第6話 しれば迷い、しなければ迷わぬ恋の道

 山崎との潜入捜査から一夜明けて、椿は火傷に効く軟膏を手に島原へ向かった。大門をくぐると夜と違い、昼間は閑散としており人も疎まばらだ。椿は新選組が馴染みにしている角屋へ向かった。


「すみません、誰か居ませんか」


 椿が大きな声で尋ねると、一人の女が奥から出てきた。昨夜、火傷を負ったあの女中だ。


「何か?」

「あの火傷の薬を持ってきました。その後、いがですか?」

 

 椿は女中の太腿を指差して昨晩のことを聞いた。女中はなぜ知っているのかと怪訝そうな顔で椿を見た。


「ここに、来はったんですか?」

「はい! 昨夜こちらでお着物を借りた者です」


 すると女は「あっ!」と声を出して、勢いよく頭を下げた。


「すみません、気がつかなくて。昨夜はありがとうございました」

「良かった。大丈夫そうですね。実は私、医者をしております。訳あって昨夜はあんな恰好をさせてもらいまして。こちらこそお騒がせしました」


 椿はそう言い終わると、女中に火傷に効く軟膏を渡した。椿の嫌味のないもの言いに女中は恐縮し、何度も頭を下げた。二人のやりとが奥に届いたのだろうか、主人が顔を出す。


「土方さんとこの、椿はんやあらへんの」


 これまでのやり取りを話すと、軟膏まで頂いてと深々と礼をされてしまう。これには椿も恐縮し、当たり前の事をしただけだと言葉を返した。


「椿はん。何か困った事があったら言うて下さい。土方はんに苛められたり、ヘンな男から言い寄られたりしたら、この角屋に来てください。ここだけは大名さんかて勝手なことはできへん」

「はい。ありがとうございます」

「ほな昨夜の旦那さんに宜しゅう。相思相愛な上にお似合いでしたな」


 主人のその言葉に椿は驚いた。


「え、そ、相思相愛って……ええっ!」


 主人は椿の反応を見てすぐに気づいた。相手の特に男の気持ちに疎い椿が心配になる。


ーー嘘やろ。この娘、ほんま鈍感や


「椿はん。医学もいいけど、男心も学ばなあきません」

「男心……」


 椿は主人に、身体の仕組みは分かっていても心の仕組みについて、からっきし駄目であることを見透かされていたのだ。


「椿はんの周りには、先生がぎょうさんりますやろ。その男心を学んでみたらどうでっしゃろ」

「先生……ですか」

「土方はんに原田はんは、良い先生になると思います」


ーーそうだわ! あの二人なら確かに間違いないもの。


「ありがとうございます!」


 椿は晴れやかな笑みを見せ、角屋の主人に丁寧に頭を下げた。椿が去ったのを確認した主人は腕を組みながら頷く。


「あの娘はほんまに、ええ娘や」



 椿は島原からそのまま屯所へ向かった。そして今、土方の部屋の前に立っている。


「土方さん! いらっしゃいますか?」


 いくら待っても土方の返事はない。椿は顔が入るか入らないくらいに障子を開けて中を覗いて見た。居ないと思った土方は部屋の奥で文机に向かっている。しかもこちらに背を向けて。


「いらっしゃるなら、返事をしてください」


 それでも土方は何も言わない。椿の声が聞こえないほど、何かに夢中になっているらしい。椿は静かに障子を開け中に入ると、土方の背中に近づいた。


ーーなにをされているのかしら。


 土方は書物でも読んでいるのか、冊子のようなものを広げていた。そこには女性のような美しい文字で、うたが書かれてあった。


「しれば迷い、しなければ迷わぬ恋の道……」

「なあっ!?」


 椿はつい口に出して読んでしまったのだ。それを聞いた土方はびくんと激しく肩を揺らし、物凄い勢いで振り向いた。今まで見たこともない鬼の形相で!


「ひいっ」


 さすがの椿もその顔におののき尻もちをつくほどであった。


「椿っ! なに勝手に入って来てるんだ」

「す、すみませんっ。お声を掛けたのですが返事がないし、具合でも悪いのかと思いまして」


 土方は目をひん剥いて椿を睨みつけていた。これが噂の、泣く子も黙る鬼の土方だ!


「いいか! 今のは忘れろ、忘れるんだ!」

「しれば迷いしなければ迷わぬ恋の道。のことですか?」

「なっ、言わなくていいんだよ! 兎に角忘れろっ!」


 土方が焦っている姿を他所よそに、椿は満面の笑顔でこう返した。


「素敵な咏ですね。恋なんて知らなければよかったのに……という意味でしょうか」

「なん、だと」

「お願いがあります! 私にその、男心をご教授ください!」


 椿は三つ折りついて土方に願い出た。土方は椿の言葉が理解できず、固まってしまっている。


「土方さん」


 椿は珍しく反応の遅い土方を心配して、恐る恐る顔を上げた。そこには端正な土方の顔があった。こんなに近くで土方の顔を見ることはそう滅多にないことだ。今更ながら土方の整いすぎた顔立ちに、不覚にも胸が鳴った。


ーーなんて綺麗なお顔なんでしょう……


「おまっ、今なんて言った」

「ですから、男心を教えていただきたいと」


 椿はこれまでの経緯を土方に話した。助言をもらい、たどり着いた先が土方であったと言うのだ。どんな内容でも落ちついて分析をする土方だが、これは予想外だったのだろう。眉間に手をあて項垂れている。


 未だ、分析中のようだ。


ーー総司はわざと山崎を煽ったんだろう。それを見た山崎は激高し総司を威嚇した。理由は簡単だ。椿に惚れているからだ。冷静になった山崎は椿に詫びを入れ、それは悋気だったと告げた。しかし椿は悋気の意味を知らない。勘違いした椿は追い打ちをかけるように、総司ではなく山崎に惚れているんだと告げた。しかも、胸ぐらを掴んで……。普通は抱き着いてだろうがっ、ばかやろう。山崎は椿の気持ちを聞いて抱きしめた。これは間違っちゃいねえ。しかし困ったことに椿は、なぜ抱きしめられたのか分からないと来たもんだ……。


「はぁ……」


 土方の口からは溜息しか出てこなかった。思春期の多感な時期を、医学一本で過ごしてきた女は、男心どころか自分の気持ちにさえ気づいていない。そんな初心うぶ過ぎる女に自分は何から教えたらいいんだと。


「はぁ……」

「あのぉ?」


 不安な顔の椿に、土方はどう答えたらよいか考えあぐねていた。椿は二十歳の立派な女で、見た目はその辺の女よりも綺麗だ。だが心が体に伴っていない。この間のように呆けて歩いていては、男に手籠めにされてしまう心配もある。


「それに関しては時間をくれ。それから表を歩くときはボサッとするな。お前は女なんだぞ。妙な浪人に絡まれた日には取り返しがつかねえ事になる。また呼ぶから、一旦下がれ」

「はい」


 椿は土方に言われはっとした。女の私は非力すぎる。自分に何かあったら新選組の為に働けなくなるではないか。自分の身は自分で守らなければならないのに。


ーーどなたかに稽古をつけて頂かないと!


 椿は土方に礼を言うと、意味を取り違えたままさっそく稽古場に向かった。

 椿の思考は少しずれている。が、今に始まったことでは無い。土方が心配していたのは男に手籠めにされないように気をつけろとの意味だったと思われる。しかし、椿にしてみたら自分が闇討ちでもされたら新選組のお役にたてなくなると解釈したのだ。


「藤堂さんじゃないですか。お久しぶりです。お元気でしたか」

「おお、椿か。相変わらずだね」


 藤堂は隊士募集や自身の修行を兼ねて江戸に行っていたので、椿には久しぶりの再会だった。


「で、どうしたの? 誰か具合でも悪いのかい?」

「いえ。今日はどなたかに稽古をつけてもらおうと思って参りました」

「え、稽古」


 驚く藤堂に、椿はこれまでの経緯を話した。


「そうだね、護身術は知っていて損はないからいいかもしれない」

「そうですよね!」

「でも、ごめん。俺はこれから巡察なんだ。あ! 斎藤さんがいいかもしれない」

「斎藤さん?」

「うん、斎藤さんは教えるのが上手だよ。それに午後は休みだったはずだよ」

「ありがとうございます!」


 こうして椿は、斎藤に護身術を教えてほしいとお願いしたのだ。斎藤はというと困っていた。そんなに熱く乞われても、初心者相手にどこから教えたらよいものか分からない。しかも相手はか弱き女子おなごである。


「椿。己の身を護る技でよいのだな」

「はい! 最低限の危機回避をお教えいただければ、皆さんのお手間を取らせずに救護活動が可能だと考えています」

「……分かった」


 斎藤は悩んだ末、椿に合気道を教えることにした。力の弱い女でも、相手の力を逆手に取って反撃が出来るからだ。幸い彼女は医者だったので体の仕組みはよく理解していた。関節の位置や、どこに体重をかければ相手の動きを止められるのかなど言えばすぐに理解した。


「なかなか筋がいいな。そうだ、今度は後ろから来るから先ほどの技を試してみよ」

「はい」


 流れるような動きで斎藤が椿の肩を掴むと、椿は逆らうことなく体重を移動した。そして手首を逆手に素早く返し、一度相手に体を預ける。相手が一歩後ずさったのを確認したら、相手の懐に深く入り込む。


 ドダンッ!


 斎藤が床に落ちた。椿はすかさず肘を喉元に当て抑え込みに入る。これで大抵の者は起き上がることも、逃げることも出来なくなる。


「っ! 完璧だ。呑み込みが早くていささか驚いている」


 床に押さえつけれまま斎藤は椿を褒めた。


「ふふふ、斎藤さんのお陰です」

「っ……」


 覗きこまれる形で、間近に椿の笑みを見た斎藤は、一気に体が茹であがる。


ーーこ、これはまずいだろう。


 そう思った時はすでに遅かった。


「大胆だなぁ椿さんは。昼間っから男を押さえ込んじゃって」

「そ、総司!」

「沖田さん」


 斎藤は焦った、よりによってこの男に見らるとは。あっという間に尾ひれ背びれが付いて屯所内に知れ渡ってしまう、と。しかし椿は違った。


「へへっ。沖田さんすごいでしょう? これで私も一人前の女です」

「それは、よかったね」


 あの沖田が言い澱んだのだ。もう誰も椿には敵わないだろう。沖田は斎藤と目を合わせると肩をひゅっと上げてお手上げだと戯けて見せた。

 ちょうどその時、珍しく土方が稽古場にやって来た。


「椿、こんな所にいやがったか。さっきの話なんだが」


 土方は沖田と斎藤を横目て見ると、椿を手招きし側に来るように合図した。椿が側に来たのを確認すると、耳元で二人に聞こえないように言う。


「例の件だが、原田の部屋に行け」

「はい、承知しました」


 そして椿は黙って稽古場を後にした。なんと土方は、椿に男心を教えるのを原田に押し付け放棄したのだ。


ーー俺は気が短いからな、間違って手でも出しちまったら大変だろう。


「土方さん、なんです? 悪い顔してますよ」

「煩せえんだよ。椿は俺の手に負えねえからな」

「それは、同感です」


 三人の意見があったのはこの先、これが最初で最後になるかもしれない。





 その頃、椿は原田の部屋にいた。

 原田は土方からあるていどの話を聞いていたので、何とかなるだろうと軽く考えていた。女の扱いは原田に聞けと、誰もが口を揃えて言うくらいである。


「おう椿、聞いたぞ」


 原田は甘めの低い声を出し、大きな瞳は少し細め、眩しそうに椿を見つめた。色男の完成だ。


「よ、宜しくお願いします」


 鈍感な椿もこの男の放つ色香を感じたのだろうか。妙に腰が引けている。それでも腹をくくり、土方に話した内容を原田にも伝えた。


「なるほどな。椿は山崎の事を男として好いているんだな」

「すっ、好いているって」


 原田は椿に濁した言い方では伝わらないと思っていた。比喩や遠回しな言い方では椿は理解できないと。


「だから総司との事を誤解してほしくなかったんだろ。私が好いているのは山崎さんですって意味だろ?」

「は、い」

「あとその悋気って言葉だが、嫉妬と同じ意味だ。山崎が総司に嫉妬したんだ。自分の大事な女が奪われたのではないかと思い込んで、怒ったんだよ。山崎は椿を取られたくなかったんだな」

「え! 嫉妬っ」

「で、山崎はお前の気持ちを聞いて抱きしめた」

「は、い」

「それはお前の事が好きで、どうしたらいいか分からなくなったからだ」

「私のことが、好き?」

「じゃなきゃ、あの真面目な山崎が女にそんな事しねえよ」

「そ、そう、なんですね」


 椿は動揺していた。自分の山崎への気持ちは気付いていた。でもまさか、山崎も自分の事を好いているなんて、正直思ってもいなかった。


「でも、好きとは言われていません」

「山崎は誠実で真面目だ。自分の任務の重要さも十分に理解している。死と背中合わせの中で、椿と恋仲になるのが不安なんだろ」

「どうして不安なんですか」

「いつお前を残して死ぬか分からねえからだ」

「あ……」


 新選組は幕府のために毎日疾走している。その重要な鍵を探るのが、監察である山崎の仕事だ。それだけ身を危険にさらしているという事になる。山崎だけではない。ここにいる誰もが、明日は無いかもしれないこの激動の日々を生きている。どんなに好きでも、好いた人との未来を簡単には約束できないのだ。


「原田さん」

「ん?」

「分かり易いお話を、ありがとうございました。私はまだまだ子供だったみたいです。私は新選組の医者です。私なりの方法でこの想いをぶつけたいと思います」

「椿?」


 椿の瞳はどこか遠くを見ていた。しかしその眼差しは、強い意思を持ったものであり未来を照らす光のようにも見えた。

 椿は山崎が尽くす新選組のために、自分も医者として尽くそうと、もう一度強く誓ったのであった。

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