の方が慈悲があった。罪を悔やませて、次の人生へ送る言葉を、心がこもっているかどうかは別として、フリだけでもかけてくれた。

 けど、今から自身らを殺す少女は、そんなことはしない、ただ食い散らかすだけだ。


「だけど、これも報いか……」


 もはや研究者達に生きる希望を持ったものは誰一人として、残っていなかった。

 後悔があるとすれば、このような残忍な怪物を野に放ってしまったことだけだろう。

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