退屈は自由な『いて座』を殺す。だから平穏安定思考の『おうし座』に迫るのはやめろな?

さい

一反木綿に謝れば



交換しておきます。



バイトの子がそう言っていたから大丈夫だと思っていたのに(そいつがそれからどんなトラブルに見舞われたのか知らないが)なぜか蛍光灯は未だに切れたままだ。その事実に暗くなってから気付いた。もちろんそのバイトは定時ピッタリで大人しく退社した後だけど、フロアの窓側にある自分のデスク周りだけ妙に薄暗くて間もなく幽霊でも出てきそうな照明効果だ。本当に恐れ入る。この会社にはバイトがたくさんいるが大半はそんな感じ。しかし中にはわけあってこの薄暗くて気味の悪いフロアにまだ残っているバイトもいる。そのバイトどもに指導するのが自分の仕事だ。


「つまらない。時給返せ。あと俺の読了時間。あー早く帰ってアニメ見たい」


そのわけあって残っている珍しい方のバイトにいつも通りのぞんざいな指導をした。ギリギリ指導と言えそうなのは『つまらない』くらいで、他の部分は完全にただの八つ当たりだったけど。


「どこがどうつまらないのかを具体的に指摘するのが夏海さんの仕事だと思います」


即バレた。そりゃそうだ。自分でもこんなにテキトーな指導されたらそう言う。ちなみにこんなに遅い時間まで残っているこのバイトは見た目は涼しげなイケメンみたいだが実は長身の若い女性だ。


「前半が感覚描写寄りで視覚味覚聴覚色覚に訴える表現が抜けてんだよ。薄っぺらくて一反木綿とダンスしてるみたいで不愉快だ。厚みと存在感増すためにコンニャクでも食ってろ」


「一反木綿に謝って下さい。どう考えてもあの汎用性の高さが一番スペック高いですよ。そんな事を言って恨まれたら大変です。夏海さんは意外に見る目はないですね。布一枚分の隙間から自由に住居侵入したり無音無衝撃で背中に人乗せて空飛んだまま会話すら出来ますか?しかも従順に。コンニャク食べて厚みと存在感増すなら私は良かれと思って社内にコンニャク配り歩きますね」


「善意で社内にコンニャク配り歩く変質者がいたら警備員さんの仕事が無駄に増えるから控えろ。そんな暇があるなら書き直せ。そもそも『両親がいない』状態を示すために起こる交通事故には飽き飽きしてるんだよ。あと『ひょんな事から』ってどんな事からだよ。それ説明すんのがお前らの仕事だろ。そもそも『偶然』の一言でスッキリさっぱり表現出来るくせに『ひょんな事から』を引っ張り出してくんじゃねぇよこのぬらりひょん推しが」


「お孫さんも大活躍の大御所にまで喧嘩売らないで下さい。スッキリさっぱりしたいなら酢の物でも食べてれば良いと思います。そしてご存知だとは思いますけどご指摘の部分は私が書いた所じゃありません。どさくさ紛れにブッ込みやめてもらえませんか。そこら一帯そちらさんの可愛いバイトさんが書いた文章と煽り文ですよ。そしてご存知でしょうが私も可愛いバイトさんです。労働基準監督局に駆け込み訴えしても良いですか。今はおそらく受付時間外だと思いますけどね。後から泣いて詫び入れてもお役所は許してくれませんよ。バイトの容姿の可愛さであからさまな帰宅時間の差別しないで家に帰して下さい。今日もその窓から美しい朝焼けを私と一緒に拝みたいんですか?とうとう諦めて私のこと好きになりましたか?」


「よし。まだ元気だな。口じゃなくて手を動かせ」


「わかりました。終わったらその口にコンニャクと酢の物ブチ込んでスッキリさっぱり黙らせてあげますからね。あとさっさと諦めて私の彼氏になって下さい。大好きです」


「上司の口にコンニャクと酢の物ブチ込もうとするバイトの彼氏になんてなるわけないだろ。それどんな性癖だよ。慎んでお断りさせて頂く。いい加減しつこくてうんざりだ。最近寝不足が堪えるおっさんなんだよ。勘弁してくれよ」


本当にどうかしてる。そう思う。しかし反論だけはスラスラと出来る病だった。もうこれだけは治りそうもない。Web系の出版物を執筆編集更新管理さらには依頼があればゲームアプリのノベライズや変換の下請けまでする会社。若いバイトとその上司の自分。お役所に聞かれたら一発アウトの内容。


まだ仕事は終わりそうにない。結局今日も社内の同じ窓からすっかり見飽きた美しい朝焼けを拝むことになりそうだ。リアタイは諦めるしかなさそうだ。





腕相撲で勝てなかったから。



きっかけは、もう捻りも色気もなにもないそんな雑な理由だった。



昔から活発で生傷の絶えなかった自分は、よく仲の良い姉に傷の手当てをしてもらったものだ。ドライな姉だが妹の自分の事だけは可愛がってくれて、自分はそんな姉が大好きだ。しかしそんな姉に最近、彼氏が出来たらしい。とりあえずブチのめしてやろうと思ったのに返り討ちにされ、執着心のなかった姉が彼氏に執着している様子に落ち込み、同時に安心もして『自分も彼氏を探し出す』事を決心したのは最近の事だ。 最愛のお姉ちゃんの彼氏に特技の腕相撲で返り討ちにされたので、手始めに自分よりも腕相撲が強い相手を探すことにした。いや。別にブチのめすのが目的ではないけど万が一の時のために強めの方が良いかと思って。お姉ちゃんの彼氏がレアなタイプらしいので最初はとりあえず『絶滅危惧種』を探す予定だった。


自分は女性にしてはなかなか身長が高かったが、高身長女性にありがちな『女なのに背が高いのがコンプレックス』みたいなめんどくさい葛藤とかは無い。人間、身長など些末な問題だ。むしろ自分より背が低い男性が明らかに『うわぁ』というリアクションを取られようとも『小さい奴だな。中身が。人間は中身が一番重要だぞ』とバッサリ切り捨てるくらい気にしていない。


とりあえず学内とバイト先で片っ端から道場破り的に腕相撲してみた。そして初めて姉の彼氏以外で負けたのがバイト先の上司だった。


その人は夏海なつみさんという名前で『俺が勝ったら仕事終わるまで残業しろ』という社会人にあるまじき条件を付けてその勝負を受けていた。ちなみに夏海さんは左利きなのに、普通に最初から左手を出していた。今まで挑んだ男性はほとんど全員が女性とハンデ無しで腕相撲をする事に多少の難色を示して、時には気を使って利き手ではない方を差し出したが、夏海さんは普通に『俺は左利きだからお前も左出せ』と気遣いとか皆無だった。いや。自分も左利きだから問題ないんだけど。そして自分は容赦なく負けたのだ。今思えば大人げない感じもする。でもそんな大人げない所がどうしようもなく気になるのだ。


千秋ちあきあかねは、そんなテキトーな理由がきっかけで上司の夏海さんに彼氏になってくれとしつこく依頼しているが、もちろん今の今まで断られ続けている。







変な奴になつかれた。付きまとわれている。




バイトの千秋茜は、女性にしては身長が高いしさっぱりした短髪の涼しげなイケメンみたいな見た目のくせに中身は小学生みたいな奴だ。なぜかある日突然『絶滅危惧種を探します!』とか言い出して、社内で道場破りみたいな事をし初めて、関わりたくないな……と思っていたらターゲットにされた。おそらく自分の方が身長が高いから強そうとかそんな雑な理由に違いなかった。


関わりたくないとは思っていたが、その時の自分は仕事を途中で投げ出して定時で帰るバイトどものせいで徹夜続きの寝不足。趣味のアニメもリアタイで見れず連日会社の窓から美しい朝焼けを見るのにも心底飽きていたので、世の中のバイトへの八つ当たり的かつ仕返し的に『俺が勝ったら仕事終わるまで残業しろ』という社会人にあるまじき条件を突き付けて返り討ちにしてやった。もちろん利き手で全力で。今思えば、我ながら大人げなかった。


しかしそんな感じでテキトーに返り討ちにしたら千秋は『彼氏になってくれ』と言い出したのだ。もちろん無理だった。見た目はイケメンなのに中身が小学生みたいなガキを抱く趣味はない。それに告白も雑すぎる。もっと『あなたのここが好き』みたいなそれなりの展開があれば話くらいは聞いてやるかもしれないが、千秋は『最初に腕相撲で負けたから』という雑な理由で『彼氏になって下さい』だ。どこの勇者とモンスターの関係かと思った。あいつらは倒すと仲間になりたいとか狂った事を言い出すのだ。


鬱陶しい。すげぇグイグイ来る。千秋は学校もスポーツもバイトの徹夜もこなしているのに仮眠を取ると回復する。その回復力すら尋常じゃない。付いていけない。


ライティングは初心者らしいが指摘すれば確実に、そして迅速に対応してくる。千秋は『仕事終わるまで残業』の条件を守り、さっさと帰らせろと言いながらも手を付けた仕事は最後まで仕上げてから退社していた。



だから不本意ながら会社の窓から無駄に美しい朝焼けを一緒に拝むことも珍しくない。






高校の文化祭とか。大学の学園祭とか。連日、時間とやる事に追われて、それでもどこかワクワクした状態で作業しながら、誰かと長時間一緒に過ごしているうちに、その相手の事をどうしようもなく好きになる事ってあるよね。それが時には自分より年上だったりして。



自分。まさに今その状態。



もはや、付き合ってくれと言ってもなんの関心もないどころか迷惑だと思っているのを隠しもしない素っ気ない態度すら好ましく見えてきた。積極的に自分から誰かを追いかけた事はなかったけど、こうしてみると実は自分は『片想い』の才能があったらしい。人並みに恋に恋する感じで。もちろん良い意味で。


夏海さんは、かなりリアルな社会人で大人げない所もあるけどそこが気になるし、話すのは楽しいし、そういう人と一緒にいるのは単純におもしろい。自分の食って掛かるような物言いにも引かずにどこか冷静に対応してくる感じもクセになってきた。


スラダン読んで即バスケ部に入ったというのも私と同じだし。入ったら楽しくて普通にハマった事も同じだ。無駄に運動神経が良いところも。利き手も同じ。普通の大人ならお世辞でもキレイだとかそんな事を言わざるを得ないようなどこからどう見ても綺麗な朝焼けを『心底見飽きた』といううんざりした顔でスルーするところも共感出来る。『キレイだね』『そうですね』みたいな気遣いがいらない所が一緒にいて心地良い。


そして『俺は仕事だけはしっかりやるぞ』みたいな無駄なアピールもせず『アニメ見たいから帰らせろ』って感じだし、毎朝星占いをチェックして運勢が悪い日は実は内心しょんぼりしているような。コーヒー大好きなのにラッキーアイテムがココアだと甘いの苦手なのにとりあえず買って飲むような。しかも意外とイケるなと最近はココアも飲むようになった。そんな普通の。どこか大人げないところも。



そういう。きっと他の人からみたらダメな所が好ましく見えるということは、そういう事なのだ。



きっかけなんておそらく関係ない。隣の席に座っている人を好きになった時『そんなきっかけで好きになるなんておかしい』なんて誰も思わないはずだ。その『好き』の気持ちに嘘がないならば。身長も腕相撲もスラダンも。きっかけなんて自分の気持ちには関係ない。


夏海さんは最近寝不足が堪えるらしく、お昼過ぎになると超眠そうなところも可愛い。アニメ見ないで疲れてるならさっさと寝れば良いのに夏海さんはそうしない。本当に困った人だ。そして休憩時間に明らかに眠そうな夏海さんが、休憩スペースでこっくりこっくりしていた。はいチャンス。すかさず隣に座る。


「お疲れさまです夏海さん。膝枕してあげますよ。それとも優しく抱きしめてあげましょうか?さ。遠慮なく」


「…そちらさんこそ本当に遠慮してくれよ。おかげさまで目が覚めた」


ワクワクとした様子を隠しもせず隣に座って『どうぞ!ウェルカム!』と両手を広げている千秋をみて、夏海は心の底からうんざりだった。ここ一応会社だぞ。これなら定時で大人しく帰るバイトの方がよほどマシだ。


「夏海さんノリ悪いですよ。もっとドキドキとかキュンとかムラムラとかして下さい」


「具体的かつ無理な注文するな。聞くだけで無駄に消耗する。おっさんは疲れてるんだよ。お前みたいに仮眠でなんとかなる時期はかなり前にとっくに過ぎ去った。俺の休憩時間返せ」


「大丈夫です。頼まれた仕事はバッチリ瞬殺しておきましたよ。ご指摘の部分も完璧に。だから今日は一緒に帰りましょう。もう何度も一緒に美しい朝焼けを眺めた仲じゃないですか」


正直。今夜も徹夜覚悟だったが、この小学生はどんな手を使ったのかわからないが仕事は終わらせたらしい。そして朝焼け発言が痛い。


「本当に勘弁してくれよ。そんな際どい匂わせ発言を会社で堂々として。お前は俺をどうしたいんだ。破滅させたいのか」


「もちろん彼氏にしたいんですよ。おごってあげますから飲みに行きましょ」


「ムカつく。年下のバイトにそれ言われると死ぬほどムカつくな。仕事終わったならさっさと帰らせろよ。帰ってリアタイでアニメ見て寝るわ」


おっさんは仕事で徹夜はしんどくても、アニメで徹夜はわりと平気なダメな方の大人だった。


「あ。良いですね。ぜひ一緒に見ましょう。膝枕してあげますから」


「その膝枕の押し売りやめろ。安売りするな。こちらから買い求めてない場合の強引なセールスは暴力と同じだから全力で控えろ。俺はアニメは一人で見たいタイプなんだよ。うっかりウルウルした時に困るだろ」


最近のアニメは良くできているから困る。不意に目に入った予告ですらウルウルする可能性があるので油断出来なかった。


「どうすれば彼女にしてくれるんですか?私の事タイプじゃないですか?」


「なにをしようと彼女にはしない。タイプでもない。個人的には、か弱くて儚い系がタイプなんだよ。一緒にいても疲労しない感じが。回復力すら尋常じゃない生命力溢れる千秋は好みの対極に存在している。千秋は見た目は普通のイケメンだしな」


今の状態も、会社で若いイケメンに迫られている上司だと周りに誤解されそうでマジしんどい。


「か弱くて儚い系なんて実際には一緒にいてつまんないと思いますけど?」


「個人的な好みを秒速で侮辱するな。プライベートの趣向くらい自由認めろ。癒しくらい求めても良いはずだ」


疲れた。帰ってアニメ見たい。見ても疲れないやつ。


その日の退社後。寝不足の上司は久しぶりに全力でダッシュしたり、フェイントを駆使して、追走してきた千秋をどうにか振り切って死に物狂いで帰宅した。本当にスラダンに感謝だった。もう帰宅したら全巻読み直すしかない。白熱しておそらくかなり疲れるけど。今日は見ても疲れないやつにしようと思っていたのに完全に予定が狂った。これは徹夜になりそうだ。


ちなみに千秋も慣れない片想い状態でさすがに消耗した精神的ダメージを回復させようと、大好きなお姉ちゃんの部屋に寄りダメージ全回復してから帰宅した。明日も全力で頑張れそうだ。



明日はライフゲージ0の夏海VS全回復絶好調の千秋になりそうだ。





同じ色の薄い模様が透けるシフォンみたいな軽い素材の白いワンピース。膝の少し上の長さなのにそこから伸びる長い足。肘に掛からないくらいの長めの袖丈で上品な感じだ。



一瞬。誰なのかわからなかった。



メイクの効果なのかフワッとセットされた髪型のせいなのか、色白の横顔がまるで別人のようだ。




「……お前。それ。どうしたんだ」


「あ。お疲れさまです。夏海さん足も速いんですね。昨日はまさか振り切られるとは思いませんでした。あとコレどうですかね?儚い系にイメチェンです。ムラムラしますか??」


「無駄に全力で走ったおっさんは今日は身体しんどいです。あとスラダン全巻徹夜読みして死ぬほど眠いんだよ。一晩で青春時代駆け抜けて精神的な疲労も尋常じゃない。あとそうやって気楽にムラムラを催促するな。あと儚い系はムラムラとかそんな表現は使わない。あんまり見た目の変化が急激過ぎて生まれ変わったのかと思ったけど中身は変わらないんだな」


「か弱いのは無理ですけど、儚い系なら対応出来そうだったので」


「対応が迅速」


昨日まで涼しげなイケメンだったくせに、今日は見た目だけなら黙っていれば普通にスタイル抜群の儚い女性だ。もちろん『黙っていれば』だけど。そして基本的に千秋は黙っていないので儚さが儚く消滅していた。


「なんでわざわざイメチェンするんだ。お前より腕相撲が強い男なんて探せば他にもたくさんいるだろ?寝不足で趣味インドアなのに左利きで運動神経だけは悪くないだけの普通のおっさんに絡むのはやめて、さっさと他のターゲット探せよ。絶滅危惧種探すって言ってただろ。俺は普通の中の普通だ。その見た目なら絶滅危惧種でも余裕で落とせるだろ」


「無理です。もう好きになってしまったので。夏海さんを見てるだけでハァハァします。こういうのは理屈じゃないんですよ?絶滅危惧種とか関係ないなってすでに悟りました。夏海さんこそさっさと諦めて私の事を好きになった方が良いと思いますけど。おそらく。しつこさは私の方が上なので」


「ハァハァやめろ。そして簡単に真理を悟るな。本当に勘弁してくれよ。超仕事出来るとか超金持ちとか超やさしいとかそういう魅力的な部分は俺には一つもないぞ?自分で言うのもなんだけどマシなのは身長と運動神経くらいで、その他のスペックは低い。モチベーションも普通に低い。だから他のまともな男探せ」


「大丈夫ですよ。知ってますから安心して下さい。それに私はすでに夏海さんの事が好きなのになんで他の男をわざわざ探す必要があるんでしょうか。それで誰か幸せになるんですか?」


涼しげで儚げな女性が軽くキレた。


「…え。逆ギレするとこ?俺かなりまともな事を言ってるつもりなんだけど。ちょっと自信なくなってきた」


「そんなに事前に色々心配しなくても大丈夫ですから、とりあえず私の事を好きになってみれば良いと思います。だからご遠慮なくムラムラして下さい」


「ムラムラの催促禁止。千秋は黙っていれば普通に儚い系なのに本当にもったいないな」


発言は千秋なのに見た目は好みの儚い系でそこもムカつく。


「なるほど。了解しました。なら今日は1日黙っていれば良いですね。お任せ下さい。1日大人しく出来たらご褒美に一緒にご飯食べに行きましょうね」


「は?いや、お前……」


「約束ですよ!」




それから、本当に千秋は退社まで一言も話さなかった。







「……もう。わかった。話して良いぞ」


「良いですか?黙ってる方が好みなら対応出来ますよ?」


「いや。黙ってる方がダメージ的に大きい」


「そうですか??」



本当に千秋は1日大人しく仕事だけに集中していた。いつもならウザいくらい付きまとって、チラっと遠くから見るだけでこちらの気配を察知するのか目が合うし、口を開けば口説かれるか、仕事の内容について酷い口論になるのに。



今日は本当にあれから一言も話さず、こちらをチラリとも見ず、儚い系の見た目そのままのキャラで静かに仕事をこなしていた。そもそもイケメンに見えるくらいに整った顔立ちなのだ。全体のコンセプトが変われば涼しげな印象だけが残る。反則だった。


帰りに黙ったままの千秋に大人しく袖を引かれて、1日対応した千秋を振り切って逃げるわけにもいかず、そもそも昨日ダッシュしたダメージで今日は振り切れる自信がなかったので家まで付いてきたら困るから仕方なくご飯を食べに連れてきた。


「本当にやめろ。他にもっと俺よりお前に合う男はたくさんいるから。腕相撲で勝ったくらいで簡単に惚れるんじゃない。投げやりに探さないでちゃんと見つけろ」


「夏海さん。好きになるのにきっかけとかあまり重要じゃないと思いますけど。きっかけがスラダンでも腕相撲でも結果的に好きになったら関係ないです。それに、おそらくなにか特別な理由とか必要ないんですよ。世の中そんな特別な事ばかりじゃありません。私は次の日も仕事なのにスラダン徹夜読みしちゃったり星占いを毎朝チェックして苦手なココアを無理して飲んだり意外とイケるなと時々ココアも飲むようになった夏海さんが好きです。私もよくわからないですけど気付いたら夏海を見るのも夏海さんと話すのも楽しいんですよね。一緒にいると楽しいんです。だから私にとって夏海さんが特別ならそれで何の問題もありません。それでもどうしても特別なきっかけが必要なら明日の朝にでもトースト咥えて出会い頭にぶつかりますけどね」


「お前な…」


このバイトは小学生みたいな突拍子もない事をするかと思えば、時々妙に説得力のある事も言う。おっさん付いていけない。


「夏海さん」


「なんだよ。トースト咥えて出会い頭にぶつからなくて良いぞ。故意にやられたらおそらく逆にムカつくからちゃんと前見て歩けよ」


「大好きです」


「…本当に、やめろ」


「いやー。1日黙ってるのしんどいですね!思った事を口に出せないから。好きだなと思っても夏海さんに聞いてもらえないから気持ちがもったいない」


何がそんなに嬉しいのか。1日我慢した『大好き』を言葉にした千秋は見た目だけは好みの儚げな笑いを浮かべた。


「……本当に勘弁してくれよ。俺は千秋のどこが嫌いなのかわからなくなってきただろ」


「お役所は泣いて詫び入れても許してはくれませんが、一反木綿なら許してくれるかもしれませんよ。夏海さんは特別なので私も一緒に謝ってあげます。だからさっさと諦めて私を好きになった方が良いと思いますけど。自分に素直になると超すっきりしますよ。さ。遠慮なく!」


どうぞ!ウェルカム!と両手を広げて見た目は儚げな女性がアピールしてくる。儚げとは程遠い事をズバズバ言いながら。



こいつの嫌いなところを探すより、好きところを探す方が簡単なのでは?



きっとこいつと一緒にいてこんなに疲れるのは自分の気持ちと無駄に争っているからで、一緒にいるのはムカつくけどおもしろい。




『か弱くて儚い系なんて実際には一緒にいてつまんないと思いますけど?』




意外に見る目はない夏海がようやくそんな簡単なことに気が付くのは、ほんの少しだけ先の事で、こうなったらもう二人で一緒に一反木綿に謝るしかなさそうだった。

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