03 どんな事件?



「んで、何が不思議なの?」

 繭由まゆゆが話を本題に戻した。興味津々という目でこっちを見ている。ちなみに、今の彼女はベッドの上に座って、体だけを布団で覆っている。まるで鏡餅だ。


「財布が盗まれたのは体育の授業中なんだけど、その間は誰も教室に入ってないはずなんだ」

 体育は四時限目、つまり昼休み前最後の授業だ。時間でいえば午後〇時から午後〇時五十分までとなっている。この間は一部の例外を除いて、クラス全員がグラウンドに出ているから、教室はもぬけの殻だ。


「財布はどこに置いてたの?」

綾小路あやのこうじさんの通学鞄の中だよ。彼女がそう言ってたし、他の生徒も何人か見てるから間違いない」

「あちゃー、そりゃ不用心だったね」

 繭由が眉を八の字にする。

「他のクラスの子がやった可能性は?」

「それは有り得ない」

 俺は断言した。

「だろうね。他のクラスも授業中だもんね」

 その通りだ。授業中に抜け出す生徒がいたら、その人が疑われていたに違いない。


「そのぶんじゃ、誰も抜け出してないってことは確認済みたいだね」

「まあね。そこは俺もぬかりがないよ」

 長年、繭由の推理ごっこに付き合わされていたら、予め調べておくポイントも自然と解ってくる。


「体育の授業に参加してない生徒は?」

 鋭いところを突いてくる。だけど、これも確認済みだ。

「音無さんだけだったよ」

「ああ、奏恵かなえちゃんは仕方ないよね。もともと丈夫な子じゃないし」

 繭由も俺と同じ2年A組の生徒なので、音無さんとは面識がある。


「彼女が盗んだ可能性は?」

「無いだろうね」

 俺は即答する。繭由が「何で?」と首を傾げた。

「音無さんは体育の授業が始まる前から保健室にいたそうだよ。これは服部はっとり先生から聞いた話だ」

 服部先生とは、養護教諭のことだ。少し変なところがあるけど、嘘をつくような人じゃない。


「服部先生は何て?」

「三時限目の終わり頃に、音無さんが保健室まで来たからベッドで休ませたみたい」

 体の弱い彼女が保健室に来るのは日常茶飯事だ。その光景は、俺もよく見ている。

「途中、服部先生は用事があったから保健室を出た。その間は音無さんが一人になっちゃうけど、先生は保健室に鍵を掛けたから出られないはずだってさ」


 補足すると、部屋を施錠したのは音無さんの安全を考えてのことらしい。比較的穏やかな学校だけど、やっぱりそれなりに柄の悪い連中は存在する。そんな奴らに襲撃されたら、音無さんはひとたまりもないだろう。


「でもさ、中から鍵が開けれるんじゃないの?」

「それがね、先週に鍵が壊れちゃったそうで。どういうわけだか、中から鍵は開けれないんだよ」


 服部先生はそれを知っていたから、外から鍵を掛ける前に、音無さんから了解を得ていたそうだ。

「窓から出た可能性は?」

 やけに詳しく聞いてくる。繭由は音無さんを疑ってるんだろうか。


「ないね。一方の窓はグラウンドに面しているし、反対側は中庭に面しているけど、窓から池を飛び越えないと地面に着地できない」

 グラウンド側の窓から外に出たら、体育の授業を受けている他の生徒が気付くはず。中庭側の窓のすぐ下には池があって、その池は普通の女子高生が飛び越えるのは不可能な面積だ。


「んー、なるほどねー。外壁を登って二階に行くのも無理っぽいし」

 繭由がその可能性を口にしたのは、保健室のすぐ上が2年A組の教室だからだ。

「というわけで、音無さんが犯人とは思えない」

「そっか。じゃあ、最後に教室を出た生徒と、最初に教室へ戻ってきた生徒が怪しいことになるね」

 繭由の推理は次の段階に進んだようだ。


「そうなるな。最後に出たのが鷲尾わしおさん、最初に戻ったのは輝良人きらとだ」

 鷲尾さんはクラスの世話役みたいなところがあるから、全員が教室を出たのを確認したかったんだろう。


 もう一人は飛島輝良人とびしまきらとといって、クラス一番の問題児だ。髪をピンク色に染めて、ストリートファッションに身を包んでいる。制服のない、自由な校風の学内でも、ひときわ目立つ存在だ。彼の日頃の行いから考えると、疑われても仕方ないように思えてしまう。


「また面倒な二人だねー」

「そうなんだよ……」

 俺は昼間の出来事を思い返した。綾小路さんと鷲尾さんが犬猿の仲なのは周知の事実だ。ことあるごとに二人は衝突している。


 輝良人にしても、気に入らないことは我慢しない性格で、犯人呼ばわりされたのがよほど頭に来たらしく、午後の授業を放っぽり出して帰ってしまった。


あかねちゃんも、きらきーも、盗んだことを否定してるんだね?」

 輝良人をそんな愛称で呼ぶのは繭由だけだ。

「そういうこと。だから繭由の意見を聞こうと思って。どうかな?」


「んー」

 返事なのかそうでないのかハッキリしない声を出しながら、彼女は斜め上を見た。これは思考の大空へ羽ばたいていく合図。こうなるともう、何を言っても上の空だ。


 しばらくして。

「そういえばさ」

 繭由は何かを思い出したようだった。

「中庭の池って、大きな鯉がいたよね?」

 何のことかと思えば。事件の推理はどこへ行ったんだろう。

「いるね」

「あれ、食べれるのかな?」

「お前、何言ってんだ?」

 思わずコケそうになる。


「だってさ、お腹をかっさばいてポイじゃ可哀想じゃん。あとはスタッフが美味しく頂かないと」

 ますます訳が分からない。またいつものように、思考が飛躍してるみたいだ。

「うちの学校、〈特別枠〉に料理人いたかな?」


 繭由が脱線したきり戻ってこない感じなので、俺は話をまとめることにした。外はもう暗いし、そろそろ帰らないと親がうるさい。


「とにかく、クラスの誰かが盗んだなら、一時的に財布をどこかに隠したはずだ」

 昨日の時点で、クラス全員の持ち物検査は済ませてある。結果、誰も財布は持っていなかった。となると、犯人は最初から持ち物検査されることを想定して、別の隠し場所を用意していたことになる。


 仮に、鷲尾さんか輝良人が犯人だとして、この二人が短時間で財布を隠せる場所はどこか。教室や、その周辺をよく調べたら分かるかもしれない。


「じゃ、そろそろ帰るわ。また明日来るよ」

 俺は立ち上がり、ドアに向かう。

「ちょい待ち」

 繭由に呼び止められた。

「教室と中庭と、あと念のため保健室。もっぺんよく調べといて」


 元からそのつもりだ。「ああ」とだけ答えて部屋を出ようとすると、更に追加が来た。

「それから、財布以外にも無くなっている物があるかどうかも。大事なのは、人と物と場所に現れた僅かな変化を見逃さないこと。先入観は禁物だよ」

「やけに注文が多いな」

 それは裏を返せば、推理の材料が足りないということだ。繭由はまだ、真相にたどり着いていないらしい。


「もちろん、タダでとは言わないよ」

 俺が振り向くと、繭由がニイッと悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべた。

「謎が解けた暁には、『布団の中身』を見せてあげるからさ」

 布団の中身、それはつまり繭由の一糸まとわぬ姿――いやいや、騙されてたまるか。


「その手には乗らないよ」

 さらりと返してやる。いつものように手のひらの上で踊らされてるわけじゃないんだと、態度で示したつもりだった。

 なのに。

「えー? 残念だなぁ。文哉になら全部見られてもいいと思ってたんだけど」

「なっ……!?」

 こいつ、恥じらいもなく言いやがった!

 俺は耳まで真っ赤になって、部屋を後にする。危うく階段を踏み外すところだった。


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