僕の世界は幽遠で

「————んッ......! ェオさん......! フェオさん!」


 何処からか呼ばれた気がした。


 麗らかな声音。それとは対照的になにか焦りを抱えたような喚声。それが耳を突き抜けた後、俺の意識は段々と取り戻されて行った。


「フェオさんッ!よ、良かった......。もうこのまま起きないのではと......」


 目を開くと、安堵感で居た堪れない様子なティアがこちらを覗き込んでいた。と、そこで俺は後頭部を支えている柔らかい感触に気づく。

 ............それがティアの羽二重肌をした太ももであることを俺は瞬時に理解した。気恥ずかしくなり、狼狽えながらも勢いよく起き上がる。


 ————————ゴツンッ。


「————ッ?!」


 鈍い音が響き渡り、ティアが目を丸くしながら額を抑え小さく唸る。起き上がった際、俺をのぞき込んでいたティアと額がぶつかったのだ。


「す、すまん!」


 今のは俺に非があった。そう感じた俺はすぐに謝罪をする。


 だが、ふとその何気ない行動に違和感を感じた。一見誰も気にも止めないような動作。人が悪いと感じたのなら謝るのが正当だろう。それは悪人にもわかる。しかし、俺の胸の詰まりはそこではない。


「左腕がある......!」


 エナに腕を抉られてからその後、幾分かの眠りに着いた俺は左腕について一切触れなかった。そのため、今更ながら左腕の存在に気がつく。


「ちゃんと元通りでしょ? 」


「あぁ......。ここまで綺麗に戻るものなんだな」


 実感出来ていない。腕の感覚、エナの技術の甚大さ、ましてや魔術の脅威さすらも。

 すると、そんな俺の驚嘆を他所に先程まで座り込んでいたティアが呻き声を上げながらこちらへと視線を移した。


「うぅ......。痛いですよ............。まあ、フェオさんが無事で安心しましたけど......」


 そうくぐもった声で呟くティア。その額には赤みを帯びた部分があり、少し申し訳ない気持ちになった。




 *


「ところで......、まだ聞いてなかったんだけど、二人はなんでオークなんかに襲われたの?」


 揺り椅子に座り、ゆさゆさと体を揺らしながらエナはそんな事を尋ねた。確かにエナにはこちらから一方的に要件を頼んだだけで、経緯を説明していなかった。

 少しの間が空いた後、ティアは口を開く。


「私達は......、ダンジョンに向かってました」


「だ、ダンジョン......!? また、なんでそんな所に?」


 驚きを隠せない様子のエナ。当たり前だろう。この世界では学校に通わなくとも親に迷信のように語られるダンジョン。その存在は世界に幾数とあり、全てが定義される。


 ————————『危険だ』と。


 そんな所に向かおうとしているのだ。誰だって心配するだろう。


「話せば長くなるのですが、私の叔父が先月他界致しました......。その間際手渡された紙切れに『冒険譚サイファを調べてくれ』と書かれていたんです」


「ティアの叔父さんって......あの法業学者の?」


「ええ。叔父は法の改正に真に務めていました。そして叔父は仕事柄人々を豊かにしたいと毎日呟いていたのです。そこで、叔父は仕事の合間に研究していた魔法や魔術で人々を豊かにできるのではないかと考えていました。冒険譚サイファ。お二方聞いたこともあるでしょう?」


「あるよ」

「ないな」


 俺とエナの返答が重なる。ただ、その返答は全く持って別の意味だった。


「フェオさん......冒険譚サイファについて、知らないんですか?」


「ああ。全く」


田舎住まいだったせいか、聞き覚えがない。


「もう......。冒険譚サイファとは簡単に言えば魔法、魔術の辞書です。その著者が魔術や魔法の第一人者で、つまりはですね......それがあれば今ある全ての魔法や魔術を習得出来るんです」


「は? そんなの誰かが悪用でもしたら......」


「ええ。この世界の均衡は保てなくなるでしょうね」


 レベルが全て。こればかりはどうしようもない。弱いものは強いものに負ける。単純だが、弱肉強食の世界にとっては当たり前の事だった。


 ただ、それは力量の話。なら技術はどうか。魔法、魔術。それらは無数と種類のある人間の兵器。全て扱うことが出来れば力量差など埋めることは容易いだろう。


 しかし、魔法や魔術は人間種を上へと立たせる為だけに存在はしていない。悪いように使うことも、良いように使うことも出来るのだ。それが同種であったとしても。


「ですから、私がそれをさせない為に叔父の意志を引き継ぎつつ、冒険譚を悪用しないように管理したいんです」


 ティアの目は、俺にダンジョン攻略を手伝えと言ってきた時の様に輝きに満ち溢れていた。


「あのティアがちゃんと考えて行動してるなんてね。驚きだよ」


 またもや、からからとエナが微笑を浮かべる。


「あのってなんですか、あのって。まあ、いいです。なのでその冒険譚の手掛かりを探すためにダンジョンに向かっていたんです。叔父曰く、冒険譚の手掛かりはダンジョンにある様なので」


「なるほどね......。なら左腕も戻ったし、またダンジョンに行くの?」


「ええ、そうします。大丈夫ですよね? フェオさん」


「まあ、いけるな。けど流石に夜向かうのは危険だ。出るなら明朝だな」


 敵対するのは魔物。主に夜、行動する魔物がいたとしたらこちらは視野が暗い故に分が悪い。


「ですね。......エナさん、今日は泊めて頂けますか?」


 現在、夕暮れ時を遥かに過ぎ辺りは暗闇に包まれている。確かに今から宿を探すのも苦労しそうだ。可能であればエナの家に泊まらせてもらいたい。


「いいよ。————ならフェオは僕と一緒に寝よっか」


 突然、エナはそんな事を俺に呟いた。


「は、はぁ?! 一緒になんて寝るわけないだろ!」


 子供の悪戯心の様にエナは人の心を弄ぶ。気恥しさに拒絶したが、少しきつく言ってしまったらしい。エナがその小さい頬を膨らませると、抑揚のない声で「言ってみただけだよ、もう」と一言述べた後そっぽを向いてしまった......。


それから幾分経っただろう。まだ頬をふくらせたままのエナはちらちらと俺に視線を寄せている。


「まあまあ、エナさん。まずは二人でお風呂だけでも......」


「むぅ......そうだね。少しばかりお風呂入ってくるからフェオは暇でもしてて。あんまり道具は触らないように」


 ティアがそっぽを向くエナを宥める。ここで俺に意地を張っても埒が明かない、と折れたのかエナは入浴の誘いを受けた。


「分かった。————あと、言ってなかったが治してくれてありがとな」


「え............うん、どういたしまして!」


 一応礼を伝える。その言葉にエナは少し驚いたのか間を開けてから返答した。なんだ、結構上機嫌じゃないか。


「では、入ってきますね」


「おう」


 そう落ち着くと、二人は居間を挟んで奥の部屋へと消えていく。それを確認した後、俺は近くにあった椅子に腰掛け一息つく。


 そして、疲労感の流れ出る微睡みの中「こんな些細な談笑、いつぶりだろう」と小さく呟くのだった————。



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