第23話 お客様以外とのトラブル

 トラブルを起こすのは何も、お客様とわたしたちに限ったことじゃない。普通は、契約当事者であるそのどちらかに限られるわけだけど、うちの店は、大手チェーンスーパーの中にあるという条件から、そのスーパーとの間でトラブルが引き起こされることがある。


「今日……ちょっと暑くない?」


 隣からの声に、わたしは、そうだね、と気の無い返事をした。もうすぐ8月に入ろうかというところなので、日本にいれば、北海道かどこか高原にでもいない限りは暑いに決まっていた。でも、確かに、それにしたって暑すぎた。いくら何でもという気がする。これが温暖化か、と適当なことを考えていたわたしに、


「あのさ、ここ、クーラー入ってないんじゃないの?」


 びっくりするような言葉がかけられた。わたしが隣を見ると、同期入社の原川さんが、エアコンを指差していた。


「ほら、あれ、音もさせてないし、あの辺にあるビニールが全然揺れてないじゃん、風が出てないんだよ」


 それじゃあ、設定を確認してみましょう、ということにならないのは、うちの店舗はスーパーの中にあることでもって、エアコンはスーパーに管理されていたからだ。


「絶対おかしいって」


 原川さんは、店舗の外に出た。そうして、カウンター越しに、


「うん、こっちは涼しいよ」


 と言ってから、


「なんで、そっちだけ暑いの?」


 と訳の分からない顔をして、


「わたし、ちょっと冷たいもの買って来がてら、事務室に文句言ってくる」


 そう言って離れて行こうとする原川さんを、わたしは止めた。原川さんは、この店には欠員を埋めるためヘルプで入ってくれているだけで、レギュラーじゃない。この店の基本的なことに関しては、レギュラーで入っている人が言うべきだろうと思ったからだ。つまり、それは、今はわたしだった。


「早く帰って来てね~」


 原川さんは、カウンターにぐったりと体を預けるようにしながら、言った。


 事務室は店の奥にある扉を出てすぐの所にある。わたしは、この店の事務員にあまりいい印象を持っていなかった。中には親切な人もいるのだけれど、ほとんどがぶっきらぼうでまともにコミュニケーションを取ってくれない。別にわたしは、丁寧に接してもらいたいと思っているわけじゃない。わたしは、彼らにとってはビジネスパートナーで客じゃないわけだから。最低限の礼儀を通してもらいたいだけだった。


「え? クーラー?」


 店長がいなかったので、書類に目を通していた40代半ばの副店長に申し立てると、彼は、ふうっ、と息をついて、


「入っていないことはないと思うがなあ。機械でやってるから、大丈夫だろ」


 そう言って、再び書類に目を落とした。この調子で、まともに人の目を見もしない。わたしは、大丈夫じゃないから来ているので、


「申し訳ありませんが、設定を確認していただけませんか。業務に支障が出ますので」


 はっきりと言った。すると、彼は、面倒くさそうな顔をして、


「隣の店はどうなんだ?」


 と訊いてきた。わたしは、一体何を言われているのかすぐには分からなかった。


「隣って何のことですか?」


「だから、隣の雑貨屋にもクーラーは入っていないのかって。そっちと同じ設定にしているんだから、そっちが入っていれば入っているんだよ」


 分かったか、と言わんばかりに、副店長は言った。一瞬、わたしは自分の頭が悪くなったのかと思った。もとからそんなに上等な頭じゃないことは分かっているけど、今はうちの店の話をしているわけであって、隣がどうであるかということなんて、全く関係ないという結論しか、どうしても導けなかった。


 だから、わたしは正直にそう言った。すると、彼は、


「いいから、そっちの店にクーラーが入ってないかどうか、確認して来いよ!」


 と怒鳴り声を上げた。わたしは、比較的穏やかな家庭に育って、18年間、基本的に怒声とは無縁だったわけだけど、この3ヶ月間、クレーマーに怒鳴られ続けたことで、すっかり荒々しい声には慣れてしまった。それがいいことなのかどうかは知らない。


 それはともかく、分かりました、と答えたわたしは、その場でスマホを取り出して、店に電話をかけた。原川さんに事情を説明して確認を取ってもらうと、隣の雑貨屋さんにもクーラーがついていないようだとのこと。わたしは、雑貨屋さんに電話口に出てもらって、副店長にわたしのスマホを渡した。わたしのスマホで、雑貨屋さんから話を聞いた副店長は、いまいましそうな目でわたしを見た。スマホを返してもらったわたしは、彼の耳がついたところを、わざとらしくハンカチで拭ってやった。


「お疲れー」


 腹立たしい気持ちのままスーパーに入って、店に戻ると、原川さんが、100%のリンゴジュースを手渡してくれた。わたしが一部始終を話すと、


「いかにもそんな顔してるよね。それじゃ、奥さんに逃げられるわけだわ」


 原川さんの言葉に、わたしはびっくりした。


「え、そうなの?」


 すると、彼女は屈託の無い笑みを浮かべて、


「知らない。ただのイメージだよ」


 と答えたけれど、後で聞いたところによると、本当にそうだったので、わたしは二度びっくりした。


 この件を、ベテランバイトの藤井さんにも話したところ、


「嫌がらせだわ」


 簡単に言った。


「え、嫌がらせ?」


「うん。前にその副店長がね、うちに出したクリーニングの品を、自分で取りに来る代わりに、事務室まで届けてほしいとか、ふざけたこと言い出したのよ。それを、うちの店長は、一人だけ特別扱いはできないって言って、きっぱりと断ったのね。うちの店長は、断るときでも角を立てない人だけど、あの副店長性格悪いから、今もそれを根に持ってるんじゃないの」


 ありそうなことだった。だとしたら、全くもって理不尽な振る舞いに、わたしは、うんざりした。その理不尽を軽やかにクリアすることが真の社会人になることだとしたら、そうなれるのかどうか、今のところ、わたしには自信は無い。

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