【旧版】黎明へ進め

未翔完

序幕 ――プロローグ――

序幕 ――プロローグ――


 〈真の強さ〉を探し求め、貫き通す。

 俺は、そんな終わりの見えない戦いに身を投じていた。




 西暦1858年 皇紀2518年 明応めいおう12年7月7日 午前6時頃

 大日本だいにほん皇國こうこく 天照てんしょう山脈さんみゃく 穂坂ほのさか高原こうげん


『……こちらえつみや派遣歩兵第一大隊・第一中隊・第一小隊。敵影見ゆ。〈大中華国だいちゅうかこく〉軍の三個大隊規模。指揮官は騎乗しているようですが、大半は歩兵。現在、四個の小軍団に分かれ、それぞれが複数列縦隊を組み稜線を横断中。……軍旗の数や装備を見るに、兵員はほぼ徴募兵で構成されている模様』


 静寂に満ちた初夏の早朝。

 身を草むらの中に屈めながら、首から掛けた単眼鏡を覗き込み、独白めいた口調でそう報告する。重なり合った透鏡レンズ越しに見えるのは、異国の黄土色の軍勢。

 敵軍の数は2000程度。既に友軍の3倍だが、彼らは単なる先鋒に過ぎない。

 幾重もの暗雲を飛び出し、天を目指し駆ける黄色き大龍。その威容が封じ込められたかのような軍旗を数十数百と掲げる侵略者共は、ただ進撃する。

 そして俺の周囲には同志達、もとい第一小隊隷下5名がひっそりと息を潜め、朝露に濡れながら決戦の時を待っている。

 だが、この報告は彼らに向けられたものではない。

 俺達が居る地点より1ちょう(約110m)近く。俺達と同じく草むらに隠れ、各小隊・中隊に指示を飛ばす大隊本部へ、だ。

 

『……こちら越之宮派遣歩兵第一大隊本部、了解。

 予想通り、後方の山岳地帯の占領が目的だろう。奴らめ、着実に〈皇都こうと〉へ近づいてきているな。……ところで、敵は此方を警戒しているのか?』


『それについては問題ないかと。敵軍は我々が此処にいるなどと思ってもいないでしょう。ただ前方へ進むことだけを気にしているように思えます』


『そうか。それは何より。連中はもう忘れているようだ。我らが〈皇國軍こうこくぐん〉の蛮勇とその恐ろしさは、窮地にあってこそ真価として昇華されるということを、な』


 大隊長の声が、俺の右耳から口にかけて薄く展開されている、立葵たちあおいの紋様が刻まれた〈魔術陣まじゅつじん〉から聞こえてくる。その強い意志が籠った声に、俺は応える。


『ええ、見せてやりましょう。今まで俺達がやってきたことは、決して無駄な道程じゃなかったって。俺達が自らの手で見つけ出して、貫き通すと決めた信念を以て。仇花あだばなを咲かせてみせましょう』


 俺の声にも力が籠る。

 だが、軍刀の柄に伸ばす右手には力を入れすぎないように。……一度ひとたび、深呼吸。

 そして鬱蒼とした広葉樹林の萌葱もえぎに紛れ、ひっそりと息を潜める。


『仇花、か。確かに今回の戦いで、我々は命を落とすかもしれない。……いいや。それは今までの戦いでも同じだった。俺達は常に生死の境で戦っていたのだからな。

 しかし、これまで幾度も死線を踏み越えていった我々の終着点は、此処になるかもしれない。それも確かなことだ。……だがな、音無おとなし


『……はい』


『絶対に死ぬな。生きろ。命を散らすその覚悟がたとえあったとしても〈仇花〉なんて言葉を使うことは許さん。死を正当化することなど、あってはならないのだ。 

 ……これは〈あの時〉に教えたことだ』


 一瞬、瞳が力強く開かれる。

 そうだ。……5年前のあの夏。

 俺は誓いを立てたじゃないか。 

 それを成し遂げるまでは、絶対に死ぬわけにはいかない。


『……そうでしたね。すみません。絶対に生きて帰ると、誓います。だから、月島つきしまさんも生き抜いてください。これは〈家族〉としての誓いです』


『分かった。絶対に生き抜いてみせるさ。そして、見せてやれ。

 お前が貫き通すと決めた〈しんつよさ〉を』


『必ずや』


 そして俺は意識を集中させる。遂に戦いが、始まるのだ。


『……強くなったな。武運を祈る』


『こちらこそ、御武運を』


 刹那の静寂。そして。


『作戦を、開始せよ……!』


『―――了解!』


 俺が通信魔術への魔力供給を断つと、立葵紋はゆっくりと霧散した。それを確認すると俺は茂みから立ち上がり、抜刀。研磨を繰り返したその愛刀の刃文はもんには一切の淀みはなく、ただ俺の意志に忠実に従うのみ。

 そして、片手で持ったそれを堂々と前方に振り下ろし。叫ぶ。 


「第一小隊、作戦開始! 進め!!」


『おおおォォォォォッッ!』

 

 ときの声を上げるのは、先程まで茂みや大木の陰に隠れ、微動だにさえせずにこの時を待ち続けた武士共もののふども

 千歳緑ちとせみどりの軍服を身に纏い、その眼に一切の迷いは無く。高山特有の濃霧で湿った地面を踏みしめ、なんの躊躇ためらいもなく、気づかず進軍する敵に向かって駆ける。

 先程まで高原全体を覆っていた濃霧も、少しずつ晴れてきた。運命が味方している……とでも言うべきか。


「小隊各位、突撃せよォォッッ!!!」


 声を張り上げ、5町(約550m)は先に見える稜線に向かって突撃を敢行する。

 皆の手には裏切ることのない友、銃剣が。

 腰には俺が握っている得物と同じく、軍刀が。


「第二小隊、続け!」

「第五小隊、友軍に遅れを取るな!」


 程なくして、後続である他の小隊も攻撃を開始。至るところから、開戦の激が飛ばされる。一体感……などと言っている場合ではない。

 走りは止めず、駆ける。駆け抜ける。己の限界まで。


「直近の戦列を叩くぞ! 防御魔術を展開し、攻勢を掛ける! 敵を恐れるな!」


「敵だ! 奇襲を掛けてきやがったぞ、あの夷狄いてきどもめ!」

倭人わじんを殲滅せよ! 今此処で、誇り高き大中華の力を見せるのだ!」


 何を騒いでいるのかは知らないが、黄土色の軍服を纏った敵軍の指揮官達は俺達もとい来襲者の存在に気付いたご様子だ。攻められてるのは此方だと言ってやりたい。

 これだけ喊声を上げて突撃しているのだから、当然ではあるが。

 しかし気付かれたところで、敵戦列までの距離はあと2町も無いのだ。俺達が突っ込むまで、あと1分もかからない。そんな短時間で、銃を担がされただけの農民共が、統制を保ちながら側面射撃? 荒唐無稽こうとうむけいとはこのことだ。

 だが、保険は掛けておいて悪いことは無い。俺は左手を前方に突き出す。その腕には、黒色の手甲がはめられている。

 そして、詠唱。


「 〈天子てんしを救いし雷神よ 我がめいもって 扶翼ふよく

   我の栄光ある前途に 猛き軍神の御加護ごかごを〉 」


 そう唱えつつ、俺は更に走りを早めた。

 後ろを一瞬だけ振り返ると、俺に続いて駆ける50名以上の兵の中に一旒いちりゅうの旭日旗を持つ兵士が見えた。その旗手が掲げる十六条の旭日旗は揚々と風になびき、皇國の威光を体現するかのよう。

 できることなら、兵の先頭を行く俺が旗を持ちたいところだが。けれど今はそんな思考をかなぐり捨てて敵の動静だけに、前方だけに意識を集中させる。


「何をぐずぐずしているっ! 敵は目前だぞ!?」


 中国軍の士官共は現在、戦列を保ったまま陣形を転換させるのに必死になっているようだ。そりゃそうだ。徴募兵など、志願兵に比べれば士気も練度も段違い。

 馬鹿の一つ覚えのように一斉突撃するときは良いが、奇襲に滅法弱いのは今までの戦いからして明白。俺達の兵数が更に多ければ、敵前逃亡する兵がいてもおかしく無いだろう。しかし、逃亡されるとむしろ困る。獲物は多いほど良い。


「く、来るなっ!」

「撃て、撃てーッ!」


 そんなことを考えているうちに俺は、敵兵の顔がはっきりと見えるまでに接近していた。お世辞にも熟練とは言えないような、貧弱な風貌の新兵共が軒を連ねているのが確認できる。

 彼らの手には燧発式フリントロックの前装式小銃が握られているものの、装填のあまりの遅さやその錯乱ぶりが、彼らを弱兵と認識させている。

 だが、しばらくして兵士達も戦列射撃を開始。……弾幕が形成されていく。


 銃弾が、俺の頬を掠める。


 銃弾が、俺の頭上を通り抜ける。


 銃弾が、俺の右肩を直撃……。

 

 することはなかった。

 俺の前面に敷かれた立葵紋の魔術陣によって、弾丸は完全に弾き返されていた。

 その後も無数の銃弾が、俺を撃ち抜かんと嚆矢こうしの如く迫る。その度に魔術陣が反応し、火花を散らして地面へ堕ちる。まるで、儚き線香花火のように。

 当然無限に防げるわけではない。今は比較的近距離から撃たれているため、それだけ火力が高く防御するにも相応の〈魔力まりょく〉を必要とする。特定の数値があるわけではないが、そう何十発も撃たれれば破砕される。

 現に俺の前方に絶え間なく展開し続ける魔術陣にも、次第にきしみが生じ始めている。戦列に近づくにつれて少しずつだが、その衝撃が俺の体に伝わっていく。

 あともうすぐで、破られそうだ。俺の脳内が苦悶で満たされそうになる。


 ……万能なものなんて存在しない。魔術においてもだが、俺自身の能力にも。

 だけど、それらの中に確固たる意志・想いがあるなら。

 

 〈真の強さ〉がそこにあるなら。


 けして完璧ではないけれど、少しだけ。


「遠くへ、踏み出せる……ッ!」


 俺は、散り続ける火花に包まれながら、肉薄。

 驚愕をあらわにする敵兵の銃口から吐き出される硝煙に、鼻腔が支配される。

 そんなことは知ったことか、と俺は愛刀を振りかぶる。

 

 刹那。


「ぐぁぁッ!」


 中国兵の体を、愛刀を斜めに振り落とし銃ごと斬り捨てる。

 そして、俺の後ろを付いてきた各小隊の兵士たちも、同様に敵戦列へ殺到。

 その鬼気迫る衝撃力によって、中国軍を震え上がらせた。

 奇襲成功。その言葉が浮かぶ。

 それに歓喜するように旭日旗は再び威風堂々とひるがえり、俺達は少しずつ東から昇るあけぼのに照らされていく。


「我ら、奇襲に成功したり! 皇國に栄光あれ! そのまま攻撃を継続せよ!」


『うおォォォォッッ!』


「馬鹿な……! 東方の蛮族ばんぞく風情ふぜいが……!」

「ええい、総員銃剣を構えよ! 敵は少数、囲み殺せ!」


 指揮官の指示に従ったのか、兵士達は着剣。しかし、明らかに彼らの表情は怯えきったそれであり、何の脅威も覚えない。俺は奴らを睨み付ける。

 ただ一つ、たった一つ。俺は望み、願い、想う。

 この戦いに勝って、生き残ることを。

 泥濘でいねいすすったとしても、生き残れ。

 忌々しき敵につるぎ穿うがたれようとも、生き残れ……!


「総員散開! ……絶対に生きて帰るぞ!」


 愛刀を再び構え、俺は戦う。大日本だいにほん皇國こうこく〉を護る為に。

 そして何より。


 おのが信ずる真の強さを貫く為に。

 

 黎明へ進め。




 西暦1853年。

 それは〈新たなる戦争〉が世界の東西で起こった年。

 といっても、この世界における西ではない。この世界と殆ど同じではあるが、数々の分岐によって一部が改変された世界。


 だ。

 

 その世界における産業革命が起きている真っ只中。

 欧州での蒸気機関による産業の発展は目まぐるしく、常に社会は流動していた。そして、台頭する帝国主義と資本主義が、弱肉強食の時代を加速させていた。

 そんな中で西暦1789年、一つの大きな変革が起きた。


 〈フランス革命〉である。


 ルイ14世の代から暴政が続いたフランスでは莫大な借金が発生し、聖職者・大貴族などの特権階級は、その対処を民衆第三身分に増税という形で求めた。その圧政に耐えかねた民衆たちは決起し、革命を起こしたのだった。

 革命により、国王ルイ16世や王妃マリー・アントワネットなどの絶対的指導層は処刑され、絶対王政や封建・身分制といった旧体制アンシャン・レジームは崩壊した。……しかし。

 革命の波及を恐れたロシアやオーストリアなどの国々は〈対仏大同盟〉を結成。

 各国はフランスに対して圧力をかけ、国内でも革命による混乱が続く。

 それを収めたのが、彼の名高い〈ナポレオン・ボナパルト〉である。

 軍人であった彼はによって、の絶対的指導者〈皇帝〉へと成り上がった。彼は1804年に〈フランス帝国〉を建国し、欧州諸国との戦争を開始した。

 ナポレオンの天才的な改革・軍事指揮により大進撃が続いたフランスであったが、ロシア遠征の失敗により、次第に劣位を露呈。

 長く続いた〈フランス革命戦争〉の後に、フランス帝国は滅亡。ナポレオンは大西洋の孤島・セントヘレナ島に幽閉された。

 その後。戦争により荒廃したヨーロッパを以前の状態、すなわち絶対王政に戻し、大国の勢力均衡を図る〈ウィーン体制〉が1815年に成立し、自由主義は抑圧された。これにより、一時的にヨーロッパは平和を取り戻したのである。

 しかし、頸木くびきによる安寧が長く保たれるはずがないのだ。

 次第に民衆は、自由の為に決起するようになる。それは大国に支配される地域で、特に激化した。そして、1848年にイタリアやオーストリア・ドイツなどヨーロッパ全域で起こった大規模な革命により、ウィーン体制の崩壊が始まった。

 これはナショナリズムの台頭を表すが、必ずしも国民主体による平和の到来を指し示すわけではなかったのである。


 ウィーン体制の弱体化は〈新たなる戦争〉への火種だったのだから。



 ユーラシアの境目で勃発した、西の〈新たなる戦争〉。

 不凍港を求め、南下政策を採り続けるロマノフ朝ロシア帝国は何百年にも渡って〈中東の巨人〉と呼ばれたオスマン帝国と戦争を繰り返してきた。

 19世紀に入ると、ナポレオンのエジプト遠征の影響により、オスマン帝国領内での被支配民族アラブ・ギリシア・セルビア人による独立運動が活発化した。これによりオスマン帝国が弱体化し始めると、ロシアだけでなくイギリス・フランスなどの西欧諸国が中東に対し介入するようになった。


 中東を取り巻く欧州情勢。

 衰退する帝国オスマンと、進撃する帝国ロシア

 ロシア帝国の南下政策を止めるべく介入するイギリス・フランス等の欧州列強。

 激化の一途を辿る民族主義運動と自由主義の台頭。

 激動する国際情勢の中で、後に〈クリミア戦争〉と呼ばれる大戦争が始まる。

 ……では、東の〈新たなる戦争〉とは?


 それはこの物語が紐解かれる中で、明らかになることである……。




 その年。世界の遥か極東の島国で、一人の〈日本国〉に住む少年が転移した。

 名を〈音無おとなし雄輝ゆうき〉という。


 何故、彼がこの世界に転移したのか。  

 彼がこの世界で何を見て、何を想い、自らの揺るぎ無き信念を持つに至るのか。

 ……今の彼には、知る由もないことだ。


 これは、一人の弱き少年が〈真の強さ〉を探し求める物語。

 

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