彼女が生きられる世界 8

 翌朝、宿で過ごしているとユイが訪ねてきた。

「なんだ、またユイか」

「あら、あたしじゃ不満かしら?」

 扉の前、ユイはウェーブの掛かった髪を指で払い、挑戦的な微笑みを浮かべる。


「いいや。ただ、迎えに来るのはアリスがほとんどだったから珍しいな、と」

「つまり、アリスじゃないから不満ってことよね?」

「いや、そうは言ってないが……で、なんの用なんだ?」

 からかわれてることを察して、俺は溜息交じりに問い掛けた。


「あなたとティーネに、アリスからの伝言を預かっているわ」

「……アリスからの伝言?」

 いぶかしむ様に問い返す。なんでアリス本人が来ないんだ? という心の声は正しく伝わったようで、ユイの口からアリスは少し忙しいという答えが帰ってきた。


「なにか問題があったわけじゃないんだな?」

「ええ、忙しいだけよ」

「だったら良いけど……用件は?」

「それはティーネと纏めて伝えるわ。だから早く着替えなさい」

「……早くって言うなら、外で待っててくれよ。着替えにくいから」

 ぼそりと愚痴ると、ユイは仕方ないわねと笑って出て行った。

 なんか、最近毎日ティーネの家に行ってるな。もういっそ、本当に家賃を払ってティーネの家に住んだ方が良い気がしてきた。

 なんて考えながら準備をして宿を出ると、ユイが見知らぬ男に話しかけられていた。先日アリスが殺された光景が脳裏をよぎり、俺は急いでユイのもとへと駆け寄る。


「ユイ、どうかしたのか?」

 さり気なくユイを男から庇うように身体を割り込ませ、男へと視線を向ける。ユイに話しかけていたのは金髪碧眼の身なりの良い男だった。


「あぁ、アル。ちょうど良かった」

「……ちょうど良かった?」

 絡まれて困ってた――というニュアンスじゃないことに首を傾げる。ユイは男へと視線を向けて、「彼がアルベルトですよ」と言った。

「そうか……人違いだったようだ。教えてくれて助かった」

 男はそう言うと、心なし肩を落として立ち去っていった。


「……えっと、なんの話だったんだ?」

「あら、気になるの?」

 からかうような口調で問い掛けてくる。


「アリスの時みたいに絡まれてるのかと思ったんだよ」

「ふふ、心配してくれたのね。でも大丈夫よ。あなたのことを話してただけだから」

「……俺のこと?」

「正確には、ロンドっていう強い冒険者を探してるって聞いたの。それで、ロンドって冒険者は知らないけど、アルベルトって名前の強い冒険者なら知ってるって教えたの」

「……ほむ。それで?」

「ロンドが偽名を使ってるのかも知れないから、どんな奴か教えて欲しいって言われたの。それで説明するより先にあなたが来たってわけ」

「なるほど……それで人違いだった、ってことか」

 少し考えてみるが、ロンドという名前に聞き覚えはない。

 残念ながら、俺の過去を知る人間ではないらしい。完全に人違いだな。


「しかし、軽々しく人の話をするのはどうなんだ……?」

「あら、あたしだって多少は考えてるわよ?」

「……どの辺がだ?」

「だって、あのおじさんは別に、ロンドって人に恨みがありそうな様子じゃなかったし、なにより、アルは後ろめたいことなんてしてないでしょ?」

「まあ……な」

「だから、大丈夫だと思ったのよ。それとも、今後は隠しましょうか?」

 副音声で、後ろめたいことがあるの? と聞かれた気がする。

 まあ……記憶がない以外に、特に後ろめたいことはないな。むしろ、記憶がない俺のことを知ってるやつがいるのなら会ってみたい。


「分かった、もし同様のケースがあっても隠さなくて良い」

「だと思ったわ」

 アメジストの瞳を細めてクスクスと笑う。

 なんかお見通しって顔をされてて悔しいけど、間違ってないので仕方ない。それじゃティーネの家に向かうぞと言い放って、俺はさっさと歩き出した。



「……今日も来たんですか?」

 ティーネの家の前。玄関から顔を出したティーネは、心なしか疲れているように見える。目の下にクマがあるので、気のせいでもなんでもない。

 気力は戻ってきてる気がしたけど……あまり眠れないのかもな。


「今日は、ユイがアリスのからの伝言を持ってきたらしい。家に上げてくれるか?」

「えっと……はい。話を聞くくらいなら」

 ちょっと警戒されてるような気がしたけど、ティーネは快く部屋に上げてくれた。そして、まずはあらたに出来たポーションの買い取りをする。

 それから、ユイの話を聞くために、俺とティーネが並んでユイの向かいに座った。


「それで、アリスからの伝言っていうのはなんなんだ?」

「まずは……ティーネに聞きたいことがあるんだけど良いかしら?」

「……良いですけど、なにを聞きたいんですか?」

 ちょっと警戒するティーネに、ユイはいくつかの質問をした。

 具体的には、ティーネがどうして結婚を受け入れようとしているのか、会長のことを好きなのか、お金持ちと結婚したいだけなのかとか、そういう質問をした。


「……そう言うわけじゃ、ないです。でも、私がアルケミストを目指したのは、お母さんを救いたかったからだし、もういいかな……って」

 希望を失っている……というか、ミレーヌさんを失って投げやりになっているように見える。生きるために結婚を選ぶのなら反対するつもりはなかったけど、これは違う気がする。


「ティーネは、ミレーヌさんを救うためだけに、ポーションの開発をしてたのか? 色々研究してるとき、楽しそうにしてるって思ったんだが」

 俺の問い掛けに、ティーネは唇を噛んだ。


「私、アルベルトさんに忠告されてたのに、現実を見ないでポーションを開発しようとして、そのせいでお母さんの最期に側にいてあげられなかった。だから……っ」

 ティーネの声が上擦っていく。やっぱり……後悔してるんだな。


「ティーネの気持ちは分かったわ。それじゃ……これを受け取って」

 泣きそうになっているティーネの前に、ユイが一枚のチケットが差し出した。続いて、俺の前にもチケットを差し出してくる。


「これは……なんだ?」

 なにやら色の入った長方形の紙で、深窓の歌姫ライブチケットと書かれている。


「アリスがティーネの気持ちを変えるために用意したチケットよ。あたし達の世界のネットの歌姫が、この世界でライブを開催するの」

「ライブ……ですか?」

「ええ、運営の主催によるイベントなの。お祭りの初日だから、返事の期限には間に合うでしょ? このライブをティーネに見せたいのよ」

「……これを見れば、私の気持ちが変わるって思ってるんですか?」

 思惑が分からないからだろう。ティーネが目をすがめてユイを見る。


「アリスは気持ちを変えられると思ってるわ。そしてあたしは変わって欲しいと思ってる。これで無理なら、説得は諦めるから、一日だけ付き合ってくれないかしら?」

「……見るだけで良いのなら」

 乗り気というわけではないけれど、ひとまずティーネは頷いてくれた。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る