故郷ー1

 山道を進んで数十分。途中で体力の無いソルトの休憩を挟みつつも、それほど時間を掛けることなく二人は村へと到着した。


 山林が拓かれ、傾斜は緩やかに均され、土地の多くは畑となっている。畑で育てている作物の多くは、麓の町へと出荷するための商品だ。余りは村で消費し、或いは冬場に備えた食料として保存されることもある。


 固く踏みしめられた土の道を行くと、農作業をしている村民が目に入る。


 この季節、まだまだ収穫にはほど遠いから、雑草を刈っているのだろう。刈草用と見られる三輪駆動車の魔道具に乗って、畑を行ったり来たりしている。


 立ち止まって見ていたソルトに気が付いたのか、村人は彼の方を見て軽く手を振ってきた。彼は手を上げようと試みたが、気恥ずかしくてそれが出来ず、頭を下げてその場を後にし、先を行っていたシュガーの後に追いすがる。


 そんなソルトを、彼女はにやにやと笑いながら見下ろした。


「ふっふっふ、ソルトくんは相変わらずシャイなままだね!」


「そう簡単に克服できたら苦労しないよ」


「違いないね!」


 道を行きつつ、ソルトは村の畑を眺めていく。いずれも村人が丹精込めて育てているらしい立派なものだが、それよりも目立っているのが、やはり農作業用の魔道具であった。


(魔道具が普及していることは知っていたけど……)


 まさか自分の故郷の田舎村にまで、これほど普及しているとは彼も思っていなかったのだ。不思議そうな顔をしたまま、彼は三輪駆動車を駆る村人たちの姿を目に焼き付けていた。


   ◇ ◇ ◇


「ただいまー!」


「おかえりシュガー、今日は早かったわね」


 豪快に扉を開け放ったシュガーを迎えたのは、落ち着いた優しい声であった。


 声の主は柔らかな微笑みを湛えたまま、ゆっくりと玄関まで歩いてくる。その歩みを待つことなく、シュガーは元気に話を進めた。


「うん! 狩りをしていたら、大物が掛かってね! 紹介しよう! 村を出て都会の魔法学校で勉学に励んでいるソルト少年だよ!」


「……お久しぶりです、村長」


 シュガーに背中を叩かれながら、ソルトは村長に向かって軽く頭を下げた。


 村長はあらあらと頬に手を当てながら、微笑みに喜色を混じらせた。


「お久しぶりね~、ソルトちゃん。元気にしてた? 学校はどう? 御飯はちゃんと食べてる? シュガーったら元気が有り余って狩人になっちゃってね~。あ、お昼は食べてく? あ、でもご両親もあなたの帰りを待ってるから、また今度がいいかしら。あ、でも今日はおかずを作り過ぎちゃったから、もし良かったら食べていかない? お裾分けの方が良いかしら?」


「ちょっと、お母さん! ソルトくんが困ってるからその辺にしといてあげて!」


「あらあら、シュガー? 少しは落ち着いたらどう? ソルトちゃんが帰ってきて嬉しいのは分かるけど、お母さんに八つ当たりされても困るわよ?」


「うるさいやい! いいからちょっと奥に行ってて!」


 ソルトは呆気に取られつつ、シュガーとその母である村長の遣り取りを眺めて思う。


(相変わらず仲の良い母娘だなぁ)


 彼の家族も仲は悪い方ではないと思うが、どちらかというと放任主義に寄っていたから、ここまで構ってもらった覚えはない。むしろ積極的に構ってきたのは姉貴分と自称するシュガーの方で、割合としても彼女が大きく占めているだろう。


 彼女の母である村長にしても構いたがりで、ソルトだけではなく両親、はたまた他の村人も村長には頭が上がらない。それは権威的なものではなく、人柄によるところが大きいというのが彼女の器を示している。


 そんなことを考えているうちに、シュガーが一人でひょっこりと戻ってきた。


「やあやあ、お待たせしちゃったね!」


「……その、背負っている物は?」


「ん? これ? お肉だよ、お肉」


「さっきの猪?」


「違う違う。あれはもう少し寝かせるからね。こっちは前から寝かせておいたお肉だよ」


 シュガーは手に持った袋を上げて朗らかに笑う。ソルトの家に持っていくお裾分けのようで、都合が良ければ一緒にお昼も食べたいとのことであった。


「お母さんとは一緒に食べなくて良いの?」


「だーいじょうぶ、大丈夫。そんな気にすることないって!」


 からからと笑いながら、シュガーはソルトを連れてゆく。その行き先は彼の家で、村長の家からそう遠くはない位置にある。


 彼が実家に入る言葉を考えたり、心の準備をしていたりとしている間に、その腕はあっさりと彼女に引かれて家の中へと入っていた。


「こんにちはー! 隣のシュガーですー! お宅のソルトくんを連れてきましたよー! お裾分けのお肉も持ってきましたよー!」


 引き戸を開けると共に、そんなことを言い放ったシュガーである。

 当然、家の住人は突然入ってきたシュガーとソルトを見て軽い混乱をきたすことだろう。


 そう思ったソルトの常識的な想像は、至極あっさりと裏切られた。


「おや、お帰りソルト。シュガーちゃんもいらっしゃい」


 彼の母親は少しも慌てることなく、むしろ彼と彼女が帰ってくることが当然であるかのように振る舞ったのである。長年に渡って離れて暮らしていた息子が突然帰ってきても動じないというのは、情が薄いからなのか、それともある程度予測していたからなのか、どちらとも言い切れないが、まあ、自分の母親らしいとソルトは思う。


「お邪魔しまーす! はいこれ、少し前に獲ったお肉です! どうぞ食べてやって下さい!」


「あらあらありがとうね。早速今から使わせてもらうわ」


「今からお昼なら手伝いますよ! お肉はどう調理します?」


「そうねえ……あ、ソルトはその辺でゆっくりしてなさい。疲れてるでしょう」


「……まあ、そうだね」


 そこはかとない疎外感を植えつけられながら、ソルトは窓際の椅子へと腰を下ろした。


 水差しの水を飲みながら、シュガーと母親の様子を伺う。彼女らは台所でなにやら姦しげに騒ぎつつも、しっかりと料理をしているようで、次第に食欲を誘う匂いが漂ってくる。


 こうしてのんびりと食事を待つのは、どれくらいぶりだろう。思えば、朝も昼もそして夜も、ずっと知識を詰め込み、技術を研鑽するばかりで、ゆっくりとした時間を持ってこなかった気がしてならない。


 彼はその点について少しも後悔は感じていないが、それでもこうした時間を持つのも悪くはないと思うのだ。


 久しくなかったゆっくりとした時間を、ソルトは窓の外の景色を見て、青い空を眺めながら、それとなく味わうのだった。


   ◇ ◇ ◇


 昼食は、五人という所帯で食べることとなった。

 ソルトとその両親、そしてシュガーと村長が加わり、熊肉を煮込んだ大鍋を囲んだのだ。


「いやー、それにしてもソルトが帰ってくるとはな! 思ったより元気そうで良かったよ」


 と肉を食べながらのんきに言うのは、彼の父である。


 良かった良かったと言いながら、その口に肉をせっせと運んでいるその嬉しそうな表情は、息子の無表情とはまるで似ていない。けれども、息子が帰ってきたのが良かったのか、それとも肉の味が良かったのか、どちらとも判然とし難いところが夫婦揃ってよく似ているとソルトは思う。


「帰ってくるなら、もう少し早めに連絡入れなさいね? お母さん、びっくりしちゃったわ」


 嘘をつくなら、もう少しもっともらしい嘘をついて欲しいとソルトは胸中で苦笑した。事実として、母は彼が帰ってきたことに対して僅かな動揺すら見せず、いつも通りのことだと言わんばかりに軽く流し、シュガーと共に調理を楽しむだけの余裕があったではないか。


(それとも、内心は動揺していたのだろうか)


 答えの出ない問いに当たってソルトが表情に出すことなく悩んでいると、隣に座るシュガーが顔を寄せ、そっと囁きかけてきた。


「どしたのソルトくん? あんまり食べてないね? 肉がいらないなら私がもらうよ?」


 そこは普通、もう少し体調を心配するところではないだろうか。肉の心配をしてどうする、とソルトは思わず心の中でつっこんだ。


 彼が細目で睨むのも構わず、シュガーはソルトの前にある肉を取って口へと運び、美味しそうに咀嚼をするのだ。はっきり言って、ソルトに再会したときよりも、その蕩けたような笑みは幸福そうに見えるのである。


「こら、シュガー。肉ばかりじゃなくて野菜も食べなさい。野菜も」


 娘にそう言っている村長が、一番肉を食っているという事実をソルトはその目でしっかりと見ていた。誰よりも話をしていながら、そのくせ誰よりも口に肉を運ぶ頻度が高いのである。肉を食べるという一事に関しては、村長の右に出る者はいないだろうと彼は確信した。


 そう思うソルトは肉をあまり食べず、もっぱら野菜やキノコを食べている。それは彼以外の人々が肉ばかり食べているからというのもあるが、彼自身が肉をあまり好んで食べないからであった。その分、周りの人々に負けないほど野菜やキノコをばりばり食べるのが常だったが、どうも今日はそういう調子じゃないらしい。


 その理由は明確で、そしてその理由に大きく関わる話題が、彼の母から切り出された。


「そう言えばソルト、あなた学校は無事に卒業できたの?」


「ああ、うん」


「あら! それはおめでとう!」


 村長もシュガーも無邪気に彼を祝福し、そして肉を食べてゆく。その勢いはとどまることを知らず、鍋の肉が空になるまで、ソルトを除いた全員が食べに食べた。


 食後のお茶を淹れ、しばらくのんびりとした停滞の時間が流れたが、再びソルトの母が彼に尋ねてその空気の停滞を先へと促した。


「で、どうなの?」


「どうって、何が?」


 当然、そのゆったりとした空気にこれ以上ないほど馴染んでいたソルトは、唐突な母の発言についていけなかった。しかしその憂鬱そうな表情を見て、彼女が何を言いたいかを察せられるくらいには、彼はぼんやりとはしていなかった。


 母の視線から目を逸らさぬまま、彼は静かに口を開いた。


「……しばらく、こっちで自分のできることを考えてみようと思ってる」


 息子のその答えで、母たる彼女は理解したのだろう。都会で職に就くことができず、手紙に書いた言葉に従い、故郷に戻ってきたというわけだ。

 その心中を思いやると、下手な慰めや同情を言うのは憚られた。


「そう……」


 ゆえに彼女は何を言っていいか分からず、そうして一言だけ、相槌を打つに留めた。ソルトの口が回らぬところは、母親から伝えられたものであるのかもしれない。


 父は父で我関せずを貫いて、ゆったりとした雰囲気を崩さぬまま、お茶の湯気をぼんやりと眺めている。彼は自分よりも母である彼女の方が息子をしっかりと導いてきたことを知っているし、自分にその役目は多大に過ぎると感じていたからでもあった。


「え? ソルトくんはしばらく村に滞在するの?」


「そうだよ」


 空気を読まぬシュガーの言葉に、ソルトは軽い返事をもって答えた。昔からこの姉貴分は、重大な話を重大とも思わぬ態度で扱うのだ。時によってそれは長所とも短所ともなりうるものだが、今回に関しては場の空気が重くなることを避けたかったため、姉貴分の言葉にありがたく乗った彼である。


「じゃあさ、ソルトくんも私と一緒に狩りしないかい?」


「……僕、体を動かすのは得意じゃないから」


「助手で良いから! 荷物持つだけだから! 体力無くても大丈夫だし!」


 彼女が熱心に勧誘をするのは、何も弟分であるソルトを気にかけているというだけではない。そもそも村の主産業である商品作物の畑を荒らす害獣を、駆逐できる者が少ないのだ。年寄り連中を含めて五人にも満たない有様で、深刻な人材不足に陥っているのである。


 しかし、ソルトはそれを知っても自分ができることではないと判断した。軽い荷物持ちならできなくはないだろうが、足が遅くて迅速な行動は望めない。加えて、実際に獣が現れた場合にはシュガーの行動についていけないだけでなく、足手まといになるのがオチであろう。


 なにせ彼は銃を使えず、反動で尻もちをつくほどに体に力が無いのである。逃げる獣を追う彼女に、追いつけるほどの足も無いのだ。シュガーはそれでも良いと言うが、ソルトとしては姉貴分の足手まといになるのは御免であった。


 ゆえに、断る理由の一つを出した。


「実はね、この村で魔道具屋でも開こうかなって思ってるんだよ」


 ソルトのその言葉を聞いて驚いたのは、シュガーと彼自身を除いた全員だった。


「魔道具を扱う店に、お客さんが入るかしら?」


「さて、どうでしょう?」


 母親二人が言うのは、魔道具はこんな山にある田舎村でもそう珍しい物ではないということである。


 魔道具は魔力を内包している魔石で動く道具、或いは複雑な機構を持った機械の総称だ。十年ほど前に魔石の採掘場が幾つも建てられ、数年前には魔石を用いた魔道具の大量生産が軌道に乗り、これまで高価であった魔道具が安い価格で市場に流れ、一般世帯に普及することになったのである。


 その生産革命の波は大陸中に広がって、こんな山の中の辺鄙な村にまで影響を及ぼしている。


 しかしソルトは、「だからこそ開いてみようと思っている」と言ったのだ。


 彼が魔法学校で学んだ知識や技術は、魔法だけのことではない。もっとも意欲的に彼が取り組んだのは、魔道具の構造・製作・改良などに関わる技術的知識であったという。


 その分野は、魔法学校では未だに取り扱っておらず、専門として扱う教授もいなかったのだが、彼はそれでも魔道具に対して強い興味を示し、魔道具に関する学問を専攻として独自に学んだのだ。それでも魔法学校内では次席という破格の成績を保っていたから、魔法と精霊に関する学問を専攻とする、変人で有名な教授が彼にいたく興味を持ち、型に捕らわれぬ独創的な助言でもって彼の知識と技術の確立を助けることとなった。


 しかし、世間は魔道具が大量普及している時代になったにも関わらず、未だに魔道具に対する深い興味というものを強く持てないでいた。と言うのも、今では魔道具は安価で大量に流通しているため、誰でも簡単に手に入れられるものであったという事情が、かえって人々の興味を薄らげたのである。生産に関しては大型魔道機械によって人の手を介さず作られることが知られていて、さらには人の手が途中で半端に入ることで無用の誤作動を引き起こしてしまう可能性が常に懸念されていたことも大きかった。


 そういった背景が一般的な常識として深く浸透しているために、彼は面接において華々しいエピソードもアピールもできずに、むしろ魔道具関連のそうした知識や技術を持っていることを重視されることもなく、口下手と対応の拙さばかりを面接官から指摘され、冷ややかな態度でもって落とされ続けたのである。


 けれども、主席の友人たるノイルはそんなソルトのことを高く買っていて、


「まだ、今の時代の人々は魔道具の知識や技術を持つことの意味と重要性に気がついてないんだよ。時代が遅れてるのさ。でも、じきに気付いて追いついてくるはずだよ」


 と、ソルトのような魔道具の専門家が認められる時代が到来するだろうことを見通している。


 だが、その時代がいつ到来するのかは、ノイルにもソルトにも分からなかった。けれども、分からないからと言って、座して時代が追いついてくるのを待っているのは癪ではないかと、彼らは、特にソルトは強く思っていたのである。


 どうせ田舎に帰るなら、田舎で魔道具を扱う店を開いてみるのも有りではないか。もしかしたらその店の有用性や可能性に気付く者が一人でも現れるのではないかと、そうした淡い期待を彼が内心に持っていたとしても非難されることではないだろう。


「村では魔道具が壊れた場合、すぐに買うことも修理することもできないだろうし、魔道具の修理と、その間の貸し出しをすれば良いと思ってるんだけど……」


「ふむふむ、良いんじゃないかな?」


 彼の考えを肯定したのは親たちではなく、姉貴分のシュガーであった。


 彼女自身、今使っている魔道具に関して不備や不満があるわけではないが、メンテナンスの知識などは無い。ガタが見えてきたら使うのを中止して、代わりになるものを使い、麓の町からくる行商人が売りに来るのを待たねばならなかった。安く魔道具が手に入るとはいえ、ここは流通の中心から大きく外れた田舎である。手に入る頻度というものは、流石に限られているから、近場で魔道具が手に入るのならば大いに便利だと言えるのだ。


 さらに、新たな魔道具を購入するのではなく、くたびれるたびに修理できるのだとしたら、これほど助かることはないと、狩人として魔道銃をこよなく愛しているシュガーとしては思うのだ。使い慣れた道具に愛着を持つのは、別に彼女だけの話でもないであろうし。


「少なくとも、私は結構利用させてもらうかな。畑を耕してる魔道機械だって、メンテナンスが必要なのは当然だろうしね。新しく買うとしたら、それなりにお金も掛かるし。修理で済むならそれに越したことはないよ。そうでしょ?」


 そんなシュガーの助け舟は、親たちもなんとか納得できるものであったらしい。しきりに首を傾げていた頻度が減って、首肯の回数が徐々に増えてきていた。


「そうねぇ……確かに長いこと使い続けてるから、あちこちガタがきてるのはあるわねぇ」


「そんな程度でも魔道具屋さんとしては請け負ってくれるのかしら?」


「もちろん。仕入れた時より丁寧に仕上げられるとは思うよ。ただ、使用者の癖まではどんなにしても取り除けはしないだろうけど」


「それは良かった。使用感まで新品になったら慣れるまでに時間が掛かるからな」


 ソルトの父がジョークか慰めか、微妙に分からぬ言葉を口にしながら、お茶をずずいと口に含めた。しかしどうやら父の言葉は、母親たちも思うところがあったらしく、互いに良いわね良いわねとしきりに頷いたり微笑み合ったりしている。


 とりあえず、やってみたら良いんじゃないというゴーサインが、村長から正式に認められることになったのだった。


「あ、でももし閑古鳥が鳴いてたら狩りの手伝いはお願いしたいかな!」


「……善処します」

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