第16話 黎明〈後編〉

 

 叢時雨むらしぐれ……勤皇党きんのうとう……?

 この世界に来てから今までで、全く聞いたことのない言葉だ。勤皇党といえば、元の世界の幕末で尊皇そんのう攘夷じょういを唱えていた土佐とさ勤皇党という結社があった。それと似たようなものだろうか。

 しかし、ただの勤皇勢力が今回の襲撃や一文字の母の殺害に関与? 一体どういうことなのだろうか。


「叢時雨勤皇党については、お前には話していなかったな。これに関しては、まだお前に解説していなかった皇國の歴史と現状を踏まえてから話した方が早いだろう。

 小野大隊長、少し音無に話をしても良いでしょうか」


「許可する。むしろ、音無には一刻も早くこの国のことを知ってもらわねば。

 我々と離れて生活を始めた後で、無知による不都合が起きるのも面倒だ」


 煙草の煙をもくもくと吐き出しながら、小野は話を促す。月島はソファの少し斜めに再び腰掛け、俺に向き直る。


「萩坂への道中、どこまで話したか覚えているか?」


「えーっと……。

 四方の諸大名による叛乱と魁魔の出現によって、皇國が大混乱に陥って……。それを早急に収める為に、朝廷は精鋭ばかりの親兵隊を組織。

 新皇都と呼称した天照山脈の内縁部にあたる地方への併合勧告を出し、従わない諸大名を親兵隊が鎮定した、というところまで」 


「そうだな。これから話すのは、その後についてだ。

 ……数多くの抵抗に遭いながらも、朝廷は新皇都地方を平定。本州の8分の1にあたるこの地方を〈皇都こうと〉とし〈皇京おうきょう〉の名を与えた。建国当初から政治や外交・軍事の中枢は、旭皇陛下のお住まいである〈宮城きゅうじょう〉がある〈平桜京へいおうきょう〉であり、現在も皇國議会や各官庁が置かれて変わっていない。平桜京としてではなく〈皇京おうきょう〉の名に変わりはしたがな」


 平桜京という〈みやこ〉から皇京市という一つの〈〉への変化。

 それは皇室の直轄領が、たった一つの都から広大な地方へと移り変わったことを意味する。中央集権化への第一歩といえるだろう。


「こうして、朝廷は皇國再統一への地盤を固めることに成功し、東西南北に割拠した諸大名を各個撃破する方向に動いた。……しかし。

 朝廷が新皇都地方の平定を行っている間に、諸大名は旧〈東国とうごく管領家かんれいけ〉である〈藤橋ふじのばし〉の下で結集し、〈天鷹原あまたかのばら幕府ばくふ〉という連合政権を打ち立てていた」


 待ってくれ、情報量が多い。天鷹原幕府は何か聞いたことがある気がするけど、東国管領家って何だ? どことなくかっこいい感じがするけど。


「東国……管領家?」


「ああ、すまん。また知らないことを言ってしまったな。この際教えておこう。

 〈管領〉とは、朝廷によって東西の諸大名家の当主一人ずつに任ぜられる、地方の間接統治の為に置かれた官位のことだ。

 藤橋家……元の家名でいうところの〈松葵家まつあおいけ〉は東国の統治を行っていた大名家で、東海とうかい(皇國南東部)の〈三崎みざきのくに〉を支配していた。しかし天元の乱が起きる頃にはその権威は失墜しっついしており、当時の嫡男ちゃくなんであったのちの〈藤橋ふじのばし真康さねやす〉を東海の有力大名に人質として送らねばならないほど落ちぶれていた。だが、天元の乱が南部諸大名の敗北に終わると、松葵家は朝廷や東海大名〈忌田家いだけ〉の後ろ盾もあって元の管領家としての権勢を取り戻したのだ。

 しかしその後、松葵家当主となった真康は旭皇陛下からの御恩を忘れ、叛乱に加わった。そして東海・南州諸大名を吸収して家名を変えた藤橋家だったが、かつて日本を統一した〈柴臣しばとみ〉の権威を護るべく〈石矢いしや和成かずなり〉などの西国諸大名が決起し、統一を阻んだ。そうして西暦1600年に起きた天下分け目の戦いは、現在〈関ヶ原せきがはらの戦い〉と呼ばれている。

 さて、その合戦は藤橋家の勝利に終わった。兵の数だけを見れば西軍の方が勝ってはいたが、東軍になびいて裏切った西軍大名が多かったことから、東軍の勝利は決定的なものとなったのだ。多くの西軍大名が裏切ったのは、事前に藤橋真康が送った書状に書かれていた〈西軍を裏切れば、多くの褒美を与える〉といった旨の言葉を信じた故だった。

 そして東軍が勝利した後に藤橋真康は、藤橋家を頂点として新皇都地方以外の日本全域を支配する士族の連合政権・天鷹原幕府を打ち立てたのだ」


 ……えげつないな、藤橋家。その藤橋真康という大名がよほど謀略や政治に優れた大名だったのだろう。なんか元の世界の某三英傑に似てる気もするけど。

 多分だが、忌田家の当主は第六だいろく天魔王てんまおうって名乗っていて、柴臣家っていうのも農民から下克上した大名家な気がする。


「さあ、話を続けるぞ。

 そのような皇國を二分するような大勢力ができてしまっては、朝廷としても手が出しづらい。新しく接収した地方でのまつりごとに加え、幕府よりも遥かに多く出現する魁魔への対処。これらも大きな足枷になっていたことも事実だ。

 これを好機と見て上洛じょうらくを果たそうと、藤橋家は幕府軍を組織して環状大山脈たる天照山脈にまで迫ったが、親兵隊の決死の抵抗もあって山脈を超えることはついぞ無かった。結果として、朝廷と幕府の内紛は膠着こうちゃく状態に陥った。

 ……この国の再統一は、未だ為されていない」


 いやマジか。ってことは300年もの間、この国はずっと内乱状態……。

 領土は本州の8分の1、皇都のみ。

 天照山脈より外に味方はおらず、中にも魁魔という強大な敵。

 この時代は欧米列強、特にイギリス・フランス・オランダによるアジア進出が進んでいる頃だ。黒船来航とかの皇國への直接的介入は無いようだが、それでも東南アジアやインドへの入植は着々と進んでいる。

 そんな時に、未だ再統一が為されていない小さな島国があったら?

 ……皇國は攻撃され、植民地化されるだろう。


「それって結構まずいんじゃないですか? 沿岸部も幕府によって奪われているんだとしたら、周辺諸国の動静すらも確認できないんじゃ……」


「いや。流石に300年もの間、ずっと手をこまねいていたわけではないさ。

 朝廷は何度も幕府と交渉を重ね、一先ずの和議を結んだ。

 だが当初の朝廷は士族による連合政権を〈幕府〉と認めず、あくまで皇室を滅ぼさんとする暴虐な〈叛乱軍〉としていた。

 認めるわけにはいかなかった……というのが内心だったのだろうが。自分達を押し退け、独自の幕府を開いて太平の世を築こうとする者共を、な。

 それに対して我々は、魁魔との熾烈しれつな戦いによって太平の世を為すことはついぞできなかった。しかし、だからこそ〈近代化〉に成功したのだ」


「近代化……ですか?」


「ああ。幕府が成立して和議が結ばれてからしばらくは、朝廷も幕府もお互い一切の干渉をすることがなかった。

 当時の朝廷は、新皇都地方において支配階級としての士族を形骸化けいがいかさせて〈親政しんせい〉を行おうと、多大な政治的努力を注いだ。

 また幕府は、朝廷が大名家に命じていた〈鎖国さこく〉体制を強め〈キリスト教信仰の禁止〉と〈カトリック信仰国家との貿易禁止〉を忠実に護り続けた。恐らく幕府としても、キリスト教・カトリック教会を恐れていたのだろう。鎖国下の幕府では、九州沿岸1港のみをしん・オランダとの貿易の為に開港していた。正規の国交は李氏朝鮮と琉球王国に限っていたようだがな。

 当初はそのような政策にお互い注力していた為、相互不干渉でいられた。しかしそれらが次第に実を結んでくるようになると、両者とも干渉せざるを得ない状態となり、交渉の場が設けられた。

 その結果、天元の乱における南部諸大名とは違い皇室の正統を断固容認するという幕府の考えを汲み取って、朝廷は当初の立場を大きく転換。

 武家の棟梁とうりょうとなっていた藤橋真康に〈征夷大将軍〉として官職を与え、それを世襲のものとすることで天鷹原幕府を認めるに至った。その対価に、幕府は九州沿岸の一地域を皇室の直轄領として割譲。朝廷はその地域に清・オランダ等との窓口となる港湾都市を建設し〈八咫やたさき〉の名を与えた。以後、この都市に入ってくる情報が朝廷・皇都に伝わり、周辺諸国の動静を唯一知る生命線となっていった」


 ……なるほど。

 魁魔という内部の敵が朝廷を苦しめ、天照山脈が幕府の攻撃から朝廷を護った。

 そして朝廷と幕府の内戦は膠着し、休戦の後に小康状態へ。

 それが終わった後の交渉でもお互いの意見と利益が一致したことで、幕府は旭皇によって認められた征夷大将軍の元で再び団結。皇室は己の懸案だった貿易・外交用の沿岸部直轄領を手に入れた。

 だが、その時点ではあくまで清・オランダ等との貿易に限定する鎖国体制に、朝廷も幕府も拘泥こうでいしていたことになる。

 いつからその体制を解いて近代化に成功し、この部屋のように欧州文化を取り入れ、法制度などが整備されていくに至ったのか。それがまだ分からない。


「その後、朝廷と幕府は外交関係自体は持つが、他の部分ではあまり交易なども行わない、相互不干渉で付かず離れずの関係を維持し続けた。しかしそれは、皇都の近代化によって変わっていくことになる。その話を今からしようか。

 ……16世紀末には、現在の諸問題の元凶たるポルトガル王国が凋落ちょうらく

 17・18世紀と時代が経つにつれて、国際情勢も大きく流動。

 〈日の沈まない帝国〉とされたスペイン帝国が、植民地帝国の座から陥落。

 朝廷と幕府の共通の交易相手であったオランダ共和国が、植民地における因縁からイングランド王国に戦争を仕掛けられて敗北。その後のナポレオン戦争の影響もあってイングランド、後の大英帝国にアジアにおける覇権が移っていった。

 当初はインドに注力していたイギリスの東インド会社だったが、オランダの転落に合わせて東アジアにも権益を拡大。

 この動きを見て朝廷は、カトリック教会から独立したイギリス国教会を信仰し、産業革命から端を発した高度な技術を誇る大英帝国を新たな貿易相手と見た。実はそれ以前にも、イギリス東インド会社が皇國に商館を置いていたこともあったのだが、その時にはオランダとの競合に敗北して撤退していたのだ。

 そのような縁がある上に、大英帝国にはキリスト教を布教する目的は無く、それよりも皇國で産出される金・銀・銅を欲していた為、その誘いは渡りに船だった。

 そこで18世紀半ばからは、オランダ・中国との貿易を続けながらも新たにイギリス東インド会社の商館を八咫ヶ崎に置き、貿易を開始。朝廷にとっての不都合を廃した貿易は順調に進んでいった。そして、オランダ東インド会社が18世紀末に解散され対日貿易が途絶えたことで、大英帝国との貿易は更に進展することになる。

 そんな中で、朝廷ではとある変化が起きた」


 とある、変化……? 近代化に関することだろうか。

 月島が解説してくれた通り、イギリスは産業革命から始まった高度な科学・軍事技術を持っている上に、政治的にも立憲君主制を世界で初めて採った国家だ。

 親政を行っていた朝廷が、学び、吸収する要素は無数にある。


「今まではオランダとの交易でしか入ってこなかった諸外国の情報が、イギリスからも入ってくるようになった為、より多くの人々が西洋文化や先進的な政治体制・自由な経済の在り方に憧れを抱くようになった。

 だが、それと同時に欧州諸国によるアジア進出……特にインド・東南アジアでの帝国主義的侵略に、皇國の現状を懸念する者達も多くなっていった。

 いくら朝廷と幕府との和が為されているとはいえ、それぞれが協調し合うことも殆ど無く別々の路線を採り続け、士族達には旭皇陛下を重んじる気風すら消え去って久しい。数百年前には確かに存在していた、旭皇陛下を中心とした〈統一国家〉としての日本はもはや此処には無い。

 このままでは、今は良好な関係にある大英帝国やオランダも次第に牙を露わにさせて、皇國はインド・東南アジアの二の舞になってしまうのではないか……。

 18世紀後半には朝廷も、そうした皇國の未来を憂う者達による派閥……いわゆる〈立憲りっけん統一とういつ〉の意見を無視できなくなっていた」


 立憲統一派、か。字面から大体の理想は予想できる。

 幕末における攘夷討幕派・開国佐幕派とかの位置づけと似ているな。

 そしてそのような憂国の志士達が18世紀後半には既に現れていたということに、此処が並行世界であるということを改めて認識させられる。


「立憲統一派の考えというのは、一言で言えば旭皇陛下・皇國政府を中心とした中央集権国家としての皇國を創り上げることだ。

 西洋から様々な法制度……特に憲法を、旭皇陛下の在り方を考えて皇室からの承認を経た上で導入し、近代化・民主化を急速的に進展させる。

 そして強大な国力と軍事力を皇都にて創生し、最終的には幕府を滅ぼして、日本再統一を完遂させる。そうすることで、きたる敵である西洋諸国を迎え撃つ為の算段を整える。そのような考えだ。

 なお我々皇國軍は、陸海軍共に立憲統一派……現在は皇國二大政党の一つである〈立憲りっけん統一とういつ同盟どうめい〉を支持している」


「なるほど。現在の皇都は立憲統一派によってつくられたってわけですか」


「そうとも言えるな。……さて。

 当時の旭皇であった〈光仁こうにん旭皇きょくこう〉は立憲統一派を支援していた太政だじょう大臣だいじんからの進言を受けて、かなり判断に苦慮したそうだ。しかし西暦1799年には、大英帝国の植民地支配に最も激しく抵抗した南インドの〈マイソール王国〉がイギリス東インド会社による攻撃で降伏。属国である〈藩王国はんおうこく〉となり、大英帝国の南インド支配は盤石なものとなった。まだ完全にインドが支配されたわけではなかったが、もはや大英帝国のインド覇権は秒読みの状態となっていた。

 しかも隣国の清では、1796年に〈白蓮びゃくれん教徒きょうとらん〉と呼ばれる大規模な農民叛乱が勃発。形骸化していた八旗はっき緑営りょくえいといった清の正規軍はそれを鎮圧できず、最終的には郷勇きょうゆうという有力者の私兵集団が代わりに叛乱を収めた。

 これによって清朝の弱体化が明らかになり、マイソール王国敗北の報ものちに光仁旭皇の下へ伝えられると、遂に旭皇陛下は御聖断ごせいだんを下された」


 清朝の弱体化。それは、今までずっと東アジアの秩序を保ってきた〈華夷かい秩序ちつじょ〉の守護者たる帝国の地盤が揺らいできたということ。

 このままの状態では清、すなわち中国すらも西洋諸国からの外圧に耐え切ることができる保証はないということだ。ならば、ということだろう。


「翌年の西暦1800年・皇紀2460年に光仁旭皇の命を以て〈大日本だいにほん皇國こうこく憲法けんぽう〉が公布され、施行された。それと同時に〈皇國こうこく議会ぎかい〉及び〈内閣ないかく〉と〈大審院だいしんいん〉が組織され、三権分立の考えが適用される形となった。

 また陸軍省などの各省庁が内閣の直轄下に置かれ、普通選挙法が施行されるなど近代的な国家建設への第一歩は無事に成功することとなった。

 主な法制度は大英帝国のマグナ・カルタや権利の章典、フランスの人権宣言、アメリカの独立宣言などを参考にしながらも、皇室の在り方との兼ね合いを考えながら、皇國独自のものとなっていった。

 特に、政体はイギリスと同じく立憲君主制としながらも、英国における国王よりも旭皇陛下の権限が大きく、皇國議会や内閣なども旭皇陛下の執政しっせいに対する輔弼ほひつ機関として設置されたものだ。

 ただそれは名目上のもので、旭皇陛下は多くの権限を内閣や皇國議会に委任。決定された法案を承認してそれを公布するといった役回りを進んで行っている。勿論、内閣の閣議や皇國議会には常に参席し、発言や質疑もしているそうだ」


 ……こうして皇國は、従来の朝廷による親政国家から皇室と皇國議会を中心とする立憲君主制国家へと変貌したわけか。

 しかし、それが実現してからもう半世紀以上経っている。

 立憲統一派の考えとしては、近代化・民主化を成功させた後に幕府を撃ち滅ぼすということじゃなかったっけ。

 未だ完全に皇國軍の近代化は為されていないということなのか?

 思い返してみれば、月島達は今までを一切使っていない。服装こそ近代軍のそれではあるが、魁魔との戦いでも日本刀を使っていた。

 魁魔の数はかなり多いのでいちいち射撃していたら、逆に補足されてやられてしまうのかもしれないが。何となくそこら辺も関係しているような気がした。


「こうして皇國は立憲統一派の指導の下、再統一の道を切り開いていくことになる……はずだった。

 しかし、皇國議会が開かれて1年もしない内に、立憲統一同盟に対抗するかのように〈自由じゆう憲政党けんせいとう〉という政党が結成された。この政党は立憲統一同盟が掲げる強硬的な皇國再統一ではなく、対話による幕府との協調を主張している。

 実際に自由憲政党が与党になった際の政策によって、皇國北部・南部の港湾都市である〈北館きただて〉と〈須南浦すなみうら〉の割譲が幕府との対話により実現。

 それぞれの都市で、イギリスやフランス・ロシアとの交易が解禁されたことによって更なる経済発展と近代化が進んだ。

 また、八咫ヶ崎に元からあった皇國海軍の艦隊の寄港地きこうち及び根拠地こんきょちが北館と須南浦にも置かれたことで、現在にまで至る皇國海軍が形成された。

 当然、このような政策を成功させた自由憲政党の名声は高まり、今日こんにちに至るまで20年近くずっと与党の座を奪われ続けている状態だ」 


 なるほど。現在の皇國の在り方を形作ったはずの立憲統一同盟は、後からできた自由憲政党によって指導者の座を奪われたわけだ。

 しかし幕府もよく対話だけで、重要な港湾都市を二つも割譲するものだ。

 当時の幕府の長……すなわち征夷大将軍が弱腰だったということなのだろうか。


「近年はまた政情が変わってきているようなのだが……。まあ、これ以上は叢時雨勤皇党の話から本格的に脱線してしまうから、やめておこう。

 大日本皇國憲法が施行されてから半世紀、つまり今日こんにちにまで至る皇國での出来事に産業や文化の進展と社会の変化、更に諸外国の動向など詳しく話そうとすれば日が暮れる。そろそろ本題に入ろうか」


 本題、か。あまりにも皇國が歩んできた道程が目まぐるしいものだったから、つい叢時雨勤皇党とやらの存在を忘れてしまいそうになっていた。

 今、月島に話してもらった皇國の歴史は大体の流れを要約しただけで、一部に過ぎないのだろう。だがそれでも、一つの国の歴史を最初から学び直す行為ってのは結構キツい。だってほら、俺って一応新高校一年生だろ。

 つい1か月前までは中三、2か月前には受験生だ。歴史は割と好きで得意な教科でもあったけど、今まで月島が話してくれたことを今すぐ全て覚えろ、なんて言われたら脳がパンクする。あくまで断片的に、頭の片隅に入れているだけだ。

 さて、本題をしっかりと聞いておこう。


「叢時雨勤皇党とは一体どのような組織なのか。

 まずは、その沿革と理念等から話していこうか」


 ……なんか、あまりにも説明が上手すぎて月島がカリスマ塾講師に見えてきた。まあ俺、塾通ったことないんだけど。家ド田舎だし。

 この世界に来てから殆どの説明を月島にしてもらっていたから、そういう風に思えるのだろう。全くもって、月島には感謝しかない。


「叢時雨勤皇党が結党されたのは、約半世紀前。すなわち大日本皇國憲法が制定され、皇國が新たな体制に移行した頃のことだ。

 憲法が制定される前、光仁旭皇に仕えていた太政大臣や左右さゆう大臣だいじん内大臣ないだいじん等の朝廷士族達は大英帝国のマグナ・カルタ等の文書を基に、旭皇陛下の権限を皇國議会・内閣・大審院に移譲し分散させる憲法草案を作成した。

 欧州の法制度を大幅に取り入れながらも、日本の伝統や皇室の正統を護るべく朝廷士族達による何十年もの多大な努力が注がれた草案は、ほぼ完成形に近いものとなっており、後は光仁旭皇の御聖断に任せるのみとなっていた。

 ……しかし、その皇國近代化の動きに反対する中・下級士族達が次第に徒党を組んで、旭皇きょくこう親裁しんさいを維持すべきであると直訴じきそ請願せいがんを行った。

 親政を行っていたとはいえ、旭皇陛下を支える為の官僚機構は必要不可欠であり、身分の上での士族という存在こそ形骸化していたが、当時は様々な特権に加えて安定した給与・俸禄ほうろくが保障されていた。

 普通選挙や自由権などが盛り込まれた憲法草案が認可されてしまえば、名門と呼ばれるような士族ならばともかく、中・下級の者達は職を失う恐れが高かった。

 そのようなことを懸念した一部の者達が決起した集まりこそが、叢時雨勤皇党の原型と呼べるだろう」


 つまりは、自分達の既得損益の為に立ち上がった士族達の集まりってわけか。

 確かに新体制を構築する際には、それ相応の反対を覚悟する必要がある。むしろ中・下級士族の反対だけで済んだのは奇跡とも呼べるだろう。

 名門・上級士族達は全て、旭皇の下で他の臣民と共に平等となることを望んでいたということなのだから。


「しかし彼らの行動は自らの保身の為であると太政大臣を筆頭とする上級士族達は見抜き、反対を押し切った。その結果、光仁旭皇が憲法草案を認可。

 その後、細部を修正した憲法改正案を朝廷士族らが作成して旭皇陛下へ提出。光仁旭皇が再度、改正案を認可したことによって大日本皇國憲法が公布された。

 ただ、良心的な一部の上級士族達の提言により、修正の段階で旧士族に対する経済的支援に関する要項が盛り込まれたことで、反対していた大部分の中・下級士族達の動きは沈静化。そのまま無事に、皇都だけではあるが皇國は立憲君主制国家に変貌する、と思われた」


 思われた……って。

 嫌な予感がするワード第1位(俺調べ)を、ここぞとばかりに使わないでほしい。その言葉を使うときに、絶対に何かが上手くいくことは無いのだから。


「だが、あまりにも盲信的に憲法の制定を推進していた急進派の上級士族達の中には、自分達に仕えていた中・下級士族……すなわち御家人ごけにんとの主従関係を切る者も現れた。当然、理由は憲法草案の認可に反対していたからだ。

 当時の急進派士族達にとっては、一部の御家人を解雇することによって他の反対派への睨みを効かせるといった意味合いがあったのだろうが……。

 結果として、所領や職を失うことになった士族達はいわゆる〈浪人ろうにん〉となり、皇都中を彷徨さまよう憂き目に遭った。

 彼らが皇都で狼藉ろうぜきをはたらく場合もあった為、旭皇陛下はその原因となった急進派士族達を叱責。その結果、大多数の浪人は再び上級士族の下に帰参。憲法制定後は、他の士族達と同様に皇室から金銭・物資的支援を受けながら、新職を得ることになった。それは皇國議会の議員であったり地方議員・官僚、中には地主や商人・職人になって成功した者など様々だ。だが……。

 浪人となった者の中には朝廷や上級士族への怒りに震え、帰参を良しとしない者達もいた。そのような者達の集まりこそが、叢時雨勤皇党だ」


「……理不尽に主従関係を破られたんですから、当事者である上級士族やその遠因となった朝廷を恨む者もいたっていうのは分かりますけど……。

 その集まりが何故〈勤皇党〉なんて名前なんですか?」


 叢時雨ってのは多分名字だろう。だけど勤皇党ってのが、どうも引っ掛かる。

 元は憲法制定に反対して、旭皇による親政を主張していた者達だったのだろう。

 しかし、上級士族や朝廷を恨んで浪人を続けているような者の集まりが今更、勤皇党などという名をかたる必要があるのだろうか。


「大義名分の為……だろうな」


 俺の疑問に答えたのは月島ではなく、長い間黙って話を聞いていた小野だった。

 すると、小野はおもむろに自らが持っている紙巻煙草を、開かれた硝子窓の方向に向ける。俺はソファから立ち上がり、硝子窓の方へと歩み寄った。

 爽やかな春風が吹き抜ける中で、俺は紙巻煙草の向く方を見る。


 鎮台衛戍地の敷地の北に広がる、焦げ茶色の演習場を越え。

 薄っすらと二階建てのレトロな建物も散見できる、市街地を越え。

 其処には、寿狼山なんて目じゃないくらい巨大な山岳が連なっていた。


「あれが……天照山脈、ですか?」


「あれはその一部分〈高幣たかぬさ連峰れんぽう〉に過ぎない。

 天照山脈は、皇都を取り囲むあらゆる連峰や山脈を総称したものなのだからな」


 あんな2000mは優に超える山々が、ただの一部分……か。幕府が組織したという大名連合軍が、天照山脈を越えられなかったという話にも合点がいく。

 

「そして、あの奥にはいる」


「奴らって……誰がです?」


 小野の少し憎しみを伴ったような声音に対し、俺は無神経にそう訊いた。


「叢時雨勤皇党が、だ」


「は……。あんな高い山の先にですか!?」


「そうだ。……まだ話していなかったかもしれないが、越之宮市は五つ存在する皇都の市の中でも北東部に位置している。この越之宮地方に元々あった旧淡江国や周辺の令制国が合併して成立した。

 当然のことながら天照山脈に接している皇都だが、とりわけ高幣連峰は古くから交通の難所であり、山間に小規模な宿場町が点在するだけだった。しかし叢時雨勤皇党が結党される頃には、ほぼ全ての村落は壊滅。……逃げ場も、殆ど無かっただろうからな。

 東北とうほく(皇國東部・北東部)へ赴くための街道も別に整えられたことから、連峰に近付くような者はほとんどいなくなった。……そこに住み着いたというわけだ」


 何だよそれ。ほぼ山賊みたいなものじゃないか。

 大義名分なんて掲げていたって、どうしようもない。


「約50年前に奴らが連峰の奥地を住処にして以来、年に何回も周辺の村落において略奪や強姦などの被害が報告されている。

 無論のこと、皇國軍はそれらに対応し捕虜とした者も多くいた。そ奴らが吐いた情報を基に、討伐軍を度々結成して連峰へ向かわせたこともあった。しかし奴らの本拠地は遂に分からずじまいであり、凶悪な魁魔も多数目撃されている連峰での長期行軍は危険とされた。

 結果として、叢時雨勤皇党は〈逆賊ぎゃくぞく〉として旭皇より征伐せいばつの勅令が下っていながらも、現在ものうのうと生き延びている……というわけだ」


 前言撤回。山賊みたいなもの、なんかじゃない。

 もはや山賊そのものどころか匪賊ひぞくといった体だ。

 魁魔という脅威、連峰という要害を笠に着て狼藉をはたらく屑だ。元士族とか浪人なんて括りにしてはいけない。そんな怒りが次々に沸いてくる。

 そして、一番許せないのは……。


「奴らが一文字の母親を殺したん……ですよね」


「確定というわけではないが、可能性は高いだろう。萩坂村、そして寿狼山は天照山脈を構成する高幣連峰の末端地域でもある。我が軍の監視の目をかいくぐって、山伝いに移動したのやもしれん。

 ……何より奴らは、魁魔の襲撃と共に現れて略奪を行う事例が多いからな」


「……くッ!」


 下を向き、嗚咽おえつを漏らした。


 懺悔して、後悔して、強くなって。

 そして一文字を助け、これから救い、護る決意をした。

 けど、俺の力が及ぶこと無く亡くなってしまった人がいる。

 その残忍な殺され方には、言葉だけで虫唾むしずが走った。

 ……誰に殺されたら、納得できるってものでもないけどさ。それでも俺は、一つの可能性を見つけたとき、感情を発露せざるを得なかった。

 

 でも、その感情はけして懺悔ざんげじゃない。後悔でも無い。

 そんなもので一文字は、残された人達は、救われないし、護れない。

 だから俺は、前を向く。


「……音無、お前が想っていることは恐らく我々の総意だ」


 気づくと月島が俺の隣に立っていて、肩を優しく叩いた。しかしその手は少しだけ、震えているようにも見えた。それが怒りによるものなのか、恐怖によるものなのかは分からない。だが、それをこの場で聞くことはやめるべきだと感じた。

 ……風が吹く。それは優しかった。


「お前はこの世界に来て、確実に強くなった。それが精神的な、決意に過ぎないものであろうとも、な。〈皇國の為に〉……だったか?」


「はい。って、やっぱり小隊分室での話……」


「ああ、聞いていたともさ。……そうです小野大佐。

 音無はこのようなことを言っておりました。

 これからこの世界で、皇國で、生きていこうと決めました。だけど。多分俺は、それ以外のこともこの世界で為したいんだと思います、と」


「ほう? 為したいことかね?」


「他にもあります。

 けどそれだけじゃ先に、未来には進めない。信用だけじゃ足りない。月島さんや佐久間さんに、そして外村さん達にも〈信頼〉されるように、行動しなきゃいけないんです、とも」


「ふむ。中々興味深いな、月島。もっと聞かせてくれ」


「ちょっ……ちょっと」


 流石に、俺が言ったことをそっくりそのまま復唱されるのは辛い。

 ってか今更ながら、俺が決意と称して話していたことって傍から見たら結構恥ずいやつだ。ガチモンの決意なんてしない現代日本でいえば、黒歴史的な。

 だけど、俺はこの世界に来て幾度となく決意をせずにはいられなかった。

 何故か。

 

 それは、己の弱さを知ったからだ。


 確か哲学者のパスカルの言葉で、こんなものがあった。

 『人間の弱さは、それを知っている人たちよりは、それを知らない人たちにおいて、ずっとよく表れている』。


 俺は群鬼に倒された時から……。いや、それ以前からかもしれない。

 吾妻に別れを告げられなかった時から。

 江崎の涙を見た時から。

 俺は自分がいかに弱いかを知り、月島に出逢った。

 

 月島は俺に教えてくれた。弱さを知っている、という強さを。

 だから、決意した。

 絶対に元の世界に還り、吾妻へ別れを告げるって。

 その為の〈真の強さ〉を見つけるって。


 けど〈真の強さ〉なんてものは、漠然としすぎていた。

 一体何が〈真の強さ〉かなんて分かる筈も無かった。

 そして、萩坂村では。俺は、一心不乱に一文字を助けた。何も考えずただ体が動いただけなのに俺はそれを救っただとか、護ったんだって勘違いしていた。

 だけどそれは違って、心の中には確かなわだかまりが残っていた。

 俺は一文字を、残された人達を護り、救う為に行動しなきゃいけない。

 そう想ったから、決意した。


 その後、俺は自分がいなければ一文字の母は助かったかもしれない、なんて可能性にひどく頭を悩ませて、後悔した。でも後悔し、懺悔するだけでは、明日を生き抜くことすらできないことを知った。

 この世界のことを殆ど知らず、体も強くない俺にとって、唯一強く在らねばならないのは己の心だと知った。

 その為に、俺はこれからの命を護る為に、前を向いた。

 それが皇國の為に行動し、信頼を得ることにもなるのだと気付かされた。

 

 そのような経緯で、少しずつではあるが〈真の強さ〉が如何なるものなのか、分かってきたような気がした。あくまで少しだけ、だ。

 それに他にも学んだこと、決意したことはある。

 この世界、とりわけ皇國についてなんかは多すぎて語り切れないほどだ。

  

 これから、俺の未来に何が待っているだろう。

 不安もある。償うべき罪も、為すべきことも。

 一寸先は闇だ。未来なんて分からない。

 なんとかなるさ、なんて脳天気な前向きさは求めちゃいない。

 けど、俺は前に進み続けるしかないんだ。

 

「俺が本当に為すべき行動は〈真の強さ〉を見つける為の行動なんかじゃない。一文字や萩坂村の人々を救い、護る為に。できるかどうかは分からないですけど、絶対に行動を起こさなければならないんです……。

 中々なことを堂々と言ってくれるものです」


「なるほどな……」


「もう……やめてくださいよ……」


 俺の決意を晒し上げにする月島や、それに聞き入る小野も。

 俺を認めてくれた佐久間や外村・桐生・太田・島原も。

 西園も、白澤も、萩坂村の人々も。

 無論のこと、一文字も。


 全員が俺を強くしてくれた。それは直接でも間接でも関係ない。

 全員が、俺がこれからこの世界で生きていく為の道しるべをくれた。

 ならば裏切ることなんてできるものか。

 決意を幾らしたって、それ自体に意味は無い。

 実際に行動して、これから生きていく命を救い、護る。

 そして〈真の強さ〉を見つけ出すしか無い。

 この世界で悔いなんて残さないように、皇國の為に、生きてやる。

 ……だから。

 俺はいつもこうして、この胸に誓うのだ。


 黎明が照らす方向を、ただ前だけを見て、進め。


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