第19話 VSマネージャー

 沢口さんの快進撃は、わたしと一緒の時だけではなかったようで、藤井さんと一緒のときには商品の識別票であるタグをつけ忘れたり、遠野さんと一緒のときには渡し間違えをしたりなど、何かしらミスをしているようだった。


「まあ、ここ忙しいから、ミス多いからって、不真面目にやってるっていうことにはならないけどね」


 遠野さんが、形良く眉をひそめながら言った。そう言う彼女がミスをしたところを見たことがなかった。


「わたしも入ったばかりの頃はいろいろとやらかしてたよ。でも、同じミスだけは絶対に二度しないように気をつけたけどね。そうすれば、ミスの種類が無限にない限りは、いずれミスしなくなるからさ」


 遠野さんはいとも簡単なことのように言ったけれど、それができる人は百人に一人くらいなんじゃないかと思う。というか、そうであって欲しい。じゃないと、そのうちにきっと同じミスをするだろうわたしの立場が無い。まあ、わたしの立場なんてものはどうでもいいことで、ともかくも、たとえ同じミスを繰り返してしまったとしても、しないように気をつけること、そう努めること、それだけは誰にでもできるわけで、わたしはそうしようと思っているし、それを人に求めてもそれほど過大なものではないと思っていた。その矢先に、


「いや、いつも行っているあんたんとこの他の店では、これはスーツでやってもらってたんだよ。今さら礼服でなんて言われても、納得行くわけないだろ」


 明らかな礼服をスーツだと言い張る客がやってきて、その対応をしていた沢口さんが、


「他の店でスーツで受け取られているのであれば――」


 なんてことを言い出したので、わたしは慌てて、二人の間に割って入った。50代の前半くらいだろうか、細身で眼光鋭い男で、見たことが無い客だったが、うちのチェーンの他店舗をいつも利用しているようだった。


「申し訳ありませんが、お客様。こちらは、当店の基準ですと、礼服に当たりますので、スーツでお預かりすることはできません」


 わたしは、彼の目を見て、はっきりと告げた。


「いや、おかしいだろ、それは。会社が違うならそれも分かるけど、おたくは、店舗ごとにスーツと礼服の基準が違うのか?」


 それは全く彼の言う通りだった。他店舗で客の言うことを鵜呑みにしているつけが、こちらに回ってきた格好である。しかし、よそはよそ、うちはうち。たとえば、今回彼の言うとおりにして、スーツで受け取ったとする。その後、彼がこの店舗に来ない保証は無い。一度で済む保証が無いのであれば、今回だけを特別扱いするわけにはいかない。そもそもが、


「一人のお客様の便宜を図るということは、他の全てのお客様を不利益に取り扱うということになります。事はたった一人だけの話じゃないのよ」


 と店長に言われていたので、わたしは頑として断った。すると、彼は、いつものクレーマーのように怒声を上げることはなかったが、冷たい目でわたしを見ると、無言でスーツを持って、立ち去って行った。


「あの……他の店舗で受け付けている場合も、同じように受け付けちゃいけないんですか?」


 沢口さんがおそるおそるといった調子で訊いてきたので、わたしは、この人は本当に店長になる気があるのかな、と疑わしく思った。ここが自分が店長になる店舗でも同じことを訊けるのだろうか。他店でそうしているからと言って、自分の店舗でも不利益な行動をするのか。そう思いはしたけれども、さすがにそんなことまでは言えずに、


「わたしはそう思いますけど、あとで、マネージャーに訊いてみます」


 とだけ答えておいた。


 そのマネージャーから、しばらくして電話がかかってきた。どうやら、さっきの男性客が本社にクレームの電話をかけたようである。なるほど、カウンター越しに小娘とやりあっても仕方ないと思った彼は、電話越しに大人の男とやりあうことに決めたというわけだ。


「そんなのはさ、別にいいんだよ、スーツで受け取っておけばさ。他の店でスーツで受け取ってくれてるのに、そうしてくれないところがあれば、そりゃあ、怒るに決まってるよ。それよりも、クレームが来るっていうことの方が問題なんだから。礼服一枚で会社の信用が落ちるなんていうことになったら、その方が問題でしょ? 物事は、そういう大きな視点で考えてみないと」


 わたしはこれまでマネージャーに口答えをしたことはない。まだまだひよっこのわたしが黄色いくちばしを動かしてみても、聞く価値がある言葉にはならないと思っていたからだ。でも、ここでは、反論させてもらうことにした。ひよっこはひよっこなりに自分の仕事にプライドを持っている。そのプライドが今まさに傷つけられようとしていた。プライドというのがその人自身と分かちがたく結びついているものなのであれば、プライドを守るということは自分自身を守るということであって、そのためには戦う必要がある。わたしは好戦的な人間では全然無いけれど、左の頬を叩かれて右の頬を差し出すような寛大な人間ではなかった。


 わたしは、礼服は礼服なんだから、スーツとしては受け取れないということ、客の言うことを何でも有り難がって聞いていれば、双方向のビジネス――この前ビジネス書でたまたま読んだ言葉――は成立せずに、返って会社の信用を落とすことになること、などをできる限り抑えた声で答えようとしたけれど、興奮のために少しうわずってしまった。


 まさか18歳の新人に反論されるとは思ってもいなかったのだろう、マネージャーは言葉を失ったようだった。わたしは、


「お客様がお待ちですので、失礼します」


 そう言って、電話を切った。それは決して嘘ではなくて、カウンターに3、4人の列ができていたけれども、それ以上マネージャーと話をしたくない気持ちがあったことも偽りのない事実だった。

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