第4話 結婚相手は未来の帝 其の二

 雲雀が八雲京で用いる鏡台やくしばこの新調。

 道中で寝泊まりするうまの確保と、従者の選定。

 真珠の彩り刀やきんぱくびようといった、へ贈られる豪華けんらんな品々。

 慌ただしく婚姻の準備は進んでいく。

 一方、肝心の花嫁である雲雀の、心の準備は一向に進まなかった。

 会えば皆、祝いの言葉を投げかけてくれるが、うれしくもなんともない。しかもその誰もが半笑いなものだから、むしろ腹が立つ。どうせ、鬼姫も嫁に行けば多少はしおらしくなるのだろうか、などと失礼なことを考えているに決まっているのである。

 結局、雲雀は公家の作法を教わる暇すらないまま、話をもらってから十日後には、雄成岳から旅立つために用意された一団の前まで連れて来られていた。

「さ、雲雀様。行きましょうか」

 愛馬であるあらしのたづなを持って待っていたのは、暮明との対決の一部始終を見届けていた有宗である。

 にこやかな彼の表情は、雲雀の安寧とはほど遠い感情をさかでする。

「有宗。うちの前によう顔を出せたもんね。きさんが暮明について父者に言わんけりゃ、こんなことになっちょらんのに」

「や、やだなあ、怒りを治めてくださいよ」

「怒りだけ治めればよかばい?」

「できれば、一緒に抜かれた刀も納めていただけると……」

 気は全く収まらないが、雲雀は彼の首筋に突きつけていた刀をさやに戻した。

 ふう、と人心地ついた様子で、有宗が言い訳を始める。

「私を責めるのは御門違いですよ。天下無双の雲雀様が、負けるかもしれないところまで追い詰められたんですよ? そんなの頭領に報告するに決まっているでしょ」

「はっ。うちは負けとらんわ」

「だから、かもしれない、って言ったじゃないですか。相手の実力を認めるのも、武士の器量。それがわからない雲雀様でもないでしょうに」

「ふん、そぎゃんこと言われるまでもなか」

 雲雀と有宗、旅に付き従う五人の家来は、馬によって山道を下る。

 海沿いの街道に出ると、三十里ごとに寝泊まりの出来る駅家があり、夜は行き着いた先で休んだ。先行隊が宿を押さえていたので、雲雀達の旅は順調そのものだった。

 だが、雲雀はというと、いつまでも着かなければいいのに、などと思っていた。

 無論、そんな我がままに天がこたえるわけもなく、三日目にはごおり川を越え、ついに公家領の最西端、からすもんへと辿たどり着く。

 激戦の末、破ることのかなわなかった関所である。矢でも射かけられるのでは、と緊張したものの、相手の応対は実にあっさりとしたものだった。一刻も待たされることなく雲雀達は門を通され、その夜は八雲京まであと一つ、距離にして十里もない駅家に泊まった。

 武家領に建てられたものとは大きさがまるで異なる駅家に、雲雀は圧倒される。

 元々、街道に駅家を置くという仕組みは公家が考えたものであり、武家はそれに倣ったに過ぎない。それにしても、その駅家はもはや一つの街のようであった。

 連なった十の屋敷。そこに定住している商人と、これから旅を始める商人、それに旅を終えて珍しいものを持ち帰った商人らが、競うように敷地内で商いを繰り広げている。

 用意された部屋も広々として、独り身での最後の夜を雲雀は商人から買った故郷、府門院の酒を飲んでまどろんだ。

 雄成岳を出てから四日目の朝。

 もうやりでも降ってこない限り、その日のうちに八雲京へ辿り着く。

 男のような身軽ななりで旅をするのも、ここまでだった。

 借りた屋敷の母屋で公家の女が着るというじゆうひとえそでを通すと、本当に嫁に行くのだという実感が湧いてきた。

 素肌に小袖と、足まで隠れるながばかま単衣ひとえ。ここまでで身軽な装いを好む雲雀からすれば充分なのだが、さらにそこから色の異なるうちきを五枚。これも着る順序が決まっており、重ね合わせが重要らしい。終わりかと思えば、上質な絹で作られたうちぎぬ、その上には表着うわぎ、腰には裳をくくり、最後に見事なしゆうが施されたうわごろも(唐衣)を羽織りようやく完成となる。

 公家の装いに詳しい女が先行隊に加わっていなければ、雲雀一人ではどう着てよいのやらさっぱりだっただろう。

 重い、重いと聞いていたが、かつちゆうを着慣れた雲雀にとってはそうでもない。それよりも動きにくさのほうが気にかかる。

 そして、もっと嫌になるのは着るまでにかかる時間だ。これから毎日このような無駄な労力を費やさねばならないかと思うとうんざりさせられる。

「まあ、いいか……」

 もはやあきらめの境地である。

 家や一族には、よくしてもらったという思いがある。自分が犠牲になることで、多少なりとも報いられるのであれば、決して悪い話ではない。

 それに、もしかすると嫁ぎ先には、雲雀がとうに諦めていた女の幸せというものも、あるのかもしれない。

 いや、さすがに感傷的になりすぎか。

 それにしても、だ。

「うちが、公家の真似事をする日が来るとはねえ……」

 見下ろした先にある自分の身体がまとった非現実に、笑う気にもなれなかった。

 雲雀はびやくだんの匂い袋をいで気分を落ち着かせ、屋敷の外へと歩み出た。

 そこには公家が都での移動に使用するぎつしやが用意されており、傍に立った有宗が雲雀の十二単姿を見て、おお、とわざとらしく驚いてみせた。

「馬子にも衣装ですね、雲雀様。うめがさねですか」

「梅重?」

「ええ。今、雲雀様の着ている袿の重ね方をそう呼ぶんですよ。下から上に行くほど、淡い梅色になっているでしょう?」

 なっているでしょ、と言われても、袖と首回りに色を重ねていくためだけに着ているものに、正直興味はなかった。強いて言えば、上衣だけは悪くない。雲雀に合う深紅に、綱月家の家紋であるつき竜胆りんどうがあしらわれているからだ。

「でも、刀は没収です」

 そう言って有宗が手を差し出してくる。

 腐ってもくしなだ家の男。

 着膨れした上衣の内側に、刀を隠し持っていることはすでにお見通しらしい。

「うちは公家に嫁ぐが、武家の魂を捨てるつもりはなか」

 しかし、雲雀は差し出すことを拒んだ。

 公家にとっても、武家にとっても、刀は神聖であり、命の次に大事とされるもの。

 男は皆、鞘や柄へ思い思いの装飾をすることで、自らの権威と才覚を主張する。

 彩り刀と呼ばれる文化である。

 雲雀は女でありながら、彩り刀に執着していた。彼女は一騎打ちで強者を打ち倒す度、相手の彩り刀から装飾の一つを譲り受ける、ということを十五の頃から始め、見事な彩り刀へと昇華させていた。

 もはやその刀は自らの歩んだ道程を表すものであり、彼女の誇りと同義なのである。

「まあ、鬼姫から刀を取ったら何も残らないですしね。そのくらい許してもらいますか」

「そうそう、こういう無礼なことを言われたときに、役に立つけんね」

「宮廷でにんじようはやめてくださいね」

 一呼吸もしないうちに刀を突きつけられて、有宗は観念したとばかりにもろをあげた。

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