序章 世界は夢を見ていた

何千何万何億回目のわたし

 辺り一面、真っ白だった。雪解けの銀世界のように、何も映さない虚無のように、清廉潔白の魂のように、純粋な神のように何もなかった。漂う海のように、身体はたゆたう。微睡みの中で声が聞こえる。男は役目を終え、全て失い、世界の理に従うはずだった。

 だが、男は選ばれた。何故そう思ったのかわからない。だが男は選ばれたのだと気付いた。何故此処に居るのかとか、愛するあの人は、世界は、どうなったのだろうかとか、そんな事ばかりが気に掛かる。

 ふと、男の目の前に人型の何かが居る事に気がついた。それは人の形をしているが、真っ白の風景に同化し、靄が掛かってよく見えなかった。だが背丈は男と同じくらいだ。振り返れば巨大な扉。荘厳――ではなく、扉には多数の装飾がなされていた。

 それが酷く恐ろしいものに感じられた。いや、恐ろしかった。逃げなくてはならないと、逃げるしかないと男は思った。だが足が動かない。

 そして、扉がゆっくりと開く。

「――見つけたぞ、世界(うつわ)」

 扉の中から現れたのは、無数の蔦。それは男の身体を締め付ける。抵抗なんて出来ない、ただ引っ張られ、扉の中へ引きずられていく。手を伸ばし助けを請うても誰も助けてくれない。この場所には男だけが異質だった。扉に身体が半分引き込まれた時、男は見た。

 人型の靄が晴れ、そこにあったのは敬愛する彼の顔。その顔は暗く、瞳からは美しい水が滴り頬を濡らす。

 そして男は全て悟った。あの方が、助けを求めているのだと。それならば男が否定する理由もない。ただ、あの方のため、この身体をまた酷使するだけだ。


 そうして男――は夢を見る。

 誰もが、愛する彼が傷つかない、醒めることのない夢を。



 世界は夢を見ていた。









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