2.頭はパンク寸前、人生は独身寸前

 港区のマンションの二階に一人で暮らすOLである私が何故彼をお迎えすることになったのか。その発端は先月のことだった。


 ある火曜日の夜、東京駅から新大阪行きのリニアに乗るまでの一時間三十七分。私は彼氏とちょっとしたミニデートをした。彼おすすめの八重洲地下街のバルで、ワインを二杯とタパスを少々と。どのワインが勧められても対応できるように、ワインの味の褒め方を〈キラーワード〉で百パターン程生み出し、そのすべてを丸暗記していた私は彼が勧めてくれたワインを適切に褒めることができた。私は間違いなく、「自分が勧めたワインもさぞ美味しそうに飲み、適格な誉め言葉を発する出来た彼女」になっていた。すべてが想定内。我ながら百点満点。


 その上私の心はフル充電。改札を抜けた後の私の足取りは出張前のそれとは思えない程に軽やかで、車内でやるはずだった別プロジェクトの分析も一瞬で片がついた。


 付き合い始めてはや八ヶ月。今年の四月、三十になる直前に結婚式を挙げた友人の茜の晴れ姿に焦りを覚えてしまった自分とももうすぐさよならだと思うと胸がいっぱいになった。その日の夜、梅田のホテルの一室でパックをしているときに届いた、彼からのメッセージを見るまでは。


 ――瞳子とうこ、別れよう。


 安くはなかったが、パックはその場で顔から剥がしてゴミ箱に叩き込んでやった。



 🌳 🌳 🌳


 黒と黒の石で挟むと間の白い石は黒く裏返る。では、AIとAIに挟まれた人間もAIになるのだろうか。翌日、目元を厚化粧でごまかし、鈍器でぶちかましてくるような頭痛に耐えながら出張を終えた私は、新大阪駅へと向かう南北線で揺られながらそんなことを考えていた。


 仕事はうまくいった。文学部の心理学科を出て広告代理店に入社して七年目の私に与えられた仕事は、各業務フローを完全にこなす幾つものAIの司令塔をすること、つまりプロジェクトの総責任者ディレクターだった。今回のクライアントは大阪市内で電動キックボードのライドシェアサービスを展開する企業で、観光客誘致のためにも海外観光客向けに大々的に拡張現実(AR)広告を打ち出したいとのことだった。


 広告代理店といっても、弊社にはコピーライターもアートディレクターもいない。すべてはAIが代行する。多言語対応のコピーライティング自動生成AI〈キラーワード〉と汎用デザインAI〈ファースト・インプレッション〉の合わせ技で、即座に主要二十五か国語の広告を自動作成し、言語、国別に法律、条令違反の有無を〈リーガル・アイ〉で、文化、価値観との一致指数を〈セーブ・ザ・バリュー〉で確認。この一連の流れを〈ジッパー〉で自動化。


 ここまでの流れは素人でも時間をかければ出来るし、実際、これらのAIを開発したITの巨人らによって、中小の広告代理店は駆逐された。しかし、ここからがAI時代で生き残る営業マンの神髄。AIをただ使うのではなく、使い方を工夫するのだ。クライアントの打ち出した商品や担当者との会話データなど、クライアントの各種データから好む傾向を〈ユア・トレジャー〉で抽出し、それを〈セーブ・ザ・バリュー〉の対象価値観形式に変換、採用することで、効果の高そうな広告のうち、クライアントが好みそうなデザインをいくつも提案する。もちろん、大本命に決まるよう、提示順番は〈ベストオーダー〉の仰せのままに。


 それを〈ファースト・インプレッション〉のスライド作成機能をパラメータを変えながら千回実行し、〈セーブ・ザ・バリュー〉の価値観一致指数の最も高かったスライドを当日持って行く。準備期間、わずか七営業日。


 破局ショックで頭はくらくらしていたが、七種のプレゼン指導AIすべてで最高評価を連発できるまでに鍛え上げた私のプレゼンスキルを、私の意識の埒外で私の小脳はいかんなく発揮してくれたらしい。何を言ったか全く記憶にはないが、プレゼンを受けたクライアントの社員の涙腺は完全に決壊していた。あれよあれよという間に一本に乗る金額の契約が結ばれた。挨拶をしてからわずか四時間三十一分後のことだった。


 帰りの南北線の中で上司にその旨を報告し、お褒めの言葉をいただいたものの、私の心の靄は一向に晴れる気はなかった。


 仕事ができるのは私じゃない。AIだ。ただ、私は人よりちょっとAIの使い方が上手いだけだ。すべての業務がAIに代行されるこのご時世、生き残るためにはAIの技術そのものに精通したエンジニアになるか、複数のAIの組み合わせによって爆発的な相乗効果を生み出せるAIテイマーになるかしかない。数学がてんでだめだった私には後者の道しかなく、心理学科でも統計を使う計量心理学に標準偏差で挫折し、学部時代の勉強の半分は最新AIの用途リサーチとその使い方の習得に充てていた。数学のそこそこできる同期には原理も分からないくせにと散々なじられたが、持ち前の勤勉さで使い方のセンスを誰よりも磨いてきたつもりだった。


 その結果、ほとんどの業務代行AIとのライセンス契約を持つ大手広告代理店に入社でき、同一AIを複数の用途で使い倒す様は上司をして私を「AIの魔術師」と言わしめた。


 一方、業務代行AIの登場は、世紀の初頭から始まった働き方改革を完遂させなかった。雑務はなくなったとはいえ、AIによる圧倒的スピードは価格ではなく納期の競争を生み出した。時代の潮流と逆行する競争の原理によって納期は時間単位、分単位で設定されるようになり、人類は過去最高に忙しない日々を送るようになった。する仕事といえば業務代行AIに仕事を投げ、結果が帰ってきたらそれを参考に次の命令を下す――その繰り返しだけ。けれども、結果が返ってくるまでの時間が分単位なのだから、休む間もなかった。〈ジッパー〉で統合、自動化できる作業を極力作り、一時間を超えるその計算時間の合間を使って分刻みで別の分析を行う。昼食は一つの弁当を小刻みに食べていくのが日課になっていた。ウインナーのタコさんの足を一本ずつ食べるようになるとは自分でも思わなかった。


 同時に十を超えるプロジェクトを抱え、そのすべてで業務代行AIに命令を投げ、すぐ投げ返されてはまた別の命令を投げる。それを延々と繰り返す毎日。役職名はクリエイティブディレクターだが、クリエイティブの意味はこの十年で大きく変わってしまったらしい。残業こそ人並で、乾燥肌の悩みを除けば肉体的にはぴんぴんしているものの、九時間の仕事時間の中で、五十年前の九十時間分の仕事を私はこなしていた。


 そんなものだから、彼に呆れられたのだ。時間を作ることはできても、それを堪能する心的余裕がない。時間を圧縮するプレスによって意識も潰され、それが元の大きさに戻るよりも早く、次のプレスが私を押し潰す。せっかくの休みであっても、起き上がる気力がなくて、彼との約束をふいにしてしまったこともあった。それでも私は彼と会うことが楽しみだったし、大阪出張前日のミニデートも何より心が満たされた――少なくとも私はそう思っていた。


 でも、その見返りがあれだなんて、どのAIにとっても、そして私にとっても、想定外の出来事だった。今年の帰省も憂鬱だ。


 頭はパンク寸前。人生は独身寸前。


 リニアを待つ新大阪駅の無人キオスクで、八か月振りにビールのロング缶に手を伸ばした。

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