第10話 たった一人を護る為に


「なんだよ……これ」


 血臭漂う萩坂村の入り口。

 俺は、俺達は、そこで軍馬の足を止めた。静けさに満ちる寿狼山を越え、宵闇の麓から這い出てきた俺達には、地面に打ち捨てられているしかばねと、煌々と燃え盛る民家の有様は目に毒だった。いや、毒どころではない。

 初めて自分以外の人間が、地面を染めるほどの血を出しているのを見たのだ。絶望とか強さとか云々に、気分が悪くなったのは事実だった。

 実際、あまり直視できないし、見たとて何処に目を向ければいいのだろうか。四肢が千切れ、五臓ごぞう六腑ろっぷが剥き出しな死体の、何処に。


「……心を強く持て。力も、才覚も、今のところは無いお前にとって今、強く在らねばならぬのはお前の心だ」


 月島の言葉に、少しだけ安堵ではないが、心を持ち直した。

 

 その刹那だった。


「――っ! 音無、下りろ!」


「はっ……えっ!?」


 咄嗟の言葉に反応できなかった俺に、月島は俺を蹴るようにして強制的に下馬させた。茅色かやいろの地面に頭から落下し額を押さえるが、そんな痛みはその直後の衝撃的な光景によって掻き消された。


「キィィ……ケェェェ……!」


 月島の愛刀、16代目〈烈辰れっしん〉が捉えているのは、一体の黒いにわとり

 しかも、鶏の喉元は見事に、馬上の烈辰に貫かれている。喉から止めどなく溢れ出る血が、地面を濡らす。ってことはこの鶏、飛んでこの高さまで来たのだろうか。黒い鶏というのは実際に存在するが、体長が1m以上はあるし、飛ぶことができるというのだ、明らかに魁魔だろう。


「危なかったな。……こいつは冠七位魁魔〈兇飛鶏きょうひけい〉。飛べるように翼が変化している以外は、ただの馬鹿でかい烏骨鶏うこっけいだ」


 兇飛鶏……。冠七位ということは、あの群鬼よりは強いというわけか? 

 いや、そんな考察を冷静にしている場合ではない。どこか雅な黒羽から血がしたたり落ちているのを見てギョッとするが、この調子では後々あとあと精神がやられるだろう、と確信する。

 

「さあ、行くぞ」


 〈咲銀杏〉から降り、俺に手を伸ばす月島。だがその手を握ることはない。

 自分の手で、いや脚で、立ち上がる。他人の力なんて借りるわけにはいかない。月島も、佐久間も、他の兵士達も、誰かを救うために尽力しているのだ。俺の勝手な都合、精神の弱さなんかで迷惑をかけるわけにはいかないのだ。


「……そうだ、お前に防御魔術をかけておこう」


 そう言って、また神祇の手甲を付けた左手を前に出す。


「――〈聖央神衛せいおうしんえい〉」


 一瞬、神祇の手甲が白く光るが特に身に変化はない。


「って、何も変わった様子はないですけど……。あ、あと今の短い詠唱は……」


 今のは多分、魔術名を言っただけなのだろう。ならば何故、光明魔術のときはすごく長い詠唱をしていたんだ?


「防御魔術だからな。攻撃されたときにしか防御陣は反応せんさ。あと、魔術は意識を集中させ想い描けば、名を言うだけでも発現する。当然、威力も発現量も桁違いに縮小されるがな。今は状況が状況だ。長い詠唱をしている暇がない」


 なるほど、ならば確かに俺の前方には防御陣が敷かれているのだろう。

 すると、月島は烈辰と共に左腰に差していた一振りの小太刀を取り出し、俺に手渡す。60㎝ぐらいの大きさだが、ずしりと重い。まさか自衛用だろうか。


「一応持っておけ。防御魔術に頼って足元をすくわれては元も子もない」


「了解です」


 そう応答すると、月島と俺は再び〈咲銀杏〉にまたがる。

 そして、月島の雄叫びの如き号令。


「総員、進め! これより魁魔撃滅作戦を開始する! 作戦指導通りに動け!」


『はっ!』


 事前に中隊室で行っていた作戦指導の内容はこうだ。


 まず、月島率いる第二小隊が〈村民の救出・他小隊の援護〉。

 第三・四小隊は〈居住地域の魁魔討伐〉。

 第六小隊は〈居住地域以外の魁魔討伐〉。


 魁魔というのは、八百万の神々が皇國の民に課したのようなものだという。

 だから、魁魔は皇國人が住んでいる場所へ多く集まるのだ。よって、居住地域へ兵力を多く回す必要がある。

 俺は月島と共に、まずは居住地域の村民救出へ向かった。



 同時刻 萩坂村 居住地域中央


「チッ! くそ、増援はまだか!」

 

 越之宮鎮台から萩坂村の常駐兵力として派遣されていた小隊。越之宮鎮台第三中隊・第二小隊である。小隊長である一人の伍長とそれにつき従う兵士。

 その兵士達を包囲する魁魔の群れ。兵力差、3対40以上。

 左右は家屋で遮られ、前後は魁魔で覆い尽くされている。

 退路は無く、兵力差は絶望的である。


「三人、失ったのだ。我らの同胞を。だから……! このようなところで我々も果てるわけにはいかぬのだ! かい篠沢しのざわ、奮闘せよ!」


「「了解!」」


 激昂しながらも冷静に、迫り来る魁魔をほふる。既にこの小隊は半数を失っており、本来ならば撤退を余儀なくされる程の事態だ。だが、退くことはできない。

 まだ救出できていない人々がいるのだから。

 彼は、村の北側…寿狼山の横ばいにある棚田の上にポツンと佇む一軒の家屋を見据える。あとは……あの場所だけ。〈一文字いちもんじ〉の妻子さえ、救えれば。


「ッ……! 失せろ……!」


 冠五位魁魔〈灰野槌はいのづち〉の突進を軍刀で防ぎつつ、その口がある以外は目も鼻もない頭を斬り飛ばす。

 流石、冠五位魁魔。一人の兵士では全力を出して撃破するのがやっとだ。傍から見れば容易に屠っているように見えるが、灰野槌の突進は重く、それだけで民間人は恐怖に震え上がり、神経が狂わされる。

 民草たみくさが戦うことが無いように、我々がいるのだが。


「小隊長! 篠沢が……!」


 櫂の声に振り返ると、もう一人の兵士が倒れ込んでいる。見ると、膝からひどい出血をしている。灰野槌か……同じように体長が小さい魁魔によるものだろう。

 目に映る魁魔に気を取られ過ぎて、小さな魁魔にやられるというのはよくあることだ。だが……。今、彼を治癒魔術で治す猶予はない。短縮詠唱ではあの傷は癒えないだろうし、逆に傷口を広げるかもしれない。一体どうすれば……。


「……ッ! 小隊長!」


「なんだ!? 敵の新手か!?」


 度重なる報告に無意識な苛立ちを隠せない男は、矢継ぎ早に放たれた櫂の報告に歓喜の色を見せる。


です! 数は10……いや20近くはいます!」


 


「……! 魁魔の集団だ! 見るに、村民か兵士を攻撃しているぞ!」


 19騎の隊列の先頭を駆ける〈咲銀杏〉に乗る俺と月島は、いち早くその姿を捉える。村の入り口から見えた数十棟の家屋が自然と集まる居住地域。

 そこはやはり、遠目からでもはっきりと分かるほどに燃え盛っていた。月夜だけが照らす世界。その中で、はっきりと見た。魁魔に囲まれる三人の兵士の姿を。

 村の入り口から視界いっぱいに広がるまだ種蒔きの終わっていない田園の、昼頃までの濃霧で濡れた畦道あぜみちを駆け抜ける。一見すると、長野だとか新潟・岐阜にある典型的な田舎を思わせる村だ。だが、今はそんなことを深く考えている暇はない。


「総員、襲歩!」


 居住地域に向かって、ひたすら駆ける。少し勾配があって、速度が少しだけ落ちる。そして目指した先にあったのは、やはり凄惨な光景であった。

 瓦葺かわらぶき屋根やねのおかげで全焼しているような家屋はあまり見られないが、少なくとも中はひどい有様だろう。それと、畦道でも見た魁魔と人間の死骸。もはやどっちがどっちなのか分かりやしない。それがまた、憎悪と恐怖へ繋がる。

 だが、だからこそ、俺は戦わなければいけない。生意気だと思われてもいい。

 目の前に困っている人がいて、自分に救いを差し伸べられる手があって。その人を救わない理由が何処にある。

 俺は馬体に揺られながら、両手で抱える小太刀を強く握りしめた。


「総員、突撃ィィィィッ!」


 ―――そして。

 月島は〈烈辰〉を高々と掲げ、怒号の如き叫び。それに合わせたかのように〈咲銀杏〉は凛々しい、それでいて月にまで届きそうな鳴声を響かせる。

 炎など気にしていられない。

 月島達19騎のつわものは――、魁魔共の後方から襲いかかった。


「消え失せろッ……!」

『ギィィィィッ!』


き潰せぇぇッ!」

『グラゥゥ!』

 

「土に還れ、弱卒共じゃくそくども!」

『ヴァァァァァ!』


 急に現れた皇國兵に、それが従える戦馬とそれが持つ打刀に、魁魔は慌てふためき、蹂躙される。そもそもの話、冠四位以上の魁魔がその群れの中にはいなかったのである。戦力差が一気に1:2近くになった時点で、雌雄しゆうは決していた。

 馬上から一方的に魁魔を切り結ぶ。その後にできる血潮ちしお溟渤めいぼつさえも、俺には一種の舞台演出なのかと思ってしまうほどに、神がかった芸当だった。

 とはいえ当然、恐怖は覚える。今までに見たことがない程の血量と、それに比例して嗅いだことがない程の血臭。そして、反転と猛進を繰り返し、絶えず揺れる馬体。思わず両手で口と鼻も覆ってしまいそうになるが、ぐっとこらえる。

 ここで怖気づくわけにはいかないのだ。


「月島伍長! 魁魔共が散っていきます!」

 

 隊員の声に、馬体の揺れが消えるのを感じる。確かに、数十体の魁魔が村の奥の方へと足早に散っていく。


「なっ……。あのまま行けば、村民が避難した……東命町とうめいちょうだぞ!?」


「何……!」


 包囲されていた兵士の一人の言葉に、月島は耳を疑う。

 

「第三・四小隊は魁魔を追討せよ! 絶対に東命町に入れるな!」


『了解!』


 月島の冷静な指示に、まるで疲れなど知らないかのように12騎が駆け抜けていく。それを横目で見送りながら、月島は馬から降りる。


「貴官が、此処の常駐小隊の隊長か?」


 ぼろぼろになった軍服の襟章えりしょう一瞥いちべつしながらそう言う。


「ああ、第三中隊・第二小隊長の西園にしぞの伍長だ。宜しく頼む。……その少年は?」


 少し怪訝そうに俺のことを見る、西園という軍人。

 確かにこんな場所で軍人と一緒にいるなんて、普通はありえないだろう。だが、流暢りゅうちょうに今までの流れを話す余裕なんか無い。


「こいつのことは後で話そうぞ。……第一中隊・第二小隊長の月島伍長だ。こちらこそ宜しく。先程の話を聞くに、既に村民の避難は完了しているのか?」


「殆ど、な。だが逃げ遅れた者が10名近く殺された。我が小隊も半数がやられた。……すまん」


「謝ることはない。だが、がいるのか?」


「……あそこだ」


 西園は、居住地域から一望できる田園地帯の中でもさらに遠く。寿狼山の右側の傾斜につくられた棚田。いや、それよりももっと小さいを指差した。


「あの家か……!」


 俺と月島は目を見開く。その一点には、一つの民屋みんおくがあった。

 居住地区の家と殆ど変わらない、防火対策なのか瓦葺屋根で、中門ちゅうもんづくりの民家だが、何か違和感がある。全く燃えていない。居住地区の家は、全て大なり小なり燃え焼けていたというのに。

 

「あそこは〈一文字〉という、父親が軍人で母は農家。一人娘は今年で16。10日に越之宮の尋常高等學校じんじょうこうとうがっこうに入学するらしい。父親は遠いところに飛ばされて、あまり帰ってこないのだと」


「つまり、あそこには妻子しか……?」


「……そういうことになる。すまん。あの家に伝達する前に、魁魔共が押し寄せてきてしまってな」


「了解した。我々第二小隊が救援に向かう。貴官らは第六小隊と合流し、遺体の回収を頼む。勿論、貴官らの同胞も、だ」


「分かった。御武運を」


「こちらこそ」


 そう短く応え、また〈咲銀杏〉に跨り手綱を握る。

 俺達は、最後の救出に向かった。




「あれは……魔術か!?」


 また畦道を通り、棚田へと足を踏み入れた道中。

 流石に道幅が狭く、勾配こうばいもあるために、途中下馬。

 俺を含めた7名で傾斜を登っていく。そんな中、月島が声を上げた。


「今、あそこから少し発光しただろう。ただのともしびではない、魔術を詠唱したとき特有の朧げな光だ」


 確かに傾斜の上の方から一瞬だけ発光があった。

 ただ、魔術を詠唱したときの光……なんて分かるものなのだろうか。

 そう思いながら、棚田を何枚も登り抜き、ようやく少し広い土地に建てられた一文字家に到着した。そこで、見た光景は―――。

 

「はぁはぁ……。――ッ! ……兵隊さん?」


 そこには、一人の少女がいた。

 居住地域の家々よりは綺麗だが、所々傷がついている民家の前で立ちつくしていた。まるで魔術を詠唱するように、左手を前に出して。

 見ると近くには、焼けた魁魔の死骸が何体か転がっている。

 

「お前が、一文字の家の娘だな?」


「……はい。〈一文字いちもんじ綾香あやか〉……です」


 その少女は農作業用の着物で、黒の可憐な長髪。

 童顔で、身長は俺より15㎝は低い。全体的に綺麗な風貌だが、その眼はどこか怯えているような……哀しみを帯びたものだった。


「それで、お前の母親は?」


 そう月島が尋ねると、一文字の口が戦慄わなないた。だが、伝えなくては始まらないと思ったのか口を開く。

 

「私の母は………s


『グルァァ……!!』


 その一文字の声を遮るような鳴声を、聞いた。

 それは今までの魁魔とは似て非なる雄叫び。

 天地を震わすような、鳴動の響き。

 どこだ……? そして、俺はその主をいち早く見つけることができた。

 

「あそこです! あの大きい狐!」


 一文字の家の裏から躍り出てきた、体長が5m近い一匹の狐。

 目はやはりギラギラと鋭く、体毛は優雅な金色。それよりも特徴的なのは、その八又やつまたの尾であろう。あまりの迫力に足がすくむ。


「冠三位魁魔〈八尾仙狐やおのせんこ〉……! まずい、一文字! 音無! 下がれ!」 


 俺は言われた通り、後ろに退こうとした。だが、俺は見た。

 一文字の足が完全に棒立ちになり、動けなくなっていることに。

 恐らく、あまりの恐怖に麻痺してしまっているのだろう。

 早く逃げろ。そう願ったが、八尾仙狐の方が先に動いた。一文字の方に真っ直ぐ向かって突進してきたのだ。

 まずい。このままじゃ……!


 そのとき、俺の体は勝手に動いていた。


「なっ……。音無! 何してる! 戻れ!」


 月島の言葉に、俺は耳を貸さなかった。いや、耳を貸せないほど行動が先走りしてしまっていたのだ。

 ……何故か? そんなの決まっている。


 困っていて、死の危機に直面している人を目の前にして。

 護る理由なんて必要あるのか。


 そんなものあるわけがない。助けたいから。それ以外に何の理屈がいる?

 そうだ、理屈なんて必要ない。俺が助けたい、護りたい人の為に戦うのだ。

 身の程をわきまえろ? 無駄死になるだけだって? 

 だから、目の前の少女を見捨てるってのか? 

 ふざけるな、そんなものは強さじゃない。〈弱者の言い訳〉だ。


 俺は一気に走り抜け、一文字の腕をつかんで再び走り出そうとした。

 だが、既に八尾仙狐は目と鼻の先。狐ってこんな速いのか? 

 いや、こいつは狐の体をした魁魔なのだ。そんなことは考えるな。今、一文字を護るためにできることを考えるんだ。

 だから、俺は一文字の腕をつかんだその反動で、後ろに投げ飛ばした。随分乱暴だったと思うが、この際仕方がない。


『グォォォ!!』


 隙あらば退散しようと考えていたのだが、既に八尾仙狐と衝突寸前だったため、俺は咄嗟に右手で持っていた小太刀を鞘から抜き、狐の腹を切り裂こうと振り上げる。

 ―――だが。


「くっ……ぐあぁぁぁっ!」


 それよりも早く繰り出された、八尾仙狐の両前脚による蹴り。

 ――刹那。

 銀杏いちょうのような紋様の防御陣が目の前に現れ、それを防ぐ。しかしその安寧もほんの一時にすぎず、すぐに防御陣が粉々に破れ去り、俺の腹の中央に強烈な衝撃が走る。もしかしたら、群鬼の打刀にやられたときよりも痛いかもしれない。

 思わず小太刀が右手から離れ、地面にゴトッと落ちる。

 腹に穴が開いたように、膨張するほど熱された鉄球がそのまま体内に入ったかのような痛み。すぐに、ありえないほどの吐血をして、後ろにバタンと倒れる。


「音無……ッ!」


 月島が駆け寄り、佐久間達が八尾仙狐の方に向かっていくが、その時点で俺の意識は朦朧もうろうとしていてどこかに飛びそうになっていた。口の奥から何かがこみ上げてくるような感じがした。また、血だろうか。

 この世界に来てから、殺されかけたのは二回目か。

 いや、今度は本当に死ぬかもしれないな……。

 

 俺は血の臭いをすぐ近くから感じ取りながら、意識を失った。

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