ぼくのだいきらいな異世界

monaka

◆プロローグ-1◆素晴らしき異世界

 僕は確かにいい子ではなかった。


 友達もほとんど居ないし人見知りがすごいし素直になれなくて人の好意っていうのが苦手で俯いて黙ってばっかりの暗い子供だった。





 だけど、だからといってこんな仕打ちを受けるほどじゃないはずだ。





「…ここはどこなんですか…?」


「ここは…そうだな。どう説明したら解りやすいだろう。君が居た世界とは違う場所だよ。君は選ばれたんだ」





 自分が選ばれた?


 特別なところなんて何一つない自分が何かに選ばれるとしたら生贄くらいなものだと思う。





「選ばれたって、何に…ですか?」


 それでも少しは期待する気持ちっていうのがあった。


 漫画やアニメのように異世界転生、とかそういうのだったら僕はすごい力を手に入れて、新しい世界では楽しく生きていけるかもしれない。


 今までのつまらない暮らしなんかじゃなくて、あんな下らない世界じゃなくて。





 素敵な異世界ライフ。





 毎日毎日学校へ通って将来何の役にもたたなそうな勉強をして親の為にテストでいい点を取って無駄にうるさいクラスメイトに愛想笑いをして先生からもっとクラスに馴染める努力をしろと怒られる。





 そんなつまらない日常に未練なんてこれっぽっちもなかった。


 でも、自殺なんて考えた事もない。


 死ぬのが怖いから。





 自分が無になってしまうのは怖い。


 だから、こういう不思議な現象に巻き込まれた事自体はとても嬉しい。嬉しくて涙が出る。





「勿論、我々の遊びに、だよ」





 遊びに選ばれた。


 その言葉に一抹の不安がよぎる。





「あの…詳しく、説明してもらってもいいですか…?」





 僕を遊びの相手に選んだと言う男は、黒いフードを、いや、ローブに身を包んでいて、顔はほとんど見えない。


 でも青黒いアゴのあたりと節くれ立った指だけは解る。


 とても人間とは思えなかった。





「我々は時々こうやって人をランダムで選んでね、違う世界に送り出すんだ。嫌かい?今の世界に未練があるかな?まぁ君くらいの歳だとまだまだやり残した事が…」


「ありません。別の世界に行けるなら…その方が嬉しいです」





 そう言うと、黒ローブの男は一瞬無言になった後に、「ひひひひっ」と下品な笑い声をあげた。





「そうでなくてはね。君みたいに物分りがいい相手だと話が早くて助かるよ。じゃあ簡単に説明しよう。といっても君に言う事なんてほんの少しだ」





 そしてその男から語られた内容は…





 異世界に送り込む際に、一つだけ能力を授ける。あとは好きなようにしろ。


 それだけだった。





「…え?それだけなんですか?その能力って…」


「いやいや。それを言ってはつまらないだろう。君は何か勘違いしているのかもしれないがねこれは…」





「異世界に放り込まれた少年が果たしていつまで生きていけるのかという賭け事なんだよ」





 いまいち意味が解らなかった。


 別意に異世界に行く事は構わないし大歓迎だったが、そんな風に言われると少し不安になる。





「僕の人生をモニタリングするって事ですか?」


「君は幼いのによくそんな言葉を知ってるね?」





 本はよく読む。漫画も小説も。


 僕はまだ十歳くらいだが同学年の人たちよりは読み書きも出来るつもりでいる。


 だけどその事を知ってる人は少ない。


 みんなより出来る事があるって事は潰される対象になりやすいから。





 そういうつまらない世界だったから。


 だから出来るだけ目立たないように生きてきた。


 そうしないといじめにあうし、それを撥ね退けるだけの力も勇気も無い。





 これから行く世界がどんな物であってもきっと今より楽しいに決まってる。


 異世界転生なんて漫画や小説、アニメなんかじゃよくある設定だけど、実際に自分の身におこるとこんなにわくわくするものなんだ。





 今は不安より、つまらない日々から抜け出せる事の喜びの方が勝っていた。





「とにかく、君は我々の賭け事の対象なんだ。くれぐれもあっさり死ぬなんて事のないようにね。さあ、楽しませてくれたまえ」





 まだ聞きたい事は沢山あった。


 どんな世界で、どんな生き物がいて、どんな人たちが暮らしていて、どんな国があるのか。


 それ以外にもいろいろ。





 でも聞こうとしたら酷くそっけない口調で切り捨てられる。





「これ以上の情報は与えないよ。その方が面白いからね。せいぜい頑張りたまえ」





 その男が掌をこちらに向ける。


 ローブの袖から骨と皮だけのような細い腕が見えた。





 そしたら、もう僕は知らない場所に座り込んでいた。





 道なんてどこにもない。


 見渡す限り木。木。木。


 森の中みたいだ。





 ここがもし険しい山の中だったらどうしよう。


 水も食料もない。もし山の、それも上の方にいるのなら早めに下山しないと。





 いつまで生きられるかっていうのはそういうサバイバル要素を求められているのだろうか?


 正直あまり自信は無い。


 だけどとにかく山は下ればいつか平地に辿り付けるし平地に行けば道もある。道があるなら人がいる。人を見つけられれば情報が手に入るしなんとかその先の事も考えられるようになるかもしれない。


 まずは此処から動かないと…





 思っていた以上に頭はクリアだった。


 大丈夫。僕なら知らない世界でも生きていける。


 そんな漠然とした自信があった。





 それも、新しい世界にやってきたっていう興奮が起こした錯覚だったと知ったのは散策を開始してすぐの事だった。





「…え、何…これ…」


 思わず声が漏れる。





 目の前で、見た事も無い形をした生き物が見た事も無い形をした大きな生き物に食われていた。





 熊とか、ライオンとかそういう解り易い形の猛獣じゃない。





 簡単に表現するなら大きな肉の塊。


 風船のようにパンパンに膨れた肉の塊が胴体で、そこからまた膨れた肉の塊が腕と足のように四本伸びている。


 指みたいなものは無くて爪のようなものが先に生えていた。


 そしてその身体はところどころ皮膚が爛れていて、緑とも茶色とも言えない不思議な色をしている。


 風が運ぶそいつの臭いはとても酷くて、思わずむせ返ってしまった。





「ぐ…ぐぼぼぎげぁ」





 その生き物が身体事こちらに向き直る。


 気付かれた!





 その生き物は胴体の上の方に大きな口がついていて、そこから血が沢山滴っている。まだ獲物の肉切れや皮が口の隅からどろりとぶら下がっている。





 にげなきゃ





 考えるよりも先に僕は全力でその場から逃げた。


 ここはヤバい。きっと遭遇したら終わりだっていう生き物が沢山いる。


 きっとアイツだけじゃない。もっと居るはずだ。早くここから逃げないと。





 あれだけぶよぶよした身体だったらそんなに足は速く無いはず。全力で逃げればきっと





 なんて考えは所詮無知な小学生の甘えだった。





 どのくらい引き離せたか走りながらチラっと後ろを見た瞬間、目の前にそいつの腕みたいな物が迫っていた。





 その爪で、背中を引っ掻かれる。





「いってぇぇー!!」





 痛いなんてもんじゃない。


 服は余裕で切り裂かれ、背中に生暖かい感触がある。きっと沢山血が出てる。





 なんであの巨体でこんなに早いんだ。


 このままじゃあっさりアイツに捕まって、最初に食われてた変な生き物みたいにぼりぼり食われてしまう。


 一発で死ねればまだいい。中途半端に傷を負わされて腕とか足とかからむしゃむしゃやられたら僕は気が狂ってしまうだろう。





 異世界にだって危険がある事くらい解ってる。だけど…





 だけど、これはいきなり危険な場所すぎるだろ…。





 背中が焼けるように痛い。


 身体に力が入らなくなってくる。





 漫画やアニメならそろそろ誰か助けに来てくれたっていいじゃないか。


 このままじゃ本当に…





 死んでしまう。





 死ぬのは嫌だ。怖い。嫌だ。嫌だ。





 そうだ、何か能力をくれたって言ってた。


 それは戦うための能力かもしれない。





 これ以上走って逃げてもきっと追いつかれて殺されてしまう。





 なら一か八か与えられた能力で…





 そんな期待をしていた。





 異世界ならチート級の能力を駆使して英雄になってモテモテのハーレムを作って王様から一目置かれて姫様と結婚して…。





 そんな、そんな素晴らしい異世界。


 そんな、希望に満ちた異世界。





 そんな物は無い。





「なんでだよ、なんで何もおきないんだよぉぉぉ!!」





 立ち止まり、振り向いて化け物に向かって手を翳すが何か特別な力が発動するような気配は何も無い。


 運動能力も向上していない。力も強くなってない。棒を拾って殴りかかっても剣技スキルがあるわけでもない。魔法もなんにもない。





 そして、ついにアイツが目の前に迫る。





 こ、こんな死に方…嫌だ。





 こんな事ならあのつまらない毎日を、悔しさや憤りを抱えたまま生きていた方がマシだった。





 そんな後悔をしてももう遅い。





 僕はアイツに思い切り肩から反対側のわき腹に向けて爪で切り裂かれた。








 きっと僕は勢い良く吹き飛んでしまったんだろう。


 なんだか視界がめまぐるしく変わっていく。





 といっても何かを期待してはいけない。


 ただ、アイツの攻撃を食らった時に勢いでそのまま山肌を転げ落ちているだけだ。





 多分。





 うっすら木々や空や地面が視界に入るから多分あってる。





 そして偶にアイツも目に入ってくるから転がってる僕を追いかけてるんだろう。





 もう痛みが解らない。


 痛いとかそういう以前に身体の感覚が全く無い。


 このまま無痛で死んで食べられてしまうならいっそそれでもいい気がした。





 でも、そんなにこの世界は優しくないみたいだ。





 結果を言うとアイツからは逃れられたらしい。


 転がった先が崖だった。





 僕の身体がそのまま宙を舞って落下する。


 それなりの高さがあったらしくアイツは追ってくるのを諦めたらしい。





 どっちにしても高いところから地面に叩きつけられたらその時点で僕の意識は途切れる。





 筈だったのだが…。





 落ちたのは水の中だった。





 息が出来ない。苦しい。





 苦しいなんて感情がまだ自分に存在している事に驚いた。





 もう感覚なんてなくなってしまったと思っていたから。





 それなら…無理だと解ってももう少しだけあがいてみよう。





 渾身の力で手足をバタつかせると、相変わらず動いている感覚は無いもののなんとか手足自体は動いているようだ。


 そのまま水の底から水面を目指す。





 苦しい。早くしないと溺れて死んでしまう。





 息が出来なくて頭もぼんやりしてきた。さすがにもうここまでかなと諦めかけた時、やっと水面に顔が出せた。





「ぷはぁっ…はぁ…はぁ…」





 近くにある小さな滝から水が流れ込んでいるそこはちょうど水の溜まり場になっていて、僕が今放り込まれた場所から少しだけ泳げればすぐに浅瀬にたどり着けそうだった。


 流れは緩やかだしなんとかなるかもしれない。





 やっとの思いで岸にたどり着く。


 早く落ち着いて自分の状態を確認しないと…





 なんとかよろよろと立ち上がりまわりを確認すると、僕が落ちてきた崖の壁にぽっかり大きな穴があいていた。


 とても大きい。





 むしろこの高さから落ちてきて生きている事自体奇跡といっても過言じゃない。





 本当に運が良かった。


 いや、運が良かったのならあんな奴と遭遇していない。





 僕は取り合えずその穴に入ってみる。


 そこは洞窟のようになっていて、少しだけ下るような傾斜があった。


 奥まで散策する元気も体力もないので入り口近辺で倒れこむ。


 外はだんだんと日が沈み始め薄暗くなってきていた。


 夜になるなら下手に動くとさらに危険な生き物に遭遇するかもしれない。


 ここで一晩過ごしたほうがいいんだろうか?


 もしそうしたとして、朝まで僕が生きている保障はないけれど…。





 迷った結果、少し休んでいく事にした。どちらにしてももうあまり動く元気も体力も無いのでここで少しでも体力を回復させないと…。朝まで命がもたなかったらもうどうしようもない。





 そうなったらそうなったで諦めるしかないように思う。もう限界だった。


 意識もまだふわふわしていて自分があとどのくらいもつのか解らない。


 もしかしたら奇跡的に崖からの落下を生き延びて運よく岸にたどり着けたけれどここで力尽きて死んでしまうかもしれない。





 自分の身体はどれだけ傷ついているんだろう?


 背中は見れないので確認のしようがない。


 自分の左肩を見てみると…見た事を後悔した。


 ざっくりと抉れて軽く骨が見えている。





 そのせいで意識が遠のきそうになるのを必死に我慢して、そこから斜めにやられていた傷をなぞるように視線を動かす。





 幸いにも肩以外はそこまで深く抉れているわけではなかった。


 肩からは抉れた部分の肉がまだでろりと皮一枚繋がってぶらぶらしているが、わき腹にかけてやられた傷は思ったよりも深くない。もし内臓とかにまで爪が達していたらもう生きてはいなかっただろう。





 傷口が気持ちわるい。


 ぐちゃぐちゃしていてどす黒くてどろどろしている。まだ血が流れ続けているのが一番問題だ。


 何かで縛るとか、応急処置でもなんでもしないと今度は失血死してしまう。





 つらい。もう帰りたい。


 あの煩い両親の元に帰りたい。


 あのつまらないクラスメイトの元に帰りたい。





 気がつけば涙が零れていた。


 止められない。





 怖い。死ぬのが怖い。


 このまま死にたくない。


 こんなところで死にたくない。








 その時、洞窟の奥から妙な音がした。


 バリン、ガコッ、ゴトン。





 そんな音だった。





 もしかしたらこの洞窟はさっきの奴みたいな変な生き物の巣だったのかもしれない。





 だとしたら、今度こそもう終わりだ。


 逃げ場が無いし、そもそも逃げる力が残っていない。








 しばらくして奥からその音の主が姿を現した。


 僕はその場にぺたんと崩れ落ちる。


 力が入らない。





 目の前に現れたのは、僕でも知っている生き物だった。


 まさかこんな所で遭遇するとは思ってもいなかった。





 それは…





 ドラゴン。





 まさしく竜だった。





 ただ、僕がへたり込んでしまったのは恐怖からではなく、脱力感からである。





 なにせそのドラゴンは僕の膝下くらいまでの大きさだったのだ。





 最初に聞こえてきた音はもしかしたら卵の殻を割る音だったのかもしれない。


 生まれたての赤ちゃんドラゴンなんて初めて見た…。





 そんな事を思ったが、良く考えたらそれはそのはず。ドラゴンを始めて見たのだから当然だった。


 まだ少し気が動転しているらしい。





 そもそも本当にドラゴンなのかもわからない。こういう種類の小さいモンスターかもしれない。





「きゅーい。きゅきゅーい」


 そのドラゴン(仮)はとてとて歩いてきて、身体の両脇から伸びる翼を広げると僕の目の前で停止し、羽と羽で僕を挟み込んだ。


「きゅきゅきゅーい。きゅきゅーい」





 …もしかして、刷り込みの対象になってしまったのだろうか。


 学校で習った事が正しいのなら生まれたばかりの動物は刷り込みっていうのがあって初めて見た相手を親と認識するとかなんとか…。





「きゅきゅ?きゅーい」





 なんとかよろよろと立ち上がると足元で羽をバタつかせながらぴょんぴょんしてくる。


 …意外と可愛いかもしれない。





 よく観察して見る事にした。


 その身体の表面は硬そうな鱗のような物で覆われているが、触ってみるとほんのり柔らかい。もしかしたら生まれたてだからまだ硬くなっていないのかもしれない。


 甲殻類が脱皮したばかりの時とかは甲羅が柔らかいらしいのでそれと同じような状態なのかも。


 身体は全身薄い赤色。爪は黒で、目は綺麗な薄緑色をしていた。


 首が長いタイプのドラゴンとは違って全体的に丸いフォルムをしている。


 手はプテラノドンとか、翼竜と同じような位置じゃなくて、羽とは別に短い手足がついていた。





 これから成長するにつれてこの手足は伸びるんだろうか。


 このままだったら手があっても両手で物を掴む事はできそうに無い。長さが圧倒的に足りない。





 ドラゴン(仮)を観察していると、なんだか元の世界にいるペット、犬や猫等とあまり変らないような気がする。


 外見がちょっと爬虫類っぽいってだけで人懐っこいしぽてぽてしていて可愛い。





 日本でもトカゲ類とかをペットにしてる人がいるが、ちょっとわかる気がしてきた。





 とりあえず僕にとって害はなさそうだし放っておいても大丈夫だろう。





 そんな事よりも傷だ。


 これをどうにかしないと…


 肩の傷をもう一度見てみると、少しだけ骨が見えているがそれを塞いでいたはずの肉はまだぷらぷらとぶら下がっているような状態なので、それを元の位置にもどして蓋をしてしまうしかないように思う。





 ヤバい。





 ちょっと間をあけたら痛みって感覚が復活してきた。


 さっきまではじんじんして痛いというより痺れに近かったのだが、思い出したように痛みを感じ始めた。





 もう少したったらもっと痛くなる気がする…それなら今のうちに無理矢理でも傷口をこの肉片で埋めてしまった方がマシかもしれない。





 覚悟を決めて、もう一度その場に座る。


 肩からでろーっとしている肉を掴み上げ、それを元の位置に…





 べろり。





「ぎゃああぁぁぁぁぁぁあ!!」





 いざ元の位置に戻そうとしていた僕の、その肩の傷口をドラゴン(仮)がザラついた舌で舐めあげた。





 痛い痛い痛い!!


 半端なく痛い!!





 そのまま腕がもげてしまうかと思った。


 僕はとても正気ではいられずにその場を転がる。


 痛い。





 こんな傷だらけでゴツゴツした洞窟内を転がったら痛いに決まってる。


 でもじっとしてられない。





 痛い…。





「はぁ…はぁ…こいつ…なんて事するんだ…」





 ふとドラゴン(仮)の方を見ると、そいつの足元にさっき僕が戻そうとしていた肉片が転がっていた。





 ちぎれた!!





 慌ててドラゴン(仮)の元までよたよた歩み寄り、思わず怒鳴りつける。





「こら!!痛かったじゃないか!このまま死んだらどうするんだよ!」


「きゅ…きゅい…」





 ドラゴン(仮)はなんだかしょんぼりしたようにうなだれた。





 そんな顔したってダメだからな!!





 …あれ、なんだかさっきまでめちゃくちゃ痛かったはずの肩の傷が少しマシになっている気がする。





 流れ出た血が固まってどす黒くなっているので相変わらずグロテスクだが、なんだか新たに血が流れてこない。





「…血が、止まった…?」





 もしかして…





「お前がやったのか?」





 聞いてもドラゴン(仮)は応えてはくれない。その代わりに、「きゅい?」と小首を傾げていた。





 試しに勇気を出して擦りむいて血が出ている膝をそいつの目の前に出した。





 べろり。





 痛い。やっぱり痛い。





 …が、血が止まっている。





 こいつの唾液の中に止血作用でもあるのかもしれない。


 だとしたらまだ生き延びられる。





 その代わりめちゃくちゃ痛いのを我慢しなくちゃいけないけど、死ぬよりはマシだ。











 その後僕は全身の傷という傷を、ドラゴン(仮)に舐めてもらった。


 言うまでもなく、絶叫付きで。





 気がついたら喉がガラガラになっていた。





 声も上手くでやしない。





 でも、ここでこいつと出会えたからこそまだこの先に命が繋げられるかもしれない。





 僕は叫びつかれて、洞窟の壁面にもたれ掛かったまま眠ってしまった。








 目が覚めるとドラゴン(仮)が僕の身体にぴったりと身を寄せるように丸まって寝ていた。





 洞窟の外を見ると、ほんのり薄暗かったはずの景色が光に満ちている。


 どうやら一晩寝てしまったらしい。





 少し身体を動かしてみる。


 痛い。





 …が、血は止まっているようだしあちこちガタガタだけれどなんとか動けそうだった。





 僕が起きたのに気付いたのかドラゴン(仮)が眠そうな顔でむくりと起き上がり大きなあくびをする。





「…ありがとね。お前のおかげで助かりそうだよ」





 そいつに感謝の気持ちを呟いてからふと、とても嫌な事に気付いてしまった。





 もしこの洞窟がドラゴン(仮)の巣だったとして、奥で卵が生んであったのだとしたら…。





 もしかしてこの奥に親がいるんじゃ…。





 もしくは、今餌を取りに行ってて外出中…とか。





 もしそうなら命が危ない。





 この奥は気になる。


 確かに気になるのだが万が一そこに親が居た場合僕はどうなってしまうだろう?


 それに奥を確認しに行ったとしてそこに親が居なかったら?その間に親が帰ってきたら?





 あまりここに長居するわけにはいかないかもしれない。





 どうしよう。





 奥をさっと確認してからすぐに出れば間に合うだろうか?


 それとも今すぐにでもここを出るべきだろうか?





 悩んでいるうちにドラゴン(仮)がぽてぽてと奥に向かって歩いて行ってしまった。





「お、おい!ちょっと待ってよ!」





 慌ててその後を追いかける。


 追いかけてから気付いた。





 別に追いかけなくてもよかったんじゃないか?


 このドラゴン(仮)は昨日であったばかりだし、別に一緒に行動をしようと決めたわけでもない。


 だったら気にせず自分だけでもここを出たらよかったんじゃないのか?





 少し考えてそれはやめた。





 だってこんな世界でもし生き残れたとして、今後一人でどうやって生きていけばいいのか解らない。





 あいつが居たってそれは変らないと思う。


 だけど、少しでも、ほんの少しでも僕の心は癒されていた。


 あいつが居てくれなかったら死んでただろうし、もし僕の事を親だと思ってくれてるのなら置いていくのはかわいそうだ。





 本当の親には申し訳ないけれど…。








 でも、そんな心配は必要なかった。





 あいつを追いかけて少し奥まで行くと、僕の身体の何倍もあるドラゴンがそこにうずくまっていた。





 正確には、ドラゴンの死骸が。





「…きゅーい?」





 ドラゴン(仮)が死骸を見て不思議そうに首を傾げる。





 そのドラゴンの死骸よりも少し入り口側のところに卵の殻が転がっていた。


 どうやら卵は一つだけのようだ。





 きっとこいつはその卵から生まれて、このドラゴンの死骸を見る前に出口の方へと歩いて来たのだろう。





 しかしこのドラゴン(仮)はどうやら本当にドラゴンだったらしい。


 ここまで大きくなるのに何年かかるのか解らないが、連れて行くと決めてしまった以上今更やめよう、なんて考えは出てこなかった。





(仮)はしばらく死骸や卵の殻の臭いをすんすん嗅いでいたが、気が済んだのか僕の足元にちょこちょこやってきてまた羽で僕の足を掴んだ。





 この行為がなんなのか不思議だったが、手で掴みたくても短くて前にある物を掴めないから代わりに羽で掴んでいるのだろう。





「この子、連れて行きますね」


 一応、親ドラゴンに一礼してそれだけ伝えた。





「さ、行こうか。いつまでもここに居ても食料がないしね」





「きゅっ!」





 僕の後をぽてぽてと付いて来ていたが、洞窟の出口近辺まで来ると立ち止まってしまった。


 初めて見る外の景色が怖いんだろうか?と心配したのだがそんな事は無かった。





 ただ、ドラゴンとしての力を発揮しようとしていただけらしい。





 少しぷるぷると自分の体を確かめるようにあちこち見回して、それから…。





 羽ばたく。





「…飛んだ」





 (仮)はどういう原理なのか少ない羽ばたきでふわりと宙に浮かぶ。





 もっとバサバサやるものかと思ったのに実際は羽をぱたぱたやりながらホバリングしている。





「お前便利だな…」


「きゅーい♪」





 そろそろこいつにも名前を付けてやった方がいいかもしれない。





 きっとこれから長い付き合いになるんだから。



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