鏡の国のバカ

絶賛相棒中

　中村ナオコは、会社員である。

　しかしながら、彼女は合コンで自らを紹介するとき、

「警備会社で事務員をやっています」と、良心の呵責をおぼえながら、うそをつく。

　株式会社ＨＲＡ日本支社特殊警備部第五課三班、中村ナオコ。

　それこそが、真実の肩書きである。

　彼女の仕事は、ただひとつ。世界を守ることだった。

「こういう言い方すると、かっこよくねえ？」

　特殊警備部二課一班の相浦ケビンは、人差し指をたてた。

　彼のまえには、食べかけの鶏のから揚げ定食が置かれている。

「マーベル作品の観すぎだよ、ケビン。わたしたち、パワードスーツもなければ、ムジョルニアも持ってないんだよ」

　ナオコがため息交じりに言った。彼女は日替わり定食のヒラメのムニエルをまずそうにつつきながら、

「あるものっていったら、精神分離機と〈芋虫〉なんて不名誉なあだなだけ……」と落ちこんだ。

　彼らは株式会社ＨＲＡ日本支社の食堂で、昼食を食べていた。

　日本支社は、渋谷と恵比寿のあいだに、ひっそりと建っている。外から見ると、白い長方形に見える建物すべてが、ＨＲＡのビルだった。

　食堂は、ほとんど常駐警備部と保全部の人間で埋まっていた。

　特殊警備部の人間は、彼ら二人だけだ。

　彼らは窓側の席についていた。

「〈芋虫〉はヒーローっぽくねえな」と笑った相浦ケビンは、身長一九〇センチ近い大男だった。愛嬌のある顔つきと裏腹に、黒いスーツが筋肉で膨れ上がっている。

　彼は、大口をあけて唐揚げを丸のみにした。

「それに、ヒーローは手首を縛られて、ビルの屋上で転げまわったりしない」

　ナオコは自虐的に言った。

「それはそうだな」

　ケビンは彼女の両手首をみて、気の毒そうにした。

「よくあんな野郎と、一年間も組んでいられるぜ。俺なら、発狂して自分で自分のケツを食う」

「『ムカデ人間』みたいだね」

　ナオコとケビンは、映画鑑賞という趣味を共有する仲間だった。

「ハイター博士みたいに、あいつをどっかのどうでもいい奴と繋げてやりたいぜ。そうすりゃ、一生顔を見なくてすむのによ」

　ケビンは、やれやれと両手をひろげた。

「あいつ」とは、ナオコの相棒である山田のことだった。

　彼女は、入社して今年で四年目になる。

　去年の春に常駐警備部から特殊警備部に異動になり、五課三班として働いているのだが、相棒の山田の傍若無人ぶりは、部署でも有名だった。

　そしてナオコは、彼の初めての相棒なのだ。

「いまになって身に染みるよね。そりゃあ、みんな山田さんの相棒を嫌がるよ」

　彼女は、乾いた笑いをうかべた。

「わたしが仕事できないのも、あるけどさ。でも、無理だよ」

　今朝の仕事を思いだして、ナオコは憂鬱になった。手首が縛られていたことを免罪符にしたいが、彼の強さは異常だった。

　歴代の相棒たちが音を上げたのも分かる。彼と組んでいると、自分の存在意義を見失うのだ。

「山田さんって本当に人間なのかなあ」

　ケビンが眉をひそめて「化物に決まってんだろ」と吐き捨てた。

「木のまたから産まれたんだよ。血が〈虚像〉みたいな灰色でも、俺は驚かないぜ」

　ナオコは、彼の言い草に苦笑した。

〈虚像〉とは、今朝、戦闘した怪物のことだ。

「まえに見たときは、赤い血だったよ。まあ、山田さん、滅多にケガしないけど」

　ケビンは、鼻を鳴らした。

「本社組だからって偉そうだしよ。こっちの人間なんぞどうでもいいのなら、さっさとアメリカに帰ればいいのにな」

　株式会社ＨＲＡは、ロサンゼルスの本社の他に、モスクワ、ロンドン、ストックホルム、シンガポール、キャンベラ、北京、ソウル、そして日本に支部をもつ。

　日本支部は七年前に出来たばかりで、現在は百五十人ほどの社員で成立する。

　山田は、その創設のために本社から派遣された立場であり、他の社員よりも地位が高い。

「さすがに、もう本社には帰らないんじゃないかなあ。たしかに、ちょっとくらい里帰りしてくれてもいいんじゃないかなあ、とは思うけど」

「ほう、里帰り」

　ケビンが「うげっ」と、嫌そうな声をあげた。

「悪いが、出張の予定はないな。君こそ、さっさと実家にでも逃げ帰ったらどうだ？」

　ナオコが青ざめながら背後を見ると、山田が、完璧な無表情で見下ろしていた。

「や、山田さん」

「背後に気を配らないなんて〈芋虫〉の風上にも置けんな。相浦、おまえもなぜ気づかない。食事のときは無防備になるなんて、野生生物か？」

「おーおー、あいかわらず、よく回る口だぜ。あんたこそ、たまには食堂でメシ食ったらどうだ？　あ、ぼっちメシが嫌なタイプか？　意外と繊細なんだなあ」

「ああ、生まれついて繊細でな。君の犬食いを前にして、食事ができる自信がない」

　山田は真顔だった。たいして、ケビンは笑顔でこめかみを引きつらせていた。

「えええっと、山田さん。なにか御用でしたか？」

「ああ、そうだ」

　山田が、ふいとナオコに視線をむけた。

「十六時以降、出動命令がなければ、執務室に来い、とマルコ殿からの連絡だ。それまでは待機。以上だ。了解したか？」

「あ、はい。了解です」

「パシリは大変だな」と、ケビンが嫌味ったらしく言うと、山田は言い合いに飽きたのか、肩をすくめて去ってしまった。

　むっとしたケビンが、罵声を浴びせようと口をひらく。

「ケビン、こんな場所で喧嘩してもしかたがないって。また由紀恵さんに怒られるよ」

　ナオコが叱ると、彼はぎくりとした。

　由紀恵とは、ケビンの相棒である二課一班の新藤由紀恵のことだ。

　彼は、むっつりとした顔で席にすわりなおし、

「あいつ、どうしてあんなに性格がひん曲がっているんだ」

　と、言った。

「あれで女が寄ってくるんだから、どうかしているぜ」

　ナオコは、なにも言えなかった。それに関しては、彼女も不思議だった。

　山田はモテる。一月に一度は、女性をとっかえひっかえしているとの噂だった。

「うーん、かっこいいからかなあ」

「かっこいいか？　ステイ・サムのほうがイケてる」

　ケビンは苛立ちまじりに、水を飲みほした。

　そして「でも、まあよかったな」と、口をひらいた。

「呼び出しついでに、マルコさんに言っとけよ。あんなのとバディは無理だって」

　ナオコはいったん後ろをふりかえり、山田のすがたがないことを確認すると、うなずいた。