第42話 錦の旗

「こっ、こいつはいったい!」


二人が頭に思い描いていたのは、徳川の歩兵隊が勇敢に戦っている姿だ。しかし、その部隊は無残にも壊滅していた。何がどうして、こうなったのか。呆然と立ち尽くす中、まだ息のある兵士を見つけた。

土方はその者に問いかける。


「おい! 徳川が誇る歩兵隊に何があった!」


大声を出しながら、土方はその男を揺さぶり起こす。すると男は目だけを土方に向け、蚊が泣くような声で答えた。


「ここで薩摩と激突しっ、うっ、はぁ、はぁ......。さ、つまっ、が我々に、発砲し、た」

「鉄砲か!」

「大砲っ」


こんな通りで大砲を使い砲弾を放ったと言う。見渡せば家屋も道もえぐられたように壊れ、倒れている兵士の殆どが、吹き飛ばされたせいかあり得ない方向に体が曲がっていた。椿は、まだ息のあるその男の体に手を当て確認した。脈は弱く、今にも息が止まりそうだった。そして、体のあらゆる部分を触診する。


「これは......っ」

「椿らこいつは助かるか」


椿は首を横に振った。全身の骨が砕けているのだ。触っただけで分かってしまうほどであった。椿はこんな状態の人間をこれまで診た事がない。これが、戦争なのか。人間同士の戦いでなく、鉄の塊がこの者たちの敵となった。


「脈も、もう。それに体の殆どの骨が、砕けています」

「くそっ!」

 

ここで倒れた者はもう助かることはない。ただ、痛みにもがき苦しんで死を待つしかない。土方は腰に差していた脇差をスッと抜くと「ご苦労だった」と言葉を添え、男の生命を絶った。

こんな一方的な戦を誰が想像しただろうか。恐らく、薩長連合軍にとっては想定内であり、寧ろ徳川軍の弱さに驚いたかもしれない。長きに治められた徳川幕府では、このような戦を経験しておらず、当然のことながら兵士も同じで、人を殺した事のない者が多かったに違いない。

椿は土方の手で最期を迎えた男の瞼を、そっと下してやった。


――どうか、あの世では苦しむことなくお過ごしください。



その時だった。


「新選組の首を頂戴いたす!」


瓦礫がれきの影から突然、男が刀を振り上げて二人に向かって飛びかかってくるではないか! 土方は椿を背に隠すと素早くもう一本の刀を抜き男の一太刀を片手で払った。ギンッ、と金属音が耳に響く。


「貴様、何処の者だ!」

「お前のその首を戴いたら教えてやるっ」


キーン、ガガガッ!! ヒュン......ギン!


ぶつかり合いは激しく、刀と刀が交わる度に火花が散った。全身黒尽くしの男は、狂ったように土方に襲いかかった。椿も腰の短刀に手を掛けた。土方の足枷にだけはなってならないという思いで。


「貴様に俺の首が取れると思うなよぉ!」


ズザッ!


重い音が耳に届いた刹那、男は仰向けに倒れた。男は目を剥いたまま死んでいる。殺らなければ、殺られる。これが戦争なのだ。


「新選組の首とこいつは言ったな。恐らく何処の藩にも属していねえだろう」

「え?」

「俺達の首を取れば、薩長に受け入れてもらえる。幕府は終わった、だったら強い方につくっていう魂胆こんたんだろう」

「そんな」


このご時勢、幕府から遠い地方の藩や幕府と仲が思わしくない藩は、どこかで反旗を翻す機会を狙っていたのだ。もしくは身の置き場のない脱藩した浪人が、飯を食う為に新選組の首を手土産にと言う考えがあったのかもしれない。誰が見ても幕府に将来はない。そうであれば、薩長連合軍に身を寄せ家族を養いたいと。

戦とはそんなものだった。今日は味方でも形勢が変われば、簡単に寝返る。全ては己の為に、家族の為にあるのだ。


「椿、呆けている暇はなさそうだ。あれを見ろ!」

「はっ!」


黒い影があちらこちらから、ぞろぞろと出て来た。ここを通る事を、初めから承知の上で待ち伏せしていたのだろう。土方は椿を背に庇いながら退路を探る。流石に土方一人ではまともに戦えば敵わない数だ。その数、十数名。じりじりと迫りくる黒い影は、土方と椿を取り囲み始めた。



「土方さん!」


すると、心強い声が耳に入った。


原田率いる十番隊が追いついて来たのだ。鉄之助も刀を抜いて応戦しているではないか。原田の槍が黒い敵を刺し、その他の隊士たちも後に続けと斬り倒していく。それでも無傷と言うわけにはいかなかった。敵、味方関係なく悲痛なうめき声があがった。

椿はただ、邪魔にならないように彼らから離れる。目の前の光景が恐怖となって椿の心を揺さぶった。後ずされば倒れた兵士に躓く。それを避けるために血にまみれ、目を剥いたまま絶命している兵士を跨いだ。前も後ろも死体がごろごろ転がっている。

それでも椿は震える手で、その者たちの瞳を閉じては心の中で詫びた。


――ごめんなさい。救う事ができなくて、ごめんなさい!


顔を上げると味方隊士の一人が蹴り倒され、目の前で斬りつけられた。

ズグッ!


「ぐわぁぁ!」


肉を切裂く音が鼓膜を震わせる。駆け寄って助けたくとも、自分はあまりにも弱い。間違いなく斬られてしまう。

足が竦む、躰が震える、声が出ない。


「椿っ! 走れー!」


原田は叫んだ。椿はその意味が理解できない。それ以前に足が動かないのだ。少し離れたが所にいた土方が椿を見て顔を歪めた。


「つばき――っ!」


自分の名を叫ぶのは誰の声なのかも分からない。


「新選組の首を頂く。覚悟せよ」


椿が間近で聞こえた声のする方を振り向くと、見知らぬ男が静かに刀を振り上げた。


――斬られる!


椿は咄嗟に腰の短刀を抜いた。

一瞬男が目を見開く。間合いは十分すぎる程あった。その時、斎藤の声が脳内でこだました。『躊躇うな』と。

椿は握り締めたその短刀を右から左に弧を描くように空を斬った。


「ぬおっ、お主っ。居合か! くっ、莫迦め、そんな軟弱な一振りで俺は殺せぬぞ」


後ろによろけながらも男は体勢を整える。

椿はすくんだ足で地を蹴ろうと足掻く。しかし、思うように距離を取ることができない。すると、誰かが椿の腕を掴み強く引いた。力強いその腕はすぐに椿を後ろへと退けた。


「椿さん!」


山崎だ!


山崎は椿を自分の背に隠し終わると、躊躇うことなく刀でその男の胸を突き刺した。男は声も上げずに倒れた。山崎は走って来たのだろう。肩で息をしながら椿の傍へ来ると、一瞬だけ確かめるように椿を強く抱きしめた。


「間に合った」


まだ安心は出来ない。椿の顔を確かめ終わるとすぐに周囲を確認をした。原田たちはまだ戦っている。


「椿さん、走りますよ!」


山崎は椿の手を握りしめ、転がった死体の間を駆け抜けた。

新選組みなは無事なのだろうか。来た道を振り返ると、焼け焦げた家屋と無造作に転がった死体が、伏見の街道を埋め尽くしていた。鼻の奥を、何とも言い表し様のないものが突き刺した。



辛うじて敵を振り切った隊士たちは、林道に駆け込み身を隠した。辺りはすっかり暗くなり簡単に動けるような状態ではなくなっている。


「はぁ、はぁ、はぁ」

「椿さん、大丈夫ですか」

「はい、私はなんともっ。それより山崎さんは」

「俺は大丈夫です。かなり酷い状況ですね。これでは入京は難しい」

「そんなに......」

「一旦引くように伝令は飛ばしたのですが、皆散り散りで安否までは分かりません」


山崎の険しい顔を見ると、幕府軍の状況が思わしくない事が分かる。土方と原田も合流して現状を確認し合った。


「想像を超える酷いありさまだな」

「土方さん、やつらの武器には敵わねえ。新八たちは無事だろうか」

「あいつは殺しても死なねえよ」

「......だな」


そう言って希望を口にすることしかできなかった。たった一発の砲弾が、多くの家屋を焼き尽くした。そこは、沢山の町民たちが生活をしている場所だった。死ななくていい者たちが死んでいったのだ。


「向こうも日が落ちたら追っては来ないだろう。今のうちに休んでおけ。寝るなよ、寝たら凍死だ」


雪こそないが、夜になれば冷え込みが増す。

椿は怪我をした隊士たちの看病をするため体を動かし続けた。銃弾に当たったものはほとんどいなかった。刀で斬られた隊士の腕や足をサラシで縛って止血した。ここでは気休めの手当てしかできない。それでも、しないよりはマシだった。





慶応四年一月四日未明。

あちこちでどよめきの声が上がった。


「副長!」


偵察に出ていた山崎が血相を変えて戻って来た。


「どうした」

「錦の旗を、朝廷の錦の旗を、薩長連合軍が掲げました!」

「なんだとぉ!」


林道から街道に目を向けると、中には土佐藩も加わり連合軍が勢いづいたように列をなして歩いていた。その列の向こうに見えたもの、それは確かに朝廷の錦の旗だった。


「くっ――!」


声にならなかった。連合軍に錦の旗が渡ったという事は、薩長連合軍が『官軍かんぐん』となり徳川軍は『賊軍ぞくぐん』、言い換えれば徳川軍は反乱軍と見なされたのだ。


「俺たちが賊軍だとぉ! くそっ!」


幕府のためにと、戦ってきた士気がガタガタと音を立てて崩れ落ちていく。それを誰も引き上げることが出来なかった。

なんと屈辱的な事だろうか。

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