第22話 2通の手紙

2通の手紙




翠へ


吉川から手紙を貰い、葵さんの事を知りました。

最後に会った時はあんなに元気だったのに、葵さんに一体何が会ったのだろうと、只々驚いています。

それと同時に、今の翠の心境を考えると、こんな大事な時に側に居てやれない自分が情けなくて、悔しくて涙が出てきます。

翠、ごめんな…俺がバカなばかりに、心細い思いをさせてしまって。

吉川の手紙に、翠さんの妹さんとしか書いてなかったけど、それは葵さんの事なんだろ?

今は妹さんの死を受け入れる事が出来ず、俺に手紙を書く事も出来ないと書いて有ったけど、俺の事なんか気にせず、翠が納得するまで冥福を祈り続けてあげて欲しい。

昨日、この中で個人教誨と言うのが有り、日蓮宗のお坊さんが来ると言うので、葵さんの宗派は分からないけど、出席を希望してお線香をあげ、お経を上げて貰ったよ。

こんな所でお線香を焚いた所で、葵さんが喜ぶとは思えないけど、今の俺に出来る精一杯の葬いです。

ただ、俺も翠と付き合って10年、葵さんとの関係も同じ年月を過ごして来たわけで、俺にとっても妹の様なもの。

何が有ったのか、病気なのか、それとも事故なのか、最悪な事を考えれば自ら命を絶ったのかって事だって深読みしてしまうんだ。

だから、手紙をかける精神状態になったなら、せめて何故こんなに急に死んでしまったのかだけは教えて下さい。

俺は自分勝手な人間だから、こうなって尚、それが翠では無くて良かったと思ってしまうんだ。

こんな俺を翠は、許せないと思うかも知れないけど、それが俺の本心でも有るんだ。

どうか翠、気持ちを強く持って一日も早く元気になって下さい。



誰かの心の支えになる…それは一体どんな事なんだろうか。


人の死に対し、まだ経験の浅い僕には、翠に対しどんな言葉を投げかけてやれば良いのか、分からずにいた。


それと同時に、葵さんの死を僕自身信じきる事が出来ず、こんな手紙ももしかするとピント外れな内容なのではないかと、まだ何処かで思っていた。


何れにしても、翠本人からの便りか、面会を待つしか正確な情報を得る事は出来ない。


1ヶ月に許されている手紙の発信は、3種5類の僕の場合4通まで。


一度に出せる手紙は2通までだ。


翠に宛てた手紙を発信する日、僕は吉川和也にも速達郵便で手紙を書いた。



和也へ


何時も手紙で娑婆の様子を知らせてくれて有難うな。

翠の妹の件、さすがに俺もショックだったよ。

俺が逮捕される前、最後に会った時には病気の予兆なんてまったく感じなかったと言うのに、人の命なんて分かんないもんだよな。

仲のいい姉妹だったから、今翠が打ち拉がれて俺に手紙を書く事も出来ないってのがよく分かるよ。

こんな大事な時に、翠のそばに居てやれないなんて、俺は何て大馬鹿野郎なんだと思う。

それでも俺はやっぱり、亡くなったのが翠では無くて良かったとそればかり考えてしまうんだ。

なあ和也、正直、俺と翠はどうなんだ…と言うか、翠は俺との事を和也に何て言ってる?

確かに静岡刑務所で移監待ちをしている時、面会で俺とはもう二度とやり直す気は無いって言ってたけど、俺と翠のこの10年を振り返ってみても、どうしてもそれが翠の本心だとは思えないんだ。

女心何て理解出来るほど単純じゃないだろうから、もしかすると俺の独り善がりなのかも知れないけど、和也にだったら翠も多少の本心ってやつを打ち明けてるんじゃないのか?

俺もこんな状況でかなり精神的に厳しいから、和也が知ってる事や感じてる事を次の手紙で教えてくれ。

宜しく頼む。



2通の手紙を舎房から工場へ私物を持ち出す為の連絡袋に入れ、溜め息をひとつ吐いた。


「なんや、溜め息なんか吐かなあかん手紙ですの」


同部屋の李が直ぐに見咎めて僕に話しかけて来た。


たった今深刻な手紙を書いたばかりで、ただでさえ快く思っていない奴から話しかけられ、僕は穏やかな気持ちでは無かった。


「まあ、いろいろね…」


あまり相手にしたくない僕はそんな言葉でお茶を濁した。


「なんやねん、いろいろって。聞かしたってくださいよ」


舌打ちをしたい気持ちを抑え、僕はただ苦笑いだけを浮かべた。


篠崎と目が合うと、篠崎も僕の気持ちを察してくれたのか、苦い顔を一瞬浮かべ、横を向いてしまった。


「刑務所の雑居言うたら家族みたいなもんやないですか。なんか辛い事有るんやったら、みんなで話して解決しましょ」


李の言葉だけ聞いていれば、何て気のいい奴なんだと思うかも知れないが、此奴はただ興味本位で人の事を何でも知りたいだけなのだ。


「気持ちは有難いんですけどね、ちょっと言いづらい事も有りますから」


何時も真剣に話を聞いてくれる篠崎あたりになら、実は…と言って打ち明け話をする気にもなろうが、常日頃から人の話を面白おかしく搔きまわす李の様な奴には、葵さんの急死を告げる気にはならなかった。


「何が言いづらい事ありますの、そんなんみんなでアハハ言うて笑ろうたらよろしいがな」


翠の妹の葵さんが死んだ事は、篠崎以外の誰にも打ち明けて居なかった。


わざわざみんなの前で、女の妹が死にましたと報告する必要もないし、言った所で今僕が直面している李との会話の様に、面白おかしく笑い話にされてお終いだからだ。


況してや、刑務所の中で家族の死は、外で直面する以上に神経質な問題でも有る。


親兄弟の死に目に会えない…。


まともな人間なら、誰もが抱えている刑務所ならではの深刻な問題。


何も自分ごとで周りの囚友の不安を掻き立てる必要も有るまい。


「そう言って貰えるのは有難いんだけどね、本当にちょっと微妙な話なんで」


「なんやねん、そんなん全然オモロないわ。そもそも雑居言うもんはな…」


李が尚も食い下がった瞬間、篠崎が長テーブルの膳盤を思い切り平手で叩き「バンッ」と大きな音を出し言った。


「いい加減にせぇよこの野郎、五十嵐さんが話したくないって言ってんだろうが。しつけぇんだよ、このキョッポが」


しまったと思った。


全ての事情を知っている篠崎だけに、僕の気持ちを代弁してくれたのだろう。


「篠さん、俺は大丈夫だからそれ以上は止めてくれませんか」


僕はそう言って篠崎を宥めた。


しかし、それで収まらないのは李の方だ。


「何がキョッポやねん。キョッポじゃあかんのか」


在日韓国人を意味するキョッポは、別に差別用語でも何でもない。


それでも、李はキョッポと言われた事に鋭く反応をした。


「キョッポが嫌なら関西野郎か?関東には関東の流儀ってもんが有るんだよ」


篠崎も収まらない。


こうなっては納得の行くまで話をさせ、最後に握手でもさせなければ、結果遺恨を残し大きな懲罰に雪崩れ込まないとも限らない。


「二人とも俺の事で揉めるのは勘弁してもらえませんか。李さん、俺も女の妹が急死していちいちそんなの人に言うのも面倒臭いんですよ」


仕方なく僕は事の顛末を李に聞かせた。


「そんなん早よ聞かせてくれたらよろしいがな。篠さんと二人でシンネコ(ナイショ話し)しよるから、気になってこっちも聞きたなるんやないですか」


口を尖らせて訴える李…。


「何だと、俺と五十嵐さんがいつシンネコでもの言ったんだよ。1から10までお前に報告しなきゃいけないのかよ」


篠崎も売り言葉に買い言葉で、今にも立ち上がらんばかりだ。


もしこれで掴み合いにでもなったら、嫌でも僕は間に入って二人を止めなくてはいけない。


松岡もハラハラした顔で様子を伺っている。


刑務所の喧嘩は当人同士は勿論の事、仲裁に入った人間も同罪で取り調べを受ける。


今目の前で殴り合っている人間がいたとしても、間に割って入り、その喧嘩を止めてはいけない。


誰かが誰かをボコボコに殴りつけて居たとしても、側にいる人間は黙ってそれを見ていろと言うのが刑務所の教えだ。


それは人道的にどうだろう…と思うが、仮釈放に固執し、自分の身を守るためには、例えそれが理不尽な物だとしても従うしか無いのだ。


しかし、今日の喧嘩は僕にとってはただ傍観して居られるものではない。


そもそもの理由が僕の手紙に端を発しているからだ。


「本当に二人とも止めてもらえませんか。これじゃ死んだ女の妹も浮かばれませんよ」


ついつい僕の声も大きくなる。


その声に気圧されたのか、二人が一瞬黙り込んだ。


その途端、廊下の窓が開いて夜勤担当が顔を覗かせた。


僕達は口論が見つかったのかと思い凍りつくように担当を見つめた。


「何びっくりした顔してんだよ」


窓から顔を覗かせた担当が部屋の中に向かって言った。


「いや、急に窓が開いたもんで」


松岡が対応した。


「お前らさっきから声がデケェんだよ。喧嘩でもしてんじゃ無いだろうな」


「オヤジさん、喧嘩なんかする訳ないじゃ無いですか。ウチの部屋はみんな仲が良いんですから」


へつらう様に言って松岡が担当を誤魔化した。


「なら良いけどよ、お前ら声高で減点1だからな」


「マジっすか、今度から気を付けますから減点は勘弁してくださいよ」


尚も松岡はヘラヘラとして作り笑いを崩さない。


「ダメだ、一度職員が減点と言ったものを取り消せる訳が無いだろう」


ベースボールのアンパイアでも有るまいし、何を偉そうに…と思うが、誰もその事をおくびにも出さない。


「分かりました、気を付けます」


と言う松岡のセリフに続き、僕達3名も「済みませんでした」と頭を下げた。


担当は漸く納得したのか「おうっ」と言った後、意気揚々と引き上げて行った。


「危なかったじゃねぇかよ」


言ったのは松岡だ。


「助かりました。済みませんでした」


僕は松岡の機転に頭を下げた。


「五十嵐さんは何も悪くありませんよ。李も何でも口挟むの良くねぇぞ」


特に仲の良い松岡の苦言に、李は逆らう事もなくただ口を尖らせて頷いて見せた。


「なんやねん、また俺が悪もんかいな」


李が口の中で独り言ちた。


李に悪気が無いのはこの部屋に居る誰もが分かっている。


分かっては居るのだが、関西風のノリに僕達関東人は付いて行けず、時折面倒臭くなるのだ。


「こんなん、関西の刑務所なら…」


「だからここは東京なんだよ」


李が言いかけた言葉に松岡が更に言葉を被せる。


「そんなん言ったら、なんも喋られへんがな」


李はそう言って布団を頭から被ってしまった。


途端に廊下の窓が開き、先程の夜勤担当が


「1番席、布団から頭を出せ!舎房減点1!」


と言って窓を閉めた。


僕達関東組3名が深い溜息を吐いた。


2週間に一度舎房の査定が有り、減点が4点に達した部屋は、月曜日と水曜日のテレビの視聴が禁止になるのだ。


娯楽と言う物が何も無い刑務所の中、テレビの視聴が出来なければ顎を回す(雑談をする)以外にやる事もない。


そうなれば、結果、今日の様にどうでも良い会話から喧嘩になる事も少なくはない。


黙ってテレビを観ていたって喧嘩の起きる刑務所の中、週に二日もテレビの視聴禁止が有るのは深刻な問題でも有った。


一日に2点も減点された事で、明日は工場担当からこっぴどく注意も受けるだろう。


布団の中で横を向いたきり不貞腐れる李を尻目に、僕達関東組の3人は顔を見合わせ、もう一度深い溜息を吐いた。


悪気の無いへそ曲がり…刑務所の中では、そんな奴が一番の厄介者かも知れない。

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