それは仁か、それとも

 劉備の言葉は遮られた。呂布という暴虐が劉備の懐に入ったからだ。しかし、劉備への攻撃は関羽という刃によって遮られる。関羽は劉備の前へ出れば瞬時に呂布の腕を掴み、その後ろから張飛が呂布の顔面へ拳を振るう。呂布は急な攻撃に対応出来なかったのか吹っ飛ばされるも、地面に着地し滑っては減速する。殴られても痛み一つ顔に見せない呂布。それは彼の強さを示していた。

「は、私が――俺が義父上と同じ? 俺が貂蝉を道具と思っているだと? ふざけた事を抜かしやがる。劉備、貴様には制裁が必要なようだ」

 呂布はゆっくりと立ち上がる。劉備は身構えるもすぐに関羽と張飛が劉備の前へ。劉備の刃と盾になるつもりらしい。

「俺は貂蝉を大事な存在だと思っている。だからこそ俺は義父上の元へやって来た。ガキ風情が貂蝉を語るなよ、劉備」

「確かに俺は子供だ。酸いも甘いも噛み分ける事の出来ない子供でしかない。が、だからこそわかるものもある。――お前みたいな獣を蹴落とす策とかな」

 呂布は怒りを見せるかのように眉間へ皺を刻みつける。だが劉備とて怯まない。劉備は数歩後ろに控えている法正に視線を合わせ頷いた。

「呂奉先、お前が貂蝉に興味を持ったのは貂蝉という女の奇特性からだ。貂蝉は身分の低い女。本来なら董卓の傍に居る事など許されない女だ。しかし、董卓は貂蝉の美貌から、王允の養女となっていた貂蝉を自らの妾とした」

 貂蝉の本当の両親は山賊である。山賊の下っ端の父と山賊に攫われた匈奴(異民族)の女――そんな二人から貂蝉は生まれたそうだ。本来の名前など知らず、市で名無しとして売られていた。そんな貂蝉を王允が引き取った。そして董卓誅殺を目論む王允は貂蝉を使う事を考える。だが不美人の貂蝉を使う事など出来ない――ならばと名医の華佗が美人の首とすげ替え、それでも度胸のない王允に、次は刺客の肝と取り替えたらしい。この話を王允から聞いた関羽と張飛から、洛陽から楼桑村へ戻る最中に聞いた。

「王允に紹介されて貂蝉と密会するようになったお前は、董卓にバレる事を恐れた。だが、王允のお陰で事無きを得ている。――しかし、董卓の愛妾にそう会える時など殆どない。だからこそ貴様は考えた、貂蝉と会う方法を」

 劉備は呂布へ指差し瞳に覚悟を募らせる。その覚悟は呂布の心を貫いた。

「董卓の腹心になる事。それが貂蝉に唯一堂々と会える方法だ。董卓の養子である貴様にとって貂蝉は義母も同然。ならば息子と母が会う事に何らおかしくはない」

 貂蝉は董卓の妻だ。この国は一妻多夫制であるため、皇帝以外男が多数の妻を持つ事は許されない。故に董卓であろうとも多妻する事は許されないのである。しかし、董卓はそれを行っている。二人目以降をただの「愛人」とする事でその法律をくぐり抜けているのである。ただの身体関係なら文句は言われまい。

「そして呂布、貴様は董卓の目をかいくぐり貂蝉と会う方法を得た。しかし、貴様は怯えている。恐れている。董卓にバレるのではないかと。だから、貂蝉を曹孟徳の元へ逃がそうとしたのだろう」

 それは呂布が貂蝉にしか話していない事だろう。だが貂蝉と繋がっている劉備の元には情報が多数入る。何らおかしくはなかった。

「俺が臆病だと?」

「そうでなければお前は今頃貂蝉を救い出している。自分の処罰すら恐れずにな。だけど違う、お前は自分が可愛いんだよ。貂蝉よりも自分が大事だ。処罰を恐れてお前は動けない。臆病で自分の事しか考えない。お前に待ち受けている未来は破滅だ」

 呂布は何も言わずただ劉備を睨み付けていた。怒らない訳じゃない、こちらの様子を窺っているのだ。関羽と張飛が居る以上、呂布は意味がないと考えているのだろう。劉備は再び策を展開する。呂布を蹴落とす策を。

「だが俺は悪党じゃねえ。貂蝉を救ってやってもいい。俺の孝直がそのための策を考え、貂蝉をお前に渡してやる。もちろん、お前は官位を失わずして、だ。その責任は俺達が担ってやる。何せ俺には失うものなど何もないからな」

 劉備は堂々とそう言い切った。官位も何も持たない劉備は失うものはない。大切なものも少ない。劉備にとって母親さえ無事ならばそれで構わないのだ。だがそんな劉備の言葉を呂布は一蹴する。想定内の事である。

「貴様が、貂蝉を救うだと? 笑わせる。出来るものか。義父上から貂蝉を奪うなど、滑稽にもほどがある。劉備、貴様は一体何が――」

「出来る。だがそれにはお前の協力が必要だ。お前が望むのなら、俺は力を貸してやってもいい。要はお前次第という訳だ」

 言い切った劉備に呂布は口を閉ざした。劉備が何を考えているのかわからないからだろう。だが劉備とて無策でこんな発言をしている訳ではない。呂布と董卓を引き離すためではあるが、呂布をこちら側へ引き込めれば上々だと思っている。彼が味方してくれるのならこんなに頼もしい事はない。だが先ほどから黙っていた法正はそれを遮るかのように劉備へ耳打ちした。

「劉備殿、呂布を手なづけるのは不可能でしょう。危険な橋を渡るよりは確実に保証のある事だけを行えばいいかと」

「だが呂布の力は使える。使えれば、村を守れる」

「不可能です。呂布はあなたの力になりはしない。諦めた方がよろしいかと。第一、呂布なんか居なくとも俺や関羽殿、張飛殿がいるでしょう」

 名を呼ばれ不満げな表情を漂わせた二人だったが、劉備が何も言わないので黙って呂布を睨み続けていた。それに二人からしたら頼られている事は気分がいい。張飛は視線だけを劉備へ向け口を開く。

「そうだぜ、兄者! 俺と雲長の兄貴がいんだ。百人力、千人力だぜ!」

「兄上は我らが守ります。呂布を引き入れては何かあっては困ります」

 確かに、関羽の言う通りだ。劉備は仕方なく法正の諫言を聞き入れた。法正はその代わりに一つの策を提示する。それは「董卓への疑心を植え付ける」というものだ。それなら、すんなりと今後が動くだろう。連環の計がバレても問題はない。

「ふん、何があろうと私はお前達に与しない」

「呂奉先、お前は随分自分に誇りを持っているようだな」

 法正は腕を組み、全てを見透かすような瞳で呂布を射抜いた。

「そんなお前はかつての主君を殺し、董卓に与した。董卓の方がおこぼれに預かれると思ったからだ。この乱れた世で裏切りを責めるつもりはない」

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