第2話   四月八日(火)  さっさとご飯食べなさい


 オレは移動時間というモノが大キライだ。



 通勤時間とか通学時間とか、意味がまったく分からない。どうして働いたり勉強したりするために移動時間が必要なのか、これっぽっちも理解できない。移動に時間を使うより、その分働いたり勉強したりする方がよほど有意義ではないだろうか?


 このインターネットが普及した現代社会において、自宅学習や自宅勤務は不可能ではないと思う。むしろ、いずれそれが当たり前の社会になるのは目に見えている。既にインフラネットを利用した自宅学習を実施して、学校に登校するのは週に一度だけということを欧米の学園都市では実施しているらしい。つまりけっこう多くのニンゲンが、移動時間はムダだと思っているってことだ。


 だからオレは、自宅から徒歩八分の高校に進学することを決意した。

 それがここ、『仙葉せんよう学園女子高等部』だ。


 大通りに面した校門の前にはバス停があり、バスを降りた生徒たちが続々と校舎に向かって歩いていく。何が楽しいのか、どいつもこいつも朝っぱらからワイワイキャピキャピさえずっていらっしゃるのがほんのちょっぴりイラッとくる。特にあそこ、校門の脇で白い野良猫を囲んでいる三人組なんか、見ているだけでなぜかムカつく。


「わぁぁ、ネコちゃんかわいぃぃ」

「ねっこちゃ~ん、おっはよぉにゃぁ~ん」

「にゃご・にゃご・ふにゃご、ふにゃにゃにゃにゃ~」


 しかも三番目のヤツはなんなんだ? あいつは猫と会話できんのか? 本当に猫語が話せるなら許してやるが、話せないなら救いようがないほど頭がおかしい。自己愛性人格障害を通り越して、ネコ愛性人格障害だ。



「――あっ、スズキく~ん、おっはよぉ~」



「あ?」



 不意に横からふわふわと、気の抜けた声が飛んできた。見ると、バスを降りた生徒の一人がこっちに向かって歩いてくる。長い黒髪の、のんびりとした感じの女子だ。


「スズキくんも今のバスに乗ってたの?」

「……いや。オレは徒歩だ。家からここまでジャスト八分だからな」

「へぇ~。おうちが近いっていいねぇ~」


 いいと思うのなら、自分も家から近い高校に行けばいいだろう――と思ったが、朝っぱらから感じの悪いことをわざわざ言う必要はないから黙っておこう。というか、誰だ、このオンナ? ちょっと見覚えがないんだが、オレの名前を知っているということはクラスメイトか?


「あ、そっか。スズキくん、あの猫ちゃん見てたんだぁ」

「断じて違う」


 のんきフェイスの女子が校門脇の白猫を指さしたので、オレはそいつの緩んだホッペをつついて歩き出した。……ふむふむ、なるほど。女子高生のホッペは白くて柔らかいのか。


「あ、ちょっと待ってぇ~。教室まで一緒に行こ~」

「教室までって、おまえ、オレと同じクラスなのか?」

「え~? 覚えてないの? わたしだよ、わたし。ほら、スズキくんの右隣りの、井藤菜々美」

「イトウナナミ?」


 はて? 隣にこんなヤツいたっけ?


「右隣って言うと、なんかやたら目つきの悪いチビっ子しか覚えていないんだけど」

「ああ、青伊志あおいしさんね。それ、わたしの前の席のヒト。でもあのヒト、目つき悪かったかなぁ? 普通にかわいいと思ったけど」


 出たよ。普通にかわいい。


 それは普通なのか、かわいいのか、ちょっと小一時間ほど問い詰めてやりたいが、おそらく時間のムダだろう。こういう曖昧あいまい言語を使うヤツは、感覚の世界に生きているからな。よく言えば時代の申し子。悪く言えば流され体質。ナンパされたら断り切れずにちょっとお茶だけと喫茶店に連れ込まれ、いつの間にか怪しい宗教のツボとか買わされちゃうタイプだと、偉い作家のセンセイがおっしゃっていたからな。


「え~、いくらわたしでも、そこまでガードゆるくないと思うけどなぁ~」


 昇降口で青いラインの上履きに履き替えたのんき女子はそう言って、微笑みながら廊下に向かって歩いていく。直後――いきなり横から現れた生徒とぶつかって、後ろによろけた。



「きゃ!」



 おっと。オレは片手を伸ばし、のんき女子を軽く支える。

 なるほど。女子高生の腰はけっこう細いのか。


「――あら、ごめんなさい。あなた、大丈夫?」


 のんき女子とぶつかった相手が澄ました顔でこっちを見ている。なんというか、今までに見たことがないほどの、ものすごい美人だ。声も穏やかでかわいいのが、なぜだろう? 見てるとちょっぴりイラッとくる。長い黒髪をゆったり結って肩の前に垂らした美人は一歩近づき、のんき女子の顔をのぞき込む。上履きのラインが赤だから、二年生のようだ。


「あっ、すっ、すいませんっ! わたし、ぼーっとしちゃって」


 のんき女子は体の前で両手を合わせ、慌てて上級生に頭を下げる。


「大丈夫よ。次からは気をつけてね」

「はっ、はいっ」


「……いや、ちょっと待ちな」


 軽く微笑んで立ち去ろうとした上級生に、オレは思わず声をかけた。相手があまりにもパーフェクトな美少女すぎて、カチンときたから口が勝手に動いてしまった。まったく……余計なことに首を突っ込んでどうするよ――と、呼び止めた瞬間に速攻で後悔したが、出した言葉は引っ込められないので言ってしまおう。


「あら、何かしら?」

「こういうことはあまり言いたくないんだけどさ――」


 オレは一つ息を吐き出し、すごい美人の上級生をまっすぐ見据える。


「今は登校時間で、ここは下駄箱の角だろ? だったらヒトが出てくることぐらい容易に想像がつくだろ。こっちは別に飛び出したわけじゃないのに、それでもぶつかったってことは、どう考えてもそっちの注意不足だ。次から歩く場所に気をつけるのは、そっちの方だと思うけど」


「すっ、スズキくん、もういいよ。わたしケガしてないし、相手は上級生なのに失礼だよ」


 年は関係ないだろ――と言って、オレはのんき女子の顔を押しのける。すると、美人の上級生はにこりと笑って口を開く。


「そう言われると、たしかにそうね。ごめんなさい。次からは気をつけるわね」

「ああ、よろしく頼むよ、センパイ。あと、鼻毛の処理ぐらいした方がいいぜ。せっかくの美人が台無しだからな」


「すっ!? スズキくん!? なに言ってんのっ!? すっ! すいませんっ! すいませんっ! 失礼しますっ!」


 階段に向かって歩き出したオレのあとを、のんき女子がパタパタと追いかけてくる。


「ちょっと、スズキくん。なんであんなこと言っちゃうの? 鼻毛なんか出てなかったと思うけど」

「別に。悪くない方が謝るのはおかしいって思っただけだ」

「でもあの人、生徒会長だよ?」

「え? そうなのか?」

「そうだよ。だって、エンジ色の腕章つけてたでしょ?」


 腕章? いや、覚えてないけど、ま、別に関係ないだろ。


「気にすんな。生徒会長って言っても、神様ってわけじゃないからな。こっちは悪くないんだし、向こうだって別に怒っていなかっただろ?」

「うーん、それはそうだけど……まあ、それもそっか」


 のんき女子は渋い顔を一瞬でぱっと輝かせた。

 こいつはどうやら見た目どおり、のんきで単純なヤツらしい。


「ねえ、スズキくん」

「うん?」

「さっきは支えてくれて、ありがとね」

「うむ。苦しゅうない」

「え~、なにその言い方~。なんかおもしろ~い」

「オレの超大作に出てくるキャラの口癖だ」


 オレは菜々美と話をしながら廊下を進み、教室のドアを先にくぐる。すると、ホームルーム開始まであと五分というのに、一年H組はガラガラだった。




***




「ねぇ、スズキくん。一緒にお昼食べてもいいかなぁ?」



 入学式の翌日は学校についての様々な説明、いわゆるオリエンテーションばかりだった。死ぬほど退屈すぎて何度か魂が蒸発しかけたが、お昼を告げるチャイムと同時に意識が覚醒。ついでに横からあくび混じりののんきな声がふわふわと漂ってきた。どうやら菜々美も意識を取り戻したばかりの様子だ。


 ああ、別にいいけど――とオレは答え、腕を伸ばして大きなアクビを一つかます。そのとたん、至近距離から明るい声が降ってきた。



「おっ。だったらアタシも、仲間に入れてもらおうかなっ」



 チャキチャキした声につられて首を百八十度回してみる。すると、左隣の女子が椅子から立ち上がり、オレをまっすぐ見下ろしている。ちょっと背の高い、ボブカットのチャキチャキガールだ。


「アタシは多田中美空ただなかみそらだ」


 何者だ? と思ったとたん、茶髪女子の方から言ってきた。

 うーむ。コイツは妖怪サトリかも知れん。


「おまえは寿々木深夜で、そっちは井藤菜々美だったよな?」

「うん、よろしくね、多田中さん」

「美空でいいって」

「じゃあわたしも、菜々美でいいよぉ~」


「うわーお。なにこの初対面テンプレート」

「ははっ。やっぱおまえ、面白いな」


 チャキチャキガールはチャッキリ笑い、オレの肩をパシーンと叩く。ちょっと痛い。でも、こういうタイプはキライじゃないから許しちゃう。


 オレたちは一階の売店に足を運び、飲み物を購入。それから再び教室に戻り、椅子を寄せてオレの机で昼飯を食べ始める。オレはおにぎり二個とアーモンドドリンク。菜々美はピンク色の小さなお弁当箱にイチゴミルク。美空は購買で買った菓子パン二個と炭酸飲料だ。


「それにしても、今日はずいぶんお休みの人が多いねぇ~」


 タコさんウィンナーを頬張った菜々美がのんきに言った。というか、高校生でタコさんウィンナーはアリなのか? タコさんウィンナーは中学生までじゃないのか?


「そういや、そうだな。入学式の翌日にクラスの半分が休むなんてすごいな。都会の学校ってこんなもんなのか?」

「いや、千葉は都会じゃねーだろ」


 オレは美空に軽く突っ込みながら周囲を見渡す。ホームルームの時も思ったが、たしかに教室はガラガラだった。オレの列はオレ以外全員休みだし、美空の列も美空以外は空席だ。菜々美の列は、後ろ二人が休んでいる。インフルエンザの時期でもないのに変な話だ――。そう思ったとたん、菜々美の列の一番前に座っているヤツと目が合った。


 黒髪おかっぱのちびっ子だ。

 たしか、青伊志あおいしとか言ったっけ?


 そいつはなぜか知らんが、じっとりとした目つきでオレのことをにらんでいやがる。しかもオレがきょとんと首をかしげると、いきなりぷいっとそっぽを向いた。うーむ。なんだかものすごーく感じの悪いヤツだが、クラスってのはやっぱりこんなモンか。中学の時は、ほぼ全員に嫌われていたからな。



「……それで、どうなの? スズキくん」



「えっ? ああ、悪い、聞いてなかった。なんの話だ?」

「だから、小説の話だよぉ。どんなお話を書いているの?」

「そんなモン、ネットに投稿する前に話せるわけないだろ」

「え~、いいじゃん、いいじゃん。ちょっとだけ、ちょっとだけ教えてよぉ~」

「そうだぞ、シンヤ。どうせネットにアップするんだろ? だったら教えてくれてもいいんじゃないか?」


 美空にいきなり呼び捨てされた。

 どうやらこいつは、見た目どおりのチャッキリガールらしい。


「……まあ、そうだな。たしかに来週にはアップする予定だから、あらすじぐらいなら教えてもいいだろう。だがしかし、タダってわけにはいかん。代わりにおまえら、ちょっと脇の下を見せてくれ」


「えっ!? わっ、脇の下!? な、なんで!?」

「なんでもヘチマもへったくれもないわ」


 オレは目を白黒させている菜々美の鼻を指で押す。


「実はな、オレの超大作には千年に一度の美少女が出るんだが、そいつの脇の下を描写するシーンがあるんだよ。だから現実の女子高生の脇の下を確認しておきたいんだ。あ、あと、ちょっとだけ舐めさせてくれ。味も確認しておきたい」


「えぇっ!? 脇の下なめちゃうのっ!?」

「へぇ、なるほどな」


 びっくり仰天した菜々美の向かいで、美空が感心した目つきでオレを見ている。なんだこいつ? 自分で言っておいてアレなんだが、感心されるようなことは言っていないと思うけど……。


「アタシは小説って書いたことないんだけどさ、どんなことでも理解するには、実際に体験するに限るからな。アタシでよかったら舐めてもいいぞ?」


「えぇっ!? みっ、美空ちゃん!? 脇の下舐められてもいいのっ!?」

「ああ。別に舐められるくらい、大したことないだろ」

「えっ? えっ? そっ、そうなの? そういうものなの……?」


 う~ん。なんてこったい。


 冗談のつもりだったのに、まさかこんなことをあっさり承諾するチョロインが、こんな身近にいるとは思いもしなかった。それとも女子高生ってのは、案外こういうものなのか……? ああ、いやいや。今はそんなことどうでもいい。とにかく冗談だったと美空に言おう。はっきり言って他人の脇の下なんか、これっぽっちも舐めたくないからな。


 そう思い、オレは驚愕している菜々美を無視して美空に顔を向けた。


 

 瞬間――なぜかオレの頭に水が降ってきた。

 


 見ると、すぐ真横におかっぱ女子が突っ立っている。その手には水のペットボトルを握りしめ、オレの頭にゴポゴポと水をかけ続けている。



「……いい加減にしろ。頭を冷やせ」



 おかっぱ女子は冷たく言い捨て、すぐに自分の席へと戻っていった。すごいな、こいつ。ちびっ子のくせに、えらい迫力だ。


「あ……青伊志さん……?」


 菜々美はあたふたしながら、おかっぱ女子とオレを交互に見ている。美空は何が起きたのかさっぱり分からないといった表情を浮かべている。ふと横を見ると、菜々美の後ろの席の女子も、オレに冷たい視線を投げている。しかも口をわずかに動かし、無言で「バカ」と言いやがった。


 オレは思わず机の横に下げているカバンからスマホを取り出し、教室を飛び出した。


「すっ! スズキくんっ!?」


 菜々美の声が、廊下を駆けるオレの背中を追いかけてくる。オレは足を止めずに走り続け、階段を駆け上がる。そしてそのまま屋上手前の階段に座り込み、顔を伏せた。


「……す、スズキくん、だいじょうぶ?」


 息を切らしながら追いかけてきた菜々美がオレの隣に腰を下ろす。ちらりと見ると、ピンクのハンカチが視界に入り、オレの濡れた髪に優しく触れる。


「――ああ、大丈夫だ。ちょっと待ってくれ」


 オレはうつむいたまま小声でこたえ、スマホをイジり続ける。


「えっと、スズキくん? なにしてるの?」


「あのおかっぱ女子の態度を書き留めている。頭から水をぶっかけられたことはあるが、あんなに冷たい視線を見たのは初めてだからな。……にひひ。これでオレの描写力は、もう一段高みに昇る。こいつは春から縁起がいいぜ」


「……もぉ。スズキくんって見た目に似合わず、けっこうたくましいよね」


 菜々美はなぜか嬉しそうに微笑み、オレの頭を拭き続けた。




 本当にのんきな女子だ。

 だけど、そっか。

 クラスってのは、こういうヤツもいるんだな。




***




「ななみぃー、お夕飯できたわよぉー」


 一階から母親の声が飛んできたとたん、菜々美は「はーい」と返事をして、ダイニングに足を運ぶ。


「ねぇ、お母さん」


 ノースリーブのタンクトップの上にウィンドブレーカーを羽織った菜々美は、キッチンでテキパキと動く母親に近づいた。


「あら、どうしたの? ご飯茶わんはテーブルよ?」

「あ、ううん、そうじゃなくて」


 菜々美はウィンドブレーカーを脱いで、片腕を真上に伸ばし、母親に言う。



「わたしの脇の下、どんな味がするか、ちょっとなめてみて?」



「バカなこと言ってないで、さっさとご飯食べなさい」



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