仁とは違う

 しかし現時点では董卓と呂布は繋がっている。呂布は董卓を養父として慕っており、董卓もまた呂布を息子として、腹心として寵愛している。二人の連携を切るのは難しい。バレてしまえば劉備もただでは済まない。

「しかし、呂布には弱点があります」

 劉備は関羽達と顔を見合わせてから首を傾げた。

「呂布は我が愛娘・貂蝉と密会しているのです。そして董卓は貂蝉を愛妾として閨で房事をさせている。……董卓に事がバレれば呂布もただでは済まないでしょう。だから呂布も、公で貂蝉と会う事は出来ない、董卓の報復を怯えているのです」

 貂蝉は二人の男を手玉に取っている。ならば貂蝉を使って、法正の言う通り連環の計が上手くいけば――村を守れる。そして呂布にはその事使って脅せば上手くいくはずだ。呂布は勇猛に見えて臆病で慎重。でなければ董卓からの制裁を怯えたりしない。

「ふむ、ならばやる事は決まりましたな、兄上」

 立派な髭を手で梳かすように触れながら関羽は劉備を瞳に映した。

「……呂布に董卓の怒りを買わせる。怒らせる。つまり、貂蝉との関係を董卓へ密告する。呂布が関係を迫ったと董卓に密告すれば、董卓は呂布を恨むはずだ。そこで貂蝉も“呂布に迫られた”と言えば、呂布を董卓から引き離せる」

 貂蝉の危険度は上がるだろう。だがその点は心配していない。法正が居るし、董卓も愛妾を傷付ける真似はしない。呂布は今のところどうでもいい。

「で、呂布の方にも貂蝉が董卓に迫られたと言う訳か、兄者」

「そういう事だ。呂布の方に働きかけても無駄なら、呂布から陥れてしまえばいいんだよ。わざわざ呂布を傷付ける事を回避する必要ねえ」

 そうだ、初めからそれを実行すれば良かったんだ。劉備は口角を釣り上げて弧を描き悪党のように嗤う。今更、大徳やら仁君ぶったりする必要はない。劉備はただ母と村を守りたいだけ。敵の事なんて知る者か。もちろん、既に法正が実行している可能性は捨てていない。

「俺はただ母上と村を守りたい。呂布がどうなろうと知った事ではないな」

 流石、兄上。それでこそ我らが尊敬する兄上ですな。兄者、最強だぜ。そうこなくちゃな。

 関羽と張飛から褒められるが、我が儘を発している訳ではない。悪党に組みするなら、悪党を救う必要もないという事だ。劉備とて褒められた行いをしている訳ではないし、むしろ悪党そのものだ。母親のためだけに盗みをやって来た。だからこそ一番よくわかる。悪党に救う価値などないという事に。

 悪に染まればそれはいずれ大きな報いとして返ってくる。

劉備は覚悟している、いつか大きなもの失うという事を。

「では玄徳殿、あなた達は楼桑村へ戻ってくだされ。私は洛陽で戦の準備を整えましょう。……黄巾の乱が収まっていない今、世を乱すのも心が痛みますが致し方ない事」

 涿郡では黄巾党の農民はまだ現れていない。他の官吏達も帝の命令で黄巾党の討伐に出ている。だから董卓が自由に動けているのだ。黄巾党の蜂起がなければきっと董卓が専横を極める事もなかった。いや、漢王室が荒れなければ董卓が台頭する事もなかった。

「司徒殿、戦とはどういう……」

「あなた達が楼桑村で董卓を倒す間、私は手を回し他の官吏と洛陽を奪取致します。何、あなた方が終わる頃には私達も追えています。こちらへ関与する事はありません」

 民のあなた方が頑張ってくれているのだ。私のような官吏が見て見ぬふりなど出来まい。王允はそう告げ皺が刻まれた顔に優しげな笑みを漂わせた。

 それは彼なりの優しさだ。劉備達のような民を戦に関わらせない、不幸な事には巻き込まないという彼なりの。だから劉備達は今決めた事をするしかないのだ。きっと彼はこの戦に劉備達を絶対に関わらせようとしないだろう。なら、劉備もその意を汲むべきである。

「わかった。頼みます、司徒殿」

 劉備はそれ以上何も言わなかった。色々言いたい事もあるし普段ならその戦を止めている。王允の優しさを無下にする訳にはいかぬ。劉備はそのまま去る事にした。席から立ち、王允から手を差し出されその手を握り締め、劉備は関羽と張飛を連れて酒場を出る。次会う時は董卓を倒した後――。

 しかし、もう会う事はないのだろう。

 露と消えても構わない――そんな表情が見て取れたからだ。


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