第六話

ちょっと前まで意識を集中しない限り、頭の中では『シャーー』とチューナーが合っていないラジオのような音が流れているだけだった。それが段々一つ一つ頭の中で聞き分けられるようになってきていた。


その後の解読で『プッ、ポッ、パッ、ポッ』は食欲、『ピッ、ポッ、ポッ、パッ、ポッ』は性欲だというのがわかってくる。


頭の中で鳴っているこれらの電子音は、例えば頭の左上から便意の電子音が流れて、後頭部から性欲の電子音などいろいろな方向から鳴って、混ざっていくように聞こえる。


「これは以前、脳卒中で病院に運ばれてから聞こえてくるようになったのだろうか」


「は、武田さん、今何か言いましたか?」


北原に生理的欲求に応じて電子音が鳴っているとわかったことを自慢したくなっていた。


「北原、今日、夕飯を家に食べに来ないか」


「お、雅美さんの手料理ですね。是非お伺いいたします。それじゃさっさと仕事を終らせましょう」


雅美は武田から北原と一緒という連絡を受けたのが遅かったため、満足いく料理品目を作れなくて少なからず不機嫌であった。その反面、北原には明るく接している。食べ終わった食器は片付けられていった。


「北原さん、この人が迷惑掛けていてすみません。最近とりつかれたようにプッシュ音の解読をやっているのよ」


「あ、あの電話回線のような電子音でしたっけ?早朝から会社のコンピュータで何かしていると思ったらそんなことだったんすか。先輩。どおりで僕の仕事量が増えているわけだ、ははは」


もちろん解読作業をしていると気付いていながらも北原は話を盛り上げるきっかけを作っていった。


「雅美もちょっと座って聞いてくれ。やっと電子音の解読ができたんだよ。音調によってトイレに行きたいという欲求、食欲という欲求などがわかっていったんだ。つまり、欲求にしたがって決まった音調が頭の中で鳴り出し、我慢していると音量やテンポも上がっていくらしいんだ」


「おもしろいわね、それ」と言う雅美の腕には鳥肌が浮いていた。不気味さの方が大きかったようだ。


「武田さんが卒中で倒れてから聞こえるようになったんですよね。何か脳に変化が起こったんじゃないですか。人間の脳って機能的には30%くらいしか実際は使われていないらしいですよ。脳卒中によって残りの7割のどこかの回路が開かれたのかもしれない。ラッキーすね。先輩」


『ピー』


けたたましい音が聞こえて皆をびっくりさせた。お湯が沸いたらしい。


北原には砂糖とミルクが入ったコーヒー、武田にはブラックコーヒーが運ばれてきた。雅美が再び座ってから、雅美が冗談ぽく、


「電子音って、もしかしたら宇宙人があなたを操っている音かもしれないわね。あるいは、死にそうになったあなたを神様や悪魔が操縦しているとか。ありえるわね、ふふふ」と、おちゃらけた。


「まったく、他人事だと思って……」


武田は笑いながら熱いコーヒーをすすった。武田の笑いでさらに場の緊張感が緩んだ。武田は二人が聞いていることを確かめながら話を続けた。


「操られているって言うのは、あたっていると思うよ。人間はDNA遺伝子からの情報に従って生きる『あやつり人形』なんだって説を聞いたことがあるもんな。俺はそんなふうに思いたくない。だって、なんだか人生が味気なくなるし、悔しいじゃん。DNAや脳の神経細胞ニューロンに流れる電流やらで、人格や人生が片付けられてしまうってさ。環境的要因がどの程度人生に影響を及ぼすのかわからないけど、経験や知識などの環境によって自分が生きているんだと思いたいよ」


「そりゃ、人は考える動物ですから経験や知識によって、自分の意志をコントロールできると思いたいですよね。その意志さえもあらかじめ決められていたなんていったら、宗教になってしまいますよ。はは」


「北原の言うように信じたいのだけど、実際にこの電子音が聞こえなかったときは、無意識の領域で電子音の求める欲求を音やリズムがうるさいからと従ってしまっていたのかもしれないと考えられないかなー?」


「それじゃ、私には今日の夕飯をみんなの分、作っていう音が流れていたのかしら」


「それは明らかに意志であるし、欲求に関わることではないからDNAも好き勝手にさせていたのかもよ。もしかしたら人間誰でも電子音が頭の中で流れていて、いや、動物、昆虫などの生物にだって流れているのかもしれない。人間だけが進化したのか、退化したのかわからないけど聞こえなくなったんじゃないのかなー。たとえば、なぜ、蜘蛛は巣の張り方を教わりもしないのにあんなに綺麗に張れるのだろうか?なぜ、タンポポは綿毛につけるという効率よい種の飛ばし方を知っているのか?など、電子音のようなDNAからの信号に従ったからなんじゃないかと思うんだよ」


「なるほど、そう考えると人間にも何か役割というか本来のDNAからの情報があってそれに従っていれば、これほど地球環境を破壊しないですんだかもしれませんね」


「あら、北原君。まじめなこと言うわね。そうやって考えていけるのが人間なのですから、DNAからの電子音なんて聞こえなくなって当たり前なのかもしれないわね。意志を持ったまま聞こえるなんてあなた、やっぱりラッキーよ!もう疲れているんでしょうからあまり考えるのをやめましょう」


雅美のまとめかたがうまかったのか電子音の話はそれっきりになって北原が帰り、一日が終わった。


つづく

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