第23話 兄のような……

 翌朝、準備を終えた山崎は出発の報告で土方の部屋を訪れた。


「今からか」

「はい」

「鴻池さんに宜しく伝えておいてくれ」

「承知しました」


 土方が見る山崎はいつもと変わりなく淡々としていた。そんな山崎を見て土方は眉間に皺を寄せる。


「椿には会っていかないのか」

「昨日、会って話しました」

「知らねえぞ。見送りできなかったってへそ曲げても。俺はあいつの慰め方なんざ知らねえからな。俺が女を慰める方法つったら……一つしか知らねえな」


 土方がわざとそう言うと、山崎は顔色を変えて土方を睨んだ。


「副長のお手間を取らせるようなことはありませんので。道中お気をつけて」


 山崎は頭を下ると音もたてずに部屋を出ていった。もちろん椿の部屋に向けて。

 離れ難い気持ちに蓋をするため、会わないと決めていた。しかし、土方にあんな事を言われては堪らない。


「椿さん」


 山崎が声をかけると、慌てた様子の椿が部屋から出てきた。椿の顔を見た山崎はやはり頬を緩めてしまうのだ。


「山崎さん、今から立つのですね」

「はい」

「くれぐれも無理のないよう、お気をつけて」

「はい、椿さんも」


 椿は頑張って笑顔を作っていた。黒目が微かに揺れていたが、山崎は気付かない振りをした。


「山崎さん! これ」

「ん?」

「御守です。急いで作ったので、縫い目が歪んでしまいました」

「椿さんが、縫ったのですか」

「はい。これむし除けです。結局、私はしるしを付けることできませんでしたから」


 ほんのり頬を染めて俯く椿の仕草に、山崎は根負けした。


「ああ、もう。貴女って人は」


 そう言って椿を腕にしっかりと抱き好いた女の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。


「ありがとうございます。椿さんには敵う女はいません」

「はい!」



ーーおわっ! 山崎と椿ちゃんじゃねえか。こいつは驚いた。


 抱き合う二人の様子をたまたま見てしまった永倉はは二人の関係を全く知らなかったらしい。

 その日の朝餉の時間、椿の顔を見て赤面してしまったのは仕方がない。妹のようにかわいがっていた娘が、女の顔をしていたのだから。


「永倉さん、具合いでも悪いのですか」

「んあっ! いや、す、すげえ元気だぞ!」


 そう言って誤魔化すのに必死だったらしい。


 こうして山崎は大阪の鴻池と落ち合うために屯所を後にした。その後、長州へ向かうのだ。





 それから二日後、椿たちも江戸へ向けて立つ日が来た。椿らは近藤と残る幹部たちに挨拶を済ませ、外に出た。


「土方さん、沖田さん居ませんでしたね。まさか、体調が悪いとか……」

「いや、昨日は普通だったぞ」

「そうですか。では何処に行ったのでしょう」


 椿は門の外で出発のときを待っていた。未だ土方は門番の隊士に不在時の対応を念押しをしている。局長はじめ、主な幹部が屯所に残ると言えども心配なので有ろう。


ーー山崎さんはもう大阪を出た頃でしょうか。


 椿は待つだけの何もない時間ができると、どうしても山崎のことを考えてしまう。


「土方さんはまだ話しているんですか。もう置いて行きましょうよ」

「はいっ?」


 まさかと思い振り返ると、そこには機嫌よく笑顔を浮かべた沖田が立っているではないか。しかも何故が荷物を背負っている。


「沖田さん、何処にいらしたんですか。ご挨拶に行ったのに、いらっしゃらないから心配をしていました」

「僕はずっと此処でお二人を待っていたんですけどね」

「待っていた……なぜ」

「なぜって……。酷いなぁ。旅仲間には優しくしてくださいよ」

「旅仲間って、沖田さんも江戸に!」


 沖田は先ほどと変わらぬ笑顔で頷いた。土方と二人だと思い込んでいた椿は驚きと困惑で口を開けている。

 そこへ土方が戻ってきた。


「総司! おまえに何処に居たっ」

「だから、ずっと此処に」

「なんだと」

「さあ椿さん、揃いましたね。出発です」


 沖田は椿の腕を取ると、軽快な足取りでどんどん進んで行く。土方はそれを後から見ながら舌打ちをすると、頭を掻きながら気怠げに後を追ったのである。


ーーあいつ、近藤さんに取り入ったな……。


 沖田は椿の不安や寂しさを感じ取っていたのかもしれない。この旅で土方が四六時中、椿を構うことはできない。関所の手続や宿の手配、途中でお偉い方との会合もあるかも知れない。その間は椿は邪魔にならぬよう席を外すだろう。時間が空けば椿は山崎の事を思い出し、気を落としてしまうはずだ。沖田はそんな椿の姿を想像すると、なぜが自分の事のように胸が苦しくなるのだ。


「椿さん、江戸は僕たちの生まれ故郷ですよ。いい所です。楽しみにしていてくださいね」

「はい!」


 沖田は椿の笑顔が見たかった。お天道様にも負けない暖かで、それでいて力強い眼差しの。その眼が例え自分ではない他の男を見ているとしても、その笑顔は不思議と己の力に変わるのだ。

 恐らく、そう思うのは沖田だけではないだろう。土方だって同じはずだ。他の隊士達もそうに違いない。女の身でありながら男所帯を走り回り、気丈に誰にでも分け隔てなく立ち振る舞う。そんな健気な娘の悲しむ姿は、誰だって見たくない。


ーーあなたは本当に不思議な女子おなごです。





 こうして、隊士募集の旅が始まった。三人の江戸への旅路は今のところ順調である。

 しかし、目立つのだ。背丈のある男が二人、それもかなりの男前が腰に立派な大小二本の刀を差している。そんな二人が女を連れて歩いているのだから。


「旦那様、今夜のお宿はお決まりで?」


 町に入ると、土方に纏わりつくように客引きが寄ってくる。大抵はひと睨みすれば怯えて後ずさりをして諦めていく。しかし、中には強者つわものというものがいる。


「お侍様、お宿はお決まりでしょうか」

「もう決めてある」

「それはどちらでしょうか。そこよりお安くいたします」

「必要ない」

「そこを何とか! 人助けだと思って、お侍様っ」


 驚くことに、土方の腕にぶら下がって懇願しているのは、とおを過ぎたくらいの男子ではないか。土方は眉間に皺を入れ、その男子を睨みつけるのだが全く効果がない。


「おい、小僧! どこまでついて来る気だ。諦めろ」

「いやだぁぁぁ」


 なんせ生活がかかっているから必死である。かといって情に流されていたら、いつまで経っても江戸にはたどり着けない。ここは厳しく力づくで振り払うしかないか、そう土方が思ったとき、沖田が割って入る。


「土方さん。そんなに睨みつけたってこの子は離れやしませんよ」

「だったら総司。てめえがなんとかしろ」

「はいはい、分かりましたよ。ところで君、お宿の名はなんと言うんだい」


 沖田は屈み子供の目線に合わせて話を始めた。とたん土方にぶら下がっていた男子は大人しくなる。


「僕たちは遊びで旅をしていないのです。あらかじめ宿場は決めています。計画通りに進まねば首が飛んでしまうのですよ。君はその責任を負えますか」

「……」

「ここはたくさんの旅の者が通るでしょう。商売をやるなら、押す時と引き際はしっかり学ばないといけません。でなければ潰れてしまいますよ。君にとって僕たちは利のある客でしょうか」


 子供に対して大人と同じような口調で話す沖田の目は、冗談をいう時のものではなく真剣だった。こんな小さな子供が理解できると思えないと椿は思っていた。


「分かった。でも、次に見かけたら絶対に諦めめねえ!」


 男子は臆するどころか沖田を睨み、その場から走って去って行った。


「なかなか骨のある子でしたね」


 沖田は苦笑いでその姿を見送った。沖田の子供だからという理由での容赦はしないという態度は、ある意味優しさなのかもしれない。厳しい世を生き抜くための現実を、きちんと知らしめているのだから。


「土方さん。あの子、椿さんみたいで可愛いかったですね」

「沖田さん、どういう意味ですか」

「確かに、椿そっくりだったな」

「土方さんまでっ!」


 沖田と土方は互いに顔を見合わせて笑った。椿にはその意味が分からない。


「分からないんですか。ではお教えしますよ。先ず、土方さんの睨みが効かないところ。それから、狙った獲物は何としても逃がさないという心意気。そして、往生際が悪く簡単に諦めないところ。最後に空気が読めないところですかね」

「あの、そんなにけなさないでくれませんか」

「そういうふうに聞こえましたか」

「違うんですか!」


 椿がキツく問い詰めても沖田は笑うばかりだ。椿は次に土方の顔を睨んだ。土方は一瞬驚いて顔を引いたが、大きな手で椿の頭をガシガシと撫でた。


「ちょっと、やめてくださいっ」

「総司が言ったのは全部おまえの長所だ。よく覚えておけ」

「どこが長所ですか! 全然分かりませんっ」


 はたからは、大きな男に小さな犬がきゃんきゃん強がって吠えているように見えた。山崎が居ない寂しさは、二人が紛らわせてくれる。それは椿もなとなく察していた。


ーーありがとうございます。


 その優しさにもしも自分に兄がいたらと、思わずにはいられなかったとか。

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