第32話 女は子宮で男を選ぶ

 慶応元年から二年は屯所内が落ち着いたり、慌ただしくなったりの繰り返しだった。伊東甲子太郎が加入してからと言うもの、新選組内で完全に派閥が浮き彫りとなった。

 近藤派(佐幕派)と伊東派(尊王攘夷倒幕派)だ。しかし伊東はこの時点では倒幕を匂わせていない。もともと江戸から一緒に来た者や古い隊士らは近藤寄りだったが、新しく入隊したものや政治好きな者は伊東に傾き始めていた。


「あいつまた伊東さんとこかよ」

「原田さん、お疲れ様です。浮かない顔していますね」

「おう、椿か。医学の方は上達してるのか」

「上達しているはずです」


 原田は変わりない椿を見て安心したのかニカっと大きな笑みを見せる。


「ははっ、椿はいいな。ぶれてねぇ」


 原田は隊士たちが伊東の勉強会に出るようになってにわか政治家が増え面白くないのだと言う。特に永倉が通い詰めている事が気になるようだった。


「あいつに限って寝返るって事はねえと思うけどよ。けっこう単純だからなぁ」

「でも、私は大丈夫だと信じています。だって、永倉さんですから」

「だなー」


 本当は椿も信頼している隊士が伊東の勉強会に出る姿は見たくなかった。しかし、人の心を自分の考えで縛り付ける事はできない。誰だって迷い、悩み、足掻くこの時勢を必死に生きているのだから。椿も原田も不安を掻き消すように笑いあった。

 

 そんな中、再び隊士募集の話が上がった。伊東、土方、藤堂、斎藤が江戸へ募集のために向かう事となった。土方は近藤の部屋を訪れていた。


「近藤さん、俺も江戸に行こうと思う。斎藤も一緒に連れていく」

「うむ。江戸の者にはくれぐれも宜しく伝えてくれ。それから」

「ああ分かってるよ。伊東やつの事はこの機にじっくり見定めてくるよ。そのために斎藤も連れて行くんだからな」

「ああ」

「暫く屯所は手薄になるが、総司や原田たちも居るから大丈夫だろう。何かあったら……そんときは何とかしてくれ」

「ははっ大丈夫だ。私に任せておけ」


 隊士募集も重要だが、今回は伊東の動きを間近で観察することが目的だった。土方は伊東と同行する事で、伊東という男の腹の中を覗くつもりでいるのだ。





「椿。今回の隊士募集だが、俺と斎藤も行くことになった」

「そうですか。でも、此処のお仕事はどうするのですか。誰が帳簿をつけるのですか」


 出納の動きは全て土方が管理していた。土方が不在の際は几帳面な斎藤が任されていた。二人とも居ないとなれば、いったい誰が管理するというのか。


「そこなんだよ問題は」

「山崎に頼みたいがあいつは忙しいからな。まさか近藤さんにやらせるわけにもいかねえ。残るは原田と永倉か……あいつらザルだからなぁ」


 それでは誰も居ないではないか。出納管理はそれなりに威厳と権限がないと出来ない仕事である。何でもかんでも了承していては、すぐに家計は火の車だ。


「不在時は帳簿を動かさないようにしてはどうでしょうか」


 椿は土方が不在であるひと月程は我慢させろと思っていた。そんな椿の表情を土方はじっと観察していた。そして、何を思いついたのか不気味な笑みを浮かべた。


「よし! 決めたぞ。帳簿は総司に任せる。あいつは一番組を率いる組長だ。誰もちょろまかそうなんて思わねえだろう」

「ええ! 沖田さんにですか。あの人かなり面倒くさがりですよ。ほいほい出しかねませんけど」


 沖田が出納管理をするなどという話は、椿にとってあり得ない事だった。土方はそんな椿を気にもせずにいう。心なしかしてやったりな顔つきだ。


「総司のことをよく分かっているじゃねえか。大したもんだ。よし! 椿。お前にも一緒に管理する権限を与える。総司が適当になり始めたらお前が手綱を引け」

「待ってください。そんな無理ですよ」

「副長命令だ! と、言ったらどうする」

「っ……卑怯です。それ」


 こんな時に副長命令を出すなんてと、椿は土方をしこたま睨んだが。しかし、土方は椿の抗議にご機嫌だった。


――初めからこうなるように、仕組んだんだわ! ずるいんだからっ。


「ああ、これで一安心だ。俺は隊士募集に集中できるってことだ。すまないなぁ、椿。恩に着るぞ」

「副長って、本当にっ!」


 こうして再び隊士募集ため、土方ら数名は江戸へと出発したのであった。





 土方が屯所を不在にしてから数日のこと。


「沖田さん、ご機嫌ですね」

「だって鬼の副長がいないんですよ。鬼の居ぬまになんとやらですよ」

「お願いですから妙な気は起こさないでくださいね。あ、帳簿! 大丈夫ですか」

「大丈夫ですよ。基本的には出し入れはしませんから。後でぐちぐち文句言われたくないですからね」

「そうですよね。ひと月ぐらい何とかなりますよ」


 椿は沖田の言葉を聞いて、案外うまく行くかもれないと安堵した。しかし、いっこうに土方の部屋から出て行かない沖田が気になる。時折、楽しそうに微笑んだりくすくすと声を出したりするのだ。いったい何をしているのだろうか。


「沖田さん何を見ているのですか」


 椿がと近付くと、沖田はくくっと笑いながら引出しを開けた。


「これですよ」

「え、なんでしょうか。沖田さん、これって!」


――ああっ、これは……恋文なのでは!


 椿の反応に気を良くした沖田はにっこり笑って、たたまれた紙を広げて見せた。


「見て下さいよ。この引き出しの中は全部恋文です。さすが新選組の副長ですよね。伊達にいい顔しているだけじゃなかったんですよ。ほうら、選り取り見取りだですね」

「いつの間にこんなに……」


 椿はほぼ毎日、この土方の部屋で仕事をしてきた。しかし、土方からはそんな素振り一切見られなかったのだ。


「モテる男は大変ですね。あ、これなんて凄いですよ。土方はんの子種が欲しいと書いてありますね」

「こ、こ、子種」

「女の人は子宮はらで男の人を選ぶそうですよ。その選んだ男の、子を産みたいかどうかで好いているかどうかを判断するのだとか。まあ、医者である椿さんにはご存知のことと思いますけど」

「っ――!」


 椿は目をいっぱいに開いたまま固まっていた。


「そのうちそこら中に、土方さんに似た子が増えるかもしれませんね」


 沖田はちらりと椿の様子を見るた。


「さて巡察に行ってまいります」


 椿の様子に満足した沖田は楽し気に笑いながら腰を上げ部屋を出た。


――女の人はお腹で男の人を選ぶ。山崎さんとの、子を欲しいか否か。


「椿さん」


 誰かが椿を呼んでいる。ああ、病人か怪我人か椿はほわほわした頭を動かしながら、声のする方を向いた。呼んでいたのは山崎だった!。


「あっ!」

「え?」


 たった今、自分のことに置き換えて山崎が脳裏を掠ったばかりである。


――山崎さんの、子種っ……だ、だめ! 私、何をっ。しっかりしないと!


 ぶんぶんと首を横に振り、脳の中を一掃しようと頑張った。そんな事とは知らない山崎は、椿の様子が気になり傍までやって来る。


「椿さん、大丈夫ですか」

「やっ、山崎さんっ」

「どうしたんですか。顔が赤いですよ」

「な、な、な、何でも、ありません」


 否定すればするほど挙動不審に陥る。実は山崎が椿の体のことを考えて、子種を椿の中に送っていない事は、椿自身も知っていた。


「えと、山崎さんのモノなら……その、いいと思っています。でも、まだ成すべき事がたくさんあるので。我慢します」

「……え」


 真っ赤な顔をしてそんな事を言われても、山崎にはさっぱり伝わらない。


「だからっ! 山崎さんのっ」


 勝手に追い込まれた椿は何度も息を吸っては吐いて。


「こ、こ、こっ」

「こ?」

「山崎さんのっ、こっ!……うっ」


 やはり言えなかった。でも、確実に椿の中に目覚め始めたはずだ。沖田の意図かは分からないが、椿の山崎を見る目は少し変わって来たことに違いない。山崎の子が産みたい。いつか山崎と家庭を持ちたい。毎日が笑顔で溢れ、穏やかに暮らしたいと。


「椿さん?」

「やだっ、聞かないで下さい」


 顔を隠して丸くなった椿を、山崎はただ首をかしげて見ているだけであった。

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