第8話

 二台の車で行くのも不経済と、河西さんの車に同乗して、隣の市にある松田さんの自宅に向かった。

 記憶では松田さん宅の周りは田畑ばかりであったはずだが、大小様々な住宅やらコンビニやらが建ち並んで、すっかり様変わりしていた。

 コンビニ横の、これだけは記憶のままの庚申様の角を曲がると、いきなりタイムスリップでもしたかのように、住宅地の裏手に懐かしい田園風景が広がっていた。

 その畑のひとつで、白いランニングシャツがゆれている。

 来る道すがら桜はちらほら咲いていたけれど、さすがにランニングシャツ一枚ではまだ肌寒いのではないかと思った。けれども、この畑で松田さんを見るときは、夏の盛りを除けば、いつもそのスタイルだったことを思い出し、これもユニフォームの一種かとひとり笑いが浮かんだ。

 車を停め、河西さんが声をかけると、松田さんはすぐに気がついて、満面の笑みで手を振り返してきた。

 それから、自宅の方を指で指す。

 どうやら先に自宅に行っておいて欲しいということのようであった。

 私たちは一礼すると、再び車に乗り込んだ。


「これが候補者リストです」

 松田さんの自宅の応接室に通されていた。

 テーブルの上には、たった今収穫されたばかりの早摘みのいちごが、淡い紫色のクリスタルの容器にのっている。

 松田さんは相変わらずのランニングシャツ姿だ。

 タオルを使って体に噴出した汗を盛んにぬぐっている。

 松田さんも、私と会うのは十二年ぶりだというのに、時の隔たりを少しも感じさせぬ応対である。

 リストには、十四人の名前と住所、連絡先などが記載されてあった。どれも昔からの同人や会員で、十二年間も幽霊会員であった私にも、すべての人の顔が浮かんだ。

「事務局のほうで、ある程度の人選は行いました。さすがにすべての同人や会員を選考対象者とはできませんのでね」

「締め切りは、最初にお話しをいただいてから今日で五日目ですから、残りとなると、四十日後でしたわね」

「ええ、そうです。それぞれの方の現在の活動状況などを実際見てもらいたいので、ガソリン代などの必要経費として五千円をお渡ししておきます。申し訳ありませんがおふたりの活動への謝礼はありません。ご了承ください」

 真っ黒に日焼けした松田さんは、いちごをひとつ摘み上げると口に運んだ。

「謝礼なんてもちろんけっこうですわ。そんなことより、今回の選考は私たちのやり方でやってよかったのですよね」

 松田さんは口の中のいちごを、最後まで楽しむかのようにゆっくりと飲み込んでから、

「ええ、もちろんです。そのリストにある方の中から選考していただければ、それ以外の条件を新たに出すことはいたしません」

 話はどんどん進んでいく。

 それにしても私へ、この任を受けたことを確かめる言葉はここまで一切ない。そんなことは規定の事実だとでもいうのだろうか。もっとも改めて確かめてもらいたいと思うのは、何の役にもたたない私のプライドのせいだという気はする。

「ひとつ訊いていいですか」

 葛藤は結局声になった。

「もちろんです、和瀬さん。なんなりと」

 松田さんは私の方に顔を向けた。

「私が選考委員に選ばれたのは事務局の総意ですか」

 松田さんは三度うなずいてから、

「やはり、そこを確かめておきたいですか」と私の方にぐっと身を乗り出し、

「最終選考はある作家先生にお願いしてあります。作品を集めるのであれば、最初から選考してもよいとも言われたのですが、しかしそうなると普通の文学新人賞と変わらなくなります。我が同人誌の企画として行うからには、単純に作品の優劣だけでなく、その執筆に携わる姿勢も含めて予備審査はしたい、と。そこへ三輪先生が、それならば和瀬君がいるじゃないかと推薦されて」

「三輪先生が」

 意外であった。

 同人誌在籍時代、私の作品が掲載された号の合評会に出ると、その三輪先生から、

「この人の軽妙洒脱な文体にはいつも感心しますが、その文章の根底に流れている腐り切った精神には、これまたいつも吐き気をもよおします。ここまで饐えた臭いがする腐り切った精神もめずらしい」

 などと、散々なコメントを言われるのが常であったからだ。

 一昨年亡くなった佐久間先生と、その三輪先生が同人誌内での双璧で、それぞれのコメントは同人何十人分もの影響力を持っていた。

 ふたりともかつては大学教授である。

「失礼ながら、三輪先生から和瀬さんの名前が出ると、ただちに反対の意見もでました。そもそも退会している人物に、なぜこんな大役を、と。けれども賛同される方もいらっしゃった。福岡さんなんかは積極的に賛成されましたね」

「なるほど。ならば反対派の急先鋒は小倉さんあたりでしょうね」

 私の言葉に松田さんは愉快そうに声をあげて笑った。

「あの人も、よほど和瀬さんのことが嫌いなようだ」

 遠慮もなく、ぬけぬけと言い放つ。

「こちらはなんとも思っていないのですが」

「それそれ。そこがまた、しゃくにさわるのでしょう。三輪先生的に言えば、興味のないものは無視というやつですよ」

「迷惑な話です」

「いやいや、そうでもない。きちんと受け止めなきゃいけない事がらではないでしょうか。いずれにしても、最終的にはみなさん納得されて、和瀬さんにと決まりました。ですからよろしくお願いしますね」

 そこまで言うと、気持ち良さそうに、松田さんは再び声をあげて笑い始めた。そして手でいちごを食べろという風に指し示す。

 もはや私はうなずくしかなかった。

 いちごをひとつ摘むと口に放り込む。甘酸っぱさが口の中一杯に広がった。頭の芯に澱のように残っていた眠気が一気に吹き飛んだ。

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