第12話 行動訓練

行動訓練




「オイッチ、ニィイ!」


「イッチ、ニィイ!!」


「オイッチ、ニィイ!」


「イッチ、ニィイ!!」


若い警備隊の担当の掛け声に合わせ、分類考査約40名の追い掛ける声が揃う。


「お前ら声が小さいんだ!腹から声を出せ腹から!」


「オイッチ、ニィイ!」


「イッチ、ニィイ!!!」


「足も手もバラバラだ!スリッパの音を聞いてリズムを取るんだよ。そんな事も出来ないのか!」


軍隊の行進よろしく、30そこそこの若い受刑者から80近いジサマまで、サンダル履きのまま行進の練習をさせられている。


「足は膝が直角になるまで上げるぅ、手は前後に60度、リズム良く歩けぇ!」


担当の怒鳴り声に合わせ行進する僕たちは、12月の終わりだと言うのに汗さえ浮かべていた。


見るからにお爺ちゃんと言う風体の受刑者が列から離れ、地面に座り込んだ。


「貴様、何やってるんだ!」


途端に担当の怒声が飛ぶ。


「自分は血圧が高くて、とても付いていけません」


肩で息をしながら、恐らくは70を超えているだろうお爺ちゃんが、必死の形相で訴え掛ける。


「そんなもん関係ねぇんだ、列に戻れ」


まだ20代も中頃の警備隊の職員が、お爺ちゃんの襟首を掴み、隊列の方へと引っ張って行った。


「もう無理です、出来ません」


お爺ちゃんも必死なのだろう。


しわがれた身体に不似合いな大声で訴え続けている。


「良いからやるんだよ!あなた一人のせいで皆んなが迷惑してんだろうが!」


何の迷惑だろうと思うが、それも担当の決まり文句なのだろう。


地面に膝が付きそうなお爺ちゃんを無理矢理に引きずり、警備隊の職員は隊列の方へと進んで行った。


「本当にもう無理です。心臓が苦しい…」


お爺ちゃんは、明らかな芝居を打ってその場にへたり込んだ。


それでも…本当に具合が悪かったら…その結果このお爺ちゃんに何かあったら、その時はこの刑務官が全責任を負わなくてはいけない。


刑務官とてお役所の役人…。


自分が何をやろうとも、絶対に責任など取ろうとはしない。


少し前の刑務所なら、担当の暴行により受刑者が死んだとしても、揉み消されてお終いだったと言うのに、近頃の刑務所は、特別公務員暴行凌辱罪を盾に、受刑者も刑務所の職員に対し、裁判で反撃をする事を覚えた。


況してや、分類考査約40名が目撃者だ。


これ以上、警備隊の職員も手荒な事もしないだろう…と僕は勝手に思っていた。


しかし…。


「なに芝居うってんだこのクソジジイ!」


言うや否や、倒れ込んだお爺ちゃんの襟首を両手で掴み、自分の目の前まで持ち上げ、力任せにお爺ちゃんを前後に振った。


「殺されるぅ、誰か助けてくださぁい」


いやはや、担当も担当なら、このお爺ちゃんも百戦錬磨の強者らしい。


その他の者は、もう可笑しくて歩調を合わせて行進などしてられる状況では無くなってしまった。


「ぜんたぁい、止まれ」


他の担当が、見かねて号令を掛けた。


止まれの合図で「イチ、ニィ」と声を揃えて止まるのが仕来りだが、その声も全く揃わない。


笑いを堪えきれず、手を口に当てて笑ってる奴までいる。


「何が可笑しい!」


途端に担当の怒号が飛んだ。


その担当の目の前で笑っていた男が槍玉に上がった。


「人が失敗してるのが、そんなに面白いのか?」


「いえ、そういう訳ではありません」


言われた年若い受刑者も直ぐに直立不動となり、自分の身を守る態勢に入った。


「じゃあ何で笑ってるんだ」


「済みません」


「済みませんじゃねぇよ、何で笑ってるんだって聞いてるんだよ」


「意味は有りません」


「行動訓練の真っ最中に、お前は意味も無く笑ってるんだな」


「済みません」


年若い受刑者が更に若い警備隊の担当に深々と頭を下げた。


「よし分かった、担当指示違反だ。誰かコイツを処遇本部まで連れて行け」


担当がそう言うと、直ぐに子供のような顔をした担当が飛んできて、その若い受刑者を連行して行った。


「コイツもだ」


初めに騒ぎを起こしたお爺ちゃんも、当然の様に処遇本部に連れて行かれた。


二人の刑期が其々どれ位の長さなのかは知らないが、この後の受刑生活が安泰ではない事だけは、ここに居る誰もが理解しているはずだ。


どんなに頑張って仮釈放を貰おうと努力していても、刑務所の中は日々こんな馬鹿げた事のとばっちりで、積み上げた努力が水泡に帰す事など、当たり前の日常茶飯事なのだ。


少しばかり余興は有ったものの、30分程で予定の行動訓練を終え、束の間の休憩時間となった。


本来なら、不要なトラブルを避けるために、雑談を禁じている他の部屋の者とも、この時間だけは話しをしても良いらしい。


「わかれぇ!」の号令で横2列に整列していた分類考査の面々が、見知った者の元へ散りじりと歩いて行く。


昨日、静岡刑務所から到着したばかりの僕は話し相手などなく、手持ちぶたさにその場に立ち竦んでいた。


「沼津の拘置所でも一緒でしたよね」


話し掛けてきたのは、静岡刑務所から押送された朝、目を合わせ、笑った事で一緒に注意を受けた男だった。


しかし、僕にはこの男の記憶がない。


「そうですか、沼津の時は気が付きませんでした」


「面会室のビックリ箱の所で、何回か見かけたんですよ」


どこの刑務所や拘置所にも面会を待つ間入れられるビックリ箱と言うのが有る。


公衆電話の電話ボックスの様な形をした木製の箱だ。


その中に申し訳程度のベンチが設えてあり、塀の中の人間は職員も受刑者もこれをビックリ箱と呼んでいる。


中から外は見えない様になっているので、面会に連行される出入りの時にでも見かけたのだろう。


「そうですか、五十嵐と言います。宜しくお願いします」


同じ日に静岡刑務所から押送になった気安さから、直ぐに打ち解けた話し方となった。


おそらく年頃も似た様なものだろう。


「自分は錦山と言います。宜しくお願いします」


感じの良い男だった。


刑務所の人間関係は、殆どが第一印象で決まる。


第一印象の悪い奴は、最後まで気が合わないと言う事が多いからだ。


気の合わない者と無理に合わせようとすれば、必ず何かしらのトラブルが起きる。


ならば、第一印象の悪い者には、初めから近付かないのが得策なのだ。


「昨日、早速やったらしいですね」


錦山の言った意味が分からなかった。


「やったって何をですか?」


「橘とか言う若いのとやり合ったらしいじゃないですか」


なんと言う速さだ。


たった今まで行動訓練を受けて話す暇など無かったはずなのに、この錦山と言う男は、どうやって情報を仕入れたのだろう。


「まあ、人を試すような事を言うので、ちょっと頭に来ちゃって…。それにしても情報が早いですね」


「内の部屋の房長がここの経理と知り合いで、昨日の還房の時に見てたらしいですよ」


「成る程そう言う事ですか」


「はい、朝一番で報告に来ましたよ」


そう言って錦山は笑った。


「それで、大丈夫なんですか?」


錦山は、遺恨は残して居ないのかを聞いているのだろう。


「まあ、面白い訳は無いでしょが、少刑上がりの小僧に一服着けるほどヤキは回ってませんよ」


一服着けると言うのは、目上の者がタバコを咥えた時に、賺さず火を着ける行為を揶揄して居る。


つまりは、その相手の軍門に下ると言う意味だ。


「原因は何だったんですか」


錦山は興味津々だ。


恐らくはこの後、舎房に帰った後、得意満面で僕から巻いた調書を披露するのだろう。


「部屋事なんで誰にも言わないで下さいよ」


一応釘は刺したが、それが無駄な事なのは懲役なら誰もが知って居る事だ。


「勿論言いませんよ」


「実はですね、サラ制なんて言うんですよ」


「それは人を舐めてますね」


「サラ制」と言って、直ぐに舐められていると理解できるところを見ると、錦山も少刑を経験しているのだろう。


「それでどうなったんですか?」


「彼奴に自分のサラ仕事をやらせてますよ」


僕の返事を聞いて、錦山が大きな声で笑った。


途端…。


「そこっ、声がデカい!」


と担当が指を指して、僕たちを咎めた。


「済みませんでした」


僕達は声を揃えて担当に頭を下げた。


僕は、錦山に親近感が湧いて居た。


「地元は静岡なんですか?」


話しのとっかかりを探すのに、先ずは地元を聞くのは懲役の定石だ。


錦山は沼津高地所で初めて見が付いた(見かけた)ので、僕の事を静岡の人間だと思って居るのかも知れない。


「地元はこっちなんですよ」


「東京ですか?」


「23区内ですけど」


「じゃあ、沼津に面会に来ていたのも東京から来てたんですか」


「そうです。近くは無いから友人関係は余り来てはくれませんでしたけどね」


錦山との話しのテンポが心地良い。


懲役慣れして居るな…と思った。


「突っ込んだこと聞いて良いですか?」


錦山が聞いた。


「構いませんよ」


僕は答えた。


「何か、静岡での私物検査の時、女と別れたとか言ってましたけど、面会に来てたのは姐さんじゃ無かったんですか?」


懲役では相手がヤクザなのか堅気なのか、確認をするまで分からない事で、相手の事を立てて女の事を取り敢えず姐さんと呼ぶ。


「自分は堅気なんで姐さんと言われても困るんですけど、赤落ちしてから喧嘩をしたと言うか、一方的に怒って居ると言うのか、面会に来なくなってですね…」


「静岡までは遠いですからね。姐さんとは長いんですか?」


「まあ、10年ですか…」


「なら大丈夫ですよ。移入通知は姐さんなんでしょ?」


「まあ」


「直ぐに面会に来ますよ、心配いらないって」


錦山は急に砕けた口調になったが、気には成らなかった。


嫌、むしろ嬉しかったと言っても良い。


翠が面会に来るのか如何か自分の中で日々葛藤して居ただけに、他の誰かに大丈夫だと言って貰えるのはそれだけで強い気持ちに成ることが出来た。


「そうですよね、自分もそう思って居るんですけど」


「そうですって、大丈夫ですよ。自分が保証しますって」


良い奴だなと思った。


「ところで錦山さんは姐さんは?」


僕の質問に一瞬錦山の明るさが翳った気がした。


「留置場までは毎日面会に来てくれてたんですけどね、拘置所に移った途端に音信不通で……まあ、恥ずかしながらパンクですよ」


最後はお道化て行ったが、僕が余計な事を聞いてしまったばかりに、もしかすると錦山に辛い思いをさせてしまったのかも知れない。


拘置所に移ってから、自分の女が今日は面会に来るんじゃないか、今日こそ来るんじゃないかと毎日気を揉んで居たに違いないのだ。


運よく独居に居たのなら、幾ら溜め息を吐いて嘆きを露わにしようと誰も文句は言われないだろうが、ほとんどのものが雑居暮らしだ。


性格のひねくれた野郎が、女に逃げられたくらいで態度に出してんじゃねぇよとクレームを付けて来る事も暫しなのだ。


結局顔には出せず、態度にも表す事が出来ないまま、一人眠れない夜を数えるしかない。


警察に捕まると言う事は……つまりはそう言う事なのだ。

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