断章Ω わざわざ吸血鬼を殺す人間なんていない。

「嘘を言うなッ!」

 おそらく誰もが初めて見る膠の激昂に、櫟は毅然と立ち向かう。

「嘘じゃない。なあ、冷静になってみなさいよ。数なんて人間は、存在しなかったんだ」

 そう説得する櫟の声も震えていた。

「数が存在しない? 馬鹿も休み休み言え。ならば昨日私たちの前に現れた数はどう説明する」

「あれは数だ」

「そうだ。だから――」

「だから、あれだけが数なんだ」

 膠はあまりに力を込めすぎて電子煙草のカートリッジを噛み砕く。悪態を吐いて破片と漏れ出したリキッドを吐き出すと、それで意気を削がれたのか少し落ち着いたようだった。

 昨日、突如として膠の下宿に姿を現した数は、あの事件の真相を静かに語り始めた。


 数には櫟たちも知らない双子の姉がいた。その姉は重度の障害を持っており、太陽の光を浴びると死んでしまうという奇妙で重篤な病であった。

 姉は数の隣の部屋で、太陽光から逃れるためにじっと身を潜める生活を送り続けていた。

「でも、私は姉が好きだった」

 姉は自身の悲運な境遇にめげることも捻くれることもせず、誰よりも優しかったと数は述懐した。数はそんな姉が誰よりも好きだった。

 太陽が沈むと、姉は数の制服を着て外へ散歩に出かける。中学に上がった時に数が提案したちょっとした冒険だった。姉は夜の間は数になったようだと照れ臭そうに笑い、数もそんな二人の秘密に満足していた。

 数が櫟たちと同じ高校に入学した頃、近辺の町内で不審な事件が相次ぐようになっていた。

 夜になると道を歩いている者が、暗がりから現れた何者かに襲われるという事件。それだけならば比較的よくある不審者事案だが、妙なことにその回数と事件現場は日に日に増え、ある時はほぼ同時刻に1キロ離れた場所で同様の事件が起こったことがあった。

 そこでこの事件を解決するために、探偵である数に特命が下った。

 数は慎重に捜査にあたった。するとすぐ、不審者に襲われた被害者がほぼ全員、被害届を出すことをしていないという事実に行き当たった。

 被害者のもとへ直接事情を聴きに向かうと、彼らは全員が全員それを断固拒否した。心の傷というレベルではないと数はすぐに考えを巡らせた。

 訪れた被害者の自宅――誰も数を中へは入れなかったが、そのどれもが窓を分厚い遮光カーテンで塞ぎ、晴れた日中であっても雨戸を閉め切っていた。

 まるで、太陽光を恐れているような――数が馬鹿げた考えを振り払おうと道を歩いていると、見知らぬ外国人とぶつかってしまった。

 数は思わず目を見張った。その男の身体には硝煙の香りがべったりと染みついていたからだ。

「あなたが探偵か」

 流暢な日本語。頷くと、男は尻ポケットから銀のアクセサリーを取り出した。

「十字架――」

「ええ、私はバチカンの神父です」

「そうは見えない――いえ、香りがしないけれど」

 神父はなるほどと頷くと、コートに手を入れてなにかを取り出し、そのまま数の手に収めた。

「グロック17。だがただの拳銃じゃあない。数百日に亘る洗礼を施行したのち、数多の血を流させた私の持つ中でも一級の聖遺物です」

「素人に射撃をさせるつもり?」

 神父はわざとらしく肩を竦める。

「そうは見えなかったのでね」

 数は背後に気配を感じとると、即座にグロックを構えて振り向きざまに発砲した。

 獣のような唸り声を上げ、先刻訪ねた被害者の一人が撃ち抜かれた額を押さえていた。

 額を撃たれても即死していない――その事実を冷静に噛みしめ、数は鈍い動きの相手の脳天にさらに二発撃ち込む。

「ありがとう。もういいわ。銃よりも刃物のほうが、私には向いているみたい」

「サムライソードはないが、銀製のナイフならば」

 数は小さく笑って、神父からナイフを受け取る。

「これが杭の代わりというわけね」

 神父はお見事、と頷いた。

「さすがは探偵と呼ばれるだけのことはある。そう、今この町には『奴ら』が蔓延っている」

「吸血鬼。あなたはそれを狩りにきたエクソシスト。でしょう?」

 ことの起こりは一人の吸血鬼による襲撃だった。闇に紛れ、人間の生き血を啜り、吸血鬼はその場を立ち去る。

 被害届が一度も出なかったのは、吸血鬼による強力な暗示が働いていたせい。

 そして、吸血鬼に襲われた者は、吸血鬼へとなり果てる。

 鼠算式に吸血鬼は増え続け、気付かぬうちにこの町は侵略されていた。それに気付いたバチカンはエクソシストを派遣し、数との接触を図った。

 なぜか――それを神父は口にしない。この短時間で、彼は数を確かに信頼していた。

「少しだけ、時間をちょうだい」

「構いませんとも。私はあくまでも吸血鬼どもの殲滅を目的としています。あなたは、事件の真相を白日の下にすることを許されている」

「ありがとう」

 数は渡された銀のナイフをお守りのように大切に仕舞って家へと帰る。とっくに陽は暮れていて、数は姉の部屋に入るといつも通り制服を脱いで彼女へと手渡した。

 気付かぬうちに、日ごと姉の表情には喜色がどんどん溢れていた。

 数は少しだけ泣いて、そのまま自分のベッドで眠りについた。

 翌日は休日――そう、あの事件の当日である。数はもったいぶることもせず、しっかり確認をとるために櫟たちにその日の真実を語った。

 目を覚ました数は自分の部屋を出て、すぐ隣の子供部屋――姉の部屋へと入った。数の部屋と同じ閂錠は設置してあったが、姉はそれをかけることをあまりしなかった。

 ベッドで寝息を立てる姉の姿を目に焼きつけながら、数は後ろ手で閂錠をかける。

「お姉ちゃん」

 ベッドの端に腰を下ろし、優しく姉を揺さぶる。姉は日光が入っていないにも関わらず眩しそうに目を細めながら、どうしたのかと起き上がる。

「お姉ちゃん、私はお姉ちゃんのことが好きよ」

「私も、数が好きよ」

「でもね、私は探偵なの。妹である前に、とても残念なことに、探偵なのよ」

 姉はきょとんと首を傾げ、同じ顔をした数の目をじっと見つめる。

「だから、真実を明かす義務がある。でも、私はお姉ちゃんが好き。だから、お姉ちゃんにだけ明かすわ。真実を」

 数は静かに姉に口づけをして、口の中に割り入れた舌でその尖った牙をつついた。

「お姉ちゃんは、吸血鬼だったのね」

「数――」

「いいえ、いいえ。わかってる。悪いのは私なの。お姉ちゃんを外に出してしまったらから、こんなことになったのよね」

 姉は嗚咽を漏らし、数の腕の中に身を預けた。数はなにも言わず、強く抱きしめる。

 両親は知っていたのだろう。姉が生来よりの吸血鬼であることを。それをひた隠し、太陽の差し込まないこの部屋の中で、飼い殺しにしてきた。

「私も、知らなかった」

 姉はむせびながら、数がすでに全てを掴んだ真相を己の口で語り始めた。

「夜の散歩をしていて、数の友達に出くわしてしまったことがあったの。その子は私が数だとすっかり信じ込んで、楽しくおしゃべりをしたわ。ところが帰り際、その子が階段でつまずいて、膝から血を流してしまったの。その香りを嗅いだ瞬間から、私はただただ飢餓に襲われた。自分の内側で獣が暴れているようで、それを全く表情に出すことなく私はその子に近づいたわ。優しく心配するようなふりをしながら、お腹はぐるぐると鳴り続けていた。大丈夫です、って笑っていたその子の傷口を、そこから垂れる血を、舌で舐めとった。そこからはもうなにも覚えていない。ただ血を貪り食っただけ。気付いたら足元には青くなった死体が転がっていて、どうしようかと慌てていたら、その死体がすくと立ち上がった。私と同じようにお腹をぐるぐると鳴らして、どこかへと消えていったわ」

 それから夜ごと、姉は人を襲い始めた。吸血鬼は吸血鬼を生み、とうとうバチカンの目につくまでの惨状へと陥った。

「お姉ちゃん、今この町にはエクソシストがきている。私が囮になるから、そのうちに逃げて」

「数、駄目。駄目よ。全ての元凶である私が、そんなこと――」

 言葉に詰まったにしては、長すぎる沈黙だった。数が姉の顔を覗き込むと、驚愕と、満足に歪んでいた。

 姉は数の胸の中からするりと抜け出して立ち上がる。

 その胸には深々と、あの銀のナイフが突き立っていた。

「まさか、自律迎撃機能――」

 エクソシストから渡されたあの武器が、単なる銀製ナイフであると早合点したのは、数が生きてきて最大の見落としだった。現代のエクソシストが単なる儀礼を施しただけの武器を使うわけがない。このナイフは自ら接近した吸血鬼を迎撃対象と判断し、その切っ先を正確に心臓へと突き立てた。

「お姉ちゃん!」

 数が叫ぶと姉は力なく笑って、壁へともたれかかる。するとそのまま姉の身体は隣の数の部屋へとすり抜けていった。

 吸血鬼の能力――壁抜け程度は容易に可能だ。姉は純正の吸血鬼なのである。

 数はすぐさま部屋を飛び出し、自分の部屋へと駆け込もうとした。だが鍵がかかっている。姉がかけたのだ。数に自分の死んでいく様を見せたくないがために。

 その時、櫟たちが玄関に入ってくる気配がした。数は迷った挙句、姉の部屋へと入って鍵をかけた。姉の存在は櫟たちにも秘密であったし、それに加えて今は吸血鬼という特大の秘密までをも抱えている。

 あとは櫟たちの知る通りである。数は姉の絶命の声を聞いて、音を漏らさないようにと必死に歯を食い縛りながら泣いていた――。


 櫟たち三人は呆然とその告白を聞いていた。年月を経たことで折り合いをつけたのか、その悲劇を語る数はずっと穏やかなままだった。

 数はその後、諸国放浪の旅へと出た。そして三年が経ったこの日、再び櫟たちの前に現れたのだった。

 話し終えると、絶句している櫟たちを残して数はどこかへと消えた。

「確かに、数の話には耳を疑った。双子はまだしも、吸血鬼だとは! これでは真面目に推理していた私たちはとんだ間抜けだったな。だが、数はこうして戻ってきた。それは疑いようのない真実だ」

 膠は沈黙を続ける櫟に対し、なだめるように言い聞かす。だが、櫟は首を横に振った。

「違うんだ。全部だ。全部なのよ。数は全く、存在しない」

 膠が身を乗り出そうとするのを、櫟は手で制した。

「まあ聞いてよ。私は昨日すぐに、地元に帰った。数の話の裏をとるためにね。結果として、数の話の立証は、全くできなかった」

「吸血鬼だぞ? そんなものの証拠や記録を残しておくはずがない」

「人の口に戸は立てられない。三年前、不審者案件はなかったか――それだけを聞いて回ったんだ。まさか住人全員に事情を話して口封じをするはずもないでしょう。結果として、三年前よりも前からずっと、不審者など出没もしたことのない平和な町だとみんなが首を傾げたよ」

「被害者は吸血鬼に操られて、被害届を出さなかった。表沙汰にならなかっただけで、実際には起こっていたのかも」

 陵は膠の――数の肩を持つ。櫟も本当はこの二人と同じ、幸せな夢を見ていたかった。

「数の話では、エクソシストは殺傷力の高い武器を携帯していた。それは吸血鬼を殺すためであることは間違いない。数も話の中で姉以外に一体、吸血鬼を殺している。つまりは相当数の人間がある日を境に秘密裡に殺された――姿を消したことになる。だけど、そんな話も全く出てこなかった」

「それはバチカンが――」

「私たちは数と同じ町に暮らしていたはずでしょう」

 膠が完全に硬直する。陵は両手で頭を抱え、必死に確認するまいと自分の本能に抗っていた。

「私たちは全く、そんな話を、噂を、どんな形態でも欠片も聞いたことがなかった」

「嘘だ――」

 櫟は大きく息を吐いて、決定的な齟齬を突きつけた。

「数の家のあった場所に行った。そこに数の家はなかった。あったのは、築四十年のアパートだった」

 数という人間は存在しない。

 櫟は気付いてしまった。数は単なるキャラクターだ。至高であり、最悪の主人公。

 彼女が突如登場したことで、櫟たちには急遽新たな過去――役割があてがわれた。数の実在を確かなものにするために、さも数が実在の人物であるかのように動く駒にさせられた。

 だがその「後付け」は、櫟たちの記憶領域までにしか及ばなかった。三人が共通の幻想を見ているだけで充分だったからだ。

 ゆえに彼女はミスを犯した。いや、それもまた計算ずくだったのかもしれない。自身の劇的な登場を誇張するため、櫟たちにあてがわれた数の喪失という過去に、強引な真相をつけ加えた。後付けに後付けを重ねた結果――無理が生じるのは必定であった。

「なら、数は――数とは、一体何者なんだ!」

「彼女の名は、メアリー・スー」

 主人公としての極致を体現した、万物の主人公である。

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