第6話 全ての事象は必然か偶然か-1-

 とある友人の思索から、題を借り受ける形でたまには物事を見てみようかと思う。題に関しては、表記した通りである。


 まず、「全ての事象が必然」の場合を考えてよう。この仮定の上では、「偶然」は「偶然に見える必然」として処理される。ならば、その処理過程を思考せねばならない。

「偶然とはふってわいたもの」というような曖昧なニュアンスを含んだ言葉であるが、ここではまずそこを覆す必要があろう。すなわち、「ふってわく」のであれば、そこには見えざる何者かの手の介入が必要になってくるわけだが、「見えざる何者かの手」を語るには少なくとも私には不向きな故である。

 であるならば、こうしよう。「偶然とは当人の予測、社会的な慣例などあらゆるものを含んだ、『そうである(またはそうなる)べき』の否定である」

 こう仮定を置くと、「偶然」が「偶然に見える必然」に至る処理過程をもう少し拡大できるだろう。…

 上記の「偶然」への仮定に準拠すると、これが「必然」へ至るにどのような工程を必要とするのだろうか。

「必然」に関しては、簡略に「そうであると決定された事象」としよう。

 であるならば、「『そうであるべき』の否定」を「そうであると決定された事象」に変換せねばならない。

 こうして噛み砕くと、「そうであると決定された事象」が全ての世界には「『そうであるべき』の否定」がそもそも存在し得ないことに気づく。すなわち、私の仮定の上に立つとすれば、偶然が時間軸に対応して動くのに対し、必然はそれを必要としないからである。簡略化すれば、「偶然は過程、必然は結果」ともいえよう。

 これらの仮定に基づいた偶然は、何がしかの決定を持って必然となる。

 故に、必然が前提にある世界では、過程で芽吹く偶然が、結果に至ると同時に必然へと呑み込まれるわけである。その結果として、その世界に偶然は存在しない、という結果が成り立つ。


…ずいぶんと荒い書き連ねである。この題に関しては、何度かに分けて深入りしてみようと思う。

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