世界樹の種

 思い出すのは、冷たい手の感触だけだ。うっすらと眼を開けると、弱々しく微笑む父の顔がそこにあった。血でかすかに汚れた頬にグラインはそっと手を添えてみせる。アッシュは薄く微笑んで、グラインの手を握りしめてくれる。

 父に微笑みかけたいが、意識が朦朧として体に力が入らない。先程まで腹部に走っていた激痛も、感じられなくなっている。

 刺されたのは、いつだったろうか?

 父は突如現れた刺客を葬り去り、自分たちが住んでいた硝子細工から自分を連れ出し飛び出した。

 まるで、何かから逃げるように。

「ごめんね、グライン」

 父の眼から涙が零れて、それはグラインに降りそそぐ。温かな父の涙がとても心地よい。

「お父さん、大丈夫だよ……」

 微笑んで、父に言葉を伝える。なんだかとても眠たくなって、グラインは静かに意識を手放していた。

 



 父と、最後に言葉を交わした頃の夢を見た。ほろほろと頬に伝う涙の感触がうっとおしくて、グラインは眼を開く。漆黒のベルベットに覆われた黒い天蓋が眼に入り込んで、グラインは大きく眼を見開いていた。

 見知った寝台の天蓋は、自分が根の国に来てから寝起きしていたものと同じだ。

「ここは……」

「気がついた、グライン?」

 知っている声が聞こえて、グラインはそちらへと眼を向けていた。髪をほどいたエリジンが自分の眼の前にいる。彼女は眼鏡をかけておらず、夜色の裸眼がぴたりとグラインに向けられていた。

 片手にあたたかな感触がある。見ると、エリジンは両手でグラインの手をしっかりと握りしめている。グラインが起きるまでずっとそうしていてくれたのか、彼女の眼はうっすらと潤み、赤らんでいた。

「泣いてたの?」

「だって、ずっと起きなくて……。死んじゃったかと思ったよぉ!!」

 グラインの手を放し、エリジンは寝台へとあがってくる。起きあがったグラインをしっかりと抱きしめ、彼女は泣き始めた。彼女の泣き声が妙に心地よくて、グラインは眼を閉じる。

「ごめんね……。心配させて……」

 エリジンをそっと抱きしめ返し、グラインは彼女に囁いていた。エリジンは顔をあげ、涙に濡れた眼に笑みを浮かべる。

「よかった。グラインだけでも無事で……。本当に、よかった……」

「私だけ、無事……?」

 エリジンの言葉を聞いて、グラインの脳裏に映像が過る。

 蘇った白き神と、その神に近づいていくアッシュを抱きしめたアン。自分の眼の前でアッシュは――

「お父さん……。いや、お父さん……」

 血にまみれた白き竜の牙が脳裏から離れない。グラインは震えながら、エリジンの腕にしがみつく。そんなグラインの背中をエリジンは優しく擦る。

「ごめんね、グライン……。本当に」

「泣いている場合ではないぞ。小娘たち」

 凛とした声が場を制す。グラインは驚いて面をあげていた。濡れ羽の髪を纏った女が夜色の眼で自分たちを見つめている。

 彼女は黒檀の扉枠に寄りかかり、自分たちに微笑みかけてみせた。

「ウィッシュさん……」

 エリジンがそっとグラインを抱き寄せ彼女を見つめる。不安げなエリジンのその様子を見て、グラインは彼女を抱きしめ返していた。

「うーん、たしかに自分が悪いとはいえ、腹を痛めて産んだ娘たちにここまで警戒されるとは……」

「娘たち?」

 ウィッシュの言葉にグラインは首を傾げる。

「そう、お前たちを産んだのは、この私だ」

 グラインの言葉に、ウィッシュは得意げな笑みを浮かべていた。

「つまり、あなたは……」

「うーん、私もお父さんから聴かされたときは驚いたけど、そういうことみたい……」

「そう、グライン。お前は、私の娘だよ。エリジンはお前の義父姉妹だ」

「え……。えええええ!! ど、どういう……」

「それを、今から説明してやる。ついてこい」

 母だと名乗るその人は、グラインに得意げに微笑んでみせる。グラインはエリジンを見つめる。エリジンは真摯な眼をグラインに送っていた。

「私もこの人とグラインとゆっくり話したいけれど、そんな暇はないの。グラインのお父さんのためにも、お父さんの話は聴いておいた方が良い」

「夜の王の話……」

「そう、この世界に関わる大切な話だって。グラインに話したいんだって。その、お父さんのことは色々許せないと思うけど……グライン、お願い。お父さんの話を聴いて」

「当り前よ、私を育ててくれたのは陛下よ」

 ぎゅっとエリジンの手を握り返し、グラインはエリジンに微笑みかける。エリジンはそんなグラインを抱きしめていた。

「よかった私、お父さんのせいでグラインに嫌われちゃうかと思った……。





 割れた硝子の支柱を見つめながら、夜の王はこの支柱に閉じ込められていた青年に思いを馳せる。常世の国で最強の吟遊詩人と謡われていた彼は、義理の娘を救うために祖国を裏切り、この根の国へと亡命してきた。

 兄弟弟子すら傷つけ、同胞すら殺し、それでも彼が助けようとした少女は、すでに息絶えていた。

 

 ――頼む! グラインを救ってくれ!! 


 玉座の前で、泣き叫びながらそう懇願した彼に、自分はとある取引を持ち掛けた。



 ――君の命と引き換えに、その子を生かそう。


 もとより彼女は、新たな世界を生み出す基盤として、自分の兄であるアンがウィッシュと交わり生み出した子だ。そのためにこの子は灰の王であるアッシュの花嫁として育てられるはずだった。

 彼と結ばれ、新たな世界を築くために。

 彼女の中には新たな世界樹の種が眠っている。その種は、彼女の命が危機に瀕したときに芽吹き、その力を発揮するのだ。

 同時にそれは、この世界がもう終わることを意味している。

 新たな世界樹の種である彼女は、灰の王と結ばれ新たな世界を築くのだ。

 



 グラインたち一行は、根の国の中央聖堂にいた。どうやって、この場所に戻ってきたのかグラインはまったく覚えていない。

 グラインがここまで誘ってくれたとエリジンは教えてくれたが、まったく見に覚えがなかった。

 久しぶりにやってきた謁見の間は、相変わらず憂鬱な暗さに閉ざされていた。黒曜石の支柱は威圧的な光を放って、回廊を歩くグラインに畏怖を覚えさせる。

 それは、この部屋の主にグラインが抱く感情そのものだった。

 回廊の最奥に置かれた玉座。そこに、夜の王が座っていた。

 彼の側には、髪をおろし漆黒のドレスに身を包んだエリジンと、ダルムがいる。

 その彼の前に、先ほど自分を呼びに来た人物がいた。

 濡れ羽色の法衣を纏った彼女は、夜の化身そのものだ。

 彼女に呼ばれたあと、グラインは夜の王に謁見するために正装を施され、この謁見の間へと通された。そんな自分に大切な話があると夜色のこの女性はいったのだ。

 自分とエリジンの母だと名乗ったその人物は名をウィッシュという。アッシュを拾い育てた、彼の義母にあたる人だ。

 そんな彼女が自分の母だという。にわかには信じられない話を聴かされ、グラインは混乱していた。

 死んだと思っていたアッシュとの再会。そして、彼との別離。

 その上、彼の義母にあたる人が自分とエリジンの母だというのだ。本当に意味がわからない。

 頭の中で様々な疑問を反芻させながら、グラインはそっと主である夜の王の前に跪く。夜の王は静かに玉座から立ちあがり、そんなグラインの前にしゃがみ込んだ。

 そっと彼に抱き寄せられ、グラインは顔をあげる。

「あの……!」

「無事でよかった……」

 今にも泣きそうな王は、きつくグラインを抱きしめてくる。彼はグラインを放し、手を差し伸べてくる。その手をとり、グラインは彼と共に立ちあがった。

「兄が、私のアンが、あんなことを考えていたんて……」

 アッシュと共に白き神に屠られた吟遊詩人のことを思い出す。夜の王はしっかりとグラインの手を握りしめ、すまなそうにグラインの顔を見つめてくる。

 そんな彼を見て、グラインは口を開いていた。

「私の母がウィッシュさまだと、ご本人から聞かされました。では、私の父は血の繋がった実の父は誰ですか?」

 グラインの言葉に、彼は夜色の眼を見開く。そっとグラインの手を放し、自分を育ててくれた男性は静かに眼を瞑った。

「私は一体、何なのですか?」

 そんな彼に、グラインは問う。彼はそっと眼を開けて、決意したようにグラインを見つめた。

「グライン。君は、この世界を支える新たなる世界樹なんだよ」

 




 








 

 

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