第37話 どんな時も共に

 山崎から衝撃的な言葉を聞いた椿だか、以前の様に取り乱す事はなかった。


 そして、彼らの死体は四日も晒されたのだ。山南の死も藤堂の死も誰が悪いでもなく、それぞれの志を貫いた結果がこうなったまでの話。もしも誰かを、何かを恨むとしたら『時代』だろうか。

 椿は出動で怪我をした隊士を労い治療をした。誰もがいつもと変わらない椿を見て安心していた。


「椿。ちょっといいか」


 土方が椿を手招きする。

 椿がなにかと問えば、少し付き合えと土方は草履を履いてさっさと行ってしまう。その背中を椿は慌てて追った。土方は隊士の中でも体格がよく背が高い。そんな土方の歩く速さに椿が追いつくはずもなく、小走りで追いかけた。


「土方さんっ、待って下さい」


 椿は降参したのか、足を止め膝に手をついてハァハァと肩で息をした。振り返った土方は椿を後方に見つけ、慌てて大股で戻ってきた。


「悪い! 考え事をしていたら、気付かなかったな」

「いえ、それよりまだ歩くのですか」

「ああ、もう少し歩くが……よしっ! 詫びにこうしてやる」

「えっ、わっ」

「暴れるなよ」


 土方は椿をひょいと背負ったのだ。そして無言でズンズンと進んでいく。椿は落とされないように、その肩をしっかりと掴んだ。土方は清水寺へ続く産寧坂さんねいざかを椿を背負って上っていた。


「土方さん、下ろしてくださいっ。歩けますから、重いですよ!」

「駄目だ。お前は転ぶだろう? ここは別名三年坂って言って、転んだら三年以内に死ぬらしいぞ。それにお前は重くねえからじっとしてろ」


 なんとなく土方の声がいつより弱々しく聞こえる。鬼の副長とは言えきっと彼も弱っているのだろうと椿は思った。

 黙って土方の背に体を預けると、じんわりと優しさや温もりが伝わって来る。山崎のとは違う、なんとなく家族のそれに似ていると。家族なんて幼い頃に別れているのだから、椿が知る由もない。でも、もしもそれなら土方は間違いなく兄であろう。


「寝てるんじゃねえだろうな。下ろすぞ」


 登りきった所で土方は椿を下ろした。紅葉はもう終わってしまったのか、枝から葉が落ち始め寒々とした風景が広がっていた。しかしそこからは、京の中心部がよく見えた。隣で腕組みをし、黙って街を見つめる土方はとても凛々しかった。


「俺はつくづく自分が嫌になるよ。武士になりたくて、お上のために命をかけるって決めた。それなのに俺は、仲間ばかりを殺している」

「え……」

「これから間違いなく戦争になる。薩長同盟で倒幕派には勢いがある。近く新選組も幕府と共に戦うだろう。きっと大勢の仲間が死ぬ。おまえの大切なやつも死ぬかもしれねんだ」


 椿は黙って聞いていた。

 土方は自分が仲間を殺し、これからも死なせるかもしれないと言った。其処には焦燥感を僅かに漂わせて。


「でも、後悔はしちゃいねえ。殺した奴らの分も、俺は死ぬまで刀を振り続ける」

「土方さん」


 土方はなぜ椿にだけ、そんな話をしたのだろうか誰も土方を責めたりしないだろえに。皆、土方を慕い信じているのにと、椿は思っていた。


「椿。それでもお前は新選組と共に在り続けるのか。お前は武士じゃねえ、いつ離れてもいいんだぞ」

「何を言っているのですか! 私が居なかったら、誰が我儘な副長を宥めるのですか。鉄之助くんはまだお若いから無理です。山崎さんは忙しいので無理です。それに私は軍医ですよ。従軍すると言ったはずです! それに土方さんが、私の命を護ってくれると言ったのですよ」


 椿は土方を見上げ、力いっぱい睨んだ。


「武士に二言はありませんよねっ! もしそうなら副長とは言え、切腹ですよ!」


 土方は目を見開いて驚いた。そして暫くの沈黙の後、観念したのか自分の頭をガシガシ掻き乱した。


「まったく、椿には敵わねえなっ!」


 土方は椿の気持ちを確かめたかったのだろう。多くの仲間が理不尽な死を遂げた。自分を恨んでいるだろうと、それも仕方が無いと思っていた。しかし椿の心は、何も変わっていなかったのだ。


「土方さんまでそんな言い方……」

「なんだお前、いったい何人に敵わねえって言わせたんだ」

「数えていませんが、その言葉は聞き飽きましたっ」


 褒め言葉で言ったつもりだったが、椿にはそうは聞こえていない。


「やっぱり椿には誰も敵わねえよ。山崎がギリだな」


 土方はにやりと笑って、椿の頭をポンポンと撫でた。椿は子供ではないと抵抗して見せるが、土方にとってはいつまで経っても椿は椿なのだ。そしてそれが嬉しかった。


「仕方がねえ、嫁に行くまで護ってやるよ」

「もうっ、結構です!」


 大政奉還が勅許ちょっきょされ、徳川の時代に終わりを告げようとしている。予測不能な世の流れを、命がある限り足掻きながら走るしかないのだ。




 ◇




 この一年はずっと走り続けていたように忙しかった。それでも人々は変わらることなく生きている。京の街では年を越す準備が始まった。


「ケホッ、ケホケホ。うぅ寒い、嫌ですね冬は。喉の奥がカラカラで気持ち悪いです」

「沖田さん、お茶を飲んでいますか」

「そんなにガブガブ飲めませんよ、土方さんじゃあるまいし」


 椿は今、沖田を診察中だ。


「おまえ、いちいち俺の名前を出すんじゃねえよ」

「土方さんこそ診察中に入ってこないで下さいよ」

「ここは俺の部屋だっ!」


 そう、土方の部屋なのだ。壬生の頃からの名残りで、今も土方の一室は診療所と化している。


「お二人とも喧嘩はやめて下さい。沖田さん首元を温めてください。温めることで咳も喉の渇きも、少しは軽くなると思います」

「はい、分かりました」


 この頃の沖田は風邪をひきやすく相変わらず気管支が弱っていた。熱を出して巡察を休む日が増えた。それでも口は達者で、土方を怒らせるのが日課のようになっていた。しかし、不思議と椿が言う事は天邪鬼な沖田も聞く。だから土方も何だかんだ言って許してしまうのだ。


「では、私は出掛けますので」

「えっ。椿さんどちらに」

「いいじゃねえか、今日は非番で山崎と逢引だ。邪魔するな」

「ちょっと土方さん! 逢引って言い方やめてください。なんだかイケない事のように聞こえます」


 椿は頬を赤く染めて土方を睨みつける。睨まれた土方は頬を上げて笑うだけだ。「イケない事って?」とさらっと聞く沖田も確信犯だ。


「もうっ! 失礼します!」


 怒って出て行く椿を、二人は兄の心境で見送った。




 椿は山崎と二人、忍んで光縁寺に来ていた。椿の手には酒と塩と、山崎の手には水が入った桶が握られていた。

 ここは先の粛清で亡くなった、元新選組隊士の伊東甲子太郎や藤堂平助らが眠っている場所である。


 椿はこの粛清を、目を瞑って終わるのを待つ事しかできなかった。特に年齢が近く共に笑いあった藤堂の笑顔は、今でも目に焼き付いている。誠実で賢く、剣の腕も一流だった八番組組長を務めた男。


「藤堂さん、お久しぶりです。寒くはないですか? もう冬です。温かくしてお休みください」


 そう言いながら水で墓石をながし酒を撒いた。最後に清めの盛り塩をした。これを他の三人にも同じようにする。二人は目を閉じ手を合わせた。安らかに眠って欲しいと祈りながら。

 どれくらい、そうしていただろうか。山崎が先に口を開いた。


「椿さん、行きましょうか」


 いつまでも離れようとしない椿の手を握り、山崎はそう促した。こっそりお着物の袖で涙を拭う椿を見て、山崎は胸が締め付けられた。


「山崎さんはお爺さんになるまで、生きて、くださいね」


 山崎が椿の顔を見ると、真っ直ぐに向けられた黒い瞳が揺れていた。すぐに答えを返してやりたい。しかし、近い将来に必ず戦争が起きる。自分は絶対に死なないと言えるのか……。

 否、自分は椿に誓ったではないか。山南が切腹をし、悲しみに打ちひしがれる椿にはっきりと。


「山崎さん?」


 椿は不安で仕方がないのだ。早く答えてやらなければならない。


「前にも言いました。俺は死にません。新選組を良い方向へ導くためには、絶対に死ねないのです。もしも俺が倒れた時は、椿さんが助けてくれるのでしょう?」

「はい。私が必ずお助けします」


 そう言って椿は涙を流した。山崎は人通りを避け、小さな高台へと椿を連れて行く。


「俺は這ってでも、貴女のもとに帰ってきます」


 山崎は椿の体をそっと抱き寄せた。その体はポスっと、音がしそうなほど軽く腕に収まってしまう。山崎の襟元をぎゅっと握るその指は余りにも細い。


「絶対に椿さんを置いて死んだりしません。だから椿さんも、死んではいけませんよ。俺だけじゃない、椿さんだって危険な事には変わりないのですから」


 山崎は椿を抱く腕に力を込めた。椿は首を縦に振って山崎を見上げた。そうして、ふわりと笑ったのだ。


「椿さん、貴女って人はっ。俺の方が泣きそうだ」


 山崎は堪らず椿の肩口に顔を埋めた。この人は、どうしてこんなに温かいのだろうと。胸の奥を掴まれて、じわじわと熱いものが込み上げてくる。


「山崎さん、あのっ」


 顔を見ようとする椿に悟られないよう、山崎は椿の唇を自分の唇で塞いだ。椿の背と腰をしっかりと押さえ、椿の唇を自分のそれでなぞった。何度も角度を変えながら愛撫すれば、薄っすらと椿が唇を開く。山崎は自分の想いを椿に全て伝えようと、その熱を注ぎ続けた。


「ふっ、ん。はぁはぁ、山崎っ、さん」


 降参したのは椿で、唇を離すと肩で息をしながら顔を山崎の胸に預けた。山崎も息が上がっている。

 ここまで夢中になるつもりはなかったのだろう。


「すみません。俺、意識が飛んでいました」


 椿の背中を労うように、さすりながらそう言った。

 見れば椿の肩が小刻みに揺れていた。


「椿、さん?」

「ふふっ、ふふふ」

「まさか、笑って……!」


 椿は泣きながら笑っていた。キラキラした光が瞳から零れても、穏やかな笑顔を見せてくる。


「私、嬉しいです。山崎さんがそうまで私をおもってくださっていることが。泣くほど、嬉しい」

「俺も泣くほど、嬉しいです」


 山崎の頬は濡れていた。それは山崎自身が流した涙なのか、それとも椿の涙が流れたのか。


 もうすぐ日が暮れる。

 どんなに辛い事が起きても、必ず明日はやって来る。でも、その明日は椿と共に迎えたい。そう願わずにはいられなかった。



 いよいよ、薩長の動きが激しさを増し始める。

 翌月、新選組は会津藩と共に伏見奉行所へ移動する事となる。二度と京の街には戻らない出立しゅったつとなるのだ。

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