スイッチ・ポイント 2

 私たちは十分程度歩き、大型雑貨店に到着する。

 黄色い看板が否応無しに目を引いた。


 キャラクターショップは、期間限定の催し物とだけあって、盛況していた。店側も集客を見込んだのか、イベントスペースも大きく取られているように見える。


「あっ!」

 彼女が喜色の叫び声をあげて、キャラクターショップへと駆け込んでいく。そんなときの彼女は、私のことなどお構いなしだ。


 どうしてか知らないが、そんな彼女に、私は少し複雑な気持ちを覚える。だが、彼女がはしゃぐ様子が可愛らしく、不愉快な気持ちにはならない。


 私も自身の欲しいものを探すため、店に足を踏み入れることにした。


「あっ、すごいこれ……リアルに出来てる」

 彼女はとある一角で足を止める。そこはキャラクターのフィギュアが飾られている一角だった。


 フィギュアといってもイラスト調でデフォルメされたやつではなく、映画に出てくるキャストが、キャラクターの格好そのままで、縮小されたようなものだった。

 値段を見る。……三万円以上していた。


「これ、店に飾りたいな」

 そうぽつりと彼女は漏らす。

 それを聞いた私は、巴飯店にスーパーヒーローのフィギュアが飾られている様子を想像する。


 古い町中華に、精巧に作られた屈強な男のフィギュア。……あまりにもアンマッチだった。まだラーメンマンとかの方がずっと似合う。

 それに、巴飯店の脂ぎった床を思うと、フィギュアの保存にも悪そうだ。


「えーと、お値段はーっと……」

 彼女は値札を見て、固まっていた。


「えっ? ゼロ多くない?」

 明らかに動揺する彼女。


「……いち、じゅう、ひゃく、せん……まん」

 桁数を数えていく彼女。ゼロが四つ並んだ時点で口を開いて固まった。


「これ、よくできてるけど、その分値段もすごいね」

「欲しい……けど、さすがに足りないな……」

 彼女はそう言って肩を落とし、別の場所へ向かう。


「何か買いたいんだけど……」

 彼女は独り言を漏らしつつ、店内を物色する。


 そして。

「あ」

 と唐突に声を漏らした。


「あの、霞さん」

「どうしたの?」

「これ、どうですか?」

 そう言って彼女が見せたのは、とあるキーホルダーだった。二つで一対のものとなるようなキーホルダー。恋人とか、友人同士で分けるようのものだろうか。


「どうですか……って?」

 そこまで言ったところで、彼女の意図に気がつく。


「買って、分けると?」

 目を丸くして、尋ねる私。


「そういうことです」

 彼女は無邪気に首肯した。一方の私は、彼女の発想にどぎまぎする。


 いや、たぶんこれはそういう意味ではなくて、親しい友人とか、そんな感じ……だろう。たぶん。


「今日の記念にどうですか?」

「記念……」


 どうですか、と言われたらそれは嬉しいに決まっている。買いたい、欲しい。

 けれど、その一方でこうも思うのだ。


 彼女にとって、私はどのような存在なのだろう、と。

 いや、違う。

 もっと、自身に問うべきだ。


 私は――。


 私は彼女の何だ?

 私は彼女の何になりたい?


 常連客。ちょっとした恩人。映画仲間。

 さまざまな属性が、私の中に浮かんでは消えていく。


 それらは私と彼女を結び付けたものであり、私と彼女の関係性を示すものだ。


 だが。


 私が望んでいるものとは、かけ離れている。


 答えはわかっているんだろう? 

 自問する。問われるまでもなくわかっている。


 けれど。

 彼女と私は年が十も離れている。

 彼女と私は、そもそものスタートラインが違うのだ。


 かたや、これから未来がある十代の女の子。

 かたや、可能性が確実に狭まりつつある、二十代……いやアラサーの女。


 そんな二人が、どこまで深い関係になれる?

 私の気持ちは一方的なものではないのか?


 彼女はただ慕ってくれているだけで、その感情を、私が致命的な受け取り間違いをしているだけではないのか?


 不安で、不安で、不安で、不安で。

 思考が、おぼろげになり、それに視界も追従する。

 世界に、もやがかかっていく。


「霞さん?」

 霞がかった意識を、彼女の声が明瞭にさせる。


「う、うん。何?」

「これ、どうします?」

 彼女がキーホルダーを手に持ち、ぷらぷらと弄ぶ。

 どうする、と言っても……。ああ、そういう話だったっけ。


「……うん、欲しい」

 素直に、私はそう言ってしまった。


 欲しかった。彼女と私を結び付ける、何らかの形あるものが。

 私と彼女の間に浮かぶ、様々な情報のラベルじゃなくて、確固としたものが。


 それが、例え彼女にとって軽い気持ちで生まれたものだとしても。

 私は、心の底から欲しかったのだ。


「わかりました! それじゃあこれ、買ってきます!」

「ちょちょちょ、待った」

 元気よくレジに向かおうとする彼女を、私は慌てて制止する。


「どうしました?」

「いや、それ買って分けるんだよね?」

 私がそう問うと、彼女はこくりと首肯する。


 さすがにそのお金を彼女に出させるわけにはいかないだろう。そう思った私は、彼女が持つキーホルダーを摘まみ取る。


「あっ、何を」

「……こっちは大人なんだから、気にしないでいいのよ」

 私はキーホルダーを持ってレジに向かう。その後ろを、彼女がついてきた。


「どうしたの?」

「いえ、チケット代出してもらったので、さすがにそれも出してもらうのは。……割り勘にしませんか?」

 彼女が真っ直ぐ私を見据え、惑いのない澄んだ声で言う。


 その瞳も、その声も、実に美しく。

 私は抵抗する術を持たない。


「……わかったわ。じゃあ、そうしましょう」

「やたっ」

 自分がお金を出すことになったのに、どうしてか喜ぶ彼女であった。その様子に、私の口元が綻ぶ。


 そんなこんなでキーホルダーを買い、キャラクターショップを出る。

 彼女は店を出てすぐ包装を開き、キーホルダーを取り出した。


「こっちが私で、こっちが霞さんのです」

 彼女はキーホルダーの片割れを手に取り、もう一方を私に手渡してきた。

 

 キーホルダーは金属製。それを渡された私の手に、金属の冷たさが広がる。

 しかし、心はそれと裏腹に。


 彼女はキーホルダーを摘み、映画のワンシーンを切り取ったような微笑みを浮かべ、口を開く。

「えへへ、これでお揃いですね」


 その瞬間、私の視界ががつりと揺れる。

 それは物理的な衝撃ではなく、心情に起因する衝撃であった。


 ああ、と私は自覚してしまった。

 深く、深く自覚してしまったのだ。


「そうね、お揃い」

 私も微笑む。


 二人、立場や年齢は違えど、浮かべる表情は同じだった。

 その内に流れる感情は、どうなのだろうか。

 


                 ○


 雑貨店を出る。

 日はとっくに暮れていた。


 私の鞄には、先ほど買ったキーホルダーが揺れている。

 それを指先で撫でる。心の中に温かいものが溢れる。


 街には多種多様の人たちが歩いている。その関係性も、同様に多様。

 家族、独り、カップル、友人。


 私たちも、同性の友人としてカウントされているのだろうか。

 それにしては、年齢が離れすぎているかもしれない。


 少し、不安になる。


 隣を歩く彼女を見る。彼女は街灯に照らされ、その顔の陰影を濃くしていた。その様子は、普段明るい彼女の、別側面の美しさを表しているように思える。


「すっかり遅くなっちゃったね」

「そうですね。……もう、終わりか」

 彼女が肩を落とす。私も内心はそんな気持ちであったが、それを表に出すのは、さすがに年齢的にどうなのだろうかと思い、やめておいた。堪える。


「大丈夫。また来たらいいじゃない」

「それはそうですけど。……次の作品公開、だいぶ後ですよ」

 彼女の言葉に、それはそうかと思う私であった。


 それまでは、ずっと店員と客の関係のまま?

 ……それは、嫌だ。


 嫌なのだ。

 願望を持つ自分を再認する。


 私は彼女と遊びたい。親しくなりたい。

 友人ではなく、もっと、もっと深い関係になりたい。


 例え私と彼女が、様々な点で異なっていたとしても。


 理性は私を押しとどめる。

 様々な言葉で、制止しようとする。


 やめとけ。年の差。同性。彼女の未来は? 

 独りよがり。どうせ傷つく。勘違い。

 初めて持った願望に酔っているだけ。


 様々な言葉が、意識が、私の心を冷やそうとする。私の心が冷えていく。

 なぜそうなるかというと、その言葉や意識たちが、私自身、事実として認識しているからだろう。

 だからこそ、受け入れてしまう。


 けれど、衝動が押さえられない。


 私は彼女が好きだ。


 ああそうだ、好きなのだ。

 どうしようもなく好きなのだ。


 その見た目も、その人間性も、その笑顔も、二人でいる時間も。

 彼女の全てが、彼女と関わってから今までの全てが。


 深い黒に覆われた私の心の中で。

 彼女との思い出だけが、冬の夜空に瞬く星のように、鮮やかに煌めく。

 その光に、冷えた心が暖まる。


 理性は未だに制止をかける。それが正しいとは、私も思う。

 でも止まらない。


 獣のような渇望だけが、高く、高く、吼えていた。

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