殺せぬ男

■■■■


「――貂蝉はわしとお前を引き離すために仕向けられた刺客だと?」

 憲英が部屋から出て行った後、董卓と呂布、そして甘梅は部屋を移動した。装飾もされていない一室である。そこは空き部屋で元々農具などを保管していた場所だ。農耕も今は部下にやらせているため、器具は必要なくなった。その部屋の中央にある椅子に董卓は腰掛け、呂布、甘梅そして甘家当主である甘梅の祖父・奉考が立って話を聞いていた。甘梅は何処からともなくやって来た黒猫を抱き上げ、その話を耳にする。

「は、そのようです。甘梅殿がそれを耳にしております。私自身も貂蝉からそれを聞いているため、物的証拠はありません。しかし、義父上がこれを聞き入れてくださるのならば――」

「よい、話せ」

 董卓は呂布に話を促す。聞く価値はあると判断したみたいだ。彼は董卓に感謝し、口を開き全て話し出した。

「……劉備の目的は母親を守る事。村も救い、母親も救う。それを目的として盗みを働いております。ですが、先日、義父上が劉備に村を売ったと聞きました」

 その金は劉備が現在集めている金と少しの金で払えるものだと。しかし、それを払えば母を救う金は無くなる。母の病は進行し今より重くなってしまう。劉備は今以上に盗みを働くしかない――そんな時思いついたのが「離間の計」だったのでしょう――と呂布は厚い唇から全てを語っていく。

「貂蝉を誑かし私と義父上に離間計をかけるのが目的。洛陽で私の部下が王允殿と接触する劉備を見ています。それに、劉備の下に身を寄せる二人の巨漢も」

「……ほう、なるほど。わしの失脚か殺害を見ておるか。それが本当ならばわしは劉備に制裁を加えるべきじゃな」

「左様」

 あの小童め、誰のお陰でその命があると思うておる。董卓は憎々しげにまんまると肉がついた顔を歪ませる。

「呂布よ、劉備を殺せ。あやつは――」

「仲穎様、失礼ながら一つ提案があります」

 甘梅は挙手し、董卓の言葉を遮っては言葉を示す。いつもなら言葉を遮ると不快感を表わす董卓だが、今回は事情が事情のため董卓も寛容だった。話を促され甘梅は言葉を音に乗せ、自らの提案を二人に伝える。

「劉備は前漢の景帝の子・中山靖王劉勝の末裔です。つまりは皇族であり、殺す事は帝への反逆も同然。たとえ今は農民に落ちているとはいえ皇族は皇族、殺せば仲穎様は批判を浴びる事になるでしょう」

 劉勝と言えば子供が多かった事で有名だ。そのため、子孫となると更に多数居て劉備だけではないのだが、皇族という血筋は何よりも尊重されなければならない。そもそも劉備には人を惹きつける魅力がある。誰もが彼に着いていく。殺せばどうなるか目に見えている事だ。

「それに今劉備は仲穎様を失脚させようとしています。盗みもしていない。劉備はいずれ離れていくでしょう。ならば離れさせないようにするべきかと」

「考えがあるのじゃな?」

「はい。劉備の母でございます。彼女を使い、金を集めさせるようにすればいいでしょう」

 胸の中の黒猫が僅かに威嚇した。甘梅の指を噛みその腕の中から下りて董卓へ威嚇する。嫌な気配を感じ取ったのだろう。甘梅は黒猫を再び抱き上げ、その手の中に抱いた。落ち着かせるように背を撫でて。祖父は唇を震わせるも何も言わない。

「なるほど、劉備の母を使えば……金を再び集められるか。呂布よ、すぐに手配し劉備の母を捕らえるのじゃ。危害を加えてはならんぞ。他人の親でも尊重するべき親だからな」

「承知致しました、義父上」

「甘梅は劉備達の動向を探るのじゃ。貂蝉は泳がせておいてもよかろう」

 呂布は貂蝉の事を言わなかった。王允の事も。貂蝉は唆されている訳ではない、董卓を殺したくて劉備達に協力しているのだ。それを呂布は言わなかった。何か考えがある――いや、彼は貂蝉を守りたくて言わなかったのだ。ならば、己のするべき道は。

 甘梅と呂布は一礼し部屋から出て行く。祖父は董卓と話があるようで部屋に残った。廊下を歩きながらひと思いに耽っていると呂布が口を開く。

「甘梅殿、すまん。あの場でお前が言ってくれなければ私は劉備を殺す事になっていた。そして恐らく……」

「いえ、わたしも甘家のためよ。決してあなたのためではないわ、勘違いしないで。甘家のために董卓に従っているに過ぎない。だから感謝など不要よ」

 あのまま甘梅が止めなければ呂布は劉備に殺されていた。そして劉備もただでは済まない。もし、呂布が勝ったとしても大規模な反乱を招いてしまった事だろう。そして、洛陽ではそれをきっかけに反董卓を掲げる諸将が董卓を攻める。そうなれば待ち構えているのは破滅でしかない。

「――お前と俺は似ているな。真実を隠し董卓に従う。俺もあの豚に従うつもりはない。いつか……あの椅子から引きずり下ろしてやる。その時は甘家に官位を与えてやる。だから俺に協力しろ、甘梅殿」

 あなたが董卓に勝てたらね。それだけを言い残し甘梅は去って行く。さて、憲英はどうしているだろうか。嵌められたと怒っているだろうか、それとも嘆いているだろうか。甘梅の手の中から黒猫がこぼれ落ち、猫は何処かへ駆けて行った。

「そう、わたしは甘家のため、おじいさまのため」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る