指先サイレントナイト

第1話 みんなでパーティーするらしい

 三田村みたむらくん、ばんくん、うちでクリスマス会をやったら来る?と長瀬夜子ながせよるこが僕の席の方に来て思い切ったように提案してきたのは、十二月の始めのことだった。僕は「やったら」の「ら」のあたりで「行く」と即答し、伴礼央は「る?」の余韻が消えたあたりでにこにこと「やりたいねえ」と続けた。教室の後ろにも、浮かれた誰かが金色の折り紙で飾り付けをしている。


「みかげちゃんも誘ったの。向こうは五人でも何かあるみたいだから、二十四日二十五日は避けて、その前の土日とかに。伴くんも……」

「俺は何もないよ」


 さらっと彼はそう言った。伴は以前他の学校の女子と付き合っていた。僕が知っているのはどうも疎遠になったらしい、という憶測までで、詳細は聞きはぐれていた。日程を聞くまでもなくクリスマスに何もないということは、事実は憶測以上のものだったのだろう。


「あ、もうそういうことになってたんだ」


 長瀬が変に気にしないよう、僕はあえてざっくりと切り込んだ。伴も癖のある髪をいじりながら、なんでもないように答える。


「一度いろいろぶっちゃけて、わかった、今までごめんって言われたんだけどね。明らかにそれから連絡が減っちゃって。俺もバイト増やしたから会わなくなってって、こないだちゃんと終わりにした。だから今は暇」

「なんか、ごめんね……」

「言いそびれてたのは俺の方だし、楽しいクリスマス会ができるならそれに越したことはない」


 伴の笑顔は半月というくらいの明るさだったが、それでも以前不安定だった時にくらべるとずいぶん落ち着いたと思う。だから、もうそれほど心配はしていない。


「僕は暇。いつでも暇。行ける」

「事務所はさすがに邪魔になるから、家の方に来てもらおうかなって。あんまり大騒ぎはできないよ」

「家! 行く行く」


 僕が中腰で立ち上がると、三田村テンション上げすぎ、と椅子に後ろ前に座った伴が手を伸ばす。


「おすわり。お手」


 面倒なので座り直し、飲み終わったペットボトルを手渡してやると、なぜか奴はそれをさらに長瀬にはい、と渡した。渡された長瀬はちょっと困った顔でボトルを手に挟んでいる。


「そこまでは考えたんだけど、あと何するかは全然決めてない」

「何すんだろ、クリスマス会って」

「チキン食べて、適当にだべって、プレゼント交換?」

「長瀬さんってゲーム機とかある?」

「なんにもない」


 長瀬はゲームをするよりは本を読んでいたいだろうしな、と思う。最近はかなり周りと打ち解けて、人と話していることも多いが、相変わらず読書をしている場面もよくある。以前の寂しさを押し殺すような空気は減った。それでもやっぱり続けているのだから、よほど好きなのだろう。僕も、本を読んでいる長瀬を見るのが結構好きだ。


「なんかトランプとか持ってくのと、スマホでできるやつと」

「王様ゲームやろうよー」


 後ろから突然のん気な女子の声が割り込んできて、長瀬に寄りかかると手の中の空きボトルを奪った。セミロングの髪と活発に瞬く切れ長の目。細野みかげだ。


「不健全ですよ細野さん」

「別にチューしろとか脱げとか言わないし、長瀬ちゃんにそんなことさせたくない。あたしもやりたくない。あんたらでやってろ」

「やらん」


 それはそれとして一度遊んでみたいじゃん、とか矛盾したことを細野は言う。長瀬のことを考えると興味がないではなかったが、騒がしいパーティーゲーム自体はあまり好きではない。僕はあくまで清廉な風を装い、かけてもいない透明の眼鏡を押し上げた。


「不純異性交遊に繋がりかねないやつは良くないと思いますね」

「学級委員」

「学級委員だ」


 少し前の席にいた余市卓よいちすぐるが振り返りながらこっちは本物の眼鏡を直し、人のネタ取ってんじゃねえよ、と笑った。


 勉強のできる正真正銘の学級委員だが、それほどクソ真面目な性格ではなく人気もある。『漫画の学級委員が言いそうなセリフ』をわざと口にするというちょっとずるい持ちネタが得意だ。僕のやつは完全にパクリなので、大人しく謝罪し事なきを得た。


 ついでに僕は細野からペットボトルを奪うと、ぐしゃりと潰してプラゴミの箱に投げ込んだ。ボトルは綺麗に弧を描いてシュートを決めたが、特に歓声を上げてくれる奴は誰もいなかった。




 会当日の午後一時少し前。僕は黒いダウンジャケットのポケットに手を突っ込みながら、『呉探偵事務所』の看板を見上げた。耳元ではイヤホンからサードマグニチュードの新譜が流れている。今日もクリスマスソングのロックアレンジ特集でプレイリストを組んだのだが、あいにく事務所に聞こえると困るそうで、僕の洗脳計画は露と消えた。仕方がない。


 事務所の裏手の方から来て、と言われていた。普段とは別の裏口から入ると、住居として使っている部分に出るのだそうだ。友達の家に行くというだけの普通のことが、妙に非日常的なことに感じられて緊張した。ゴミ置場のところをぐるりと回って行こうとしたところで三田村、と声をかけられる。伴礼央と細野みかげが歩いてきていた。僕はイヤホンを外す。


「駅の辺にいたら一緒になったんだ」

「礼央ぽんめっちゃ目立つんだもん。すぐ見つかった」


 背の高い伴は、ベージュのコートの上に女物っぽい白のふわふわしたマフラーを巻いていて耳当てまでしていて、まあそれは目立つだろうな、と思った。細野はファーのついたフード付きのモッズコート。タイツとブーツで防寒もばっちりです、という格好だった。ふたりとも食べ物やプレゼントを持っているので、荷物は大きめだ。


「こっちに入り口あったんだ。へー。なんかわくわくするね」


 細野が僕らの気持ちを代弁してくれた。三人で歩いていくと、表に比べて汚れた感じの重い扉があった。開けて中に入り、階段を上がる。一階は客が入っていなさそうな喫茶店で、三階はネットカフェだ。僕らは二階の裏口のインターホンを押した。


「いらっしゃい」


 ドアはすぐに開いた。長瀬夜子は髪をまとめて、冬っぽいもこもこした飾りのついた薄グレーのワンピースを着ていた。スリッパも白いもこもこがついていて、暖かそうなものを履いている。長瀬にもこもこが似合うのは新鮮な発見だ。マリアージュっていう奴だと思う。


「ここ、ちゃんとした玄関がないから。そこの靴箱に履物入れて、で、スリッパ履いて中入ってね」


 なるほど、本当に元々事務所用のテナントの裏口なんだな、と思う。スリッパはあまり使われていないのか、妙に新しかった。


 広めの廊下の向こうには事務所に繋がるのだろうドアがあって、脇にいくつか部屋がある。そのうちのひとつに僕らは通された。長瀬の部屋らしい。小綺麗に片付いたデスクと、その横に大きめの本棚。飾り気は少ないが、クリスマスに合わせたのだろうオーナメントが窓際にあしらわれていた。彼女の『楽しみな気持ち』が伝わるようで、なんとも微笑ましかった。


「クッションあるから、好きなとこに座って」

「呉さんは? いる?」

「今出てる。そのうち戻ってくるけど、それまでに電話とかあったら外させてもらうかも」


 それで音楽はNGなのか、と思った。細野はだいぶ残念そうだったので、本当に呉さんのファンらしい。なかなか難しそうなところを狙う奴だ。


「そしたら、メリークリスマス!」

「まだ一週間あるけどな」

「じゃあ、メリーアドヴェント?」

「アドヴェントって何」

「クリスマスの前の時期のことだっけ」


 わいわい言いながら、持ち寄った食べ物を広げる。サンタのつもりか赤白のセーターの伴は駅前で買ったらしいフライドチキンを、カジュアルなカーキのパーカーワンピース姿の細野はタッパーから野菜や揚げ物の類を、いつも通り地味に無彩色を着て、中のロンTだけ黄色にした僕はコンビニでまとめて買ったスナック類を取り出した。


「ケーキはどうする? 冷蔵庫にあるよ」

「もうちょっと後かな」

「ツリーがあるともっといいなあ」


 僕は部屋を軽く見渡す。


「事務所だったら、鉢植えの木があるじゃん。あれに軽く飾りがつけられたのにね」


 ごくごく軽い話の接ぎ穂だったのだが、長瀬は少し目を伏せた。ソファの傍にある中くらいのサイズの観葉植物は、確かベンジャミンとかいう種類だと聞いた。時々長瀬が丁寧に水をやっている。


「あれはね、ごめん。枝とかあんまり強くないし、その、だめ」


 ふーん、となんとなくそこは流れて僕らはまず食べ物に飛びつく。だが、なんとなく気にかかった。


 長瀬夜子はエビフライを取りながら下を向き、一瞬だけ憂いを帯びた色を目に浮かべていたのだ。まるで、身を切られるように悲しい顔だった。

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