わけわからん

 オレが用を足しに部屋を出るたび、ユキと杉原のたのしそうな笑い声がきこえていた。


 はやく、帰ってくれないかなと思った。

 不思議だった。今まで杉原に対してそんなこと思わなかったのに。

 二人が仲良くしていると、妙にモヤモヤした。

 ぼんやりとした疎外感が胸に募っていた。

 読んでいる本の内容がちっとも頭に入ってこない。


 だから、オレはミュージアムを出た。

 そして屋根の下でひとり、夜を湿らす雨の音をきいていた。


「なにしてんだよ、こんなとこで」


 後ろのドアが開いて、杉原が顔を出す。


「休憩」

「なんの?」

「読書の」

「コウ、貸した小説とマンガ、散々バルコニーから投げてくれたんだってな」

「あー」

「もう貸してやんねー」

「わるい」

「うん。じゃあ許す」


 カラカラと笑いながら杉原はバイクのヘルメットをオレに被せてくる。


「いこうぜ、温泉」

「ユキは?」

「いかないって」

「ふーん」


 膨らんだトートバッグを担いで駐車場のほうに歩いていく杉原。


「どーする?」

「……いく」


 オレは玄関先にある傘を一本とって、杉原の原付に跨った。


「そういえば昼間二人乗りとか言ってたけど、一応これ、一人用だからな」

「今更だろ」

「たしかに」


 バイクのエンジンがかかる。


「なあ、コウ。おまえ渡来さんのこと、どれくらい知ってるんだ?」

「たぶん杉原よりは知らないよ」

「渡来さん、ちょうどおまえが引きこもったくらいに転校してきてさ」

「引きこもりじゃない。立てこもり」

「どっちも一緒だろ」


 スタンドを蹴り上げ、降りしきる雨の中、杉原は麓に向かってバイクを走らせていく。


「野菜畑みたいだった学校にはじめて人間の女の子がきたって、男子の間ではかなり噂になったんだぜ」

「女子は女子で動物園に人間の女の子がきちまったとか言ってそうだな」

「ああ、言ってた。守らなきゃとか」

「あのイタい感じな」

「そうそう。だから学校での渡来さんはなんていうか、浮いてたんだよな」

「宙に?」

「宙に。渡来さんに告白しようとする男子と、それを防ごうとする女子みたいな」

「なんだそれ」

「そういう現象にされて、祀り上げられてたっていうか」

「真ん中にいるようで、外側にいる感覚」

「それそれ。きっとそれが、渡来さんもイヤだったんだろうな」

「どうして?」

「転校してきて一か月くらい経ってからかな。自分から打ち明けたんだ。マーメイドシックに侵されてることを」

「……」

「クスリ、飲んでこなかったんだ」

「クスリ?」

「そう。病気による色の浸食や水泡の発生を防ぐクスリ」


 そんなものがあるなんて初耳だった。

 少なくとも、ミュージアムにきてからユキがそれを飲んでいるところを見たことはない。


「それから。みんな渡来さんに一層やさしくなってさ。完全にお姫さま扱い」

「いいことじゃないか」

「本当にそう思うか?」

「全然」


 人魚姫――陰でそう皮肉るやつもいたらしい。

 ユキが友達について語るとき、目を瞑って笑っていたのをオレは思い出していた。


「たぶん、どう接したらいいのかわからなかったんだと思う。心配してほしいのか、放っておいてほしいのか、渡来さんがなにも言わないから」


「ふつうにしといてほしかったんじゃねーの?」


 オレは傘を銃に見立てて雑木林を撃ちながら言った。


「……コウ、ときどきあたりまえのこと言うよな」

「なんだよ、違うっていうのか?」

「いや。そのとおりすぎて、すげーよなって話。さすが杉原太一の友達だ」

「わけわからん」

「そういうあたりまえのことに、全員気づけなかったんだ。いつの間にか渡来さんは目を瞑って笑うことが多くなってた。それがどういう意味か、コウならもう気づいてるんじゃねーの?」

「ウソで本心を隠そうとするとき、あいつ、目を瞑って笑うよな」

「そういうこと。学校は、彼女が普通でいられる場所じゃなくなってたんだ」

「まあ、あそこで普通にしていられるやつなんているのかって話だけどな」

「だから驚いた。あのミュージアムで普通にしてる渡来さんを見たときは」

「普通じゃないだろ。家出してきてるんだから」

「そりゃそうなんだけど、でも、おまえのこと話すときの渡来さんは、ずいぶんと自然な笑みをこぼしてたよ」

「なにが言いたいんだよ?」

「今度ホールで一緒に踊ろうぜって話」

「絶対いやだ」


 ライトが右へ左へ揺れて、曲がりくねった一本道の坂をバイクが下っていく。

 やがてオレたちは山道を抜け、麓の温泉に到着した。


「この距離を登れるんだから、痛いわけないよな」

「なんの話さ?」

「なんでもない話」


 オレたちはホテルの温泉に浸かる。

 サイフを持ってきていないオレのぶんも杉原が支払いを済ませてくれた。

 そのぶん、オレは湯に浸かりながらオススメの小説やマンガの話をする。

 杉原がそれを買って、読み終わったら貸してくれる。オレたちはそういう関係になっていた。


「なあ、コウ。おまえ昨日はじめて渡来さんと会ったんだよな?」

「ああ、そうだよ」


 杉原は金泉で有名な露天風呂に、オレは隣のジェットバスに浸かりながら、山のほうに見えるミュージアムをぼーっと眺めていた。


「たった一日でよくあんなにうちとけられたよな」

「べつにうちとけてなんかないよ。互いに互いの領域にあまり踏み込まないようにして凌いでるだけだ」

「なにを?」

「雨を」


 この雨が上がったらユキはミュージアムを出ていく。

 オレは残り続ける。

 オレとユキの話はそこで終わりだ。


「凌いで、それからどーするんだろうな?」

「とりあえず山頂にいくんだろ。それからのことは知らないよ」

「コウはどうするんだ?」

「オレ?」

「このままだと本当に留年だぞ?」

「まあそうだろうな。でも、べつにいいんじゃないか。一年くらい留年しても」

「親は?」

「了承済み」

「コウはさ、なんで学校にこないんだ?」

「今日はやけにきいてくるな。ゆるいオレがよかったんじゃないのか?」

「……渡来さんと話してると、ちょっとな」

「ユキがなんだっていうんだ?」


 杉原はなにも答えようとしなかった。

 というより、なにか言おうとしたのをぐっと飲み込んだ感じだった。


「オレが学校にいかないのは単純なことだよ。いく意味とか、理由みたいなもんが、ふと、わからなくなったんだ。もしいつかそれを思い出したり思いついたりしたらまたいくさ。そのときは杉原“せんぱい”かもしれないけど」

「ちゃんとそう呼べよ」

「いやだね」


 杉原が湯から上がったので、オレもその後に続いた。本当はもう少し浸かっていたかったけれど、ちゃんとミュージアムまで送っていってもらわないと困るのでしかたない。


 オレが濡れた服をドライヤーで乾かしていると、杉原が水を汲んだ紙コップを差し出してきた。


「コウと渡来さんのこと、だいたいわかったよ」

「おまえ、今日はそればっかだよな。もしかしてユキのこと好きなのか?」

「ああ」


 オレはドライヤーを止めて杉原のほうを見る。

 杉原にしてはめずらしく真面目な顔をしていた。


「真ん中にいるようで、外側にいる感覚。たぶん病気のことをうちあけても、彼女にとってそれは変わらなかったんだと思う。だけど俺なら、俺の真ん中に渡来さんを置くことができる」

「……おまえ、今何人に告白の返答待ってもらってるんだ?」

「三・五人」

「ムリだろ」

「全部断るよ」

「……」

「コウのおかげで、この気持ちをどうすればいいかわかった。ちゃんと大事にすればいいんだ」

「どうして、ユキなんだ?」

「一目惚れ」

「なんだよそれ」

「しょうがないだろ。動物園の野菜畑に現れた、たったひとりの女の子なんだから」

「マーメイドシック」

「関係ない」


 そう言い切ってしまえる杉原のことがオレは羨ましかった。

 同時に、胸の奥がざわついた。

 込み上げてくるのは、凪の時間を過ごしていたオレにとって久しい感情だった。

 オレは杉原に、嫉妬していた。


「……そうか」


 だけど、オレと杉原の間にある人間的な差はオレがいちばんよくわかっていた。

 モテるとか、勉強ができるとか、そういうことじゃない。

 廃館となったミュージアムに立てこもっているオレと違って杉原は、日々前に進んでいる。

 ちゃんと生きている人間に、ちゃんと生きていない人間が嫉妬すること自体、まちがってるんだ。


「どう思う?」

「いいんじゃないか」

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