”彼女”の失恋
その場で笑っているのは僅かに二人だった。
最初は悪事を為した者を教会が断罪すると言う話で、事実そうであった。
幼い弟から兄を奪い、そして今、聖女を攫おうとしている大罪人。
それを討つ為に教会騎士団が来たのだと彼女は説明された。
嫌な予感はしていた。知人の見送りに来た彼女は、その時点で『またあのヒトは問題を起こしたのか……』と思っていた。
そして案の定、断罪とやらの対象は、知人。
始め周囲の野次馬は彼を悪人だと断じて攻めていた。彼女はそれを少し『むっ』として聞いていた。確かにあのヒトは善人ではない。だが、決して悪人では無い。槍を振るうには確かなルールが有って、そのルールは決して悪意から生まれたモノでは無い。彼女はソレを良く知っているので、周囲の野次馬の無責任な言葉に腹を立てていた。
そんな野次馬達に迷いが産まれたのは、知人と神父の眼を見張るような戦いの最中に、教会側の一人が叫んだ言葉だった。『子供達がどうなってもいいのか!』。どうやらあの神父は脅されて戦っているらしい。どういう事だ? いや、だが兄を殺した事をあの鬼種は認めていたんだ、アイツは悪人だろう? ザワザワと交わされる言葉。
ソレをあまり良く聞いていなかったのは、一番大きな弟が何処かに行ってしまったからだ。ともすれば自分以上にあのヒトを好きな弟はあのヒトの為に動く事にしたらしい。
そして今、野次馬達は更なる混乱の中にいた。
教会騎士が次々と殺されていく。これは、まだ良い。教会騎士や竜狩人の殺し合いは珍しいが、それだけだ。卓越した技がそこに有ったとしても、問題は無い。皇国の法はソレを禁じていない。竜狩人が、或は騎士が一般人に危害を加える事は厳しく戒めても、それを取り締まる事は出来ないし、しない。だから、それは良い。いや、小さな弟、妹達の手前、良いと断言してしまうのは問題だが、理由のある決闘は禁じられていないので、まぁ、法律的に問題は無い。
だから野次馬と彼女が驚いているのは別の事。
笑っている二人の事。
一人。この騒ぎの元凶である金髪の獣種。
そしてもう一人。兄を殺されたと言っていた鱗種の子供。先程、教会騎士たちよりも鋭い動きであのヒトを吹き飛ばした明らかに戦闘に身を置くヒト。
彼らが笑っている。笑って、あのヒトを蹴っている。
「ハハっ! バカ! バカ! バーカ! オレに逆らうからこうなるんだよ! アイツに弟なんていねぇよ! 普通気が付くだろ? あんな奴が弟の為に家に金入れる分けないだろ、バーカ! キョウジくんはアサシンだ、バァァァァァカ!」
そういう事らしい。
酷い話だなー、と彼女は思う。
やはりあのヒトは変な所で弱い。だから心配だ。だからついつい世話を焼いてしまう。だから彼女は――好きに成った。
さて、ヤチ君一人では雛菊さんを守れないかもしれない。
だったらあのヒトに近づける様に成ったら助けてあげよう。言葉を掛けよう。
そう――
私の失恋を、始めよう。
カイは混乱していた。
知人の見送りにアマナの東部に来た際に当然始まったその知人と神父の戦い。
竜狩人の、皇国武者の端くれを自称するカイにとってはとても為に成り、同時に酷く自信を喪失しそうなその光景の最中、教会側の一人が一手言葉にカイは駆けだした。
アイツの憂いを取って、アイツを助けるとかそんな気持ちは無い。ただ、その言葉をアイツが聞いたら、確実にこうするだろうと言う確信が有ったから、走り出した。
アイツが動けば助かる命。それをアイツが居ないから失わせる。それは酷く滑稽だ。だから、走る。代わりなどと大それた事は言わない。カイだって人質を取って他人を言いなりにする様な奴は嫌いだ。だから、その人質を助けるべく、走っていた。
そして気が付いた。
何人も、何人も、同じように走っている事に。
先行しているのはカイと同じ様に武器を携えた竜狩人だけだが、前まではもっとたくさんのヒトが居た。その中のマリーと言う娼婦にカイはファーストキスを奪われていた。曰く――あたしの分まであの子をたすけてやっとくれよ! そして、ぶちゅー。酷い話だ。気合を入れるとか言う良く分からない理由で奪われたさくらんぼ味を返して欲しい。柔らかかったが。良い匂いがしたが。でも、返して欲しい。
兎も角。
事故の様に奪われた自分のさくらんぼは兎も角。カイは何人かの竜狩人と共に、有る場所への道を走っていた。
「あー……取り敢えず、全員同じ目的っぽいし、軽く自己紹介でもしませんか?」
と、その目的地を聞き出した男、アイツと同年代位の竜狩人からの提案。
エゲツ無いその拷問っぷりから、カイは彼の事をゴウモンさんと心の中で呼んでいる。
「俺は、まぁ、アイツに借りが有るんで、居なくなる前に返そうと思って――あ、遠距離から行けるんで突撃のサポートをしまーす!」
と、ゴウモンさんが言えば――
「似たようなモノだ。斧を使う。扉はブチ破ろう」「……返さなくて良いって言われたけど、お金くれた事があってね。それで……あ、水術なら行けるわよ?」「まァ、何だ、弟や妹が世話になってるンでな、これ位は――あぁ、一応俺も葬竜拳士だ。だがさっきの二人と同じだとは思ってくれるなよ?」
次々に自己紹介が続いて行く。
「……」
それを見て、カイは『なんだ』と思った。アイツ、色々なヒトに恨まれてるけど、同じくらい好かれてるんだな。
そう思うと少し嬉しくなった。
「俺は、この前教会に追い掛けられてる所を助けて貰って……直接お礼が言いたかったんだ。えと、それと、一応さっきのヤク――神父に葬竜術を習ってる」
と、一斉に周囲の視線が集まる。びっくりして、立ち止まりかけるが止まらない。何だ? と考え、自分の番が回って来た事を理解する。
「死現流を使う。アイツを倒すのはこのオレだ! だから来た」
銀次の子供たちを人質にしているチンピラ達の寿命、あと五十秒――!
「おはようございます、鬼灯さん」
「……」
聞き慣れた声に意識を引っ張られ、八十一は意識を起こす。左腕の痛みが薄くなってきた。血を流し過ぎたのか、意識も薄くなっている。拙いな。口の内側を噛み切って、意識を引き戻す。身体を起こす。痛む。無視。
「……どれくらい飛んでた?」
口内にヒタヒタと溜まる赤を吐き出して、八十一は顔馴染みの翼種の少女に問いかける。一瞬、天使と見間違えた。今後、意識を失っているヒトのそばに寄らないよう警告するべきだろうか? 勘違いしてそのまま旅立つヒトも居そうだ。
「五分も経っていませんよ?」
「……そうかよ」
ならば、まだ大丈夫――……あぁ、ヤチが頑張っているのが見える。その横の雛菊も。彼女は眼を見開いて泣きそうな顔。
「あれ、行くんですか、鬼灯さん?」
「あぁ、まぁ、俺のせいだからな」
「え? 違いますよね? わたし、雛菊さんから聞いてますよ? 雛菊さんは教会に嫌われ、様々な嫌がらせを受ける様な立場だって。今回のコレもそうでしょう?」
「……何で、てめぇが知って居やがる」
いつもの表情。いつもの声のトーン。何気なく語られる内容に、思わず八十一は眼を細める。何でお前がソレを知っている、と。
神経質になっている八十一は殺気すら込めて彼女を睨む。
「頼まれました。鬼灯さんの事を」
「……どういう?」
だが、彼女はどこか嬉しそう。
まるで八十一の怒りが、向けられる殺気が嬉しいと言わんばかりに笑っている。
「鬼灯さん、わたし、貴方の事が好きです」
「――――――?」
そして、この言葉。
八十一は全く彼女の言葉の意味が理解出来ずに、首を傾ける。
そんな八十一の前、彼女は大衆の前だと言うのに、上着を脱ぎ、肌を見せる。柔らかな曲線、女性用の下着、そして――傷。刃物で切られた傷。
「貴方に斬られた傷です。カイが熱を出して、栄養の有るモノを食べさせたくて、それでもお金が無くて、盗みをしたわたし。そんなわたしを貴方が切った傷です……覚えていますか?」
「……あぁ、覚えている」
斬った。問答無用で幼い少女を鬼灯八十一は、斬った。
その事はちゃんと覚えている。
「理由を説明するわたしに貴方は言いましたよね『知るか』って。わたし、あの時、何てヒトなんだろうと思いました。わたしだってお金があれば盗み何てしなくても済むのに、本当は盗み何てしたくないのに……って」
「……そうかよ」
「でもね、その後の言葉も覚えてます――『盗みは悪だ。誰かが困る。てめぇと同じ、生きてるヒトが、頑張ってるヒトが困る。他人の足を引っ張ってんじゃねぇ』って……。聞いて、確かにそうだよなーって思ったんです。お店屋さん、頑張って仕入れて、頑張って売ってるのにそんな事されたら困っちゃいますもんね?」
ふふふ。笑う。
「だからわたしは貴方を恨んではいません」
「だからわたしは貴方を好きになりました」
「誰よりも頑張っている貴方を、斬った私の治療をしてカイの為に薬を、その後もわたしたちが自立できるように助けてくれる貴方の事が好きになりました」
「貴方はどうですか、鬼灯八十一さん?」
「……――」
余りに意外な告白に八十一は固まる。それでもどうにか返事をしようとして――
「……あ、」
目が合う。雛菊と。
それだけ。たったそれだけで、泣きそうな雛菊を見るだけで――答えが出てしまう。
『傷の責任を取れ』と言われても彼女を選ぶ事は出来ない。それが、理解できた。理解出来てしまい、自分の余りの身勝手さに嫌気がさした。だから――
「――っ」
言葉が出ない。
だが、そんな八十一の様子に彼女は嬉しそうに、ぽん、と手を鳴らす。
「返事は結構です。分かってますから。だって、鬼灯さん、わたしの名前すら知らないでしょう?」
「……」
本当だ。自分はどれだけ最低なんだ。屑だ何だと言っていたが、自分が真っ先に腹を切るべきヒトの様な気がしてきた。
「頑張って、鬼灯さん。――恋をする事は恥ずかしい事じゃないよ」
「……すまねぇ」
「それ、違うと思いますよ、鬼灯さん?」
「あぁ――」
そうだな。
「……ありがとう」
「はい」
笑顔。彼女の一人の少女が涙と共に浮かべるソレに送られて――
鬼灯八十一は自分の為に槍を握る。
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