第17話 配役前夜

配役前夜




新入訓練が終わり、其々の適性に合わせ各工場に振り分ける事を配役はいえきと言う。


立ち仕事の者はA食、座り仕事の者はB食、工場に出役しない者はC食と食等が分かれている。


A食、B食などと聞いても、一般の人には何のことやらさっぱり分からないのは当たり前の事である。


故に、少しだけ説明をすると、A食はどんぶりご飯が大盛り、B食は並盛り、C食が少な目と主食であるお米の量に差があるのだ。


限られた食べ物しか無い刑務所の中、誰だってお腹がいっぱいになるA食を食べたいのは人情だ。


立ち仕事と言うのはその名の通り、立って仕事をする者。


例えば炊場と呼ばれる炊事係、内掃夫、洗濯など、また座り仕事をしている工場でも、立ち役と呼ばれる担当の補助的な作業をしている者も立ち仕事の中に入る。


座り仕事と言うのは、紙の袋を作る紙折り、ノック式ボールペンの組み立て、ミシン、製本など、いずれも一日中椅子に座ってする仕事のことを言う。


C食は懲罰中や、素行が悪く工場に出してもらえない房内作業の者、また病気で休養している者などもC食になる。


つまり、消費カロリーに見合った分だけしか、物を食わせないと言うのが、刑務所側の考え方らしい。


新入訓練が終わり、何処の工場に行くかが決まる水曜日の朝は、自分の食等がA食なのかB食なのかは、重大な関心ごとなのだ。


A食からC食まで丼の色が分かれている。


A食はグレー、B食は緑、C食は白。


工場に配役される以上C食はあり得ないが、翌朝何色の丼が自分用として入って来るのか、前日の夜から舎房の中はその話で持ちきりだ。


6人部屋に定員通り6名が入った雑居房、3人が前期生で残りの3人が後期生。


そのうちの一人が僕だ。


何の因果なのか、分類考査で俄か口論となった橘がこの時も同じ部屋にいた。


分類考査の雑居で初めて挨拶をした時「小菅から来ました」と挨拶をした橘だったが、実は川越で分類に掛かっていたと後から判明し、周りの者から総スカンを喰らい、箸の上げ下げさえ震えながらおどおどとした生活をしているから可笑しい。


川越で分類に掛かるとは、つまりはこの橘という男が破廉恥罪で捕まったという事だ。


今、法務省がカリキュラムを立ち上げ、再犯防止に力を入れて居るのが、覚醒剤や麻薬の常習者に対する教育やアルコール依存者に対する酒害教育、そして破廉恥罪を犯した者に対する迷惑防止教育だ。


特に破廉恥罪を犯した者には直接的な被害者が居る為、関東管区で捕まったチカン、強制わいせつ、婦女暴行の罪で捕まった受刑者を一度川越少年刑務所の分類に集め、有る程度の教育をした後、各刑務所へ振り分ける。


他の埼玉県で捕まった受刑者も川越刑務所で移送待ちをするのだが、最近では川越から来ましたと言うだけで、ピンクでは無いかと疑われる為、恥ずかしい思いをして居るのも、また実情だ。


かくして、僕が橘に初めて会った時に抱いた印象は、間違っていなかった事が判明した。


犯罪者ばかりが集まって生活している刑務所の中、有りとあらゆる犯罪を犯した者が居る訳だが、破廉恥罪を犯した者に居場所は無い。


「おい、エロガッパ」


呼ばれて振り返ったのは他でも無い橘だ。


呼び掛けた方は、橘より2歳も年下の井上と言う男だ。


27歳で既に常習累犯窃盗罪で下獄しているのだから、余程刑務所の水が合って居るのか、ただの馬鹿のどちらかだろう。


常習累犯窃盗と言うのは、10年以内に3回窃盗罪で捕まった者を言う。


たった今、橘をエロガッパ呼ばわりしたこの井上でさえも、いざ一般工場に配役されてしまえば、忽ち立場が無くなってしまう。


何故なら単純窃盗で来るような奴も、刑務所の中ではあまり好かれないからだ。


「ヤクザ者窃盗せず」のたてまえが在るだけに、盗っ人ヤクザにあらずで、刑務所はヤクザの修行の場という考えから、指を曲げて(窃盗をして)寄せ場に来るような奴は、虐められても文句は言えないという事になる。


故に、今ここで破廉恥罪で務めに来ている橘に風を吹かした(生意気な事を言った)ところで、一般の工場では盗っ人風情がと言われ、自分の意見など聞いても貰えないのだ。


前置きが長くなったが、配役前夜の雑居房で在る。


「エロガッパ」と呼ばれた橘は、初めに僕に「サラ制です」と粋がった事を言っていた勢いはカケラもなく、2歳も歳の若い窃盗犯の井上に、良いようにコケにされていた。


「はい、何でしょうか」


食事の手を止め、橘が井上と向き合った。


「お前は良いよな、明日の心配なんてしなくても良いんだもんな」


明日、自分が配役されるのがどんな工場なのか、井上にしてもサムライ工場などと呼ばれている、ヤクザばかりの工場に行かされた日には、どんな虐めが待っているか分からないのだ。


恐らくは、ヤクザの看板が有れば絶対に行けない、経理関係の職場を狙っているのだろう。


その点、橘のようなピンク系の受刑者は「第3区32工場」通称「変態工場」と行き場が決まっている。


変態工場にヤクザを名乗るようなヤツは無く、決まって気の弱いヤツが破廉恥罪を犯す傾向も有り、絶対に送られたくない工場ではあるが、同じ様な性癖の者ばかり集められ、対人関係の楽な工場である事もまた間違いない。


経理工場なら殆どが立ち仕事だ。


オマケに、刑務所の運営に直結する作業だけに類が上がるのも早ければ、仮釈放になるのも早い。


井上じゃ無くとも、経理関係の工場に行きたいのは、明日配役を控えている全ての受刑者の望みでも有った。


もう一つ、新入訓練を受けてる際に副担当が厳しく対処したように、座り仕事をする者は作業中は自分の手元以外に目を動かしてはいけない。


うっかり担当と目が合おう物なら、その場でつままれ、調査になる事も暫しだ。


しかし立ち仕事の場合、立って仕事をしている関係上、周りに注意を配らなければ人や物にぶつかる事も有る為、「わき見」という反則事犯が無いのだ。


勿論、キョロキョロと周りを見回してなど居ればわき見として調査にもなろうが、担当と目が合ったくらいではつままれる事もない。


だからこそ、誰もが配役の朝、自分の為にA食が食器口に置かれるのを、祈るような思いで待っているのだ。


「いい加減、何やって入って来たのか教えろよ」


ひっつき癖のある井上が、未だ橘を餌に揶揄うのを止めない。


「勘弁して下さい」


橘が下を向いたきり、赤い顔をしている。


「どうせ今日でお別れなんだから、恥ずかしい事ないだろうよ。パンツ盗んだのか?」


井上の言葉に、橘以外の全員がニヤニヤと笑っている。


「違います」


「何が違うんだよ、じゃあ電車で触っちゃったのか?」


「そんな事はしてません」


「ほーれ、ほーれってちんちん見せたのか?」


井上の物言いがあまりに可笑しく、部屋の皆んなが「ク、ク、ク」と肩を揺らして笑っている。


橘は遂に返事をしなくなった。


「テメェ、シカトかよ」


井上が敵意むき出しで橘に詰め寄る。


「シカトじゃないですけど、事件の事は言いたくないので」


それはそうだ、変態野郎と捲れてからは、この上恥の上塗りなど橘で無くても、進んで話をしたいとは思わないはずだ。


「何が言いたくないだよ。お前みたいな変態野郎と2週間も一緒にいてやったんだぞ、こっちには聞く権利が有るんだよ。ねえ、五十嵐さん」


井上が僕に話を振ってくる。


窮鼠猫を噛むの喩えではないが、あまり追い詰めて居直られたのではこっちも堪らない。


「権利が有るかどうか俺にも分からないけどよ、分類で初めて面が付いた(顔を合わせた)時に俺を試すようなことを言ったのは、正直今でも気分が悪いよな」


『俺は味方では無いぞ』と言う事を、さり気なく橘に知らせて置くために僕は終わった話を持ち出した。


「試したとか、そんなつもりで言ったんじゃ無いです」


すっかりしょげかえった様子で橘が答えた。


「まあ、あの時中に入った高山さんの顔もあるから、今更蒸し返す気も無いけどよ、人の事を一度でも笑い者にしようとした人間は、逆に笑い者にされても文句は言えないよなって事を俺は言ってるんだよ」


「笑い者にする気なんて……」


そう言った橘に最後まで物を言わせず、僕は言葉を挟んだ。


「いやいやいや、お前も川越少年刑務所を旅かけて来てるんだから、『サラ制』って物がどんなものかちゃんと理解して俺に言ったんだろ」


「………」


橘が返事に困った。


刑務所の工場に新入が来ると、先ず一番の関心事は「どんな人間か」と言いう事だ。


「新しいのどんな奴?」


と決まって同じ部屋の人間に誰かが聞いて来る。


「サラ制にしてやりましたよ」


と一言いえば、それだけで幾らもいかない奴と言うのが分かる。


そして聞いた奴と答えた奴が含み笑いだ。


「えっ、こいつ五十嵐さんにサラ制なんてい言ったんですか」


話に割り込んだのは井上だ。


「まあ、終わった話だから如何でも良いんだけどよ」


井上が話に入って来た事で橘は震えている。


「良く無いですよ、エロガッパこの野郎、お前、人を笑い者にしておいて自分の事は言いたくないなんておかしくないか?」


「……」


橘は何も答えない。


こうなれば井上の独壇場だ。


「シカトかよ」


「シカトはしてないです」


橘が蚊の鳴く様な声で答える。


「じゃあなんだよ、人が可笑しくないかってお前に聞いてるのに、返事をしないのはシカトじゃ無いのかよ」


「はい」


「はいじゃ無いよ」


「事件の事は言いたくないっていうか…」


「人に知られると笑われるからだろ」


「まあそうです」


「まあそうですじゃねぇよ。五十嵐さんの事は笑い者にしようとしたのに、自分が笑われるのは嫌だってのは可笑しいじゃねぇか」


「五十嵐さんを笑い者にしようなんて、思った事は有りません」


この時だけは橘もムキに成って答えた。


「お前、なにムキに成ってんだよ」


「ムキになんて成ってませんよ」


「いま顔色かえたじゃねえか」


「変えてません」


「なにこの野郎、面倒臭ぇから四つにたたんじまうぞコラッ!」


井上が段々とヒートアップしていく。


僕は内心、これ以上は止めて欲しいと思って居た。


折角親友の吉川が手紙をくれ、翠がまだ僕の事で外であれこれと動いてくれている事を知ったばかりなのに、僕も一言この会話に口を挟んでいる以上、橘が山を返して喧嘩にでも成れば、間違いなく僕も道ずれで懲罰房行きだ。


それだけは絶対に避けたかった。


まかり間違って懲罰中に翠が面会に来たら、合わせて貰えない事も多いのだ。


そうなれば…それこそ翠は二度と面会に来てくれないかも知れない。


「お前よ、川越でサラ制って聞いて、誰かと笑い合った事は一度も無いのか?」


井上が橘に質問を投げかけた。


一瞬考える素振りを見せ、橘が返事をしようとするのを井上が遮った。


「エロガッパ、俺も川越を出てるんだからな、良ぉく考えてから返事をしろよ」


言われた橘が再び黙る。


少し遅れてから「有ります」と小声で答えた。


それ見た事かと井上が得意な顔をしている。


「だったらお前の話しは少しおかしいじゃねぇかよ」


橘が黙り込む。


「お前なんの事件で来たんだよ」


橘はまだ黙って居る。


「何だって聞いてるんだよ」


井上が追い込む。


「何なんだよ」


橘の顔が薄っすらと赤みを帯びて来た。


僕はその様子を見て「ヤバい」と思った。


これ以上はいくら橘ごときのクソ野郎だとしても、居直るに違いない。


「もうそれぐらいで……」


僕が言い掛けた時


「公園で女の人にチンチン見せました」


と橘が答えた。






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