55  銃声

 千尋はしばらく個室で待たされた後、打ち合わせに呼ばれた。


 浅葉、長尾に続いて現れた二人の男性は、今日共に現場に向かう刑事だという。天パの方は中川なかがわ、丸刈りは小谷こたにと名乗った。


 現場での流れについてひと通り説明を受け、いざ二台の車に分かれて現場に向かうことになった。浅葉は千尋の方を見向きもせず、駐車場へと歩き出す。


 浅葉は、中川と小谷の車に千尋を乗せるよう指示し、自分の車には長尾だけを同乗させた。


 メンバーは四人と少数ながら、精鋭で固めているという話だ。交渉現場となるのは、人気ひとけの絶えたオフィスビルの地下駐車場。


 今朝出所したばかりの宇田川は、そのビルのどこかで今、大事な恩人に会っている。出所報告を終えて出てきたところを囲んで話をつけるというのが浅葉の計画らしい。


 千尋は到着早々、当初の予定が変更になり、浅葉の代わりに長尾が千尋のそばに付くと長尾から聞かされた。千尋はそれを聞いて不安がつのるような、却ってほっとしたような、複雑な気分だった。


 各々配置にいて待つこと約四十分。駐車場の奥の鉄扉が開く音が聞こえ、千尋は車の後部座席に横たわったまま身を固くした。数人の足音が響く。




 その音が通路の反対側の車までやってきた時、運転席で体を低くしていた長尾は慎重に扉を開けた。男たちが一斉に足を止める。


 長尾は警察手帳を高々と掲げてゆっくりと車を降りた。宇田川の顔に不敵な笑みが広がる。


「これはこれは」


 用心棒らしき黒いスーツの三人に緊張が走った。


「いや、刑事ならむしろ安心だ。どうせ無実の人間には手出しできないからな。ここはいい」


と宇田川がその三人に目くばせし、彼らは何食わぬ顔で三方向へと歩き出した。


 もっと別の危険を警戒してお前らは周りをきっちり固めておけ、という意味だったに違いないが、警察の前でそうはっきり言ってしまっては銃器の所持を白状するようなものだ。所持品検査はあくまで任意。要求されても拒否するつもりだろう。しかし警察も今日はそんな用件でここに来ているのではない。


 長尾は車の脇から通路へと移動し、三台先に停めてある車に手を上げて合図した。その運転席から小谷が出てくる。宇田川は長尾と小谷に挟まれる形になり、愛想笑いと共に言った。


「こんな日に職務質問とはね。断ればそれをダシにあれこれほじくり返すつもりでしょう。一体何の用です?」


「質問じゃない、大至急お知らせだ」


と前置きし、長尾は本題に踏み込んだ。


麻紀勢まきせ組で、田辺千尋の誘拐計画が持ち上がってる」


 これは浅葉が捏造ねつぞうした筋書きだが、実際あり得ない話ではない。


 千尋の名を聞いた宇田川が内心の動揺を悟られまいとする表情を、長尾は見逃さなかった。


「本来なら警察がこんな情報を流す義理はない。ただ、お宅で計画中の取引の中止を指示すれば、麻紀勢組を別件で挙げるまで、田辺千尋は警察で護衛してやる。やめないというなら先方の好きにさせるまでだ。連中の無法ぶりはお宅の方がよく知ってるだろ」


「取引……何のことですかな?」


 宇田川は当然ながらしらを切る。そうなることがわかっていたからこそ、一発でこいつを揺さぶるべく、いつも以上に入念に情報の裏を取ったのだ。


「残念ながらハッタリじゃないんだ、これが。九月十八日、場所は隆静会りゅうせいかいの第二事務所、だろ?」


 宇田川はわずかに目を細めただけで、即答を避けた。


「心当たりないはずはないよな?」


と長尾が詰め寄ると、宇田川はさりげなくを取りながらゆっくりと返す。


「取引と呼ばれるようなことは一切……」


 長尾はそれをさえぎり、


「何と呼ぼうと好きにしろ。趣旨が何であれ、その集合を取りやめろと言ってんだ。でなけりゃ、田辺千尋の身の安全については警察では面倒見ない」


 長尾は宇田川の表情を注視していた。動じないふりをしつつも素早く頭を回転させているのがわかる。長尾はさらに畳みかけた。


「お宅のメンバーだけで守り切れるか? 優秀な奴ほど引き抜かれちまって、ちょいと心許こころもとないんじゃないのか?」


 宇田川は口元だけの笑みを作る。


「何か勘違いしてませんか。なぜ私がそんなことを気にしなきゃならないんです?」


 読み通りの展開だった。長尾は予定通り次の行動を起こす。


「さて、いつまで強がってられるかな?」


 長尾は先ほど降りてきた車の後部座席のドアを開いた。そこからおずおずと姿を現した千尋の姿を、宇田川が一瞬でそれと見分けたことは長尾にもはっきりとわかった。


 時々部下に様子を確認させ、密かに写真まで撮らせているという噂は本当だったらしい。受刑中は検閲があるから、さすがに盗み撮りした写真を送らせることはできなかっただろうが、六年前の写真を見ていれば十分見分けはつくはずだ。


 千尋は車と長尾の間にたたずみ、宇田川の目を直視できないまま、その姿に視線を泳がせていた。


 何の変哲へんてつもないグレーのスーツ。ごま塩の髪を短く刈り込み、レンズに薄く色の付いたメタルフレームの眼鏡をかけている。


 昨日見せられた写真にあった口髭くちひげは、綺麗さっぱりり落とされていた。髭がなくなってみると、そこには昔の面影がよりはっきりと表れた。ただ、当然ながら十七年分、年をとっている。


 長い沈黙を経て、宇田川がようやく口を開いた。


「本人だという証拠は?」


 駆け引きに出たな、と長尾は気を引き締めた。


「確信持てなくても無理はないが、別人をこんな危ない場所に連れてくると金がかかるんだ」


「直接話をさせてくれ」


と宇田川が一歩前へ踏み出すと、小谷が腰の拳銃に手をやる。長尾はそれを手で制して、


「いいだろう」


と応じ、千尋を促して宇田川の方へと歩み寄った。


 その時、宇田川が上着のふところに素早く手を入れた。


 咄嗟とっさに拳銃を抜いた長尾の手を、宇田川が蹴り上げる。


 長尾の手からすべり落ちた拳銃を、すかさず拾い上げる宇田川。その背後で小谷が銃を構えて叫んだ。


「動くな。銃を捨てろ!」


 しかし、宇田川の動きも素早かった。


「あっ!」


 千尋は短い悲鳴を上げた。宇田川に両腕ごと腹を抱き抱えられ、身動きが取れない。


「お前が捨てろ」


と宇田川は振り向き、手にした拳銃を千尋のこめかみに突き付けた。


 千尋は呼吸を忘れて全身を緊張させる。まさか撃ちなどしない。そんなことはできるはずがない、と、呪文のように胸の内で唱え続けた。


 小谷は言われるまま、銃を地面に置く。宇田川は強気だった。


「そうまでしてやめさせたいと言うなら、交換条件ってことでどうだ。取引を中止させる代わりに、金をよこせ。うちが見込んでる上がりをそっくりそのまま、あんたらが都合する。それから今日の件は見逃してもらう。俺は罪をつぐなって出てきたまっさらな人間に戻る」


 長尾は両手をはっきりと宇田川に見せたまま言った。


「まあ落ち着け。そんなことしてもいいことはないぞ」


 小谷の後方には、まだ車の陰に隠れて待機している中川がいる。


 ところがその時、長尾の右手の柱の陰にいた浅葉が拳銃片手に姿を現した。その足音に振り向いた宇田川が叫ぶ。


「銃を捨てろ!」


 浅葉は従う代わりに、宇田川に銃口を向けた。宇田川は千尋を抱きかかえたまま、ますます声を張り上げる。


「俺を馬鹿にするな。こいつを撃つぞ」


 すると、浅葉は冷酷に言い放った。


「やりたきゃやれよ」


 宇田川、そして千尋が凍り付いた。浅葉は悠々と続けた。


「殺人の現行犯となればいい口実ができる。一般人を一人殺して銃器を手に抵抗。こっちはやむを得ず射殺、で十分通るからな。あんたがここで死んじまえば、若い連中も取引どころじゃなくなるだろ」


「たかだか六年入ってた間に、公僕こうぼくも変わったもんだ」


 宇田川は強がった笑いを浮かべた。


「別に警察の方針が変わったわけじゃない。俺は上なんか気にしないだけだ」


「面白い奴だな」


「いいことを教えてやろう。今日は俺の最後の仕事になる」


「何だと?」


「俺はこの日のために刑事になった。あんたさえ消えてくれりゃ、もう用はない」


「そりゃまた随分と恨みを買ったもんだ」


「こんだけ命狙われてちゃ、どの話だかわからんだろうがな。十年以上前の話だ」


「十年以上?」


「撃たれる予定だったのはあんただ。その銃弾を無実の人間が受けて死んだ」


 何の話か思い当たったのか、宇田川は黙っていた。


「人違いでたまたまうっかり殺された人間にも家族がいたなんて、考えたことあるか?」


 千尋はごくりと唾を飲み込んだ。


(十年以上前の人違い? 家族? まさか……)


 十五年前の銃撃事件。千尋がインターネットで見付けた記事には、死亡した一般人と警官、組員それぞれの氏名と年齢程度しか書かれていなかった。


 殉職した警官の名が気になって検索し直し、顔写真を見付けた時点で千尋はそれが誰なのか確信を持ったのだ。組員が対立組織の人間だと思い込んで警官を撃ったという話だったのだろうか。そして本来撃たれるはずだったのは……。


「いざ警察に入って、準備を整えて、やっとぶっ殺せると思ったら獄に入っちまいやがって。お陰で六年余計に待たされたぜ」


 そう言い捨てた浅葉の目は、千尋の目の前の宇田川をまっすぐに射抜いていた。千尋は銃を突き付けられている恐怖を半分忘れ、浅葉の顔を見つめた。


(そうだったの……恨みを晴らすために刑事に……)


 浅葉は宇田川に狙いを定めたまま、首の骨をボキッと鳴らして言った。


「何か言い残すことはあるか?」


 宇田川は乾いた笑いを漏らすと、諦めたように銃を下ろし、千尋を脇へ押しやった。


「待って、撃たないで!」


 宇田川の手を振りほどき、その前に立ちはだかった千尋は、自分の顔に銃を向ける浅葉と真っ向から対峙していた。殉職した父親のかたきとなれば、娘もろとも殺そうと思っても不思議はない。


 千尋は目を閉じた。浅葉と過ごした日々が、美しいまま千尋の心を駆け巡る。「夢みたい」という形容がそのまま当てはまる、これ以上望むべくもないような幸福。


(いつか生まれ変わったら、またあなたと出会いたい。そして今度こそ、愛し合えますように……)


 浅葉の部屋で見たビーチの写真が脳裏をよぎった。叶わぬ夢とは知りながら、あれから何度も思い描いた浅葉との未来だった。


(さよなら、シュウジ……)


 千尋の目から涙が一筋こぼれ落ちた瞬間、銃声が鋭く鳴り響いた。



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