頼みごと(2)

 俺の言葉に、リンネはすぐには答えない。

 もったいぶっているわけではない。かといって、思い悩んでいるようでもない。

 その目は俺の目をまっすぐに見据えているが――。

 彼女は、ただ、俺を観察しているのだ。そう思った。

 その表情は微動だにしない。ただ黒目だけがてらてらと目立っている。

 外見はあどけない幼女であるかのようにかわいいのにその中身は絶対的にちがうから、そのかわいさはむしろサイズの合わない服のようにこちらに違和感を喚起させるのみだ。


 帝国科学者、リンネ。

 帝国のエリート。エリート中の、エリート。

 膨れ上がった帝国でこんなにも広い地下研究室を与えられるほどのタマだ。

 ……感情なんかいらなかったのだろう。


 だから、俺だってわかってる。

 こいつの感情なんかにうったえかけたところで、無駄だと。


 ……でも。


 でも。でも。でも。


 もう、俺にはなにもない。

 祖国はおそらくすでに廃墟だ。……なんでだろうな、こんなときにだけ、聖騎士としてのカンが働くよ。

 祖国がなければ、無にひとしい。聖騎士としての誇りも。勲章を重ねていくはずだった輝かしい未来も。やがて訪れたであろう城の高みからのにぎやかな城下町の景色も。なにもかも。そう、


 彼女も。


 ……俺は、彼女を、帝国科学者リンネの研究室に置いていかざるをえない、のだ。


 なぜなら。

 彼女に、地獄を生きさせることは、聖騎士として……いや。

 俺が、ゆるせないから。……どうしても。


 帝国科学者は相変わらずつるりとした無感情な無表情を崩さない。

 だから、俺は、頭を下げた。


「――頼むっ! この通りだ。聖騎士が帝国科学者に頼みごとだ、裏切りなどをとあるいは貴女も嗤うだろう……しかし俺のことはいくら嗤ってくれてもかまわん。だからどうか、彼女を殺してくれ……楽にしてやってくれ、頼む、もうこんな時代に生きてちゃ駄目なんだ、王国の人間は、……リンネ・フェスティバル、彼女を、……マリー・ローズを、頼む――!」


 ふっ、とわずかに空気が漏れる気配。


「……おかしな輩だ」


 声ににじみ出る、愉悦。

 ……笑った、のか?


「なるほど、いわゆる聖騎士。まじめであるのだな。敵にも頭を下げる、か。ふむ。もっとプライド高くがんじ絡めで身動きも取れない存在と考えていたが……ステレオタイプはわたしもおなじことだったか。ふむふむ。人間を漬けものにし続けた甲斐もあったかもな」


 漬けもの。

 さすがにその発言には、


「きっ、さまっ……!」


 俺は殴りかかろうとするが、リンネは薄ら笑いを浮かべて両手の手のひらをこちらにひらひらと泳がせた。

「やめてくれ。私は、物理攻撃には弱いのだよ」

 そして、眼鏡の奥の目をどこか斜め下に固定しながら、小さな子どもが言いわけするかのように、言った。


「そりゃ、私だって、きさまの国で悪評高いほどのモンじゃないのだぞ? 信じてくれよ、ルーン王国の騎士アレンよ」


 ……なんだかこいつ、楽しそうですらある。

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