第一話 (8) 山ノ口城 後編


「それで、戦のための城とはどういう事じゃ、勘助」


天守に移動した志賀は、信友と討ち死にした敵味方双方の将兵を供養し、勘助に改めて聞いた。


「はっ。この城はなかなかに堅固で良き山城と心得まするが、合戦を前にしては、いささか小綺麗にすぎまする」


「小綺麗だと?」


「城壁、城門、櫓などことごとくに、泥をお塗りくだされ」


勘助の話を聞いた途端、志賀はその顔を怒りで茹でダコのように真っ赤にした。


「そちはわしの城に泥を塗れと申すか!」


志賀は目をクワッと見開き、勘助を怒鳴りつける。

ただでさえ声が大きい志賀が怒鳴ったのだ。

勘助は一瞬、鼓膜がはち切れたと錯覚した。

勘助は頭を振り、意識を取り戻す。


「火矢にてわずかでも燃えぬようにするためです」


「火矢?」


「怒りに燃える信虎は、もはやなりふり構いませぬ」


通常、城攻めにおいて火や爆薬を用いると、城の再利用ができず、改修する必要性が出てくる。

端的に言うと、再び利用するのに金と時間がかかるのだ。


志賀は勘助の言い分に「なるほどのぅ」と頷き、その策が有効かどうか、試す事となった。


次の日。

志賀は足軽に命じて泥を作り、板に塗って火矢を射かけてみた。

結果は成功した。

板に刺さった火矢は、板に燃え移るという事にはなく、火はやがて消えてしまった。


「これは良い!この策貰ったぞ、勘助!」


勘助は、自分の発案した策が受け入れられる喜びを噛み締めた。

しかし勘助は、ここで満足しない。

結局のところ、実戦で役に立たねば意味がない。

自らの策が成功するか否かは、その準備にどれほど努力するかに決まる。と、勘助は考えている。


その日から勘助は、泥を作る作業、それから塗る作業を監督し、自らも体を動かした。




11月 中旬。

勘助は最終確認をしていた。

そこに、興奮しきった様子の志賀の家臣が走ってくる。


「どけっ!どいてくれっ!」


足軽達を押し退け、天守に一直線である。

ただならぬその様子に、足軽達の顔が強張る。


(来たか・・・・・・!)


勘助も天守に向かう。

既に報告を聞き終えた志賀は、勘助の方を見やり、

口角を上げる。


「勘助!敵は八千じゃ!腕がなるのうっ!」


「気を、引き締めねばなりませんな」


山ノ口城は、二千でしか無い。

城攻めは一般的に三倍の数が必要というが、勘助が相手する敵は、四倍であった。




武郷軍 本陣。

武郷信虎率いる名だたる家臣が集まり、軍議が開かれた。

が、家老である板堀信方は不在である。


板堀は信虎の長女、武郷晴奈たけごう はるなのかつての守役であり、晴奈が出陣する今回の戦は晴奈の副将として参陣しており、晴奈の側にいる。


武郷には家老が二人いる。

一人は、板堀信方。もう一人は、天海虎泰あまみ とらやす

二人は双璧をなし、若い頃から信虎を支えた。


板堀信方が不在のため、普段は二人で進めていく軍議は、天海が一人で進めていく事となる。

天海はいつもの気難しそうな仏頂面で、口を開こうとすると、上座に座る信虎が先に口を開いた。


「此度は、これで良かったのかもしれぬなぁ」


信虎は、その独特のねっとりとした口調で急に話しだした。

家臣たちは信虎の方を見る。


「はっ?」


天海は信虎が言いたいことを計りかねた。


「そうであろう?あ〜ま〜みぃ〜」


「・・・・・・はっ」


信虎が天海を呼ぶときにやたらと伸ばすのは、いつもの事であった。

天海は信虎が何を言いたいのか分からなかったが、そうだろう?と言われれば、返事をするしか無い。


「この程度の山城は、調略など使わずとも容易に落ちよう」


「はっ」


歴戦の猛者である天海の本心を言えば、実際にやってみなければ分からない。であった。

が、その天海でさえ今回の戦に油断が無かったと言えば、嘘になる。


「女子供を捕虜とし、兵はことごとく、撫で斬りにせよ。

さすれば、南科野の侍どもは震え上がって、我に従い、所領を差し出すのじゃ」


「山ノ口を見せしめに、この城一つで今川領の多くを我が手中に、という事でございますなっ!!」


と、元気な声で言ったのは、家臣の泉虎定いずみ とらさだという老将で、信虎の次女、信繁のぶしげのかつての守役を務めていた。


「左様。

そのまま南に進み、今川を討ち果たす。

正月までに山ノ口が落ちれば、来年の春には、楽しみが増えよう。

のう?」


家臣達が頷くのを見ると、信虎は愉快そうに笑った。


「信友も、浮かばれよう」


「はっ。此度、城に籠もった敵勢は、我が勢の半分にも満たぬかと存じまする」


「うむ」


天海は、軍議に話を戻した。


「寄せ手には、大手門へ高松勢、搦手門からめてもんには黒木勢、二の虎口こぐちには梅木勢、三の虎口へは野津勢を差し向けまする。

城門を打ち破り次第、総攻めを仕掛け、お屋形様には一気に、本城へと駆け上がっていただきまする」


大手門とは、いわゆる正門の事で、一番外側にある曲輪(三の丸)に入るための城門である。

搦手門は大手門とは逆に、城の裏門の事である。

虎口は曲輪に入るための出入り口の事である。

家で例えるならば、大手門は玄関。搦手門は勝手口。虎口は部屋を仕切る扉といった所だろうか。


要するに、三の丸正面を高松勢、裏門を黒木勢、三の丸制圧後、二の丸に入るための城門を梅木勢、二の丸制圧後、本丸に入るための城門を野津勢が担当する。という事であった。


「まさに袋の鼠ですなっ!!」


天海の話を聞いた泉が、またも元気な声で相づちを打った。

信虎も満足そうに頷き、軍議は終了した。




明朝。卯の刻。

朝、六時頃。


足軽達が配置に向かい早足で移動している。

勘助も足を引きずり、三の丸の櫓に登った。


勘助が櫓に登り城外を見ると、敵の先鋒も続々と現れて隊列を組み、攻撃の合図を待っているのが見えた。


戦が始まってしまえば後は必死に戦うだけだが、戦が始まる前のこの瞬間は、いつも緊張した。


勘助は隣で弓矢を準備している足軽に告げる。


「来るぞ・・・・・・」


いや、それはもしかしたら、自分自身に言い聞かせた言葉なのかもしれなかった。


味方は二千。敵は八千。

それだけの数の人間が集まっていながら、静寂に包まれているのは、不気味であった。


すると武郷軍の方から法螺貝ほらがいが鳴り響く。

どうやら信虎が攻撃の合図をしたらしかった。


「かかれ!」


武郷軍先鋒の大将が掛け声を発する。

勘助はその将に見覚えがあった。


(高松多聞・・・・・・)


勘助は実際に会ったことがあった。というよりも、尋問を受けた間柄だ。


(敵にとって不足なしだ)


勘助は口角を上げた。


高松の合図で一斉に足軽達が尾根を登ってくる。

辺りは陣太鼓と雄叫びが鳴り響く。


「放てっ!」


守将の合図によって弓矢が放たれる。

やまなりに飛んでくる矢群に、防ぐ物が無い敵兵は次々と斃れる。

最前線にいる足軽は木の板を盾として使い味方を守りつつ進撃する。


敵兵はいよいよ、柵の近くまで前進してきた。

そこで味方の守将は、新たな命令を下す。


「鉄砲隊!構え!撃ち方、はじめーっ!」


銃声が鳴り響き、鉄の玉が弾き出される。

鉄砲を木の盾で防ぐ事は、出来ない。


木の板など豆腐にドリルを突き刺すが如く、いとも簡単に貫通し、盾を持っていた足軽は斃れる。

既にこの時代に鉄砲は珍しい物でも何でもない。

鉄砲の弾を防ぐには通常、竹束たけたばを使う。竹束とは読んで字の如く、竹を束ねて縄で縛った物である。

信虎の急な出撃命令のため、用意が間に合わなかったのだ。


(やはり、戦は準備だ)


勘助も弓を引く。

弓矢は足軽の目に突き刺さった。


それでも敵兵は柵まで近づいた。

この機を逃さず、斃れた味方の死体を踏み潰し、前進してくる。


続いて守将の命令。


「槍隊、前へ!殺せ!」


「「「応!」」」


鉄砲隊と交代し、槍隊が前に出て柵をよじ登ろうとする敵兵を突き殺す。


敵は何とか柵まで梯子を持ってきて、梯子をかけるも

それを登る事は叶わず、梯子に登ろうものなら良いサンドバッグであった。


ここで敵将、高松は新たな命令を下す。


「火矢を射かけろ!」


(来たか・・・・・・ッ!)


敵兵は火矢を射かける。

火矢は勘助がいる櫓まで飛んで来た。

泥を塗りたくった櫓に火矢が複数突き刺さる。


通常であればここで、用意してある水等を使い、火の処理をしなければならない。

その間敵兵を攻撃することは叶わず、城の守備能力は下がってしまう。


勘助は突き刺さった火矢を見やる。

火は実験通りに、やがて消えた。


勘助は笑みを浮かべざるを得ない。


「ハハハハハ!」


いや、実際に声に出して笑った。

それを見た隣の足軽は勘助を心配して声を掛けてきた。


「山森殿、少しお休み下さい!」


「うるさいっ!口ではなく体を動かせ!」


次々に斃れる敵兵は、斜面を転がり堀切に落ちる。


寄せ手の兵は、堀切があるため、一度堀切に降りて梯子をかけ、堀切を登らねばならない。

山ノ口城には堀切が二つあり、そのために進軍を止められ、一気に大勢で攻め入ることが出来ない。


堀切を登ろうとした足軽が、顔を出した途端に味方の死体が転がってきて梯子から落ちた。


これが大手門の戦いであった。

では搦手門に回った黒木勢はどうなったのか。


結果を言ってしまえば黒木勢は、搦手門にすら辿り着けずに攻撃を断念した。

裏手に回るために獣道のような道を行軍中、斜面から丸太を落とされた。

例えは悪いが、横断歩道を渡る歩行者の群れに横から大量のトラックが突っ込んできたようなものだ。

その想像するだにおぞましい光景が繰り広げられたのだった。


日が落ちると攻撃は終わった。

大手門、搦手門、どちらも門に辿り着くことすらも出来なかった。


この攻撃開始1日目の戦果の惨劇に、武郷軍本陣は昨夜の軍議と打って変わり、口を失ったようであった。


信虎はしきりに机を乗馬鞭で叩き、一言も喋らなかった。

天海も普段の仏頂面を更に歪めており、他の家臣達も同様であった。





信虎はこの山城を、三日あれば落とせると思っていた。

天海や他の家臣達も同様である。

しかして、その三日目が終わったのである。

大手門の状況は変わらず、搦手門を攻める黒木勢は犠牲を覚悟で罠の中突き進み、突き進んだ結果、搦手門の前にあるあまりに深い大堀切と巨石群を見て、攻撃を諦めた。


ここに来てやっと信虎は、攻撃を転換する事にした。


「児玉、何か策はないかのぅ?」


信虎は軍師というものを置かない。

何もかも全て自分で決めるのだ。

信虎は、家臣と武郷一族を明確に差別している。

一国の国主でありながら、家臣を信用していないのだった。

そんな信虎が困った時に策を求めるのが家臣の児玉虎昌こだま とらまさであった。


児玉は、その優れた頭脳で数々の名作戦を思いつき、信虎を支えてきた。

彼の頭から産まれる作戦はいずれも彼の独創性に基づいており、そのために相対する敵や味方の部将たちまでもその天才としかいいようがない奇抜な作戦には驚かされた。

彼は作戦家に想像される陰気なイメージとは真逆の性格で、読書といった事は好まず、歩き回って誰かと談笑するのが好きで、とにかく落ち着きがなかった。

しかも児玉は、天才肌の人間によく見られるような相手を見下したり、我を張り通すといった面が無いため、人によく好かれた。


「此度は急な出兵だったため、ろくに準備ができておりません。

要塞戦は弱点攻撃が大原則です。

大筒も持って来ていない以上、水の手を切るしかありますまい」


水の手を切るには、坑道を掘り進み爆薬を利用する。

敵の妨害は受けにくく効果は絶大であるが、なにぶん時間が掛かるのが難点であった。


「さすれば、急がねばのう。

地面が凍てつけば困難じゃ」


と相づちを打ったのは泉である。


「誰か、やる者はおらぬのか?」


信虎が家臣達の反応を待つ。


「それがしに、お任せくだされ」


天海が立候補した。

天海を皮切りに、続々と立候補者が現れる。

それもそうだろう。この作戦を成功させ、山ノ口城を落とせたならば、戦功一番は確実であった。


するといきなり、ガタンッと音がした。

見れば一人の将が立ち上がっている。


わたくしめに、お任せください」


久乃木くのぎか・・・・・・)


その顔全体を覆うような立派な髭をした老将は、久乃木希典くのぎ まれすけである。

久乃木は生きる武士道ともいうべき人物で、礼節を重んじ、常に自らに厳しく、他人には優しかった。

その姿に家臣、領民に至るまで皆が尊敬の念を抱いていた。

しかし久乃木には、軍事的才能が無かった。

信虎も久乃木の人格には好感を抱いていたが、戦においては全く信用していなかった。


(陸奥に任せようと思っておったが、久乃木でも穴掘りくらいならばできるか・・・・・・)


陸奥は現在においても峡間で唯一の農民出身の直臣である。

信虎は陸奥を家臣としたが、陸奥のことは便利なとしか見ていなかった。

通常、どんな将であっても人である以上、得意不得意がある。

それを補うために得意な者をその下につけて補佐させた。

信虎はその補佐役を参謀と呼んだ。

しかし陸奥だけは、参謀がいなくてもなんでも出来てしまうのだ。

信虎は陸奥を家臣にしたとはいえ、農民出身である陸奥を嫌い、損な役割ばかりを押し付けた。が、陸奥はそのことごとくをなんとかしてしまうのだった。


信虎は考えた末、結論を言い渡す。


「久乃木よ。よくぞ申した。

おぬしに任せよう」


久乃木は綺麗なお辞儀をして感謝を述べた。





一方、山ノ口城。

城内の雰囲気は、武郷本陣と比べて天と地の如く違い、夜は笑顔で溢れていた。

勘助は城内を歩き回り、それを観察して回る。


(士気は高いが油断はならん。夜襲にも気をつけねば)


するとそこに、もはや聞き慣れた大声が響く。


「勘助!」


「おお、志賀様。それがしに何か?」


「何かも糞もあるかっ!」


勘助には志賀が何に対して怒っているのか皆目見当もつかない。

しかし志賀は、勘助の肩を勝手に組むと、勘助に笑いかけた。

勘助は、志賀が僧侶らしい顔をしたのを初めてみた。


「せっかく家臣供と気分良く酒でも飲んで、語り合おうと思うたのに、おぬしがおらんではないかっ!」


「いえ、それがしは志賀様の家臣では・・・・・・」


「細かい事を気にするな!ほれ、行くぞ」


そう言って強引に勘助を連れて行ってしまった。

勘助はこの時、なんとも言えない嬉しさを噛み締めていた。


勘助はしばらく志賀とその家臣達と一緒に酒を飲んだ。

宴、というにはあまりに貧相なのは戦時中なので仕方がない。


「皆々様、酔ってはなりませんぞ。

夜討ちがあるやもしれませぬ」


「わかっておる、わかっておる!」


志賀は雷のような大笑いをかましている。

そこで家臣の一人が勘助に話しかけた。


「山森殿、敵はしばらく力攻めかのう?」


「容易に城が落ちねば、水の手を断ってくるやもしれませぬ」


そう言って勘助は志賀を見る。

志賀は得意げな顔で答えた。


「心得ておる!井戸の水位が枯れ始めてくれば、直ぐに知らせが参ろう!」


勘助は難しい顔をしている。

敵が間近に迫るまでただ見張っているというのも阿呆らしい。

こちらから先手を打ちたい所だった。


勘助には前々からこうすればどうか、という策があった。

誰に教わった訳でもない。

水の手を切る。その方法を知った時、思い付いた策である。

試した事はないが、やってみる価値は十二分にあった。


かめや壺を集めてくださいませぬか」


「甕か。左様な物に水を蓄えて置くと申すか?」


「いかにも」


勘助はニヤリと笑って見せる。

志賀は「なるほど、無いよりはマシじゃ!」と言って笑っていた。


翌朝、勘助は集めた甕や瓶を地中に半分以上埋めさせ、そこに水を目一杯入れさせた。

志賀には勘助が何を考えているのか、理解できなかった。が、今までの勘助の実績を鑑み、何も聞かずに言われた通りに命令を下した。


それから25日が経過した。

武郷信虎本軍と戦を始めてから、既に29日。

12月に入り、暮れも押し迫っている。


井戸を眺めていた勘助に、水瓶を見張らせていた足軽が走ってやって来た。


「山森様!山森様!」


急に大声で呼ばれたため勘助は危うく井戸に落ちかけた。


「なんだ!」


「水面が・・・・・・っ!」


「ッ!!」


勘助は水瓶を埋めさせた場所に、その歪な走り方で走り出した。

それを見かけた志賀も勘助を追って来た。


志賀が追いつくと、勘助は跪き、水瓶の水面をひたすら観察している。


「何をしておるんじゃ?勘助」


勘助は余程集中しているのか、応じることもなく水瓶を一つ一つ確認していった。


勘助はその内の一つが微かに揺れたのを見た。


「っ!」


勘助は更に隣の水瓶に近づく。

水面はさらに波打っている。


勘助は大体の方角を掴み、今度は歩いて水瓶を見て回る。


「あった!」


「何があったのじゃ!勘助!」


「志賀様!ここへ!」


志賀は勘助に呼ばれて勘助がいる水瓶に近づく。


「どうしたのじゃ、勘助」


「これをご覧くだされ!」


興奮した様子の勘助に急かされて水瓶を見ると、すぐにその異常に気づいた。

水面が大きく揺れているのだ。


「これは・・・・・・?

どういう事じゃ!勘助!」


近くで大声を発せられ、勘助は顔をしかめた。


「何もそんな大声を出さずとも」


「そんな事はどうでもよい!これは何を意味しておるのじゃ!」


勘助はニヤリと笑う。

それは例えるならば、探偵が種明かしをする時の心理だろう。


「敵はこの下でございます。

地面を掘っている振動で水面が揺れておるのです」


「なっ!この下にっ!如何すればよい、勘助!」


勘助は刀を抜き、最も水面が揺れている水瓶を中心としてある一定の方角を指して言う。


「この方角に、我らも穴を掘りまする。

敵の穴にぶつけるのです」




既に戦が始まってから、35日が経過している。

久乃木は、金掘り衆と呼ばれる普段は鉱山開発をする坑夫達を使役し、穴を掘らせていた。


なかなか水の手に辿り着かなかった。

作業の邪魔をしたのは、なによりも寒さである。


しかし久乃木は、手間取る金掘り衆を怒鳴りつけるだとか殴るといった事はせず、黙ってその作業を毎日朝から見ていた。

金掘り衆のやる気は、通常よりも高かった。

しかしやる気に任せて掘り進めれば、音でバレてしまう。

細心の注意が必要な作業であった。


金掘り衆が掘り進めていると、なにか違和感を感じる。

坑夫は、久乃木の判断を仰ごうと久乃木を呼びに行った。


「どうした?水の手に、ありついたか」


「いえ、それが、何か妙でして・・・・・・」


「?」


何か妙と言われても、久乃木には分からない。


「とにかく、掘ってみなければ分かるまい。

掘ってくれ」


「へい!」


久乃木に優しい口調で命令され、坑夫は再び掘り出す。

すると、坑夫の上から音がする。

坑夫は不思議に思い、上を見上げる。

横穴の中に入って上を見上げる様は間抜けにしか見えないが、久乃木も斜め上を見ている。


次の瞬間。

上の地面が落ちてきて、坑夫は押し潰されてしまった。

驚く久乃木がそこを見やると、鎧武者が弓を構えていた。


(やられたか。)


「放てっ!」


弓矢が放たれた。

久乃木は死を覚悟するも、坑夫が久乃木の前に出た。

坑夫は何も言わずに斃れた。

坑夫がこうして命を賭して守るというのは、久乃木の人望の賜物であった。


敵はわらの束を投げ込み、そこに松明を投げ捨てた。

たちまち穴の中に煙が充満する。


「済まぬ」


久乃木は死んだ坑夫達に一人呟き、命令を下す。


「撤退っ!」


久乃木の命令により、武郷方の作戦は終了した。

作戦は言うまでもなく、失敗である。




勘助は、坑道戦で勝利した。

この坑道戦の勝利はそのままこの戦全体の勝利に影響した。

事実、この坑道掘進に失敗した信虎は万策尽きたと言っていい。

もはやもう一度坑道を掘る時間はない

信虎に残された手段は力攻めしかない。が、その力攻めならば最初の三日間に既にやった。


志賀はこの勝利に勝鬨をあげた。


「えい!えい!」


「「「応!」」」


「えい!えい!」


「「「応!」」」


この時の城方の将兵の喜びようは、表現しきれないものであった。




武郷軍 本陣。

信虎は作戦失敗を聞き、激怒した。

城から聞こえる勝鬨は、火に油を注いだ。


そこに久乃木が現れた。

久乃木は頭を下げた。


「申し訳、ありません。全て、私めの責任です」


久乃木は作戦の失敗を坑夫達のせいになどしなかった。


信虎は怒りをあらわに、持っていた胡桃を久乃木に投げつけた。

胡桃は久乃木の頭にあたったが、久乃木はビクともせず、黙って頭を下げ続けた。


「何者じゃ。何者がおるのじゃ、あの城には!」


すると、空から雪が舞い落ちてきた。

家臣達は、頭を下げ続けている久乃木を除いて、みな空を見上げた。


翌日。戦が始まってから36日目。

武郷軍 本陣。

静まり返った本陣で最初に声を発したのは、児玉であった。


「兵糧も後二日で尽きます。もはや馬草にも事欠く次第です」


いつもの如く、泉が補足する。


「このまま雪が積もれば、馬も動かなくなりますなぁ」


続いて天海が、信虎に決断を迫る。


「お屋形様。撤退を。

この次こそは、この城を」


ローテーションは一巡し、再び児玉。


「この雪であれば、敵も追い討ちはかけますまい」


遂に信虎は、決断する。


「陣を・・・・・・退く」


「「「はっ」」」


家臣達は、安堵した。


するとそこに、信虎の長女、晴奈が板堀と共に現れた。


晴奈は今回の合戦で後備え、つまりは後詰めの任を受けており、大事な役目ではあったが手柄も取りずらい。そんな役目であった。

というよりも、信虎は今回の戦を勝つと過信しきっていたのだから、晴奈に手柄を与える気は全く無かったのだろう。


「父上」


晴奈が父を呼び、板堀と共に跪く。

よく通り、人を安心させる声音だった。


「此度の合戦の殿しんがり、私に仰せ付けください」


「若殿?」


隣に跪く板堀も驚いたが、他の家臣達もそれは同様であった。


「なに?」


信虎は不機嫌そうな顔をした。


殿しんがりは、私が務めます」


「この恥さらし者めが。

そち、家来どもの申すことを聞いておらなんだかぁ。

敵は追い討ちをかけぬ、と申しておる。

そんなに殿しんがりの栄誉が欲しいのか?」


晴奈は顔を一度上げて信虎の顔を見ると、再びゆっくりとした動作で頭を下げた。


信虎は晴奈に対し、常軌を逸してキツくあたり、晴奈も昔はよく喋る少女だった気がするが、今は極めて無口になってしまった。


「あぁ〜あ〜。

どこまでも、わしを辱める気かぁ〜」


晴奈は黙って信虎を見ている。

信虎は、晴奈の全てを見通すかの様な奥ゆかしい瞳に見つめられ、余計に苛立ちをあらわにして立ち上がると、宣言する。


「皆の者、よう聞け。

この晴奈様がぁ、殿しんがりを務めてくださるそうじゃ。

よいな?晴奈が殿しんがりじゃ!」


そう言って苛立ちを隠そうともせず、足音を鳴らしてとっとと出て行ってしまった。


晴奈は、信虎が出て行くと黙って立ち上がり、準備をするために出て行ってしまった。

板堀も後に続き、他の家臣達も各々準備に取り掛かる。




雪が舞い散る山ノ口城に、櫓で敵を見張っていた足軽の声が響き渡る。


「敵が動いたぞー!敵が、退いて行くぞー!」


続いて山ノ口城は、勝ちを確信した足軽達の雄叫びに包まれた。


勝利者達の、雄叫びであった。

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