第18話 山崎を探せ!

 椿は池田屋で怪我をした隊士たちの、その後の経過監察も怠らなかった。特に、状態の酷かった藤堂と、一時的に意識不明になった沖田のその後の治療は入念にした。


「藤堂さん、だいぶ塞がってきましたよ。回復が早いので驚いています」

「本当かい? よかった。早く隊務に戻りたいからね」

「でも、もう少し我慢してください」

「暇なんだよなぁ」

「ふふっ。我慢も仕事です」


 こうして椿は日に二、三度は部屋を訪れ傷の状態と精神状態を確認しているのだ。


ーー怪我もだけれど、心の治療はもっと大事だから。


 椿は新選組の医者として心身ともに隊士の健康管理をするのだと張り切っている。それが時に山崎の嫉妬心を掻き立てたりするのだが、椿には気付くわけもなく……。


「沖田さん、いらっしゃいますか」


 まてども返事がない。いつもはすぐに返答があるのだが、何処かへ出掛けてしまったのだろうか。椿は障子を半分ほど開け、中の様子を覗った。相変わらずの殺風景な景色が広がるばかりで、布団は敷きっぱなしであった。


「居ない」


 椿は障子を閉めて戻ろうと姿勢を正すと、いきなり誰かに背中を押されて部屋に飛び込んでしまった。


「ひゃっ、誰ですか」


 振り向けば、悪戯が成功して嬉しそうに声を殺して笑う沖田の姿があった。


「沖田さんっ。何処に行っていたのですか。寝ていてくださいと言ったのに」

かわやですよ。でも体調は随分といいんですけど、僕はまだ寝ていなくてはならないんですか」

「油断は禁物。今は安静が一番です」

「いつまで安静に? 気が滅入って違う病にかかりそうですよ」

「ぅ……。では、今からの診察で判断します」

「うん、宜しくね」


 沖田は嬉しそうに椿の条件を呑んだ。正直に言うと椿は、この沖田のあどけない笑顔に弱かった。自分より年上なのに、何故か姉になったような気分になってしまう。

 椿は先ず、沖田の脈を診た。今はあの時のように弱いものではなく、力強く打っている。喉の奥、目の色、そして喉元の免疫器官リンパを外から触診した。問題はなさそうだ。


「どうなんです?」

「今のところ大丈夫そうです。後は、気管支を」

「気管支……?」


 椿が一番気にしていたのは呼吸器系だった。沖田が池田屋で倒れたのは、空気の悪さと暑さ、湿度が関係していたのではないかと考えていた。もしそうだとすれば、一定の条件が揃うと再び発作が出るかもしれない。そうでなくとも、たまに酷く咳き込むことがあるので、塵や埃も関係があるかもしれない。椿なりの見解であった。


「胸の音を聞きたいのですが、よいですか」

「いいですけど、どうやって聞くんですか」


 椿は沖田に上半身を出すように言う。沖田は黙って言われた通りに着物から両肩を抜いた。こういう時の椿は医者の目になっているのか、若い男の裸を見ても全く動揺することはない。むしろ、いつも悪戯をしかける沖田の方が恥ずかしく感じるほどだ。


「失礼します」


 椿は直に触れないように手拭いを一枚肩から垂らすように掛け、その上から耳を当てた。沖田の心臓は一定の速さで音を鳴らしている。


「息を吸って、吐いてを繰り返していただけますか」


 沖田が息を吸う時だけ、風が抜けるような音がする。椿は真剣にその音に集中する。が、沖田は堪らない。男の裸の胸に女が耳を当てている光景が、妙に雄の本能を煽るからだ。


「ちょっ、まだかな」

「はい、終わりました。次は背中です」

「えっ! 背中もかい!」


 椿は沖田の焦りを気にすることなく背後に回り、同じようにして耳を当てた。沖田は椿の耳が触れると同時にピクンと揺れてしまう。すると椿がじっとしろと手で両腕を押さえにくる。さすがの沖田も心臓がとんでもなく速く打ち始めた。


ーー何で僕はこんなことに……!


「沖田さん大丈夫ですか。少し心臓が速いですね。どこか苦しいですか」


 変化に気づいた椿が沖田を肩越しに覗き込む。


ーーちょっと、これマズいんだけどっ!


「だ、大丈夫ですよ」

「でも、心音が早いのですよ。寝ていたほうがよいですね」

「だから、それは椿さんのせいでしょ!」

「なぜ、私の!」


ーーこの娘は天然なのかな。山崎くんの躾が足りないんじゃないのかい!


 沖田は素早く着物を着ると、眉間に皺を寄せてこう言った。


「椿さんはもう少し男心を学んだ方がいいですよ」

「どうして今、男心の話になるのですか」

「君は天然なのかワザとなのか分かりませんけど、これじゃあ山崎くんが可哀想です」

「……え」


 沖田の言葉を聞いて椿の表情は曇った。その顔は真っ青で肩を落として小さくなってしまった。沖田は椿の一転した表情を見て焦った。こんなに激しい変化は今までになかったからだ。いつもなら「どういうことですか!」と食い下がってきた筈なのに。


「わたし……」

「ごめん。その今のは少し言い過ぎたかな」

「失礼しました」


 椿は沖田の弁明も聞かずに黙って部屋を出て行った。椿を追うかどうか迷う沖田だが、追った所でうまく説明が出来ないかもしれない。迷いながらも廊下に出たが、もう椿の姿はそこになかった。





 沖田の部屋を出た椿は、とぼとぼと廊下を歩いていた。途中、何人かの隊士に声を掛けられた気がするがよく覚えていない。実は頭が朦朧として、沖田の言った事がよく分からなかったのだ。いつもの椿なら土方の部屋で仕事をするはずが、その土方の部屋も通り過ぎてしまう。椿の影に気付いた土方が障子を開け「おい、椿」と呼んだが、反応なく行ってしまう。


「なんだ、おかしな奴だな」


 忙しい土方はまた部屋に戻ったのだった。


 心ここにあらずの椿は何処へ向かっているのか、一点を見つめたまま歩いている。しかし、隊士が集う道場の前に差し掛かった所で、目の前が暗転した。誰かにぶつかってしまったからだ。よろけてふらつくも、その誰かに腕を掴まれたので椿が転けることは無かった。


「大丈夫か」

「……はい」


 ぶつかった相手は斎藤だった。稽古上がりだったのだろう。斎藤の声になんとか反応し声を絞り出して返事をした。そして斎藤をよけて進もうとした時にもう一度腕を掴まれた。


「椿、大丈夫ではないだろう」


 口を開け大丈夫と言おうとしたものの、なぜか声が出なかった。その代りに異常に熱い息が口から漏れた。斎藤は椿の顔にを訝いぶかしげに覗きこむ。


「具合でも悪いのか」


ーー私、が? よく分からない……。


「椿、俺が誰か分かっているか」

「さい……っ」

「おい!」


 目の前がぐわんと歪みパチパチと火花が散り始めた。斎藤の声がだんだん遠くなる。そして、椿は何も聞こえなくなった。





 いつもは冷静な斎藤だが、目の前で椿が倒れたのには驚いた。膝から崩れ床に落ちていくのを寸前でなんとか受け止め、今は椿を横抱きにし廊下を小走りで進んでいる。土方の部屋に向けて。


「副長! 斎藤です。入ります」

「おっ」


 土方の入室許可を待たずに、斎藤は足で障子を開けて入った。腕には椿を抱えて。


「斎藤。それはどうした」

「突然倒れたのです。どうしたらよいか分からず、副長の部屋に来てしまいました」

「取りあえず、ここに寝かせろ」


 土方は自室にある布団を引っ張り出し、椿をそこに降ろすように指示した。いつも元気な椿がこんな状態だとどうしてよいか分からない。土方はそっと椿の頬と額を触ってみた。


「熱いな」

「熱、ですか」

「ああ」

「どうしますか。医者を呼びますか」

「この辺に医者がいたか」

「いえ。椿の外、知りません」

「参ったな」


 そうこうしていると外から声がした。これは沖田だ。


「土方さん、居ますか。入りますよ」

「なんだ総司、今は忙しい」

「あれ、椿さんじゃないですか。どうしたんです?」


 沖田は椿を探し見当たらなかったため、土方の部屋で仕事をしているのだろうと思い訪ねて来たのだ。しかし、探していた椿は布団に寝かされていてどうも様子がおかしい。


「熱があるらしい。先ほど倒れた」

「はじめくん、どういうこと」

「分からん」

「山崎くんは何処。彼を呼ばないと!」

「そうだ! 山崎だ。おい山崎を呼んで来い!」


 斎藤が素早く立ち上がり、山崎を探しに部屋を出た。土方と沖田は交互に椿の額を触り、ああじゃないこうじゃないと困り果てていた。こんな時の副長と一番組組長は全く役に立たっていない。


「斎藤はまだか。山崎は何処に行った」


 苛々しながら土方も部屋を出ていく。


「山崎はどこだ!」

「山崎を探せっ!」


 気が付くと、巡察に出ようとしていた他の組長たちも巻き込んで山崎の捜索に乗り出していた。そこへ巡察に出ようとしていた原田が、土方に言う。


「土方さん。あんた山崎に仕事頼んだだろ」

「ああ、確か島原の偵察を頼んだな。あと会津藩邸に寄るよう伝えたぞ。それから……」

「あんたどんだけ山崎に仕事させてるんだ」

「……すまん」


 そんなことを言い合っている場合ではない、とにかく山崎を探せ!


 斎藤は屯所内を一通り回ったが山崎の姿はどこにもない。土方は落ち着きなく鬼の形相で「山崎はどこだ」とまるで御用改めをしているようだった。その間、沖田は桶に水をくみ濡らした手拭いで椿の額を冷やしながら山崎はまだかと何度も廊下を振り返る。


 部屋で大人しくしていた藤堂もこの騒ぎを聞きつけて、山崎を探し始めた。別棟にいる隊士たちに山崎を知らないかと聞くが、平隊士が知る故もなく。諸士調役兼監察という肩書を持つ山崎は、平隊士たちに知られていない。


「まじかよ。そうだよな、俺たちしか知らねんだ」


 こういう時になって、初めてその肩書が恨めしく思ったのは本人でなく幹部たちだった。山崎一人を見つけられずに、おろおろする幹部たちが土方の部屋に戻ってきた。


「斎藤、山崎は見つかったか!」

「土方さん、見ての通りです」

「ちっ!」


 苛立っているのは土方だけではない。沖田は我慢なんと、土方の態度に文句を言った。


「その舌打ち、止めてもらえませんか。耳障りです」

「なんだと!」


 土方が勢いよくどんっと膝を立てたとき、原田が静かにそれを制した。


「分かってるだろうが、椿は熱を出して寝てるんだぞ。静かにしてやらねえと」


 焦りと苛立ちで、椿のことは置いてけぼりになりかけていた。


「石田散薬でも飲ませてみるか。一応、薬だ」

※石田散薬:土方家に伝わる、打ち身の薬


 流石にそれは違うだろうと斎藤が口を開く。


「それはいささか違う気が」

「そうか」


 結局は何もできないと知り、男たちは山崎の帰りを待つことにした。

 そんな時外から場に合わない呑気な声がした。


「歳は居るかい?」


 その声の主は局長の近藤で、機嫌よさげに土方の部屋を開けた。そんな近藤に土方は間髪入れずに聞く。


「近藤さん。山崎を知らねえか」

「山崎くんか……。ああ、さっき炊事場で」


 そう近藤が言いかけた所で部屋にいた男たちは、一斉に立ち上がり部屋を飛び出した。


「おい、なんだ。どうした」


 呆気にとられた近藤は、暫くして一人ぽつんと横になった椿に気づいた。どうしたのかと近藤が近寄ると、椿は目を閉じており頬は真っ赤で荒い呼吸をしていた。何気に額を触ると、とても熱い。


「これはイカン!」


 そばに置いてあった手拭いで椿の汗を拭く。そして、「頑張るんだ椿くん」と励まし続けた。


 一方、男たちは先を争うように炊事場へ急いだ。そこにはずっと探し求めいていた山崎の背中があった。


「山崎!」

「山崎くん!」

「うわあっ!」


 激しく驚いた山崎がゆっくりと振り向く。そこに見た光景は異様だった。なぜならば副長と組長たちがすがるような目で自分を見ているからだ。


「みっ、皆さんお揃いで。何かあったのですか」


 するとまた、皆が声を揃えてこう言った。


「椿が倒れた!」

「熱を出した!」

「椿が大変だ!」

「助けてくれ!」


 一度にしかも微妙に違う事を言われた山崎は固まった。彼は聖徳太子ではないのだ。


「すみません、椿さんがどうしたのですか」


 再び口を開けようとした者たちを斎藤は手で制した。


「椿が倒れた。熱がある、副長の部屋だ」


 その簡潔な言葉に山崎は察知し、頭を下げてからその場を離れた。

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