バルバロイ・ダンス!

上屋/パイルバンカー串山

第一章 ダンシングブレイド

第1話 ダンシングブレイド1

 蒸し暑い地下室の中で、彼女は目を覚ます。

 汗が粘つく感覚。喉が渇きで張り付く。

 拘束された両腕は、鎖で天井に下げられている。服は一糸纏わず。艶めかしい白い肌が薄暗い牢獄の中で息づいていた。

 美しい横顔だった。黒目と太めの黒眉。整った容貌に、意志の苛烈さが宿る。

 彼女の外見は、やや背の高い二十才ほどに見えた。背中を覆うまで伸びる黒曜石の輝きを放つ黒髪。均整の取れた肢体。張りのあるふくよかな乳房と引き締まったウエストに女性らしい大型の骨盤を備えた下半身=まるで砂時計のような体型。暗い中でもはっきりとわかる白磁の肌に、所々古い傷と新しい傷が浮かぶ。

 その傷が、どんな言葉を重ねるよりも、彼女の生き方をわかりやすく語っていた。

 匂い立つ野生の香水フレグランスと、研ぎ澄まされた肉体ドレスと、透き通るほどに純粋な感情ジュエルが彼女の美しさを引き立てている。

 彼女は美しかった。何も纏わず、何も飾らず、何も持たず、それ故に、彼女は美しかった。


――何時間、経った……?


 鎖で腕を釣り上げられ、足を地面に立てる程度の長さしか余裕がない。

 すでに立ったまま睡眠と覚醒を繰り返すこと三回目、日の光の入らない密室に閉じ込められて時間の感覚が少々薄くなっていた。


――随分な、扱いだ。……やつら、殺してやる。


 覚醒して間もないぼやけた頭に、殺意と怒りが活をいれた。

 殺意と怒りだけが、彼女を躍動させている。


 彼女は奴隷だ。武器を持ち、冒険者に飼われ迷宮へ挑む戦闘奴隷ブレイドだ。

 人間ではなく、奴隷という道具として、戦い死んでいく。それが彼女の役割にして身分。


 そして、今、彼女は「商品」として売りにかけられている最中である。


――殺して、やる。殺してやる。殺してやる、リブラを殺した、仮面の男を! みんな!


 与えられた傷よりも、返すために与えた傷が多いことが彼女の誇りだ。暴力の中で、暴力のみを武器に生きてきた、ならば、これ以外の答えを知らない。沸き立つ怒りが、衝動が、魂を震わせ、縛られた体を突き刺す。


――殺す! みんな、みんな! みん、……う、


 怒りにやや水が刺す。すでに拘束されてから体感で一日以上はたっているため、さすがに催してきた。喉は乾くが、尿意は止まってくれない。


「ぐ、うお、おおおおっ!」


 叫びを上げながら腕を釣り上げている鎖を引っ張る。苛立ちと焦りをこめて背筋と腕を引き絞るが、鎖はギリギリとこすれるだけでびくともしない。

 女でありながら、彼女も戦闘奴隷としてかなり、というか規格外に力があるはずだが、それでも鎖が壊れる様子がない。


――巨人族用って話、ホントだったのかよ……!


 拘束される際に奴隷商が交わしていた言葉を思い出す。よくよく観察すると鎖の造形がかなり大きい。鋼の質もかなり違うようだ。

 縛り付けられる際、何人か奴隷商の下男を顎が折れるほど殴り飛ばした結果である。


――ち、く、しょう……! 畜生! 畜生! 畜生!


 それでも抵抗を止めない。止めたらなにか色々大事なものを失うと思う。というかこのままだと本当にヤバい。

 飛び散る汗、振り乱して踊る黒髪。ガンガンと鎖が鳴り、振動が天井を伝うが壊れる様子がなく、彼女の動きはより激しくなっていく。

 やがて、


――畜生! この! こ、……あ、


 激しい動作がピタリと止まる。頭を埋め尽くす衝動が消える。終わったという感覚と、解放の快感。そして地獄のような後悔が来るという予感。

 ちょろちょろと、決壊した薄い黄色の液体が両の太ももを伝う。

 止められない奔流が脚を伝い、膝裏を走り、やがて足裏から床へ伝っていく。徐々に広がっていく小さな水たまり。

 羞恥と怒りにより、彼女の顔が紅く染まる。己が繋がれた商品、売り物の動物としか思われていないと深く、強く認識する。

 全てが出し切った後――彼女は薄く微笑んでいた。

 怒りが限界を超えると、アルカイックスマイルさえ引き起こすことを彼女は知った。無論、慈悲の心などは欠片も湧かないが。


 ドアが開かれたのは、彼女が呆然と二時間ほどを過ごした後だった。

 建て付け悪いドアがギシリと音を立てて開かれ、長い人影が部屋へゆっくりと踏み込む。


――な、んだコイツ?


 影は長身だった。黒い紳士帽、黒い外套、黒いスリーピーススーツ。そして黒い顎ヒゲ。

 長身でありながら、痩身である。姿勢よく歩く、それでいて隙のない雰囲気。室内でありながら、鼻の上には丸いデザインの遮光眼鏡サングラスが乗る。

 白手袋が握りしめるは鷲爪のステッキ。

 身なりはシックだが服装の質自体は高級品のように見受けられる。それなりによく見える紳士、だが彼女が抱いた第一印象は。


――なんか、こう、……胡散臭そう。ていうかクモっぽい。


「どうですか、旦那。もうすこし近くで見てみますか?」


 傍らにいる背の低い老人が、顔に媚びた笑顔を浮かべながら話しかけた。

 忘れもしない。彼女が今売られているこの奴隷小屋の主人。奴隷商のラズロだ。


「こいつは酷い暴れるタチのやつでしてねぇ。うちの若いのが何人か骨を折りましたよ、文字通りに。……あ、いやいやそれだけ腕っ節はある奴隷ですから、戦闘奴隷ブレードには向いているヤツですよ。首輪さえつけば言うことを聞くでしょうからね」


 取り押さえる苦労を語りながらも、彼女の利点へと繋げるセールストーク。片手に奴隷契約用の魔導輪チョーカーを持ちながら、必死に笑顔を繕う。内面としては若いものの治療費も上乗せしてどう高値にするか算段中だろう。なにせ結構な人数を彼女は怒りに任せて叩きのめしたのだから。


「――ふぅむ」


 ラズロの声に答えず、クモに似た紳士は視線を彼女へと向けたまま動かない。

 やがて、いつのまにか取り出していたハンカチを鼻に当てながら、穏やかに低い声で呟いた。


「小便臭い小娘とは聞いていたが、――本当に小便臭いとは思っていなかったな」


――こ、い、つ……!


 彼女の殺意が、紳士へ向いた。

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