リンドウのさく日までは。

桜井 空

第1話提案

学校でのわたしの場所は、窓側の一番後ろの席。授業の時間も、休憩時間もそこだけがわたしの場所。誰かに干渉することもなく、誰かに干渉されることもなく、学校という場所にぽっかり空いた『異世界』みたいな感じ。


 特定の誰かに虐められてるわけではないけど、わたしを『異物』と認識しているようなそんな空気。


 でも、何も最初から今みたいな感じだったわけじゃない。この学校に入学した当時は、わたしに話しかけるもの好きもいたものだ。



 ある日の放課後には、『アタシ高校デビューしました!』をアピールせんとばかりに濃い化粧をした女子が、


「クラスの男子誘ってカラオケに行かない?」


と誘ってきたこともあった。



 また別の日の休み時間には、


「雨水さん、彼氏いるの?え、いない?周りの男見る目ないね。これから遊びに行かね?」


といかにもチャラそうな男子に話題を振られたりした。



 そんな会話を適当に流して、流して、ひたすら流していたら、いつの間にかこの地位を積み上げてたというわけ。だから、一人『罪人』を決めるならば、クラスメイトの『普通』の会話に参加しなかったわたしの方なのだろう。



 でも、『普通』が正義であるこの世の中で、それを拒否したわたしが『普通じゃない』のだとしても、



『普通』であることにみんなは違和感を感じないの?



『普通』ということを盾に『普通じゃない』を排除していいの?



『普通』であることにそもそも何の意味があるの?



 そんな何回繰り返したかも分からない問いが浮かんでは消えていく。




 その問いの答えはいまだ出ないままだ…。





 学校からのいつもの帰り道。


 ターミナル駅近くの高架線の下には、吐き気を催させる空間が広がっている。使い古した布団にくるまるホームレス。指差しながら嘲笑の声を上げる学生。物珍しそうに眺める外国人観光客。その光景にさえ興味を失い通り過ぎていく社会人。そして、そうした場面にどこか納得している自分自身。


 気持ち悪さを覚えながら、所々壊れたコンクリートの道に足跡をつけていく。


 空き缶が詰まったゴミ袋の山を通り過ぎた時に、横から唐突に声がかかる。


「そこのお嬢さん、何かあったかな?」


 危ない人だ。無視。無視。


 声のする方向を見向きもせず、足早に通り過ぎようとする。


「お嬢さん、それではクラスメイトが君にやっていることと同じだよ」


 人の心を見透かしたような物言いにイラっとして目を向けると、ゴミ袋の山をかき分けるようにして、男が一人出てきた。彼は緑色に変色した段ボールを広げると、その上に腰を落ち着ける。


「何の用ですか?」


「止まってくれてありがとう」


 苛立ちを交えたわたしの質問を完全にスルーして、微笑みをたたえるホームレス。


 質問に答えろよ。胸の中に黒いもやもやが広がっていく。


「ふむふむ、君は難儀な恋をしているのか。いやはや青春じゃな。ホッホッ」


 わたしの心に土足で入ってくるな。あんたに何が分かる。


「知ったかぶり止めてもらえますか?!不愉快なんですけど」


 気付いた時には、怒気を孕んだ言葉が口をついていた。


「これはすまない。君に嫌な思いをさせるつもりはなかったんだ。久しぶりの会話で浮足だってしまったようだ」


 礼儀正しく頭を下げて謝罪され、怒りの勢いを失ってしまう。黒いもやもやが四散していった。気まずくなって話題を戻す。


「そ、それで何の用ですか?」


「ふむ、お嬢さんはこの世界の『普通』に違和感を感じたことはないかい?」


 今まで微笑みを称えていた表情を一変させて、真面目に話し出すホームレス。


 わたしが返事に戸惑っていると、先ほどと同じ意の問いを、先ほどより語調を強めてぶつけてくる。


「『普通』であることを正義とするこの世界に思うところはないかい?」


「…ッ」


 とっさに言葉を口にすることができない。その沈黙を肯定と取ったホームレスは続ける。


「だったら、そんな『普通』を壊してみないかい?」


ホームレスは、無邪気な子供のように笑って、1つのカプセルを差し出す。楕円形のカプセルは、両端に2つの針が付いている不思議な形状をしていた。


「これは何ですか?」


「これは君にあと一歩の勇気を与えるアイテムだよ」


 中には青紫色の液体が入っている。あからさまに怪しい…。


「ふむ。君の思っていることは最もだ。見ず知らずのホームレスからもらったものを怪しまないわけない」


 にこっと口の端を上げるホームレス。


「このカプセルは…そうだね。端的に言うなら、『自分に対する人の好感度を操れる』アイテムってところかな。無条件ってわけじゃないけどね」


 そんな都合の良いアイテムがこの世の中に存在するわけがない。理性では分かっていた。でも、それがあればわたしもあの人と…。


「使うか使わないかは君の自由だよ。もし使うなら、操りたい人にカプセルの針を刺しながら、もう一方の針を自分に刺すといい。自分がどうしたいかを想い描きながらね」


 疑念、心配、興奮と言った様々な感情の波に襲われていると、背中に鈍い痛みが生じる。


「痛っ」


 どうやら誰かがぶつかってきたらしい。振り返って睨みつけるも、そいつは特に反省した様子もなく人ごみに消えていった。


 イライラしながら、ホームレスの方に向き直ると、目の前の光景に目を疑うことになる。


 あれ?ホームレスがいない…。それにいなくなったのは彼だけじゃない。彼の周りにあったはずのゴミ袋も、段ボールも一切なくなっていた。


 何もなくなっていた。いや、そもそも元から何もなかったのかもしれない。こんなところで夢なんて見るぐらいヤバくなっていたのかわたし。ははは。乾いた笑い声が零れる。全身を支える力が一気に抜けてその場にしゃがみ込む。



 カランコロン、カラカラ…。



 その場にしゃがんだ拍子に軽快な金属音が生じる。


 音の方に目をやると、そこにはカプセルが一つ転がっていた。これってさっきの…?。え、じゃあ、あれは夢じゃなかったの?



 傾きかけた夕陽がカプセルの中にある青紫色の液体を怪しく照らしていた…。


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