第四話

その後数日間、武田の顔色がさえなかった。


定期検診で医者に相談しても真剣に受け止めてもらえず「どうしても耐えられなくなり、実害が出てきたときにはもう一度診察に来てください」といわれたばかりだったからだ。


確かに、電子音のせいで体調がわるくなったとか、耐えられなくなるということはない。不安がったり、怖く感じたりといった状態はなくなって、慣れてさえしまっている。


妻の雅美も、深刻に考えてくれていない。


そのうち武田本人も、深刻にマイナス的に考えるのではなく、電子音への知的好奇心を楽しみたいというプラス的に考えるようになっていった。


朝起きて、耳を澄ませて電子音に集中する。


『ピッ、 ポッ、 パッ、 ポッ』と鳴っている例の電話のプッシュ音に似た無機質な音に気付く事ができた。さらに集中し、音を拾おうとするとズキンと頭の奥が痛くなるのだった。もう一度目をつぶって意識を集中する。


「あ、また同じ音調が聞こえてくる」


頭が痛くなる前に集中するのをやめるのだが、『ピッ、ポッ、パッ、ポッ』と段々早く間隔が短くなり、そして大きく聞こえてくるような気がしたのだ。


武田はベッドから起き、トイレを済ませ、朝食のテーブルについた。雅美が朝食を作ってくれている音の中でも聞き取る事ができるのかと、テーブルに肘をつきちょうど鼻を隠すように両人差し指を内側の目尻にあてながら手で顔を覆い、プッシュ音を拾おうとした。


『プッ、 ポッ、 パッ、 ポッ……』


「あれ、音調が変わって、遅く聞こえる。プじゃなく、ピだったよなー確か……。規則性がないのか?」


手で覆われた口元に武田の独り言がこもる。鼻先には朝食のいい匂いがしてくる。


「あなた、朝からそんな難しい顔して、疲れが残っているの?」


雅美が味噌汁のお椀を運びながら、心配そうに武田の顔をうかがう。


「雅美、ちょっと電話の子機をとってくれないか?」


「こんな朝からどこかに電話するの?」


「電話するんじゃなくて、確かめたい事があるんだ」


怪訝な顔をしながらも雅美は武田に電話を渡した。武田は味噌汁を少し口に含んでから箸をボールペンに持ち替えて、メモ帳を用意した。おもむろに電話のプッシュボタンを押し始める。


「あ、この音だ。5、8、2、0。雅美、このプッシュ音って『ピッ、ポッ、パッ、ポッ』って聞こえない?」


「なんなのよ、いったい」


「ほら、やっぱりそうだ。俺の頭の中にプッシュ音が流れるって前話しただろ、その音調を探してるんだよ」


武田は味噌汁が冷めるのも構わず、「プッポッパ……」などと独り言を言いメモをとり続けた。


つづく

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