第一話 (3) 戦というもの

 勘助が諸国を遍歴し、陣取り・城取り・兵法の奥義を学ぶといって旅に出てから、実に10年という歳月が経った。

既に勘助は30歳。

いまだ浪人である。

勘助はこの10年、ありとあらゆる兵法書・戦史を読みふけり、戦の気運があれば、その足で現地に観戦に行き、時には足軽として参戦した。


 その勘助が今、生まれ故郷である峡間に帰ってきた。

といっても、陣取り・城取り・兵法の奥義は既に自分なりに会得し、勘左衛門の元へと帰る途中に武郷信虎と今川梅岳との戦の噂を聞き、ついでに観戦していこうと思ったに過ぎなかった。


 勘助は今回の観戦にあたって、拠点を自らが生まれたあの小さな村に決めた。


(母上は元気にしておるだろうか)


勘助はそんなことを呑気に思いながら、平然と自分の村へと帰ってきた。

村の人々は勘助を見て、一様にぎょっとしたような顔をした。

しかし勘助は、この村の連中が自分をどう思おうが、もはや知ったことではなかった。

見知ったような顔も、まったく記憶にない顔もいた。


 勘助はその上半身が大きく左右に揺れる独特の歩き方で、自分の家に近づいていく。

すると、団次郎の家の前に若い女が鉈を持ち、座って枝打ちをしているのが見えた。


(あれは・・・・・・)


勘助が近づくと、女の姿が次第にはっきり見えてくる。

女は枝打ちをしながらご機嫌そうに左右に揺れながら歌を歌っている。


「にゃにゃにゃにゃ~、にゃにゃにゃ~にゃっ、にゃっ、にゃにゃん♪」


その間抜けな歌を聞いた勘助は確信した。


(夕希か)


勘助に背中を向けているため、顔は分からなかったが、その後ろ姿には確かに面影がある。

勘助は


「おう、夕希。帰ったぞ」


とだけ言って、自分の家に向かっていった。


夕希が「はいはい。おかえり~」と返事をしたのを聞いた勘助は自宅に入り、戸を閉めた。


すると次の瞬間、


「・・・・・・って、え?

でぇえええええええええええっ⁉」


と、夕希の叫び声が聞こえた。

勘助は、


(相変わらず騒がしい娘だ)


と思った。

すると今度は、ものすごい勢いで何者かが勘助の家に向かってくる音が聞こえる。

その音が次第に大きくなり、次の瞬間、夕希が戸を蹴破らんばかりの勢いで開いた。


「なんだ、騒々しい・・・・・・」


「騒々しい・・・・・・じゃないよっ⁉

えっ、勘助、なに、あたしたちって、12年ぶりだよね⁉

勘助だけあたしのことずっと知ってたわけじゃないよね⁉」


「そんなわけがあるかっ!俺はこれでも忙しいんだぞ!」


「なんで勘助が怒ってんの⁉久しぶりに会った幼なじみに、あんな挨拶って、え、これあたしが変なの⁉」


「しっかり挨拶はしただろう?お前もおかえりと言ったではないか」


「情緒もくそもないな⁉」


こうして勘助は実に12年ぶりに幼なじみの夕希と再会した。

勘助は汗を流そうと服を脱ぎ始めるが、夕希はとくに頬を染めるといったことはなく、勘助の家に上がり込み、くつろぎ始める。


 24歳となった夕希の容姿について、触れておかねばなるまい。

顔立ちはかっこいいといった感じで、どちらかというと女子に人気のありそうな顔である。

背は高く、男性の中では特段高くも低くもない勘助と同じくらいなのだから、女性としては高い部類に入るだろう。

出るところは普通といったところだが、すらりと長い手足のため、特段目立つことはない。

髪型は幼いころと同じく、うなじに達しない程度の長さで、髪質は真っすぐではなく、若干のくせ毛が入っているようだった。

服装は改造されたものを着ており、動きやすそうな半面、へそが丸出しである。


まあ、どういった容姿であったところで勘助には関係ないのかもしれない。

勘助は黙って服を脱ぎ、ついにふんどし一丁の姿になる。

勘助は桶に水をため、適当に布を持ってきて、体を拭き始めようとする。


「あっ、勘助!あたしが拭いてあげよっか?」


「うん?そうか、では背中を頼む」


「は~い」


そういってニヤニヤとした顔の夕希は勘助に近づき、いきなり勘助の首に腕を、胴体に足を回し、締め始めた。


「っぐ⁉な、なにをする⁉」


「あっはっは~、どうだっ!参ったか~」


なんとも嬉しそうな顔で首を絞める夕希に、勘助は苦笑し、降参を告げる。


「いや~、懐かしいね~。昔もこうやってさ、喧嘩しちゃあ、あたしが勝ってたよね~」


「うるさいっ!いいから、さっさと拭かんか!」


「はいはい」


そう言って夕希は勘助の背中を拭き始める。

すると夕希は、


「うわ~、勘助、傷だらけだね~」


「まあな」


「相変わらず、弱いんだね~、勘助。ほんと、生きてるのが不思議なくらい・・・・・・。

父上も体に傷があるけど、ここまでは多くないわ~」


「ふんっ、己一人の武勇など、戦ではたかが知れておるわ!腕自慢は、すぐに死ぬッ‼」


「はいはい。意地になっちゃって~。昔から変わらないな~」


「そういう子憎たらしいところ、お前も変わらんな」


そんなことを言いながら、勘助は汗を拭き終える。


「そういえば、この家は随分と綺麗だな。母上はどこにおる?」


「・・・・・・おばさんなら、5年くらい前に亡くなったよ」


「・・・・・・そうか」


「おばさん、勘助の行く末だけを心配してた」


「そうか・・・・・・」


「でもね、おばさん、勘助が生きてるって、それだけは何があっても信じてた」


「母上が・・・・・・」


「おばさん、勘助は必ず生きてる。帰ってきたときのために、あたしにこの家を任せるって言ってくれて」


「それで・・・・・・」


道理で家がきれいなわけである。

生きていればもう随分と高齢な春がここまで掃除をできるとは思えなかった。


「ありがとうな、夕希」


「まっ、あたしも勘助が生きてるって信じてたからね~。

あっ、勘助。おなか減ってるでしょ。あたしがなんか作ってあげる!」


「おお、そうか。では頼もうか」


「任せて~」


そういって夕希は食事の準備に取り掛かる。

勘助はこうして人と一緒に食事するのは随分と久しぶりで、なんだかこそばゆかった。


夕希が作ってくれた飯を一緒に食べながら勘助は、雑談を交わす。


「団次郎殿は、お元気か?」


「父上?あ~、元気元気。いまや陪臣だよ」


「ほう、随分と出世なされたな。昔はたかが一兵卒と変わらなかっというのにな」


「父上のくせに、生意気だよね~。あっははは」


「・・・・・・ひどい娘だ。それで、どなたの家臣になられたのだ?」


「え~と、たしか、赤部あかべ様という方だったような」


「赤部?知らんな。そういう名の家臣が信虎におったのか」


長年の放浪により、各国の情勢に詳しい勘助が知らないのだから、大した者ではないのだろう。


「それよりもさ、勘助。夢の方、どうなったの?」


「む。いまはな、諸国を遍歴し、兵法の極意を学んでおったのだ。

見ておれ、夕希。俺は必ずこの名を天下に轟かせてみせるっ!」


「ふ~ん。そっか、頑張ってるんだ」


「おう。それより、お前はどうなんだ。初陣はどうだった」


 夕希も年齢的には既に初陣を果たしている歳である。

もっとも、武士として生きるならという話ではあるが。

夕希も幼いころ、勘助と一緒に武士になると騒いでいたので、勘助は当然、夕希は既に初陣を果たしているものだと思い込んでいた。


「あ~、それね・・・・・・」


「?どうした?」


「実は、まだ戦に行ったことないんだよね~」


「なんと⁉お前ほどの豪傑が⁉

それは・・・・・・武郷家も惜しい人材をなくしたな」


「・・・・・・あんた、あたしのことなんだと思ってるわけ?」


「では、女として生きるか。それもよかろう。もう婿殿は決まっておるのか?」


「・・・・・・いや~、あははは・・・・・・」


夕希は困ったように笑った。

それから、なんでもない雑談を交わすような口調で勘助に聞く。


「ねえ、勘助」


「うん?」


「勘助は、人の首を刎ねるところ、見たことあるの?」


「・・・・・・ある」


「怖く、なかった?あんなの、人のすることじゃない・・・・・・」


勘助は黙って夕希の顔を見つめる。

それから、


「怖くはない」


そう言い放った。


「見れば、怖くはなくなる。武士にとっては、虫を潰すが如くだ」


「・・・・・・」


「お前は、人のすることじゃない。と、言ったな。

それは違うぞ。人だからするのだ。人しかこんなことはしない。

人はまことに恐ろしい。それゆえ、人を信じなくなる。用心深くもなる」


「・・・・・・?」


「要するに、寿命が延びるというわけだ!

何事も、己の目で見ることが大切なんだ」


そう言って、勘助は自分の右目を指さし、パチパチとまばたきして見せた。

夕希は苦笑し、


「なんか最後の方、ぐだぐだじゃなかった?」


と言った。


翌日、夕希は勘助が寝ている間に勝手に忍び込み、布団で一緒に寝ていたのだから、勘助は驚いた。

それから勘助は夕希を連れ、団次郎の家で朝食をとることとなった。


「勘助~。勘助は、いつまで峡間にいんの?」


「武郷信虎と今川梅岳の間で戦が起こっていると聞く。それを見届けてからだな」


「あ~。なんか、山中やまなかのほうで戦ってるらしいね~」


山中とは、峡間の南部に位置する地名で、南科野からすぐの所だった。

要するに、峡間は今、今川の侵攻に遭っている。


「しかし、まさかな、勘助。おぬし、生きておったのか」


「父上、それ昨日から言ってるよ」


勘助は久しぶりに団次郎に会った。昨夜は疲れていたためそのまま眠ってしまったのだ。

団次郎は立派な口ひげを生やしていた。


「だってお前、普通思わないだろう⁉昨日はお前が嬉しそうな顔で、勘助が帰ってきた!帰ってきた!とか騒いでたから、ついに狂ったのかと心配したわ!」


「娘も娘なら、親も親であったか・・・・・・」


なにが気に入らないのか、夕希は胡坐をかく勘助の膝のあたりを無言でガシガシ蹴っている。


「団次郎殿は、此度の山中での戦に参戦なさらんのか?」


「うむ。わしは此度、赤部様より山賊退治を命じられてな」


「山賊?このあたりにですか?」


「うむ。赤部様が以前この村に訪れた後、山賊の拠点が見つかったらしくてな。

四日後にこの村の男衆を集めて制圧に向かえと命じられた」


「あ~。そういえばこの前、なんか来てたね。

馬に乗って偉そうな顔しちゃってさ~。あれが赤部様だったんだ」


「まったく、お前というやつは・・・・・・。

ところで、勘助。おぬしも一緒に山賊狩りはどうじゃ?」


「いえ、それがしは結構です」


「なぜじゃ?」


「山賊では、仕官の足しになりませぬ。時間と体力の無駄です」


「・・・・・・」


「あっはははは。さっすが、勘助!それでこそだよ~」


そう言って夕希は腹を抱えて笑い出した。


「団次郎殿、此度の山中での戦、武郷方はだれがご出陣なされるのですか?」


「おぬしも相変わらずじゃのう、勘助。

此度ご出陣なされるのは、武郷信虎様の弟である信友様、家老の板堀信方いたぼり のぶかた様、家臣の前島昌勝まえじま まさかつ様、高松多聞たかまつ たもん様じゃ」


「ほう、それはなかなか見ごたえがありそうですな」


間接的にではあるが、勘助が夢に向けて動き出すきっかけとなった、あの清正城の戦いで清正城にこもった総大将が武郷信虎である。

板堀信方も、武郷家の家老として、その名は高い。

前島という将は、勘助の知らない名だった。

高松多聞は、若いながらに猛将だと聞いたことがある。


それから勘助は、毎朝早くに起き、合戦を見に行った。

事件は三日後に起きる。

観戦一日目、二日目は小競り合いのような戦しか起きず、この三日目もそこは変わらなかった。

しかし勘助は、今川方の足軽がおかしな動きをしているのを見た。

勘助は山の中で行われている戦を、少し高い位置から木の陰に隠れて観戦している。

そんな、どこから見ても怪しい勘助の背後から


「おいっ!そこのお前、そこで何をしている!」


そんな呼び声がかかった。

勘助はドキリとして振り向く。するとそこにいたのは、武郷方の足軽集団だった。

勘助は安心した。

実は観戦二日目にも勘助は足軽に見つかっている。

その時は今川方の足軽に見つかり、勘助が「ただの百姓でごいす」と言っているにもかかわらず、問答無用で斬りかかってきた。

命からがら逃げだした勘助は、今川方の足軽の隊長格と思われる男が、「必ず見つけ出せっ!皆殺しにせよっ!」と言っていたのを聞いていた。


「なんだ、脅かすでない」


「お前は何者だ!」


「おぬしら、深追いすれば、死ぬぞ。

この先、敵の伏兵が待ち構えておる。たかが小競り合いで死ぬこともなかろうて」


「質問に答えろ!」


「敵も味方も大きくは仕掛けておらぬ。さしずめ敵は、位詰くらいづめだな」


「な、なに?くらいづめ?なんだそれは!というかそれよりも質問に答えろ!」


「いいか?敵はおよそ1万5千。武郷は、せいぜい・・・・・・5千か。

今川はその数を武郷に見せつけ、兵を退かせたいのだ。

このまま小競り合いを続ければ、精神的に、武郷方は負けざるを得ないだろう」


「武郷方が負けるだと?許さんぞ!」


「まぁ、待て。百姓が死ぬことはなかろう。な?」


「だからお前は誰なんだよっ!もう!」


「俺か?俺はただの浪人よ」


そう言って勘助は足軽たちに背を向けて歩き出す。

どうも勘助は自分の考察を他人に聞かせたくて仕方なかったらしい。


「ぬしらの大将は誰だ?強いか?」


そんなことを油断しきって言っていた勘助は、有無も言わせず網をかぶせられた。


「うおっ⁉な、なにをするっ!見当違いだ!」


 こうして勘助は、間抜けなことに武郷軍の足軽に捕らえられてしまう。

捕らえられた勘助は、武郷軍の前備さきそなえの陣に連れてこられてしまう。

前備えとは、要するに先鋒のことで、最前線の陣のことを指す。


 前備えの陣の大将は、高松多聞であった。


 高松多聞の歳は25といったところで、武郷軍の若きエース的な存在だった。

がたいがよく、目は極端に垂れているが眼光鋭く、堂々たるたたずまいだ。

また、部下の訓練に余念がなく、『人殺し』の異名で知られる。


 高松多聞は勘助に刀を向けて問いただす。


「今川の間者かんじゃか?」


なんとも低い声だった。

間者とはようするにスパイのことである。


「それがし、間者ではありませぬ。ただの浪人者であります」


「浪人・・・・・・。名は?」


「小林勘助。此度は戦にたまたま出くわしただけであります。

ぜひとも、お味方にお加え下さりたく、お願いつかまつる」


そう言って勘助は頭を下げる。


「元はどこの家臣だ?」


「どこにも仕えておりませぬ。峡間を出て12年、諸国を日巡り、修行中の身であります」


「ふん。・・・・・・その顔はどうした?見せてみろ」


そういって高松は勘助の、布で出来た汚らしい眼帯をとる。

勘助の見えない左目があらわになる。

高松は多少驚いたような顔を見せたが、すぐに戻し、勘助に続けて問いただす。


「・・・・・・おぬし、目をやられておるのか」


「幼き頃に疱瘡を患い、見えぬようになり申した」


「足も引きずっていたようだが、その目その身で、何を修行していたと言うのだ?」


「兵法の奥義でございまする」


途端、周囲が爆笑の渦に包まれる。

ただ二人、勘助と高松多聞を除いては。


「申してみよ、その隻眼で、敵方の動きどう見たか」


「・・・・・・敵方の足軽が、お味方の陣に駆け入るところを見申した。

敵の部将に、お味方に内通する者、あらぬとも限りませぬ」


「なに?」


するとそこで、「伝令です!」と声がし、一人の男が入ってくる。


「申し上げます!今川の援軍、明朝にも出陣!

板堀様と共に、信友様に合力ごうりきせよとのお下知にござりまする!」


「明朝?出陣する前になぜわかった?」


「はっ。今川方の串間彦十郎くしま ひこじゅうろう殿、我らに内応したとのことでございまする」


高松は今度こそはっきりと驚いた顔をして、勘助の方を見た。

それから伝令の方に向き直り、


「信友様に合力せよとの下知、あい分かった。」


そう言うと、伝令は「はっ」と言い、あわただしく出て行った。

高松も動き出す。


「兜を持って参れ」


「はっ」


高松は勘助を捕らえた足軽を見やり、命令を出す。


「おいっ、この者の事、しっかりと見ておけ」


「はっ」


それからも高松は手早く命令を下していく。


「すぐに板垣様の元に行く!馬をけ!体は休めておけ!」


「はっ」


そうして高松は行ってしまった。

事態が急変したのだ。たかが一浪人にかまっている暇はない。


 残された勘助は、見張りについている足軽たちの雑談を暇そうに聞いている。

しかし、その雑談の中には有益な情報も含まれていた。


「串間彦十郎といえば、去年おらたちが攻め入ってもびくともしなかったやま口城くちじょうの城主でなかったか?」


「そうじゃった、そうじゃった!あの時の戦はつらかったなぁ」


(・・・・・・なるほど。これは良い情報を手に入れた)


勘助はほそく笑んだ。


 そうこうしている内に足軽たちは、隊長格の男以外、みな寝てしまった。

隊長格の男も油断しきっており、大便に行ってしまった。

勘助が縄で縛られていること、足が不自由であったことが原因だった。


 勘助は縄を自力で解き、とっとと逃げ出してしまった。

普通、浪人というのは油断とは無縁の生活を送っているものだが、勘助ほどあらゆる事態を想定している者も少ないであろう。

この間抜けな足軽が縛った縄など、勘助にとっては朝飯前である。


 逃げ出した勘助が家に戻ったのは、夜中であった。

勘助が戸を開けると、部屋で誰かが寝ている。


「誰だ」


勘助が警戒して尋ねると、その影はもぞもぞと動き、


「う~ん。あれぇ、勘助ぇ?まさか、夜這いかぁ?」


と言ったので、正体がわかった勘助は脱力した。


「またお前か!夕希っ!ここは俺の家だ!」


勘助が声を張り上げたため、夕希は起き上がる。


「も~、うるさいな~。静かにしてよ。いま夜中だよ?」


「・・・・・・もういい。今日はもう疲れた」


勘助はろうそくに火をつける。


「あっ、ご飯なら作っといたよ?」


そういって夕希が指さす先には、鍋があり、中に汁物があった。


「おお、助かった。今日は腹が減ってな」


「今日は遅かったもんね~。なんかあったの?」


「間抜けな足軽に捕まってな、高松多聞という将に間者と疑われて、尋問を受けておった。

まったく、あの足軽。俺がせっかく、伏兵を教えてやったというのに。恩を仇で返すとはこのことだッ!」


「あっはははは。さすが勘助!」


「笑い事ではないわっ!下手をすれば斬られておったわっ!」


「でもさ~、間抜けな足軽に捕まるってことは、勘助もよっぽど間抜けだったんじゃないのぉ~?」


「むっ。確かに・・・・・・」


その後、勘助は夕希を自宅に送り返し、この日をなんとか乗り切ったことに安堵した。


 次の日、勘助はこの日、戦が大きく動くであろうことを知っているので、いつもより早く起きていた。

団次郎もこの日、村の男衆を率いて山賊の拠点を制圧しに行かねばならないので、早かった。

そのため、この日も朝食を三人で食べることとなった。

夕希だけは、「あとちょっと~、後生ごしょう~」などと言っていたが、団次郎が問答無用で叩き起こした。


勘助は、観戦に向かう。

この日の戦は、朝から激しいものとなった。

武郷軍の先鋒は、板堀信方、高松多聞。


今川方は勢いに任せて突き進んだところ、落ち葉に隠してある落とし穴にはまった。

その落とし穴の中には竹槍が敷き詰められている。


それを見た板堀信方、高松多聞は突撃の合図をし、これが開戦の合図となった。


機先を制した武郷方のほうが有利であった。

そのなかでも、遠目からわかるほどに、目立つ二人がいる。

高松多聞と、板堀信方である。

高松多聞は、槍を振り回して突き進み、指揮官と思われる騎馬武者まであっという間に近づくと、一撃でその首を飛ばしてしまった。首は3メートル近く飛び、首を無くした体は力なく落馬した。

板堀信方は、刀を使い、群がる敵の足軽どもを、確実に仕留めていく。見事な剣術だった。


「あれが、板堀信方・・・・・・」


勘助は、幼いころに夢見た理想の武将の完成形ともいえるその姿に、おもわず顔がほころんでしまった。

しかし勘助は、この戦に違和感を覚えた。


(おかしい・・・・・・。

今川は物見を皆殺しにする用心深さを見せながら、この寄せ手はあまりに油断しておる・・・・・・)


 勘助は観戦二日目に今川方の足軽に見つかり、問答無用で斬りかかられたことを思い出した。


 勘助は考える。


(此度の武郷方の総大将は、武郷信友。

信友は、山中湖のあたりに陣を構えておる・・・・・・。

まさか・・・・・・!いや、船を使えば・・・・・・)


 指揮官を討たれた今川方の先鋒は、混乱し、ことごとく討ち取られた。

そのうち、「撤退!撤退じゃ!」との命令が下り、撤退していく。


高松多聞は、板堀信方の隣に並び、尋ねる。


「板堀様、お屋形様の援軍を待つまでもありますまい。

今川勢は潰走し始めてございまする。

一気に本陣まで攻め入りましょう」


「いや、待て。解せぬ。・・・・・・高松、ここはおぬしに任す!」


そう言って、板堀信方は馬首を返し、信友の元へと一人向かってしまった。


 ここの最前線から信友が布陣する山中湖辺りまでそれなりの距離がある。

勘助は、板堀が信友の方に向かったのを見て、自分も同じ方向に走り出す。

板堀のように馬に乗っているならまだしも、走っていくとなると、それなりに時間がかかる。

ましてや勘助の足は、遅い。


 板堀の姿はとうに見えず、勘助は山の中をひたすらに駆ける。


(こうしちゃいられない!戦は今、転換点を迎えようとしているのだ!)


そうこうしていると勘助の耳に、なんとも緊張感のない、聞き慣れた声が聞こえた。


(あの声・・・・・・。まさかっ⁉)


勘助が声のする方に近づくと、何を言っているのかはっきり聞こえるようになってくる。


「勘助~。どこにいんの~?あたしだよ~!」


勘助は声の主を発見した。

声の主は呑気に道を歩きながら、勘助を探していた。


「夕希っ!何をしているっ⁉ここは戦場だぞ⁉」


「あっ、勘助!いるなら早く返事してよ~」


「しかも、手ぶらで・・・・・・。何をしに来たんだっ!」


「いや~、あたしも戦を見に行こうと思ってさ~」


「はあ?」


「だからぁ、戦を見たくってさぁ」


「馬鹿を言うなっ!」


「あたしさ、戦のこと、その、・・・・・・怖いんだよね」


勘助は眉をひそめる。


「勘助言ったよね?この目で見れば、怖いものは無くなるって。

あたし、戦が怖い。だから、見たい」


「・・・・・・勝手にしろ」


そういって勘助は再び歩き出す。


「ありがとう。勘助。・・・・・・って、あれ?勘助、どこ行くの?」


「山中湖の方だ。おそらく今頃、戦の真っただ中だ」


「へ~。あ、そういえば、さっき山中湖の方にものすごい勢いで駆けていく騎馬武者がいた」


(板堀信方だな。敵方の違和感に気づくとは、さすがは家老といったところか)



 時間を少し巻き戻し、板堀信方の後を追う。

板堀信方は、最前線から信友が陣を敷いている山中湖の方へ、急ぎ舞い戻る。


(あの油断だらけの敵の先鋒。まるで自分たちが勝つと確信していたようじゃ。

数が多い割にはなかなか攻めてこぬから、位詰かと思っておったが、船の準備をしていたとすれば、合点がいく。

急がねば、信友様が危ないっ!)


 板堀信方は信友の陣に到着した。

まだ何事も起こっていないようで、信友は家臣たちと軍議を開いている。

板堀は下馬することも忘れ、声を張り上げる。


「信友様っ!敵は、後ろです!船ですっ!船を使い、奇襲を!」


「板堀殿?なにを・・・・・・。船?湖を?まさか・・・・・・」


普段は温厚で礼儀正しい板堀信方が、下馬もせずに声を張り上げている様子を見てただ事ではないことを悟った信友であったが、残念なことにこの将、そこまで頭の回転は良くない。


 次の瞬間、信友の陣の後ろから無数の矢が降り注ぐ。


「信友様っ!」


信友の家臣の一人がいち早くそれに気づき、信友に覆いかぶさる。

家臣は次の瞬間には針鼠となった。


家臣が命を懸けて守ったため、信友は生き永らえた。が、その場に集まっていた信友の家臣団はほぼ全滅した。


兵は指揮する者がいなければ戦えない。

その指揮する者が信友を残して全滅したのだ。


「おのれ、今川ぁぁああああっ!」


「信友様、無念ですが、ここは撤退を」


「しかし、板堀殿っ!」


「もはやお味方の負けです。こうなれば、いち早い撤退を」


信友は悔しそうに顔をしかめ、「わかった」と言って、撤退命令を出す。


山中の戦いは、武郷軍の完敗であった。



時間は進み、勘助と夕希はやっと山中湖のあたりに到着した。

既に武郷信友は撤退した後で、戦場には武郷軍の将兵の死体とそれを漁る連中が残されているだけであった。


「あれっ、もう終わってるっぽい?」


「ああ。さすがは今川。いや、太原雪原。これほどまでとは。

此度は良き戦がみられた」


 勘助たちは帰路についた。

時刻は夕方である。

勘助たちの村は、まだ男衆が帰ってきておらず、いつもの活気がない。


夕希は、「今日はなんか疲れたから、もう寝る」といって勘助の家に入ろうとしたところ、自宅に追い返された。


 夕希は戦を見ようと気張っていたため、疲れて寝てしまった。


しばらく経った後、何者かが戸を開けて入ってくる物音がした。

夕希は眠い目で、入ってきた主を確認しようとする。


団次郎ではない。


団次郎ならばもっとがさつに、大声で「ただいま!」と言って堂々と入ってくるはずだ。


(・・・・・・誰?勘助?)


しかし夕希の知る勘助は、寝ている夕希の家に押し入ってくるような真似はしない。

それに歩き方が普通だ。勘助の歩き方とは違う。


そこまで考えが思い至った途端、夕希の眠気は一気に覚め、緊張に包まれる。

体からは嫌な汗が流れだす。


夕希は意を決し、起き上がり、尋ねる。


「誰なっ⁉」


すると何者かは一気に距離を詰め、夕希の口を手でふさぐ。


「黙っていろ。女」


その何者かは男で、鼻と口を布で覆い、顔は分からない。


「お前は一目見て気に入った。俺のものだ・・・・・・。

なあに、悪いようにはしない」


男の物言いに、夕希の感情は恐怖から怒りに変わる。


(何言ってんの、こいつ!ふ・ざ・け・ん・なっ)


夕希はありったけの力を込めて、男を突き飛ばす。

男は、吹っ飛び、壁にぶつかる。


「っぐ。なんという馬鹿力」


「ふざけんなっ!あんたねぇ・・・・・・ッ⁉」


男は刀を抜き、夕希の方に突きつける。


「黙ってろ。女。今は男衆はいないが、騒がれると面倒だ。

見られたら、殺さねばならなくなる。殺せば、刀の手入れにまた時間がかかる」


夕希は自分が情けなくなった。

刀を向けられた途端、怒りの感情は、またも恐怖に支配された。


男は刀を向けたまま、夕希に近寄ってくる。

夕希は動くことが出来なくなっていた。


(勘助・・・・・・、助けて)


「ふん。所詮は女。刀を突きつければ、途端に可愛くなりやがる」


男は遂に夕希の服に手をかけた。

夕希は目を見開く。


次の瞬間、


「ぬぅん!」


そんな声と共に男のさらに後ろから現れた別の男が、手斧を振り下ろす。


夕希を襲っていた男は、夕希の視線でそれを察知し、間一髪、横転し、避けた。

しかも男は、横転し終えたタイミングで刀を振り上げ、男の顔を縦に斬った。


「勘助っ!」


手斧で攻撃した男は、物音を聞いて駆け付けた勘助であった。

勘助は今の攻撃で、顔の左半分を縦に斬られた。

眼帯は真っ二つになり、勘助の見えない左目は露出し、血が流れだしている。

しかし勘助は、ひるむ様子もなく、右目で男を睨めつけている。


「何者だ。その動き、山賊でも浪人でもあるまい」


「貴様には関係のないことよ。邪魔をするなっ!」


そういって男は勘助に斬りかかる。

手斧と刀ではとても相手にならない。

そもそも、先ほどの動きで勘助は、相手の力量が自分より上であることを悟った。


勘助は男の攻撃を避けて、手斧を投げつける。


男は避けるも顔を覆っていた布はとれてしまう。


「っ⁉あんたっ」


「夕希っ!誰だ、こいつはっ!」


「こいつは、信虎様の家臣、赤部・・・・・・」


「・・・・・・チッ」


「何?赤部・・・・・・?こやつが。

自らの家臣の娘を襲うなど、何たる外道。

これだから信虎は好かんのだ」


「黙れっ!この、下郎がっ!」


「信虎は自分の家臣すら躾けれんのか」


「黙れというとるにっ!」


赤部は刀を振り下ろす。

勘助はとっさに、転がっていた鍋のふたをつかみ、防ぐ。


「村の男衆を山賊退治に向かわせたのは、このためか」


勘助は距離をとり、鍋のふたを投げつける。

赤部はそれをこともなげに避ける。

しかし勘助はその隙をつき、逃げ出した。


外は雨が降っていた。

勘助は、家を出たところに置いてあった、鉈をつかみ、再び逃亡した。

勘助がこの村に訪れた時、夕希が枝打ちに使っていた物だ。


勘助は、山に逃げ込む。

その山は、勘助が愛猫の墓を建てたあの山であった。

そのため、勝手知ったる山でもある。


勘助は途中、細くてよくしなるまだ若い竹を見つけ、それを自分の身長よりいくらか高い位置で斜めに切った。

そうこうしていると、赤部が勘助を追って現れる。


「もう逃がさんぞ。化け物みたいな顔しおって」


勘助は、竹を背にしておびえたように鉈を構える。

勘助の手は震えていた。


「ふん。今更怖くなったか」


「許してくださいっ。この通りですっ」


そういって、勘助は鉈を捨てる。


「馬鹿めっ!だれが許すかっ!」


赤部は勘助を袈裟切りにしようと踏み込んできた。

勘助はその踏み込みに合わせて、後ろの竹をつかみ、その先端を赤部に突きつける。

斜めに切り取られた竹は、もはや竹槍であり、赤部の喉元に突き刺さる。


「ッ⁉ガッ、グッ、カハッ⁉」


赤部の口から血が噴き出し、赤部は刀を落として座り込む。


その時、夕希も追いついてきた。

夕希は目を見開いて、その光景を見ている。


勘助は赤部の刀を取り、夕希の方を一瞥すると、赤部の首元に狙いを定め、


「そのみしるし、頂戴いたす!」


そう言って、刀を振り下ろした。


気味の悪い音がした後、ゴトンと首が地面に落ちる音が、不思議と響いた。

勘助は返り血と自分の血で濡れた顔で夕希の方を見て、


「これが戦だ」


と言い放った。


 その後、夕希はまだしばらくここにいるというので、勘助は一度家に帰り、傷の手当と新しい眼帯を適当に作り、首を入れる箱を持って再び戻ってきた。

この頃には、もう雨は上がっていた。

勘助が戻ってくると、夕希は赤部の遺体に手を合わせていた。


「・・・・・・もういいだろう。充分だ」


「・・・・・・うん」


勘助も軽く手を合わせ、首を箱に詰めた。


帰り道。

すでに辺りは月明かりのみである。


「夕希。俺は明朝、峡間を発つ」


「え?」


「赤部の遺体はすぐに発見されるだろう。

そしたらすぐに武郷の家臣が取り調べに来る。

俺はその前に姿を消さねばならない。

そしたら、この首をもって仕官だ。こんな奴でも武郷の家臣だからな」


「そっか。そうだね」


二人の間に無言の時が流れる。

夕希はずっとうつむいて歩いている。

勘助としては居心地が悪かったが、それも仕方無いと思った。


「・・・・・・なあ、夕希。

武士になどなる必要はない。戦なんてする必要はないんだ」


「え?」


「俺は、己の目で見ることが大切だと言ったが、それでどうするかは、自分で決めていいんだ」


「・・・・・・」


「戦など、しなくて済むなら、それに越したことはないんだ」


「でも、勘助の夢は・・・・・・」


「ああ。俺の夢は、この名を天下に轟かせることだ。

それをするには、戦をするしかない」


「・・・・・・」


「でもな、俺が考える最上の策は、人を殺すことではない。

戦わずして勝つ!これこそが最上の策だ!」


「そんなこと、できるの?」


「難しいだろうな。

だが、不可能ではない。

兵は詭道きどうなり、だ。

多くの血を流す策など下策よ。要するに、謀略をもって戦に勝つ!」


「謀略?それって、人を騙すってこと?」


「そうだ」


「恨まれるよ?そんなの」


「俺は、それで人に卑怯だの鬼だの言われても、構わないと思ってる」


「さすが勘助、変わってるね~」


「もう決めたことだ!俺はこれで、天下に、」


「はいはい。名を轟かす!ね。」


「その通り!」


「ほんと、変わらないね~。勘助は」


「お前も変わらんじゃないか」


「あたしは変わったよ。昔は怖いもの知らずだったのにな~」


それから夕希は、ふふっと笑ってから、


「でも、もう怖くない!勘助っ!あたしも武士になろうと思う!」


と言った。

勘助は夕希の顔を見る。

その顔は、決意に満ちている。

勘助は知っていた。こうなれば勘助がなにを言っても詮無いことだった。


 夕希はもはや、戦それ自体に恐怖を感じることはなかった。

勘助の言った通り、自分の目で見たからかもしれない。

しかし夕希は、新たな恐怖を得た。

人を殺すことが当たり前なのが、戦場。

久しぶりに帰ってきた勘助は、傷だらけだった。今日も、顔に傷を負った。

夕希にとって新たな恐怖とは、勘助が自分の知らない場所で死んでしまう事だったのかもしれない。


(あたしが守ってやらないと。勘助はいつ死んじゃうかわかんない。

あたしは、それが怖い。だから、勘助をこの目が届くところに置いておく。

怖ければその目で見ろって言ったのは勘助だもん。しょうがないよね~。)


夕希はすがすがしい表情でつぶやく。


「まったく、しょうがないな~。勘助は」


「?」


 こうして、勘助の峡間での観戦は終わった。

明朝。やはり勘助の見送りは夕希だけである。

団次郎は昨夜遅くに帰ってきて、疲れたのか、いまだ熟睡している。


「勘助!あたしも初陣を果たして、すぐに勘助に追いつくからっ!

だから、それまで待ってて」


「おう。必ずや仕官して、お前を待つ!」


別れもそこそこに、再び勘助は、峡間を旅立った。

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