第25話 恋の指南も仕事のうち

 季節は秋を飛び越えまもなく冬となった。しかし、行きと違い椿の足取りは軽かった。もう近江に入り京までは目と鼻の先だ。ここまでくればあと一息。この峠を越えれば大津に入る。


ーーもうすぐ、会えますね。山崎さん!


 椿は心の中で何度山崎の名を叫んだ事か。気持ちは今にも走り出してしまいそうだ。


 最後の宿場は大津となった。秋分を過ぎたこの季節は日暮れも早く、これ以上は進めないと一行は足を止めた。椿はもう少し、あと少しとはやる気持ちを抑え、列の後方を歩いていた。すると突然、隊列が止まる。


――あれ? 何かあったのでしょうか。


 なぜか先頭に居たはずの土方が、ゆっくりと椿の方へ向かって歩いてくる。そして土方は椿の前で足を止めた。


「椿」

「はい」

「覚悟はいいな」

「え?」


 意味不明な土方の問いに椿は首を傾けた。沖田は何かを察したのかにこりと笑って、土方と顔を見合わせ椿に目で合図を送った。


「なんですか」


 土方が椿の前から離れ沖田と並んだ。椿の視界が開けたのだ。薄暗くなり始めた町の向こうに、ポツンと誰かが立っている。椿は目を細めてじっとそれを見つめた。あれはいったい誰なのか。


「......」


 遠くに佇む人影は不思議と自分を見ているようだに思えた。そのとき椿はハッとする。なにかに気づいて土方を振り返ると、土方は顎でフンッとその方に向けて突き出した。


――もしかして、行け! と言っている……!


 椿は込み上げる気持ちを抑え、土方に頭を下げた。そして、脇目も振らず駆け出した!


 白い息を弾ませて、こんなに死に物狂いで走った。足が縺れそうになりながらも、なんとか踏ん張って走った。さっき見ていた影が、だんだんと近くなる。その人物は椿の姿をとらえたま、じっと立っている。


 そして、―― ドンッ! 


「うっ」


 椿は勢いのままその者に飛びついた。


「山崎さんっ!」


 まさか椿が、こんなに勢いをつけて飛び込んで来るとは思わなかった。山崎は辛うじて椿を胸に受け止め、そのまま後ろに倒れ込んだ。周りから見たら、山崎がふっ飛ばされたように見える。


「っ。椿、さんっ」

「山崎さぁん、会いたかったです。会いたかった......」


 山崎は上体を起こして椿の顔を確認しようとした。しかし椿は山崎の胸に顔を埋めており、様子を伺うことができない。それを見て山崎は苦笑しながらも、椿の頭をそっと撫でてやった。いっこうに自分から離れようとしない椿が可愛らしくてならない。山崎はみなの視線をひしひしと感じていた。早く立ち上がらなければと頭では思っているのに、椿を腕の中から放すことが出来なかった。



 それを遠くから見ていた土方たちは、しばし二人の再会を照れくさいやら、居た堪れないやらでむずむずしながら見守っていた。


「総司」

「はい」

「ありゃ何だ。椿と山崎は、どうなった」

「こちらか見る限りでは、椿さんが山崎くんを押し倒した様にしか見えないのですけどね」

「そう、だよな」


 椿の中にあるたがが、この長旅で外れてしまったようだ。椿は嬉しすぎて少しばかり羽目を外してしまったのだろう。


「山崎さん、ごめんなさい。汚してしまいました」


 自分の下敷きになったせいで山崎の着物は土まみれだ。それにようやく気付いて起き上がると、椿は山崎の後ろに回って申し訳なさそうに土埃を払った。大丈夫だと言う山崎の言葉も聞かずに。


 二人の様子を遠目から見ていた土方と沖田は、隊士たちを宿に誘導して椿たちのもとへやって来た。


「おい椿。おまえは犬っころか」

「くくっ。椿さん尾っぽ振り切れちゃいますよ」

「犬ではありませんっ」


 頬を染めて俯く椿を土方と沖田は顔を見合わせて、にやりと笑った。


「副長、お疲れ様でした」

「おう。まさか山崎が待ちきれずに迎えに来ちまうとはな」

「いえ、そのっ、局長が」

「ところで、山崎くん。椿さんはどのような状況で君に飛びついたのですか」

「どのような状況、とは」

「例えば、泣きながら、笑いながらとか。表情はどうでしたか」

「……表情、ですか。それがいまいち」

「いまいち?」


 土方と沖田は顔を見合わせて、もう一度二人に目を向けた。椿を見る限り泣いてはいないようだ。


「じゃあ、俺の勝ちだな」

「どうしてですか。泣いていなくても、笑ったとは限りませんよ」


 山崎と椿をおいて、なにやら二人は小競り合いを始めた。椿が聞く限りでは、自分が山崎に会った時の反応を島原での酒を賭けていたのではと思い至る。


「まさかですけれど。何かを賭けたりしていませんよね。答えはお教えしませんからっ」

「いやだなぁ、そんな事するわけないじゃないですか」

「そうだぞ、他人ひとの再会をだしになんざ……」


 椿は疑いの眼差しだと言わんばかりに、半目で二人を睨んだ。椿の頑固な性格を知っている山崎がことを収めようと動いた。


「もう日が暮れます。副長、お宿へ」

「おお、そうだな」


 山崎の一言で一旦は場を取り直し、四人は宿へ入った。


「山崎をよこしたくらいだ。近藤さんはしびれを切らしているに違いねえ。すまんが山崎。明日は日の出と共に出発すると伝えてくれないか」

「はっ」


 山崎は他の隊士たちに伝えるため、一旦椿から離れていった。それを見計らってか、土方は困った顔で椿の顔を見た。


「椿、ちょっと相談があるんだが……」

「はい。なんでしょうか」

「実はな、何かの手違いで部屋がひとつ足りなくなっちまった」

「あら、それは困りましたね」

「でだ。今回は放り出せるような隊士がいねえ。おまえ、山崎の部屋で過ごしちゃくれねえか」

「はい。……え!」


 普段なら一般隊士同士が部屋を共有するのだが、なぜ女である自分がと椿は驚いた。


「なんだったら俺の部屋に来てもいいんだぞ。それか、総司の部屋に行くか」

「どうして、そうなるのですか」


 椿が反論すると、土方の口角が不気味に上がった。しかし、椿は気付いていない。


「じゃあどうするんだよ」

「どうするもなにもっ。私が、山崎さんのお部屋に、いきます……」


 後半は聞き取れないくらい小さな声で椿は答えた。まさかこれが土方なりの気遣いだとは、この時の椿は知る由もない。



 土方に山崎の部屋は廊下を曲がった突き当りだと教えられ、黙って向かった。


――みなさんと離れているのですね。


「山崎さん、いらっしゃいますか」


 椿が声をかけると控えめに障子が開き、中から驚いた表情の山崎が顔を出した。


「椿さん、どうかしましたか」

「実はお宿の手違いで部屋が足りないのだそうです。それで土方さんが、私に山崎さんのところに行けって」

「えっ、副長が?」


 廊下にたったままの椿は、山崎の反応を見ながらどうしたよいかと困り果てていた。


「あっ、すみません。どうぞ」

「よいのですか」

「俺の所でなく、他所よそに行かれた方が非常に困ります。さあ、遠慮しないで」


 山崎は廊下に突っ立ったままの椿の腕を取ると、優しく自分の部屋に引き入れた。もう寝るだけだったせいもあり、部屋には布団が敷かれている。

 どうしても、その布団に目が行ってしまう。そして、椿は勝手に頬朱色に染めてしまう。しかし、この薄暗い灯りの下では山崎に椿の表情までは分からないだろう。


「お邪魔します」

「実は俺、嬉しいのです。ずっと椿さんに触れたかった」

「山崎さっ……、私も」


 離れていた時間がそうさせるのか、ほんの少し成長した自分がそうさせるのかは分からない。ただ、久し振りに山崎を目の前にすると、以前にも増して女になってしまう。体を山崎に寄せては、スリと捩った。山崎もそんな椿の様子に胸の奥がざわざわしてしまう。


「椿さん、もう少し傍に」

「はい」


 畳をする音が部屋に響いて、その音がやけに鼓動が高鳴らせる。それはどこかぎこちなく、どこか艶のある椿の行動が、山崎の中にある理性をぐらつかせた。


「っ!!」

「山崎さん?」


 椿が山崎の胸に両手を添えて上目使いで見つめる。そして軽く首を傾けて見せるのだ。


「誰に教わったのですか」

「え?」


 山崎の目に椿は、あまりにも色っぽく映ってしまったのだ。離れていた上に、男勝りな長州の女を目にして来たせいもある。椿のその仕草は山崎には強烈であった。


「今夜の椿さんはとても色っぽい。江戸にいる間、誰かに教えてもらったのですか」


 山崎が珍しく責めるような口調で言った。そう、それは嫉妬である。目に見えぬ何者かに対して嫉妬しているのだ。


「教えてもらったってそんなわけありません。酷いっ……」


 椿は山崎に背を向けて震えだした。椿自身は山崎の事ばかりを想っていたのだ。なぜそのように言われなければならないのかと悲しくもなる。


――ずっとずっと、山崎さんだけを思っていたのに。


「すみません。俺っ」


 山崎がそう言った時にはもう遅かった。椿は山崎の部屋を出て行ってしまったあとであった。





 椿は悲しい気持ちと苛立ちで、廊下を音をたてて進んだ。山崎からあんな風に疑われるとは思ってみなかったのだ。


「土方さん! 何処ですかっ。出て来てください!」


 土方の名を叫びながら廊下を進む傍で何事かと他の客が顔を出す。頭に血が上った椿は見られているなど全く気にせず、ドシドシと響かせて廊下を歩いて行った。


「土方さん!」

「おい! 何を叫んでる。こっちだ!」


 大きな声で自分の名前を叫ばれた土方は、急いで椿を部屋に引きずり込んだ。


「声が大きいんだよ。何だいったい」

「私を今晩、泊めて下さい!」

「おまえ、何を言ってる」


 椿は目を釣り上げて眉間には皺を寄せ、口を横にひき結んでいる。土方は腕を組み眉を寄せて考えた。


――こいつが怒る理由は一つしかねえよな。


「駄目ですか。駄目であれば沖田さんの所にっ」

「おい! まだ何も言ってねえだろうが。ったく、俺は構わねえよ。それより山崎はどうしたんだ。山崎の部屋に行くって言っただろう」

「山崎さんの事はっ、もうよいのです!」


 頬をぷうっと膨らましながら、椿は土方をこれでもかと睨みつけた。実際、土方が椿から睨まれても、全く怖くも何ともない。しかし、こんな椿を見た事はなかった土方はなるほどと核心に迫った。


「ははぁん、喧嘩したな」

「しっ、知りません」

「違うのか」

「……」

「このまま此処に居たら、迎えに来るんじゃねえのか」

「そのときは居ない! と、言ってください」

「だったら理由を聞かせろ」

「うっ。あ、えっと……」


 椿は観念し、山崎とのやり取りを土方に話して聞かせた。土方は腕組みをし目を閉じて黙って聞いている。


「私はずっと、ずっと山崎さんを想っていたのです。なのに急に誰に教わったのかと。意味が分かりませんっ」


 椿は土方に話すに連れ苛立ちではなく悲しみが込み上げてくる。


「私っ。山崎さんの事、誰よりもお慕い、してっ……うっ」

「分かった、分かった。お前の気持ちはよおく分かっているから泣くな」

「うぅぇ」

「いいか? なんで山崎がそんな事を言ったのかを考えてみろ。椿には分からねえかなぁ。男からしたら、好いた女が自分の知らねえ間に色っぽくなっちまったら不安なんだよ。本当だったら自分の手でそうさせてえんだ」

「……」

「居もしねえ相手にヤキモチをやいてるんだよ。それだけ、おまえの事が好きで仕方がねえんだ」

「……ぁ」

「面倒くせえがな、それが男という生き物なんだよ。ま、確かに山崎は言葉が足りねえ。けどな、椿。お前も、もう少し聞く力をつけなきゃなんねえな」


 土方の言い分はとても解り易かった。しかし、椿はそれでも自分を信じて欲しかったと素直になれない。土方はため息をつくと「取り敢えず寝ろ」と奥の部屋を指差した。椿は黙って土方に背を向け布団に潜り込む。


――まったく、頑固なヤツだな……


 土方の仕事は部下の色恋沙汰までに及ぶのだ。


「はぁ……」

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