第5話 話を始めようか

 インターホンに出たのは男子の声だった。多分余市で間違いないと思う。三田村だけど、とだけ言うと、声はおう、と言って少し黙る。やがて足音が近づき、ドアが開いた。


「……三田村? なんか大勢でなんかあった?」


 余市卓だ。眼鏡の委員は普段着らしいパーカー姿で現れた。ほっとする。これがあの『誰か』なら、さっきの現象は一旦収まっているようだ。


「悪いけど、後つけてきた」

「つけるってなんで。普通に話しゃいいじゃん。何の話?」

「お前、最近変なことなかった?」


 余市は口を閉ざして首を横に振った。僕はさらに続けた。


「他の奴に変な扱いされたりとか。周りの景色がなんか違うな、とか」

「知らん」

「大事な話なの。気がついてないなら余計危ないと思う。今から説明するから……」


 余市は横から進み出てきた長瀬を見た。後ろに立っている伴と細野を見た。僕らは、この様子だとやっぱり誤解だったのかも、なんて少し気持ちを緩めそうになっていた。


 余市卓は、なんだ失敗か、と呟いた。


「余市?」

「……はっきり言えよ」


 余市の声が不意に低くなった。


「他の奴に化けたことはありませんか、その状態で余計なことを言ってきたのはお前じゃないのか、って」


 さっと僕らの間に緊張が走った。安心したはずのところに冷や水を浴びせられたようだった。


「……話を聞かせろ」

「俺も話が聞きたいな。なんでバレたのかとか。だいたい、道でお前らなんか見かけなかったぞ」

「それは……」


 伴がもごもごと口ごもる。


「……ああ、知らない女子がずっといんなって思ってたけど、もしかしてあれもお前らの友達かなんか?」

「あれ、伴」

「はあ⁉︎」


 僕は横の友人を指す。伴はとても渋い複雑な顔をしていたが、一応その辺を教える許可はさっき取ってある。余市は目を見開いて、伴を頭から足の先まで見つめていた。


「あと、猫がいたろ。あれが僕。化けられんのがお前だけだと思うなよ」


 まずはこの辺りの話をしないとどうにもならない、と僕らは判断した。つまり、お前の能力だか状態だかについて僕らはちゃんと知っているぞ、と教えてやるのだ。……もし誤解だったなら、その方が助けになるはずだと思っていたのだが。


「お前、さっき余市の見た目してなかったんだ。コロコロ姿が変わってた。だからバレた。追うのは簡単だった」


 余市はポカンとした顔になった。そうして、自分の身体を見下ろす。それからの判断は存外早かった。


「……わかった。中入れよ」


 余市は玄関を指差し、僕らを招き入れた。




 外は薄暗かったので、余市はぱちりと電気をつけた。広いのに誰もいない、しんと冷えた家だった。去年もそうだった記憶はあるが、それでも以前はもう少し年頃の男子らしい適当な生活感があったように思う。掃除や料理は家事代行の人が来たり、自分で適当に済ませたりする、と言っていた。びっくりするくらい綺麗に片付いた居間のソファで僕らは向かい合った。床暖房が温まるまで、ずっと外を歩いていた足は冷たかった。


 今月いっぱいは親はいないから、楽にしろよ、と余市は言った。


「確認するけど、僕らに化けて『話しかけるな』って言ったのはお前でいいんだよな」


 そうだよ。彼は頷いた。


「なんであんなことしたんだ」

「急に他の奴に化けられるようになって、テンション上がったから。なんか俺のままじゃできないことをやってみたくなった」

「急に……?」

「今日からだよ。トイレに行ったらいきなり鏡の中に長瀬がいるから焦った。で、三田村になんか言ったらひどい顔するだろ。あ、いけるなって思った。試してみたら他の奴にもなれたし、全員あれだけでガタガタになるんだもんな」


 なんとなく、まず話すのは僕の役目みたいになっていた。最初に口火を切ったせいかもしれないし、余市と一番縁があったのが僕だからかもしれないし、他の三人はだいぶ腹に据えかねていたからかもしれない。僕は『誰か』の正体を知って以来、遠くの駅で電車の乗り継ぎを間違えた時みたいに途方に暮れてた。とにかく、理由が知りたかった。


「お前らがいっつもバカみたいに楽しそうだったから、ムカついたんだよ。クリスマス会がどうとか、初詣の時とかさ」


 だから、引っ掻き回して邪魔してやろう、気まずくなればいいと思った、と言いながら余市は笑っていた。やっぱりこいつはあの時神社に来てて、人混みの中から僕らを見ていたんだな、と思った。なんでわざわざ、とも思う。


「そんなん、別に楽しそうなグループなんてクラスにいくらでもいるし、余市だってたくさん友達がいるじゃん。そっちと仲良くすりゃいい話だろ」


 沈黙。何かあるんだな、と思った。何か、ゴリゴリしたしこりみたいなものが。もしかすると、本人も気がついていなかったりするやつだ。


「僕らじゃなきゃいけなかったのか」

「別にそんなことはねえよ。目についただけ」

「僕らというか、この中の誰かが嫌いだった?」

「…………」

「僕か」


 さっきからずっと考えていた言葉が、つるりと口からこぼれ落ちていった。他の三人はそれほど余市と縁があったわけではない。長瀬に至ってはほとんど知らないという。だから、恨まれたりするなら僕しかないだろうと思っていた。余市は無言だ。


「別に嫌いならそれでいいよ。理由があるなら知りたいし、もう絶対やめてほしいけど、その前にやんなきゃいけないことがある」

「何?」


 余市は顔を上げた。長瀬が引き継ぐ。


「さっきの話。変身のこと。私たちや戸張先生になってた時はちゃんと自分でやってたの?」

「それは……そうだよ」


 長瀬は眉根を寄せる。許せない気持ちと、それでも助けたい気持ちとが角を突き合わせてケンカしているような、そんな顔だった。余市はどうやら、途中から暴走みたいな状態になっていたらしい。今は治まっている。


「お前、またああいう風にぐちゃぐちゃになるとまずいよ。元に戻れなくなるかもしれない。ちゃんと余市のままでいろよ」

「……戻れなかったら、どうなるんだ」

「わからないけど、多分、誰でもなくなる。誰にでもなれるって、そういうことでしょ。余市くんの気持ちがそういう風にさせてるんだと思う」


 人間は案外この現象に気がつかないものらしく、道を歩いている分には騒ぐ人はいなかった。でも、特定の『誰か』として人に覚えてもらったり、深い関係を築いたりすることは難しそうだ。何せ見た目がコロコロ変わるのだから。


 だが、余市卓はそれに対して口の端を歪めるとこう答えた。


「なんだ、せいせいするな」


 予想はしていた。僕らはよく、もうこれでいいじゃん、とか考えがちだ。僕もまさにそうだった。


「俺、別にそれでいいよ。親とか家、嫌いだったんだ。蒸発とかするのも楽しそうだ」

「どうやって生きてくのさ」

「野たれ死ぬのも、別に」


 開き直ったような態度で、余市はそう言う。胸がキリキリする。猫になった時の僕と似たようなこと言ってら、と思ってしまったからだ。


 難しい。今までの僕らのケースでは、呉さんが助け舟を入れてくれていたのだ。ここには呉さんはいないし、今日は電話も使えない。そんな中、細野が口を開いた。


「余市はさ、別の人になりたかったわけ」

「あ、そういう相談とかしてくれんだ。親切。そうなのかもな。どっちかというと、俺じゃなきゃなんでもいいやって感じかも」


 細野は唇をへの字にする。


「あたしはそういうのわかんない。全然わかんない。余市は人気があって、みんなに覚えてもらってたじゃん。あたしとは違うと思ってて」

「何、キャラかぶりのこと気にしてたのかよ。わざとやってたのかと思った」


 こいつ、わかってて言ってんのか、と思った。今、細野の逆鱗をものすごい勢いで触ったんだぞ。彼女はさすがに膨れた。


「あ、あたしは好きにやってるよ。だからややこしいんだけど。でも、そう、あれ。自分になるのも大変なのに、他の人になんかなってらんない」


 なんだそれ、雑誌のコピーかなんかか、と余市は柳に風だ。そしてこんなことを言い始めた。


「……まあ、最近は確かにお前、ちょっと違うかもな。理転すんだっけ。良かったよな、やりたいことっていうのかな。そういうの見つけて、親も許してくれて」


 余市は腕を組む。ふと彼の姿は、目の前の細野みかげそっくりに変わった。細野は小さく息を飲む。僕らは立ち上がりかけたが、余市は何も態度を変えずに続けた。気づいていないのかもしれない。


「俺は親の仕事を継ぐ以外のことはできない」

「しゃ、社長さんだっけ。逆らえとかは言えないけどさ。でも、なんかあるんなら……」

「高校受験の時、親に呼ばれて、お前何かしたいことはないのかって聞かれた。別に好きなことをやったっていいんだぞって言われたよ。俺は考えて、何もないなって思った」


 だから素直に跡継ぎになろうと思ったし、親も喜んだよ。勉強頑張らないとなって話したよ。風邪引いて受験失敗したけどな。それだって残念がられたけど、別に責められはしなかったよ。うちだっていい高校だって。大学受験で頑張ればいいし、お前はできる奴だからって。その時、もう失敗はできねえなって思った。余市は細野の顔で、憑かれたように語り出す。


「一年だけ遊んで、あとは全力だって思って、全部自分でやった。そんだけだよ」

「自分のせいじゃん」

「そうだよ。親のせいだったら親に文句言ってるよ。今は思ってたよりきつかったんだなってわかった。それだけ」


 細野は口をつぐんだ。こいつの敵は、親とか周りとかじゃない、自分自身だ。つまり、僕らと同じだ。それを強く感じ取ってしまったのだろう。余市の姿はまた、元のパーカーを着た眼鏡の少年に戻った。


「理由はわかった。でも、それで私たちにひどいことしようとするのは、なんとなく繋がらない気がする」


 長瀬が引き取る。彼女の目はまだ少し腫れていたが、保健室で泣いていた時よりはよほどしっかりとした声だった。


「だって、腹立つだろ。細野も伴もやりたいことがあって、行きたい方向が決まったっぽいし。俺は特になかったから一本道になったのにさ」

「何それ逆恨みじゃん!」

「それはおかしいよ」


 細野が声を荒げたところで、僕は口を挟んだ。どう考えても妙だった。


「僕はまだ、先のことなんてちゃんと決まってない。とりあえず提出はしたけど、そこから全然動けてないんだ」

「私も、別にほとんど決めてない」


 四人のうち半分は彼の条件に合わない。そんなのだったら音大受験を決めてる奴らとか、漫画描いてるらしい奴らとか、国立受けるんだろうなってくらい頭のいい奴らだっている。僕だって伴や細野やそいつらが羨ましい。


「なんか他にあるんなら話せよ」

「なんで話さなきゃなんねえんだよ、俺はお前のことが嫌いだってわかってんだろ!」


 余市卓は声を荒げた。そこに一言静かな声を上げたのは、伴だった。


「あのさ。ちょっと話がある」

「話なら今してる」

「うん、そうなんだけど。ちょっとやりにくいから……細野さんと長瀬さん、席を外してくれないかな」


 ふたりの女子は、目を小さく瞬かせた。

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