奇跡の夜に

 ユージーンは出された「鳥料理」を瞳に映し、ぽかんと口を開けた。


「これは……何だ? これが鳥料理? どうやって食べろというのだ」


 簪に突き刺さった肉片を指差し、ユージーンが尋ねた。


「そのまま『串』で口の中に入れるだけですよ。お客様」

「それで、名前は何だ?」

「『ヤキトリ』です。日本の料理なのですよ」


 日本出身のチョチョが堂々と、それこそギャルソンのような口調で答える。


「贓物や肉片を竹串に刺して焼いて調味したものです。元々は雀などの野鳥を丸焼きにするのが『焼き鳥』なのですが。これ、豆知識です」


 それは、ジョージが日記に書き残していた日本の料理だったのだ。

 蝶の簪を持ちながら、ユージーンは口の中へ雉の肉片を咥え、噛み締めた。


「なるほどなるほど。こんな食べ方もあるのか」

「どうです?」

「味付け加減も絶妙だが、雉自体の肉質もなかなか旨味がある」


 それを聞き、チョチョはカイトに目配せをした。カイトは無言で頷く。舌を珍味に馴染ませたユージーンは賞賛を続けた。


「おまけにビールに合うな。なあ、もっと作ってくれないか。この鳥料理の味を一生覚えてやるからな」


「喜んで!」チョチョは快活な笑顔を見せる。「串代わりの簪なら、予備がいくつかありますので。どんどん焼くのですよっ」


 こうして、ロンドンのタップルームに、日本産の料理――焼き鳥が運ばれて行くのであった。




〈アステリズム〉を夜の闇が包み込んでいる。一階の営業は終了し、タップルームは閑散としていた。カイトは一人、カウンターでコーヒーを淹れ今日の出来事を振り返っていた。

 チョチョとロンドンを歩き回ったこと。セィルを仲間に加えたこと。一波乱あった〈アステリズム〉の大清掃。そして、洗礼の如き新生〈アステリズム〉初日の営業――

 凝縮された時間の中で起きた経験――それらを肴にしながら、カイトはコーヒーを喉へ流し込む。


「お疲れ様なのです、カイトさん」


 そこへ、階上からチョチョが現れ、カイトの隣の席に座った。


「どうでしたか、本当の亭主として立ち回った一日目は」

「ああ、良かった。おまえから教えてもらった『おもてなし』を実践できたし、シャーロットやセィルとも力を合わせることができた。おれは、爺さんとは違う方法で、この〈アステリズム〉をいい店にしたいと思う。そのためには、まだまだおまえの力を借りなければならないな」

「しかし、チョチョも少し失敗したのです。それを補ってくれたカイトさんには、感謝していますよ。失敗や苦情は客商売の付き物。そこをいかに対応できるかが店の実力となるのですが……チョチョはまだまだでした」

「おれも意外だったな。チョチョって何でもできそうだったから。千夜一夜物語のランプの魔神みたいに」

「したたかになるよう精進しなければなりませんね」


 照れ笑いを隠すように、チョチョは窓際へと移動した。


「綺麗な満月ですね」


 珍しくロンドンの夜空は澄み切っていた。星々も月も金貨のように輝き、光の筋を眠る街に向けて放っている。まるで、カイトの不安が払われたかのように――


「〈アステリズム〉……」


 ぽつりとカイトが呟き、チョチョの耳がぴくりと動いた。


「そういえばなぜこの店の名前は〈アステリズム〉なのでしょうか。気になっていたのですが、聞いていなかったのです」

「店の名前の理由……? いや、爺さんからは何も聞かなかったな」


 首を傾げるカイトに、チョチョは顔を近付けて迫った。


「名前には必ず意味があるのですよ。〈アステリズム〉と名付けた理由も当然あるのです」

「理由はわからない。けど、アステリズムという言葉の意味は……星と星が結ばれて、線を結び図形などを作ることだ。いわゆる、星座がアステリズムだな」


 カイトは天を仰ぐ。その先には光輝く星々が生き物のように蠢いていた。特におおぐま座の一部、北斗七星は澄んだ空でくっきりとその形を露にしている。


「わあ、ひしゃく星……」

「アーサー王の戦車だろ?」

「ああ、こちらでは呼び名が違うんですね。勉強になります」


 星の話をしていると、カイトはふっと息を吐いた。


「ネイチャーに投稿されていたミナカタの論文を思い出すな」

「ミナカタ? 日本人なのですか?」


 日本生まれの精霊の目に親近感の光が宿る。


「らしいぜ。やつが投稿したのは『極東の星座』って論文だった。星座を比較して、民族の近親性を立証するって内容だったかな。しかし、おれはヒシャクを知らないし、おまえはアーサー王が誰なのかすら知らないだろう。日本とイギリスじゃ、遠すぎるんだ」

「ですが、知らないなら知るまでです」

「そうだ……こういうのが『アステリズム』なんだろうな」カイトはカップのコーヒーを一口含む。「星は人なんだ。人と人を繋げて、大きなエネルギーにする場所。それが〈アステリズム〉なんだ」

「自分に酔ったような言い回しですね。ロマンチックというやつなのです」

「うるさい。とにかく、人の絆を生む場所。そういう願いを込めて名付けたんだと思う」


 広い世界の中で、土地も言語も違う人々に分け隔てなく平等に与えられた財産。それこそが星々の煌めく夜空であった。改めてチョチョは夜空を見上げる。


「じゃじゃじゃー。ロンドンの夜空も悪くないです。遠野の空はもおっと綺麗ですけどね」


 感嘆を漏らすチョチョに、カイトはすかさず気にかけたことを尋ねた。


「昨日から気になっていたけど、その『じゃじゃじゃ』ってのは何だ?」


 頻繁に使っていた口癖だ。チョチョは頬を緩めながら得意気に解説する。


「あ、これはですね。チョチョの地元の方言で、驚いたときに使う言葉です。英語でいう『ワーオ』ですよ」

「へぇ、豆知識だな」

「岩手の沿岸部では『じぇじぇじぇ』と言います。主に海女さんが」

「ホントかよ」


 ふっとチョチョは桜色の唇を緩ませた。釣られて、カイトも表情を緩める。


「ふふ、お互いのことを知ると、結びつきも強くなるのです」


 チョチョが半歩カイトに近付いた。桃のような甘い吐息が顔にかかる。


「生み出しましょう、『アステリズム』を。ここはそうするための場なのですから。チョチョも、『おもてなし』の力で、皆さんを幸せにするのです」

「ザシキワラシの……幸福を与える力……か」


 カイトが呟くと、チョチョが軽く頭を振った。


「違いますよ。チョチョには……そんな大それた力はありません……」

「え……?」

「……『おもてなし』を通じて、お客さん自らの心で幸福になってもらうのです。チョチョは、そのお手伝いをしているだけなのです」


 目をきらきらと、それこそ宇宙のように輝かせて、チョチョは顔をカイトに近付けた。


「大事なのは言葉と笑顔ですから。がんばりましょうね、カイトさん」


 手に持ったコーヒーカップから立ち昇る香りは苦い。しかし、それを打ち消すような甘い匂いもまた、カイトの鼻腔をくすぐった。天使の微笑を頬に染み込ませた少女の顔を見て、カイトは微笑んだ。




※次回は第一章完結エピソード。

キリが悪いので明日も更新します。

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