たけしの挑戦状⑤

「担当者は死にました」


 信憑性や出どころ怪しい、本作に纏わる数多くの逸話の中でも、数少ない事実確認が取れているエピソードである。


 『たけしの挑戦状』発売から間もなくして、太田出版より『たけしの挑戦状 虎の巻 -たけし直伝-』が書店に並ぶ。要するに攻略本なのだが、「読んでもクリアできない」という苦情電話が、ゲームのクレームにも劣らぬ勢いで、編集部に日に数百件も殺到したと言われている。


 実際、本書は一部の謎解きを除けば、マップをメインとしたヒント集、ダイジェスト版ともいうべき内容だった。


 対応に切羽詰った編集部は、窮余の一策で、担当者は亡くなったという虚偽の案内で苦情を凌いでいたが、翌年、1987年3月には『前巻はプロローグに過ぎなかった』として、二冊目の攻略本『虎の巻Ⅱ 完全解決版』が発売される。


「あの“攻略本の攻略本”が先に出てれば、私の人生も少しは違ってたかも」

「確かに、あそこまでは叩かれ……失礼。伝説の……じゃなくて」


 鮎式は、回顧の境地にふける彩良里にかける言葉が見付からない。「本当、大変でしたね」とでも笑い流せば、それで済む話なのかもしれないが、何故かそれができなかった。


「子供に怒られたんですよ。父ちゃん、ゲームが面白くないって」

「そういえば、何かで『ゲームが面白くないと子供が泣いて困ってるって、親からのクレームが殺到した』って、聞いたことがあるような……」


 挑戦状の難解な謎解きや不条理さは、決して開発におけるスタッフの忽略や齟齬によるものではなく、意図的に組み込まれたものだ。その旨は発売前より銘打たれているが、プレイヤーにとって、特に子供には大人の事情など、お構いなしである、


「違うんですよ。私は息子から直接言われたんです。“父ちゃんが主役のゲーム、つまんない”って」

「お子さんがいるんですか? でも、離婚して……あれ?」


 取材は思わぬ方向へと進展し、鮎式の思考が現実とゲームを混同させてしまう。ゲームを演じたゲーノウジンは人間である。それぞれに人生や家族があって当然のことだと、冷静になる。


「駆けだし役者にも関わらず、ある撮影の打ち上げで知り合ったエキストラの娘と酔った勢いでね。お恥ずかしい話です」


 彩良里は照れながら、懐の財布からの写真を取り出す。少し擦れ褪せてはいるが、今と変わらぬ彩良里の隣には穏やかな表情をした女性、そして二人の間に十歳に満たないと思われる彩良里に似た少年の姿が写っていた。記された日付は1986.12.10、記念すべき日として撮影されたものだろう。


「私みたいな夢追い人には勿体ないくらい献身的な女房です。息子も素直でたくましくて。主人公あいつの家族とは大違いですよ」


 ゲームとは正反対に家庭内暴力や疎外感など無縁の一家。彩良里は、自分が主役に抜擢された時に受けた祝福や、制作たぼうで家を長らく留守にしていた間もしっかりと家庭を守り、自分を信じて待っていてくれた、家族の優しさを語った。


「情けないかな、私は一度だって息子を遊園地や動物園に連れて行ったことはありません。日雇いや端役で妻の稼ぎを手助けしながら、貧しいなかで必死に役者としての未来を求めるダメ親父でした。まあ、何とかファミコンだけは買い与えて、友達社会には馴染んでたようですが……」


 文句やワガママのひとつも言うことなく、息子にとって彩良里は自慢の父親であり、誇りだった。勝手な推測だが、発売前は学校で“俺の父ちゃんゲームになるんだ。マリオみたいに大冒険するんだ”と、喜びと応援を兼ねた思いの丈を学校で広めていたのではないだろうか。


「あいつ、口には出さなかったけど、学校で色々と辛い目にも遭ったんだと思います。鮎式さんは、挑戦状は遊びましたか?」

「……小学生の時に」


 買ったのは発売から一年ほど経ってから、中古ではあったが、やりくりに頭を悩ませた当時の小遣い事情を思えば、捨て値ではなかった。遊んだ感想は、言わずもがなである。もしも、身近に彩良里の息子がいたら、文句のひとつも言っていたに違いない、と鮎式は思った。


「あの時は、すみませんでした」

「いやいや、謝らないでくださいよ。昔のことですし」


 彩良里が背負う必要など毛頭ない謂れなき罪だと理解しながらも、鮎式は詫びを受け入れてしまう。「このゲームを作った奴をブン殴りたい」と憤った当時の感想ふまんを明かしてしまった、自分の錆びた器の小ささに胸が痛む。


「私はね、ようやく気付いたんですよ。自分は役者には向いてないって。責任を取らないといけないって」

「そんな……」


 今、置かれた状況と見まごう、彩良里の愁いがこもった決意をかき消そうとした鮎式だったが、何かが鼻先を掠めて動きが止まる。すぐにそれは雨粒だと気付いた。勢いと雨量は微々たるものだが、時間の流れを止めるにはそれで十分だった。


 〽 あなたのためなら どこまでも ついてゆける私

   せつない想いを歌にして 雨降る新開地


彩良里は、カラオケスナックでも聞かせてくれた、二度目の『雨の新開地』を唄う。しかし、音程と歌詞は同じでも、先ほどとはまったく別ものだった。


 歌はフルではなく、ゲーム内で使用されたショートバージョン。無伴奏のなかで静かに打たれる雨音はカセットテープのノイズを彷彿させる。そして、低音で物悲しい歌い方は、それこそが歌が持つ本当の姿形ではないかと思わせた。あの“襲撃事件”で封印された、CMの様子そのものだった。


 それから訪れる湿った空気のなかでの静寂。一分にも満たないわずかな時間だったが、鮎式にとっては白い紙を日光に晒して待つほどの長さに感じられた。


「年明けと同時に、私は普通ただの父親になりました」


 二人の棒立ちの無言劇は、『たけしの挑戦状』をもって、役者の世界から身を引いた彩良里の決意により終止符が打たれた。


 『たけしの挑戦状』が酷評に至った責任はタイトーにある。彩良里が幾らユーザーやメディアから悪く言われようとも、むしろ彼自身は大役を演(や)りきった功労者として注目をされるべきだ。


 しかし、だからこそ彩良里には耐えられなかったのだ。その分、家族が非難を浴びることに。守るべきものは役者としての誇りではなく、家族なのだと悟ったのだ。

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