第一話 (1) 初陣

 勘助は生まれ故郷である峡間はざまを旅立った。

彼は農民をやめ、浪人ろうにんになった。

浪人というのは、生まれた地を離れ他国を流浪している者のことである。

彼は道を東へ東へと進んでいく。

行く先々で、会う人に「ここはどこか」と尋ね、持ってきていた保存食がなくなりそうになっては山に入り、獣を狩って食べ、残りは村を探して保存食と交換してもらった。


 そうして勘助は何日も歩き続け、ある日、小さな村に辿り着いた。

農業をしていた老人が勘助を見つけ、手を止めて話しかけてきた。


「おや、旅の人かい?」


「はい。すみませんがご老体、ここはどなたの領地でありましょう?」


「ここは、池田三郎いけだ さぶろうさまの家臣・朝比奈俊永あさひな としなが様の領地じゃ」


「・・・・・・ほう。」


池田三郎は東科野の国主である羽柴元吉の家臣である。

勘助はついに目的の場所へとたどり着いたことを確信した。


「ご老体、してその朝比奈様はお強いので?」


「う~ん、わしも何回か朝比奈様のもとで戦ったことがあるが、あまり戦はうまくないようじゃな。だから歳の割に陪臣どまりなのじゃろう。」


「そうですか・・・・・・」


勘助は内心うまくいかないことを舌打ちした。

こんな小さい村の老人にまで戦下手と言われるということは、よほど戦が下手なのだろう。が、もはやえり好みはしていられない。

とにもかくにも、戦に出なくては始まらない。


「ご老体、足軽の募集はきておりませぬか」


勘助がそう聞くと、老人は驚いた顔をした。


「その体で戦に出たいと申すのか⁉」


「いえ、それがしの目標は、その先、仕官することです」


「・・・・・・やめておいた方がいい。おぬしはまだ若い。夢を見ることもあるじゃろう。じゃが、それは夢なのじゃ。悪いことは言わん、すぐにでも故郷に帰った方がいい」


おそらくこの老人もお人よしの類だったのかもしれない。

しかし勘助は、そんなことを今更この年寄りに言われる筋合いはない。と、内心腹を立てた。


「心配、無用です。足軽の募集はきておりませぬか」


イライラした様子の勘助に再度聞かれ、老人はあきらめたようだった。

「はぁ、馬鹿者め・・・・・・」と小声で言ってから、


「きておる。南科野の今川が戦の準備をしているらしい」


それを聞いた勘助は、嬉しそうな顔をして老人に詰め寄る。


「おお、そうですか。ときにご老体、それがし、ここ最近飯をろくに食えておりませぬ。どうでしょう、宿と飯の代わりに、それがしが戦に参戦するというのは」


「いや、しかしのう・・・・・・」


「無論、戦での報酬はご老体のものです。それがしは感状が目的ですから」


 感状というのは、上位の者から下位の者に対して評価・賞賛することを目的として発行される書状であり、地位や所属の変動等はこの感状をもとに行われた。

ようするにこの感状がキャリアであった。


「・・・・・・はあ。わかった、わかった。それじゃあお願いするとしようかのう」


「感謝します。ご老体」


 出陣は一週間後にやってきた。

朝比奈が暮らす中規模な村に集められた勘助たち足軽は、自分たちの将・朝比奈俊永の支度を待っている。その間、各々雑談を交わしている。

勘助はいよいよ初陣であり、希望に満ちた少年のような顔をしている。

装備は老人のものを貸してもらった。

兜はなく、鎧はくたくたで、はっきりといえば、ないよりはマシといった程度の貧相なものだった。

その横には、老人のせがれが憂鬱そうな顔をしている。


「はあ・・・・・・今回も適当に切り抜けて、早く家に帰ろ」


「斬りぬける・・・・・・⁉おお、あの保守的なご老体からよくこんな血気盛んなご子息が!頑張りましょうなッ‼」


「・・・・・・?なんでそんなに張り切ってんだ?勘助」


するとそこに支度の終わった朝比奈俊永が現れる。

もう40後半といった歳で、脂ぎった顔をしている男だった。

勘助たち足軽は雑談をやめ、朝比奈の言葉を待つ。


「よーっし、準備はよろしっ!懲りずに進んできた今川の阿呆どもを蹴散らすぞ!」


朝比奈はそう言ってガッツポーズをした。


「「「「おお~~~~~~~」」」


そんな気の抜けた足軽たちの声のなか、勘助だけは気合十分といった感じの声を張りあげていた。

なんとも士気の低い軍勢であった。

朝比奈はそういった軍隊の士気の機微に疎いらしく、自分の呼びかけに応じたという事実をもって、士気は最高だと判断しているらしい。

朝比奈の隊はおよそ300人といったところだった。


 その後、朝比奈隊は朝比奈の直属の主君にあたる池田三郎のもとに合流し、進軍。平野にて敵と接敵した。

勘助が所属する池田軍は総勢3000人といったところだった。対して敵は2000人といったところか。

朝比奈の部隊は、先鋒に組み込まれている。


「よーっし、我が隊は先鋒となった。先鋒となったからには、一番槍は我が隊がもらうぞ!ほかの隊に後れを取るなよ」


「「「「おお~~~~~~~」」」


一番槍とは、敵軍に対し最初に勝利をあげた者を指し、大変に名誉なものだった。

そういったチャンスをもらったはずなのに、あいもかわらず朝比奈隊の士気は低かった。

その時、敵のはるか後方で大きな爆発音が聞こえた。


「なんだ・・・・・・?」


朝比奈がそんなことを口にすると、次の瞬間、味方の陣に何か重い物が飛んできた。

響きわたる爆発音と土を抉り舞い踊る土砂、そして血と肉。悲鳴。


「大筒か⁉今川め、あんなものまで持って来おって・・・・・・」


 大筒とは、大砲のことで、今川方が持ってきたものは野砲といわれる野戦に使われるものである。

一通り撃ち終わると、今川方の将が前進してきた。

それに反応し、池田軍の先鋒隊も各々前進を開始する。

朝比奈も負けじと命令を下す。


「くそっ、くそっ、我が隊も攻撃だ!突撃!」


 こうして勘助の初陣は、機先を制された形で始まった。

勘助は必死に走った。が、いかんせんその不自由な足ではどうしようもない。ほかの足軽にどんどん追い越されていく。一緒に参戦した老人のせがれの姿はもはや見えない。


 しかし結果としてはこれは勘助の命を救ったのかもしれない。

朝比奈隊が突撃してくると、対する敵の隊は後方から弓矢を降らせた。足軽が次々と斃れる。

それでも朝比奈隊は突き進む。

勘助も必死で走る。途中、弓矢が突き刺さった死体群を通り過ぎる。


 勘助がようやく追いついた時には既に大乱戦だった。

勘助は尻餅をついて今にも討たれようとしている老人のせがれを発見した。

勘助はそこに刀を構え、突進する。

こちらに気づかずに背中を向けている敵。刃はその鎧がない部分に突き刺さる。

刃は肉をかき分けていく重たい感触とともにみるみる侵食し、ついには貫通し、敵兵の正面から現れた。

敵兵は、何も言わずに、何も言う事のできない物体へと変わった。


 勘助は初めて人を殺した。

呆然とする勘助に老人のせがれは立ち上がり、


「すまん、勘助!助かった」


そう言って次の敵を探し、行ってしまう。

勘助が何も言わずそれを見ていると、


「うおおおおおおおお」


そんな声とともに勘助に攻撃をしてくる敵兵が現れた。


「っ⁉」


 勘助はかろうじて避けるも、左肩あたりを斬られてしまう。

ものすごい痛みだった。

しかしここは戦場。痛いと言っている暇も、感傷に浸っている暇もない。


 勘助は、刀を構えた。

最初の敵は不意打ちで仕留めた。正々堂々と正面から殺り合うのはこれが初めてとなる。

敵は刀を振り下ろしてくる。勘助はこれをはじき、横なぎに攻撃を試みる。が、防がれてしまう。


(左に回り込ませてはならない。)


勘助の左目は見えず、死角が大きい。

敵もそれを狙っているのだろう。勘助の死角である左手に回り込もうと刀を構えたまま少しづつ勘助から見て左に移動していく。勘助は敵が死角に入らないように常に敵を正面にいれようとする。

自然、勘助が動くときに右足が不自由なことがわかってしまう。

敵兵はそれに気づき、口角を上げた。が、結果としてこれが彼の命取りであった。

勘助の足が不自由なことを見て取った敵兵は、少し距離をとった。

これで勘助からむやみに攻撃してくることはなく、自分の好きなタイミングで一方的に攻撃できると思ったのだろう。


つまりは油断したのだ。

その意図に気づいた勘助は、大きく一歩踏み出し距離を詰め、袈裟斬りにする。

敵兵は驚いた顔のまま絶命した。

この敵兵の失敗は、勘助の足が生まれつきでなく、この戦中に傷を負ったものと決めつけたことだろう。

勘助の足は確かに不自由だが、痛んだりしない。


 勘助は一息つこうとする。が、やはりここは戦場である。

次の敵と目が合う。きちんとした鎧で槍を構えている。おそらく武士であろう。


(こいつは手強い・・・・・・)


 勘助は気を引き締める。

しかしその時、


「撤退!撤退だ!」


と、おそらく敵将であろう騎馬武者の声が響き渡る。


 勘助とにらみ合っていた敵は一目散に逃げだした。

勘助は特に追うといったようなことはしなかった。どうせ勘助の足では追いつけない。それにそもそも勘助が勝てた相手かわからなかった。


 敵の撤退の鮮やかさといったらすばらしく、朝比奈隊はまんまと敵を逃してしまった。

ふつう撤退戦というのは戦でも最も難しく、敵に後ろから斬り刻まれるか、組み合ってしまってなかなか撤退できないものである。

しかし、勘助の部隊の将である朝比奈俊永は、それがわからない。こういうものだとしか思っていない。

朝比奈が戦が下手な所以であろう。


「よーっし、一番槍だっ!このまま追撃戦に移るぞ!」


「「「おおーーーーーーー‼」」」


 この時点での結果だけ見れば、朝比奈隊が一番に敵を撃破したことになる。

一番槍を自分たちがしたことで士気の低かった朝比奈隊の面々も士気が上がったようだった。


 老人のせがれが嬉しそうな顔で勘助に近寄ってくる。


「やったな、勘助!一番槍だ!恩賞も弾むぞ!」


しかし勘助は腑に落ちない顔である。


「どうしたんだ?」


「おかしくありませぬか?あの敵の退きかた、まるで最初からそう決まっていたかのような・・・・・・」


「ははははははっ、勘助は初陣だからな。戦なんて勝つときはあっという間だ!」


「そういうものですか?ならば、よいのですが・・・・・・」


 かくして、追撃戦が始まった。鳥の目でこの戦場を眺めれば、朝比奈隊だけ突出してしまっており、敵の隊を追って、まもなく林があるといった辺りにまで出てきてしまっている。


 またも勘助は遅れてしまっている。

老人のせがれは先ほど、勘助に救われたこともあって最初は勘助に合わせて走っていたが、やがて野暮ったくなったのか、「勘助、先に行ってるぞ!」と言って行ってしまった。


 勘助の目には、老人のせがれがいる一団の背中が見える。

次の瞬間である。

その一団の上に大きくて黒いものが落下する。

落下した瞬間、老人のせがれ共々、一団がただの血けむりに変わった。

その衝撃波で勘助は尻餅をつく。すると今度は勘助の目の前に左腕と思しきものが飛んできた。


 勘助の遠く前方にある林から銃声が聞こえ、鉄砲の弾と弓矢が降り注ぐ。

この時代の鉄砲というのは、火縄銃といって次弾を撃つまでにとにかく時間がかかる。

銃声の音は一度きりで、その後林から敵兵が飛び出してきた。


 これを見た朝比奈隊の足軽は、驚き、算をみだして勝手に逃げ出した。

所詮足軽など生活のために参戦しているだけに過ぎず、武士たちのような忠義や恩義で参戦しているわけではない。

負けるとわかれば、自分の命惜しさに一目散に逃げた。

これをさせないようにするには、余程の信頼と士気が必要であった。


 勘助はそれでも戦場にむかって走る。

勘助の負けず嫌いはやや常軌を逸しており、撤退命令も出ていないのに勝手に逃げることは嫌らしい。

途中、逃げてくる足軽の一団とすれ違う。


 戦場に近づくと激しい怒号が聞こえてくる。


「逃げるなっ‼誰が撤退と言った‼卑怯者ども、戦え‼」


馬上で朝比奈俊永が怒鳴り散らしている。

朝比奈隊の右側面には小隊規模の鉄砲隊が回り込み、撃ち方を始めた。

混乱している朝比奈隊はそれを叩くことが出来ない。

銃弾が、馬上で指揮という名の罵倒を繰り返していた朝比奈俊永にあたる。

朝比奈は落馬し、部下に支えられてなんとか立ち上がる。


勘助は、朝比奈を討たんと突撃してきた敵兵を阻止した。


「どけいっ!そいつは大将首だろう⁉おらのもんだっ!」


「だからどけんのだ!」


 功に焦って敵兵は簡単に見切れる槍を突き出してきた。

勘助はそれを軽々と避けて敵の懐に入り、刀を突き刺す。

敵は絶命したが刀は変に刺さってしまったらしく、抜けない。

勘助は仕方なく今しがた殺した敵兵が使っていた槍を持つ。


「よくやった!そこの足軽!」


 と、朝比奈が言ったが、周りを見渡せば300人いた朝比奈隊もいまや50人足らずである。

朝比奈隊は壊滅したのだ。

残ったのは勘助以外は全員武士で、足軽はみな、逃げたか殺されたかのどちらかである。


 勘助は必死に戦った。が、体には傷がどんどんついていく。

朝比奈に向かって一騎の騎馬武者が突撃していく。

しかしこの騎馬武者も功に焦ったために命を落とすこととなる。

この騎馬武者には朝比奈しか見えていなかったのだろう。勘助が繰り出した槍を見えていなかったようだ。

槍は胸に突き刺さり、騎馬武者は命を落とした。

女であった。

しかし兜をかぶっていたため勘助にはわからなかった。

まあ、わかったところでこの時代、女で足軽というのも普通に存在したし、有名な武将の中にも女性は普通にいたため、なんとも思わなかったかもしれないが、実際の所はわからない。


 

 銃声が鳴り響く。味方の武士たちが斃れた。

勘助は、右側面に展開している鉄砲隊を苦々しい顔で見る。


(あれはなんとかならんのか⁉)


 しかし勘助の願いはすぐに叶った。

味方の騎馬隊が鉄砲隊を側面から蹂躙した。


「よーっし、あれは勘左衛門かんざえもん殿の隊じゃ。みな、助かったぞ」


後詰めの小林 勘左衛門という将の率いる隊の援軍であった。

朝比奈隊を苦しめていた敵の隊は援軍が来たと知ると、すぐに撤退を開始した。

勘左衛門が朝比奈に近づいてくる。


「おお、勘左衛門殿!助かり申した!これから敵の追撃ですかな?それがしも是非に!」


むやみに追撃して失敗したくせに、まだ懲りていないのだから、勘左衛門は内心呆れた。


「いえ、この退きの潔さ、おそらくまた罠でしょう」


「なんと⁉」


本気で驚いた顔をしてみせるのだから、いよいよ勘左衛門は呆れて、顔に出てしまった。

しかし朝比奈は、人の感情がわからない。というよりも、興味がないのかもしれないが特に気にした様子はない。


 小林勘左衛門は、もう60にもなる高齢で、見た目はつまようじのように細く、泣き面であった。

身分は朝比奈俊永とおなじく池田三郎の家臣である。


 勘左衛門は、勘助の方を見た。


「朝比奈殿、彼は武士ですかな?」


「いや?見ればわかりましょう。足軽ですよ」


「では、彼を連れていってもよろしいか?」


「?いいですが、戦の方は?」


「我らの負けです。どの隊も同じように罠にあい、壊滅です」


「やはり、雪原せつげんの策略ですか?」


「恐らく。まことに厄介な軍師です」


 雪原とは今川梅岳の軍師で、名は太原雪原たいげん せつげんといい、もと僧侶である。


 勘左衛門は、勘助に近づいてきた。


「そなた、足軽のくせになかなかやるではないか。見ておったぞ」


「はっ。ありがとうございます」


そういって勘助は片膝をつき頭を下げた。


「よい、顔を上げよ。そなたは、農民か」


「いえ、浪人でございます。

仕官したくて故郷は捨て申した」


勘左衛門は驚いた。


「なんとっ⁉その体でか?」


「御意」


「その目と足は、戦でか?」


「いえ、目は幼いころ疱瘡にかかり申した。

足は生まれつきでございます」


「なぜ仕官したい?」


「それがしの、夢のためでございます」


勘左衛門は勘助を黙ってじっと見つめた。


「・・・・・・おもしろき男じゃ。

気に入った!そなた、わしについてこい」


 こうして勘助は小林勘左衛門についていくこととなった。

戦自体は池田軍の負けで、今川に領土を奪われることとなった。しかし今川もむやみに攻めてくるという事はなく、とりあえずは終結したのだった。

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